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2008年5月31日 (土)

鹿島神宮 ~ 茶店「一休」

鹿島神宮の境内、御手洗池のすぐ脇に2軒の茶店があります。

道路を挟んで建つこの2軒はどちらも似たようなお店です。
両方とも店の前でだんごと魚を焼いていて、そのいい香りと店のおばちゃんの呼び声が道を歩く人たちを寄せ付けます。

今回は御手洗池から見て左側の「一休(「ひとやすみ」と読みます)」に入りました。

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まず、おもてでおばちゃんにだんごを注文。

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だんごは4種類でいずれも1本300円。
ちょっと高い気もしますが、だんごが大きい(たぶん通常の2~3倍はある)ので許します。
その4種類とは、

みたらしだんご。
こだわりの自家製みそが自慢。

草だんご。
こしあんをたっぷり乗せてくれます。

きびだんご。
きな粉と黒蜜をかけて召し上がれ。

3色だんご。
みたらし、草だんご、そしてさくらだんごの3色だんご。
さくらはおそらくこの時期限定だと思います。

今回僕が注文したのはみたらしだんご、隣の池も御手洗だしね。

みたらし?ちょっと待てよ。
なぜ、このだんごを「みたらしだんご」っていうんだろう。
漢字で書くと「御手洗団子」ってこと?

ということで、さっそく調べることにしたんですが、この結果を話し出すと脱線したまま戻ってこれないくらい長くなりそうなので、次回にとっておきます。

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さて、話の続きですが、注文して店内に座り、お茶を飲みながらしばらく待つと、先程のおばちゃんができあがったばかりの焼きたてだんごを持ってきてくれました。

で、アツアツのみたらしだんごの味はというと...

とっても美味い。
自慢の味噌がすごくいい。
香ばしく焼かれた醤油の風味と味噌のコラボがサイコーです。
他のだんごも美味しそうでしたが、みたらしだんごで大正解!!って思いました。

ところで、僕たち家族がこの店に入った時はほとんど客はいなかったんですが、だんごを食べているうちにいつの間にかほぼ満席状態になっていました。
気になってもう一つの店を覗いてみたんですが、そちらの店は殆ど客はいませんでした。

そう言えば、ここに来る途中近くのセブンイレブンに寄った時も、入る時は駐車場はガラガラだったのに出る時は半分以上埋まってた。

これまでも同じようなことを何度も体験しています。
例えば、こないだも会社の近くのラーメン屋に13時過ぎに入った時のこと。
その店は15名くらいが座れるカウンターのお店なんだけど、入った時は数名しかいなかったのが出る時はほぼ満席状態でした。
あの時間帯にほぼ満席だったのが異常に感じたのでよく覚えています。

ひょっとして僕って、いわゆる「福の神」ってやつ?

って、こんなの自分の口で言うことじゃないですね...

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2008年5月26日 (月)

鹿島神宮 ~ 鹿園とさざれ石

鹿島神宮の本殿の奥、東神門から100メートル程歩いた左側に鹿園があります。

ここには30数頭の鹿が飼育されています。

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鹿と言えば奈良ですよね。
実は奈良の鹿とここの鹿はとっても深い関係があるんです。

説明によると、神代の時代に鹿島神宮の御祭神である武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)の所へ、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の命令を天迦久神(アメノカグノカミ)という神様が伝えに来たそうです。
この天迦久神は鹿の神霊ということから、鹿島神宮のお使いは鹿なのだそうです。

西暦767年に藤原氏が奈良の春日大社を創建する際、鹿島神宮から武甕槌大神の分霊を迎えたのですが、そのときその分霊を白い神鹿の背に乗せ、多くの鹿を連れて1年がかりで奈良まで行ったのだそうです。
奈良の鹿はこの神鹿がルーツであり、春日大社のお使いも鹿なんです。
つまり、奈良の鹿の祖先は鹿島の鹿ということになるんです。

現在鹿島神宮で飼育されている鹿ですが、幾度か絶滅してしまっているようです。
でも不幸中の幸いと言うべきか、現在の神鹿はなんと奈良の鹿の系統なのだそうです。
これって、いわゆる「逆輸入」ってやつですよね。

ところで、鹿園のすぐ脇にある売店では鹿の餌を売っています。
鹿にあげるものと言えば「鹿せんべい」!!
先日までテレビドラマとして放映されていた「鹿男あをによし」で、黒板に大きな文字で書かれた言葉を思い出しました。
「鹿せんべい、そんなにうまいか」

でも、ここにある餌は普通のにんじんなんです。
にんじんって馬の餌じゃないのなんて思いながらも、とりあえず1カゴ(100円)購入。

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さすがに鹿たちもパブロフの犬状態になっているらしく、カゴを持った人間が近づくだけでこちらにゾロゾロ寄って来る。
柵の間にちょっとだけ隙間があって、そこから鹿たちが口を突き出してきた。

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よく見ると、近くに寄って来た鹿たち、みんな角が生えている。
つまり寄って来たのは全員オスということになります。
一方メスはというと、ニンジンには興味がないのか、はたまたオスをたてて遠慮しているのか、はたまたオスに怒られるから諦めているのか、こちらの方を見向きもしませんでした。
ちょっとだけこちらを振り向いたメスの顔を見た限りでは、諦めムードの表情に見えました...

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さて、鹿園の脇の目立たない場所にごつごつした石が祀ってありました。
これ、「さざれ石」っていうんです。
そう、あの「君が代」の歌詞に出てくるさざれ石のことです。

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  ↑ごめんなさい、肝心のさざれ石の写真撮るの忘れた!

君が代って国歌だし、なにかある度に聞いたり歌ったりしますが、ハッキリ言って歌詞の意味ってよくわかんないって思いません?
僕もハッキリ言って、今までさざれ石ってよく知りませんでした。

漢字で書くと「細石」となります。
石灰石が雨水等で溶けると粘着力の強い液体ができます。
この液体が小さな石が集まった隙間に入り込み小石どうしを凝結させます。
そうして長い年月をかけて大きな岩となったものがさざれ石なのです。

君が代の歌詞をよく見ると「五七五七七」つまり短歌調になっています。
実はこの歌は平安時代の「古今和歌集」に詠まれた「詠み人知らず」の和歌なのです。

諸説ありますが、君が代の「君」とは天皇のこと、なので君が代の歌詞の意味は、

「天皇の時代が、小さな石が大きな岩となり苔が覆うくらい、末永く繁栄がつづきますように」

という祈りがこめられた歌なのです。

へぇ~、こんな意味が込められていたんですね、君が代には。
だから、国歌にするしないの時も賛否両論あったんだ。
僕なんか小さい時は「巌となりて」は「岩音鳴りて」だと思ってたくらいだし。(恥)
(関係ないかっ!)

ついでなので、なぜこの歌が国歌になったのかについても調べてみました。
この歌はもともと、神事や宴席等いろんなお祝いの席で最後に歌われる祝歌として全国へ広がっていき、浄瑠璃などにも取り入れられるなど、昔からかなりポピュラーな歌だったようです。

明治の初めまで、日本には国歌は存在していなかったと言われています。
そのころ世界の列国には国歌があり、日本にも国歌が必要との判断から、明治2年当時薩摩藩砲兵隊長で後に初代陸軍元帥となった大山巌という人物が薩摩琵琶歌の一節からこの歌詞を選定。
また、当時英国公使館護衛のため軍楽長として来日していたフェントンが作曲したといわれています。
ただし、現在歌われている曲はフェントンのものではなく、明治13年に宮内省雅楽課の林広守らによって新たに曲がつけられたものです。
鹿島神宮の解説では明治26年に国歌に制定されたとありますが、正確に言うとその年に当時の文部省告示により「祝祭日奉唱歌」8曲のうちのひとつとして指定されたのだそうで、国歌として制定されたという訳ではなさそうです。
そしてそれを受け、明治33年小学校令施行規則で紀元節、天長節、元日に君が代を歌うことが定められました。
これにより今日に至るまで各地で歌い継がれた結果、現在の君が代が国民の歌、すなわち国歌に準じるものとして定着したのではないかと言われています。

あとはご存じの通り、平成11年8月13日に「国旗及び国家に関する法律」が制定、施行され、「君が代」が正式に国歌として制定されたのです。

君が代を国歌として認める認めないについては、ネットでも相変わらずいろんな意見が飛び交っているようですが、僕個人的な意見を言わせてもらうと、実際いろんな式典やスポーツの表彰式等でこの歌が流れていますし、慣習として君が代が世界の常識でいう国歌と同様の位置づけになってしまっている訳ですから、歌詞の意味はどうあれ国歌でいいんじゃないでしょうか。

まあ、歌いたくない人は歌わなきゃいいんだし、国歌として認めたくないっていうんならそれでもいいんじゃない、って思います。
ただし、それを主張するのは自由ですが、人に強要するのは余計なお世話ですよね。

だって、「答えはひとつじゃない」んだから。

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2008年5月22日 (木)

鹿島神宮 ~ 七不思議

鹿島神宮の奥には森が広がっています。
拝殿で参拝を済ませた後、奥の森へと続く入口に、「東神門」があります。

ここに、鹿島神宮境内の案内板があるのですが、案内のあとに鹿島神宮七不思議が記載してあります。

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その七不思議とは、

①要石
 その根底ふかくて図り知れずという

②御手洗
 池の深さ大人 小人によらず乳を過ぎずという

③末無川
 川の水 流れ行くほど追々かれて行末知らず

④藤の花
 御山の藤の花の多少により その年の豊凶を予知すること

⑤海の音
 波の響が上(北)の方に聞えれば日和
 下(南)に響けば雨降るという

⑥値上りの松
 すべて御山の内の松 幾度伐れども伐り跡に目出て枯れることなし

⑦松の箸
 鹿島の松で作る箸は松脂の出たことなしという

という七つです。
なんだか怪しいものばかりですね。
もっとも怪しいから不思議というんでしょうが...

この七つの真偽については定かではありませんが、少なくとも①の要石と②の御手洗の池は実物を拝むことができるし、実際今回見てきました。

まず、要石について。

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要石についての説明は鹿島神宮にもありますが、香取神宮の説明の方がわかりやすく記述されています。

参考(香取神宮の要石) : http://hirohi.cocolog-nifty.com/hirohi1/2008/03/post_f1e9.html

それによると、むかし鹿島の神である武甕槌大神(たけみかづちのかみ)と香取の神である経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、葦原中国(あしはらなかつくに)を平定し、香取が浦(霞ヶ浦)付近にたどり着きます。
ところがこのあたりは地下に潜む大ナマズのせいで地震が頻発していました。
二神はこれを鎮めるため地中深くに石棒を差し込み、鹿島の武甕槌大神はナマズの頭を、そして経津主大神はナマズの尻尾を抑え、地震を鎮めることに成功したとのことです。

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両神宮ともこの要石が地上に出ている部分はほんのわずかなのですが、地底深くまで続いている巨大な石なのだそうです。

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 ↑写真下の方に見えるちょこっと出っ張っている石が要石です

そして、かの水戸黄門様がその真偽を確かめるため7日7夜掘り続けさせたのですが、結局最後まで掘りつくすことができなかったという伝説が残されており、これが七不思議の1番「その根底ふかくて図り知れずという」に通じているのでしょう。

次に、御手洗(みたらし)の池について。

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この場所は奥宮から急な階段を降りたところにあります。
昔はこちら側が本殿に向かう参道の起点であり、参拝の前にまずこの池で身を清めたそうで、これが「御手洗」という名の由来なんだそうです。
「みたらい」ではなく「みたらし」です。
そういえば僕の田舎の方に「御手洗水」と書いて「おちょうず」と読む地名がありました。
って、そんなのどうでもいいんですけど。

水は清く透き通っていて池を泳ぐ鯉もよく見える、そして池の真ん中には鳥居が建てられていて、とても神聖な池に見えます。

それもそのはず、この池はすぐ横から湧き出す水が源泉であり、そのまま飲むのはやめた方がいいとは書いてありましたが、自由に汲んで持ち帰ることができます。

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実際水筒に入れて持ち帰り、沸かしてお茶にして飲みました。
おいしかった...というか、気分的なもんでしょうが霊験あらたかなお茶をいただくことができました。

池の傍にある茶店では、この池の水を使った(かどうかは定かではありませんが...)お酒が売られていました。

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で、肝心の不思議についてですが、これはどう見ても大人のひざ上くらいの深さしかなく、確かに胸までの深さはないとは言え、「池の深さ大人 小人によらず乳を過ぎずという」のはちょっと大げさでしょう。

わざわざ七不思議にするほどのものではないと思うのですが...

むしろ、「どんな干ばつの時でも枯れることのない霊泉」というのを不思議にした方がいいんじゃあないの?って思ったのは僕だけ?

その他の不思議については実際確認はできませんでしたが、あちこちネットで調べた限りの情報をまとめてみます。

③の末無川についてですが、
これは神宮の外、神宮から東へ数キロ程行ったあたりの小さな道路沿いに立て札が立っているようです。
当然川などありませんし、小さな立て札なのでうっかり見逃してしまいそうな場所なんだそうです。

④の藤の花と⑥の松の根については、今は無いそうで、したがって真偽を確かめることはできないようです。
したがって⑦の箸の件も現在では確かめようがないということになります。

⑤の海の音については、奥宮の前にある芭蕉の句碑の上部にある穴に耳を当てると音が聞こえるそうですが、今回はそのことを知らなかったため確認できませんでした。
次回行くことがあれば、試してみたいと思います。
といっても、豊作凶作との関連性を確かめることはできないと思いますが...

以上、鹿島神宮の七不思議についてでした。

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2008年5月 6日 (火)

鹿島神宮 ~ 豆知識編

先日鹿島神宮へ行ってきました。

前回報告した訪問編に続き、今回は豆知識編をお送りします。

鹿島神宮に祭られている神様は「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」です。

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前回の香取神宮のときにも触れましたが、日本書紀に出てくる国譲りの話によると香取の神である「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」の副神として日本の国を平定したのだそうです。

参考 : http://hirohi.cocolog-nifty.com/hirohi1/2008/03/post_2b99.html

ところで、日本書紀と古事記ではこの「国譲り」の話が一部違っているのをご存知でしょうか?
日本書紀では武甕槌大神は経津主大神の副神として出雲の国に降りていきますが、古事記では経津主大神は出てきません。
古事記においては武甕槌大神がこの話の主役であり、天鳥船神(あめのとりふね)を従えて出雲の国に降りていき、大国主命(おおくにぬしのみこと)を説得し、葦原中つ国(地上の国=日本)を平定するのです。

日本書紀と違い、古事記の方では武甕槌大神は主役級の扱いですよね。
まあ、神話なのでそもそもどちらが正しいか論じてもしょうがない気もしますが、同じお話なのに登場人物が違うというのも興味深い話です。
どうしてこうなったのか知っている方いらっしゃったら教えてください。

こういうことから、ここの御利益についても香取神宮と似たようなものとなります。
すなわち、必勝成就、旅行安全、五穀豊穣、殖産、安産、事業の創造、新規開拓、開運等様々な御利益があるそうです。

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    ↑鹿島神宮本殿とご神木

鹿島神宮がいつできたかについても、香取神宮と同様定かではありませんが、社伝によると紀元前660年だそうです。
香取神宮が紀元前643年なので、それより17年前ということになります。
かなり眉唾ものですが、関東では最も古い神社ということになるらしいです。

もっともその頃の日本は弥生時代なので、少なくともこんな立派なお社は無い筈ですが...

鹿島神宮の年間行事も約90あるそうなんですが、最も大きなお祭りは12年に1度行われる「式年大祭御船祭」だそうです。
正式には「式年神幸祭」と言うのですが、これって香取神宮で行われるのと同じじゃないですか?
行われる年は午の年ということなので、次回は6年後の平成26年ということになるんですが、これも香取神宮と同じじゃないですか。

それもそのはず、前回は書きませんでしたが、このお祭りは鹿島の神と香取の神が12年に一度会うというイベントなのです。

ただ、ひとつだけ納得いかないのがそれぞれのお祭りが行われる日程。
平成14年の例で言うと、香取神宮が4月15日、16日の2日間だったのに対し、鹿島神宮は9月1日と2日の2日間だったのです。

お互い全く違う日にやっても意味ないじゃん。
わざわざ舟にまで乗って霞ヶ浦(北浦)の沖合で出会うはずなのに、5ヵ月も日程が違うなんてかなりボケボケじゃないの?

っていうか、誰もこのことに関して疑問を持たないのでしょうか?

さて、次回の報告では霊験あらたかな鹿島の森を散策、レポートしてみたいと思います。
お楽しみに。

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鹿島神宮 ~ 訪問編

3月に香取神宮へ行った報告をしましたが、今回は「鹿島神宮」へ行ってきましたので、何回かに渡り報告することにします。
実は、昨年伊勢神宮にも行ってきているので、いわゆる「延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)」による3大神宮を制覇したことになります。

マイカーで行ったんですが、この付近は香取神宮と違い駐車場が有料でした。
公営の駐車場が神宮のすぐ脇(第1駐車場)と、ちょっと離れた所(第2駐車場)にあるんですが、それとは別に参道沿いの店ではあちこちにおばさん達が立っていて、自分の店に入ってもらおうと一生懸命呼び込みをしていました。
これに乗っかると後々面倒くさそうなので、今回は離れた方の第2駐車場に止めました。
料金は3時間で200円と良心的。(タダにはかないませんが...)
料金所には愛想良さそうなおばあちゃんが座っていて、「どうぞごゆっくり」と声をかけてもらいました。

駐車場から参道を歩いて行くと、目の前に大きな鳥居が現れます。

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「大鳥居」別名「二の鳥居」です。
ちなみに一の鳥居が見つからないのですが、後で調べたところ「一の鳥居」はちょっと離れた北浦湖畔、大船津という場所に立っているのだそうです。

大鳥居を拝礼してくぐり、短い表参道を進むと次に現れるのが「楼門」。

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そして楼門をくぐるとすぐ右手に拝殿、本殿が現れます。

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香取神宮の場合は表参道がカーブしていて、かつ楼門の前に「総門」がありました。
伊勢神宮や香取神宮と比べると鹿島神宮はあっさり拝殿までたどり着けるので、ちょっと意外な感じがしました。

とにかく、拝殿の前に立ち、二礼二拍手一礼をし家族安泰を祈願。
これで、やることはやったのですが、ちょっと物足りない感じ?

しかし、鹿島神宮はここから奥が広いんです。
拝殿の先に「東神門」があるのですが、ここから先が鹿島の森と呼ばれる散策コースになっているんです。

この先にもいろんな見所があるんですが、今回はここまで。
次回はその前に鹿島神宮についての豆知識についてです。

お楽しみに。

P.S. 今回の滞在時間は約4時間だったんですが、駐車場の追加料金はとられませんでした。
さすが、良心的なおばあちゃん。ありがとうございました。

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