« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »

2008年6月28日 (土)

サロマ湖

遠軽駐屯地の記念式典を後にした僕は、せっかくの機会なのでサロマ湖を見に行くことにしました。

サロマ湖と言えば琵琶湖、霞ヶ浦につづく、日本で3番目に大きい湖、しかも汽水湖(海水と淡水が入り混じった湖のこと)としては全国一の大きさを誇る湖です。
ここまで来て、サロマ湖を見ない訳には行きません。

サロマ湖は遠軽からだと車で30分程で行くことができます。

とはいえ、どこに絶景ポイントがあるのかは分からないので、まずは最初に発見した道の駅「愛ランド湧別」に入りました。

04

ここには小さな遊園地が隣接してあり、一応お金はかかるのですが、売店の裏から出ると簡単に遊園地の中に入ることができます。
とりあえず、絶景ポイントを探そうとしたのですが、園内の端から端まで歩く勇気もなく、仕方なく売店に戻り観光ガイドを探すことに。

サロマ湖の観光ガイドによると、もう少し網走方面に行ったところにもうひとつ「サロマ湖」という道の駅があるらしい。
そして、その道の駅の少し手前に「ピラオロ台」という展望台があるらしい。

という訳で、まずはそのピラオロ台を目指して出発。
国道から左の脇道に入ったところにピラオロ台はありました。

「ピラオロ」とはアイヌ語で「崖のあるところ」という意味だそうで、かつてはアイヌの人々がサロマの魚族、つまり魚群の見張りをしていたという伝えが残っている場所です。

03

ここからはさすがにサロマ湖の全体は見えませんが、遠くに海との境である砂州を見ることができます。
あの細長い砂州がなければ、このあたりの湖岸は海岸であり、サロマ湖はサロマ湾になっていたかもしれませんよね。

こうなるとやはりサロマの全景が見たいという衝動にかられてきます。

道の駅サロマ湖に入ったのですが、ここからはサロマ湖は全く見えない。
調べてみるとこの道の駅の背後に控える小さな山に展望台があるらしい。

幌岩山という標高376mの山頂近くに展望台があるとのこと。
道の駅サロマ湖から歩くと約50分かかるらしいのだけれど、実は展望台のすぐ近くまで車で行けるとのことなので、当然そちらを選択。
非常に細く曲がりくねった、しかも途中から舗装がなくなりダートコースとなった道を走る。
本当にこの道でいいのか不安になりながら15分。
やっと目的の展望台下の駐車場にたどり着くことができました。

02

ところが、着いたのはいいけど一面の霧が立ち込めているではありませんか。
下は比較的いい天気だったのに...

これも12℃という低温のせいなのでしょうか。
せっかく苦労してここまでたどり着いたのに、これじゃきっと何にも見えないんじゃないの?
でもせっかく苦労してここまでたどり着いたのに、展望台に登らずに帰るなんて考えられない。
ひょっとして少し待てば霧も晴れるかもしれないしという淡い思いを抱きつつ、とりあえず展望台に登ることにしました。

01

・・・案の定、何も見えない。
時折霧が薄くなった瞬間に、ボーっとかろうじて湖水の一部が見えるけど、全景なんて見えやしない。
すぐ下の道の駅もうっすらとしか見えないくらい濃い霧でした。
本当はこの霧の向こうにサロマ湖の全貌が見えるはずなのに...

20分くらいネバってみたけど、一向に埒が明かないのであきらめて下山することにしました。

とっても残念。
でもこれは、きっとまた来いヨって言われているような気がします。

いつかきっと、またここに来てサロマ湖の全景を拝んでやる。
それまで待ってろよ、サロマ湖!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月27日 (金)

マウレ山荘

6月22日遠軽駐屯地の式典に行ってきました。

実は、この日はサロマ湖100キロウルトラマラソンと重なったため、前日の遠軽市内のホテルが全くとれず、自衛隊の紹介で「マウレ山荘」という宿に泊まることとなりました。

マウレ山荘は遠軽からだと約30キロ、車だと40分くらいかかります。
国道333号線を旭川方面へ行き、JR丸瀬布(まるせっぷ)駅前を左折、山道を車で約10分ほど登った所にあります。
一応、丸瀬布温泉という温泉地なんですが、このマウレ山荘がポツンとあるだけで、近隣に旅館らしきものは確認できませんでした。

実は丸瀬布温泉そのものは歴史があり、アイヌの人々もこの温泉をアッシ(衣料)繊維製造や傷病治療に利用していたそうです。
ここに温泉旅館ができたのは大正6年で、網走管内では2番目に古い温泉宿として親しまれていました。
戦後になり、町営温泉旅館「丸瀬布温泉 翠明荘」として再スタートし、平成12年まで創業を続けますが、建物の老朽化に伴いその年の3月でいったん休業、平成13年4月に現在の「丸瀬布温泉マウレ山荘」として再スタートし現在に至るそうです。

このマウレ山荘、結果から言うととっても気に入りました。

01

まず、外観がとってもメルヘンチックで素敵なリゾートホテルという印象を受けます。
前庭にも彫刻があったり、いろいろな花が植えてあったりとかなりのこだわりを感じました。

玄関をくぐると吹き抜けのロビーがあり、支配人らしき人が出迎えてくれました。
従業員も全員懇切丁寧な対応を心掛けているようで、とても好感が持てます。

02

ホテル全体は北欧風リゾートホテルを意識した作りになっていて、壁や床、家具などからそれらしき風情を感じることができます。
とても清潔できれいな印象を受けました。
小さいけれど立派なリゾートホテルだと思います。

ここの温泉は単純アルカリ泉で無色透明、匂いもほとんど感じません。
しかし浴槽に入った瞬間、肌にヌメりが出てきて、入った後は肌がツルツルになります。
女性に根強い人気があるという理由がよくわかります。
美肌効果だけでなく、神経痛や関節痛、消化器系の病気や冷え性、疲労回復の効果もあるそうです。

温泉目的で来る当日客も多いようで、お風呂もきれいで大きく、露天風呂もゆったりできる広さがあります。

05

06

今回はツインの部屋に泊まったのですが、ビジネスホテルとは違って室内も広くてきれいでした。

なお、このホテルには温泉付きコテージもあって、ちょっとしたグループでの宿泊も楽しめるようになっています。
しかも、コテージに付いている温泉は、源泉かけ流しだとか。
かなり魅力的です。

朝食は朝日が差し込むレストランでバイキング。

03

メニューもたくさんあり、充実しています。
ここの自慢は100%の野菜ジュースとグレープジュース、そして手作りのジューンベリージャムとワインぶどうジャムなので、どちらかというとパン食がお勧めです。

04

ホテルの周りは基本的に自然のみ。
近くには武利川という川が流れていました。

07

この川は湧別川の支流で、流れる水はとても澄んでいて、流量も多く流れも速いのが印象的でした。
ちょっと下ったところにはダムがあり、ニジマス釣りのポイントになっているそうです。

川のほとりに民家があり、冬を越すための薪がたくさん積まれていました。

08

灯油がこれだけ高騰しているので、夏の間の薪作りはとても重要なんでしょうね。

とにかく、日頃の喧騒をすっかり忘れさせてくれる、素敵なリゾートホテル「マウレ山荘」でした。

今度は是非家族でゆっくり行きたいと思います。

マウレ山荘HP : http://www.maure-sanso.com/

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年6月26日 (木)

陸上自衛隊遠軽駐屯地

6月22日(日)、陸上自衛隊遠軽駐屯地へ行ってきました。
遠軽駐屯地創立57周年記念行事の参加が目的でした。

02

遠軽(えんがる)駐屯地は北海道紋別郡遠軽町というところに所在します。

東京から行くと「オホーツク紋別空港」が最寄りの空港になります。
でも、この空港、東京からは全日空便が1日1往復しかなく、今回も満席で取れなかったため、女満別空港からレンタカーを借りて遠軽入りしました。

この遠軽という地名、実はアイヌ語が語源となっています。

遠軽には町のシンボルでもある「瞰望岩(がんぼういわ)」という場所があります。

http://engaru.jp/kankou_information/chiiki/en/ganbouiwa/ganbouiwa.html

この岩に登ると遠軽の町が一望できることから、アイヌ語で「見晴らしの良い」を意味する言葉である「インガルシ」が地名の由来になっています。
なので、「遠軽」という漢字は当て字ということになりますね。

ここ遠軽も、いわゆる屯田兵によって開拓された地域です。
明治30年に上湧別屯田兵がこの地に入ったのが始まりだそうです。

ところで、屯田兵の制度は明治6年に黒田清隆という人物が「屯田兵設立建白書」を時の政府に提出し、採択されたことから始まります。
実はこの黒田という人、明治3年に開拓次官として樺太を視察しており、その時にも札幌に部隊を置くこと、併せて北海道、樺太に軍艦2隻を配備することを上申しているのですが却下されてしまいました。
ところが明治6年になって、樺太でロシア兵による日本人の暴行、殺人事件が相次いだため、再度上申し認められたという経緯があるのだそうです。

遠軽に屯田兵が入ったのは明治30年とだいぶ年が経っていますが、これは急激に開拓を進めるとロシアを刺激してしまうことを考慮し、少しずつ兵力を増強し、時間をかけて開拓を進めたのだそうです。

遠軽駐屯地の歴史は昭和26年まで遡ります。
それ以前の駐屯地があった場所は、
昭和10年 旧農林省北見種馬所
昭和21年 種畜牧場
昭和24年 北海道農業試験場遠軽試験所
という歴史を持つ場所でした。

昭和25年に町民による自衛隊誘致活動が実り、
昭和26年1月に誘致決定、
同年3月に当時の警察予備隊約1000名が移駐、第4連隊第3大隊が編成され、駐屯地がの歴史がスタートしたのです。

当初は種馬所の馬小屋が隊舎として使われたそうで、冬はとてつもなく寒かったようです。
そのような風雪に耐え訓練に励むことにより精強な部隊が作られるということで、
「風雪磨人(ふうせつまじん)」という言葉がこの遠軽駐屯地を代表する言葉として受け継がれています。

01

遠軽駐屯地の主力部隊は第25普通科連隊です。
この連隊長が駐屯地司令を兼務しています。
この連隊は、「風雪磨人」が現わすとおり、北海道の中でも特に盛況な部隊として知られており、過去には昭和44年から昭和54年まで、方面冬季戦技競技会、いわゆるスキー競技会で11連覇を成し遂げたという記録を持っています。

さて、記念行事の当日ですが、この日は天気はまあまあだったのですが、気温が10℃くらいしかなく6月とは思えないくらい寒い日でした。
聞くところによると3日前は30℃を超えていたそうで、20℃も気温差があるなんて信じられませんよね。
体調を崩す人も結構いたんじゃないでしょうか。

観閲式がひととおり終わると、太鼓と音楽演奏が行われました。

太鼓はここ遠軽の有志で作られた「遠軽がんぼう太鼓」。

04

がんぼうとは前述の瞰望岩からとった名前です。
勇壮なそして息の合った演奏を2曲披露されました。

その後は地元遠軽の隊員で構成される遠軽駐屯地音楽隊の演奏。

03

普通、この規模の駐屯地には音楽隊はなく、師団の音楽隊が来て式典の音楽を担当するのですが、この遠軽駐屯地では式典の音楽もすべてこの音楽隊が行っていました。

次に地元の小学校の金管バンドが登場。
自衛隊に負けず劣らずのすばらしい演奏を聞かせてくれました。

05

この日は駐屯地も一般開放されていて、地元の人たちがかなり遊びに来ているようでした。
駐屯地のあちこちにも装備品の展示コーナーや出店、そして子供向けのミニSLやストラックアウト等いろんなアトラクションもあって、小さいながらも地域との一体感を感じさせる、そんな陸上自衛隊遠軽駐屯地のお祭りでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月21日 (土)

種なしびわ

めったに食べることのない果物と言えば?

いろいろあるでしょうが、びわ(枇杷)もそのひとつではないでしょうか?

食べたことがないという人もいるのでは?

あまり店に出ないし、それに高いし、
まあ、メジャーな果物ではないことは確かですよね。

でも、僕は実はびわが大好きです。
というのも、小学生の頃長崎県南高来郡小浜町(現在の雲仙市)に住んでいたんですが、家の近所にびわの木が何本か植えられている場所があって、友達と昆虫採集をしながらびわをちぎって食べた記憶があります。

(んっ、これってひょっとしてびわどろぼう?...時効、時効...)

実は長崎県は全国一のびわの産地ということもあって、毎年この時期(6月)くらいになるとどこの店にもびわが並ぶし、特に昔は手頃な値段で買えたので、僕にとってはびわは全然珍しい果物ではないんです。

ところが、、、ですよ。

世の中の科学の進歩はすばらしいというか、なんと世にも珍しい「種なしびわ」なるものがあるんですね。

びわと言えば、あの大きい種が特徴ですよ。
もともと小さい果物なのに、中央にあんなに大きな種があるので、実は食べるところが少なかったりする、でもって結構高いというコストパフォーマンスに関しては著しく劣るのが特徴ですよ。

そんな特徴を覆す、「種なしびわ」なるものがついに我が家にもやってきました。
じゃーん!!

01

って、これじゃ普通のびわと変わんないじゃん。
ということで、さっそく切ってみました。

02

 

おおっ、種がない。
実がぎっしり詰まっている。
見た感じ、種があった部分がしぼんでいき種を包んでいた皮だけが残ったって感じです。

では、種ありびわとどれくらい見た目が違うのか比較してみましょう。

03

こうやって並べてみると全然違いますよね、実の詰まり方が。

いよいよ試食。
これが結構甘くておいしい。
肉厚がある分歯ごたえもあって、食べがいあるって感じです。

このびわ、どこで作られたのかというと、、、
長崎出身の僕にとっては残念なんですが、千葉県富浦産でした。

千葉県農林総合研究センターの暖地園芸研究所という所が平成7年から13年にかけて研究を行い、平成16年に「希房(きぼう)」という名前で品種登録、
今年(平成20年)、ついに富浦の地から初出荷されることとなったそうです。

何でも、三倍体を利用した種子なしビワの作出技術とかなんとか言う研究の成果らしいのですが、僕の理解の範囲を超えているので、興味がある方はこちらをご覧ください。

参考URL : http://www.pref.chiba.jp/fcard/2003/21.htm

今回はたまたま縁あって種なしびわを食べることができましたが、実はこの種なしびわってめちゃくちゃ高いようです。

参考ニュース(MSN産経ニュース) : http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/080428/sty0804281646008-n1.htm

なんと、1個5000円ですって。
とてもとても、庶民の我々には手が届く代物ではありませんなぁ。

あと何年経ったら、普通に店頭に並ぶのでしょうか?
この次種なしびわを食べることができるのはいつになることやら。

まあ、気長に待つこととしますか。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月14日 (土)

じゃがピリカ 2008

今回旭川出張で買ったお土産の話。

帰りの旭川空港でお土産を買おうと思い、いくつかのお土産屋さんを覗いていたところ、じゃがポックルのようなお菓子を発見!!

箱の形、大きさは同じなんだけど、箱のデザインがちょっと違う。

カルビーのお菓子なんだけど、よく見ると「じゃがピリカ」って書いてある。

じゃがポックルの弟分登場か?
それともじゃがポックルの後継商品か?

いずれにしても初めて見る商品。
これは絶対買っておかねばと思い、即購入。

家に帰ってさっそくオープン。
袋を開け、皿に移す。
なんかいろんな色のコロコロした物体が出てきた。

Photo

よくみると、3種類のポテトあられが入っている。
食感、味もじゃがポックルとよく似た感じ。
これも結構ハマるかも...

この商品の実態を探ろうと、カルビーのサイトへ行き商品検索を試みるが、検索しても出てこない。
う~ん、確かにカルビーの商品なのになぜ商品として出てこないんだろう。

実はこれ、かつて2005年に北海道でテスト販売されていた商品なのだ。
じゃがポックルの姉妹品ということで、北海道限定、期間限定で売られていたらしい。
今回も期間限定のようで、正式商品化するかどうかは不明。
だからカルビーのHPにも出ていないのか。

3種類の正体はイモの種類だそうで、その中でも
赤色っぽいのは、「ノーザンルビー」という品種、
紫色っぽいのは、「キタムラサキ」という品種。

なんと、2005年のときとイモの種類が変わっている。
2005年のテスト販売のときに使用されていたイモは、
「インカレッド」と「インカパープル」という品種だと説明してあったらしい。

ということは、今回はイモの品種を変えてテスト販売しているということか?
イモの品種ってそんなにたくさんあるの?
品種が変わるとどう変わるの?

よし、さっそく調査開始だ。
参考となるサイトを早速発見。
その名も「北海道農業研究センター」。
http://cryo.naro.affrc.go.jp/kankobutu/breed19/index.html

この「育成品種一覧」のリストに、上にあげた4品種も入っている。
ということは、この4種類のじゃがいもはすべてこの北海道農業研究センターで生まれた品種ということだ。
ちなみに、「インカレッド」「インカパープル」は2002年生まれ、
「キタムラサキ」は2003年生まれ、
「ノーザンルビー」は2006年生まれ。
つまり、2005年のテスト販売の段階ではノーザンルビーはこの世に存在していなかったことになる。

新しい品種は色の安定性や育てやすさなど、いろいろと改良が加えられているようだ。
(詳しくは上記サイトで確認してくれ)

じゃがいもひとつとっても、こんなに奥が深いとは。
ちなみにここで開発されたじゃがいもはなんと20種類もあるそうだ。
おそるべし、北海道農業研究センター。

いずれにしても、「じゃがピリカ」、いつまで販売するのかは謎なので、見つけ次第即ゲットすべきだゾ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

陸自第2師団記念行事 ~ 最新装備品②

6月8日(日)、陸上自衛隊第2師団(旭川駐屯地)記念行事に行ってきました。

今回は前回のつづき、最新装備品レポート第2弾です。

まずは、99式自走155mm榴弾砲。

05

陸上自衛隊の特科部隊に配備されている榴弾砲と言えば、FH70という器材が多く、ほぼ全国の特科部隊で見ることができます。

この99式は最も新しいタイプの榴弾砲で、これだけの数が配備されているのはここだけじゃないでしょうか?

愛称「ロングノーズ」と呼ばれるように、砲身がかなり長く感じられます。

射程はFH70と同じ約30Kmですが、時速約50kmで走れること、自動装填化されたことで3分間で約18発撃てる等、機動性には優れています。

04

観閲行進ではこの車両が隊列を組んで登場。
そして隊列の最後尾には見慣れない車両が。

03

これは弾薬補給用の車両です。
まさに動く弾薬庫といったところでしょうか。

ちなみに、99式の「99」とは西暦の下2桁のことで、制式化の年、すなわち調達が開始された年を表しています。
なので、90式戦車とは1990年に制式化されたことになります。

次は、87式自走高射機関砲。

14


87式ということなので約20年前に開発されたことになるんですが、実戦部隊に配備されているのはここ2師団高射大隊と7師団の高射大隊くらいじゃないでしょうか。
というのも1台あたり10数億円とバカ高いため、年間1台から2台くらいしか買えないという厳しい台所事情のせいなのだそうです。

装備されている砲は35mm機関砲が2門、なんと1分間に500発以上も撃てるんだとか。
機関砲の後ろにある棒状のものと丸いやつのはレーダーで敵の航空機を探索、追尾、捕捉し、これらの情報から車体や砲の角度をリアルタイムで自動制御できるのだそうです。

さすがに今回は発射するところを見ることができませんでしたが、機会があれば是非一度見てみたいものです。

次の装備品は、師団等指揮システム(FiCS)。

この装備品は、師団司令部が震災現場や戦場に出て展開する時に使用される器材です。
隷下部隊から報告される各地現場の状況を集計し地図上に表示したり、各部隊へ命令を下したりするためのコンピューターシステムがシェルタの中に積載されています。

10


観閲行進では司令部付隊がこの器材を積んだトラックに乗って行進してきました。

また、今回展示コーナーには作戦室システムが展示してありました。

11


シェルターの両側の壁がジャバラのように伸び、約3倍の広さになります。
このなかにはプラズマディスプレイやプロジェクタが搭載されていて、師団長や幕僚たちが集まって作戦会議を行うことができます。

この器材は比較的新しい器材で、現在第2師団にしかないそうです。

ちなみに展示コーナーではこの機材と野外通信システム(DiCS)、基幹連隊指揮統制システム(ReCS)を組み合わせた野外型システム運用図というのをパネルで説明していました。

12

これがいわゆるNCW(ネットワーク・セントリック・ウォーフェア)ってやつなんでしょうかねぇ。

ただこういった展開ができるのも今のところこの第2師団のみ。
全国に広がるにはまだまだ10年以上かかるとか、かからないとか...

以上、第2師団記念行事で見ることができる最新装備レポートでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

陸自第2師団記念行事 ~ 最新装備品①

6月8日(日)、陸上自衛隊第2師団記念行事へ行ってきました。

07

ところで、陸上自衛隊の装備品というと戦車、装甲車といった車両、榴(りゅう)弾砲やミサイルといった火砲、あと通信器材や施設器材といった各種器材等があります。
これらの装備品はいずれも高価なため、全国一斉に配備するのが難しく、毎年ちょっとずつ、長いものでは10年以上かけて全国に行き渡ります。
なかには全国配備が完了する前に次の新しい器材が開発されるというケースもあります。

というわけで、新しい器材はまず最初に第2師団に配備されることが多く、他の師団では見られない最新装備を見ることができます。

なぜ第2師団が最初なのかというと...

平成16年12月に「新防衛大綱」(正式には「平成17年度以降に係る防衛計画の大綱」といいます)が閣議決定されました。
その中で、陸上自衛隊はそれまでの師団(13コ師団、2コ混成団)を見直し、9コの師団と6コ旅団に見直すこととしました。
またこれらを「即応近代化師団・旅団」と「総合近代化師団・旅団」という2種類に分類、さらに地域特性に応じた役割を持たせることとしました。
例えば第1師団(練馬)と第3師団(千増)は「総合近代化師団(政経中枢タイプ)」といった具合です。

第2師団は総合近代化師団に位置づけられるのですが、その中でも特に先進部隊実験師団という役割も持っていて、多様な事態に対応するためのいろんな取り組みを試す部隊でもあります。
したがって、最新装備はまず第2師団に配備され、実戦(と言ってもほとんど訓練ですが)で試されるという訳なのです。

さて、今回展示してあった装備品や観閲行進で他の師団ではなかなかお目にかかれないものをいくつか紹介します。

まずは、90式戦車。

02

第7師団は機甲師団なので別格として、第2師団は他の師団と違い戦車連隊を持っています。
戦車も90式戦車と74式戦車の両方がありますが、主力はやはり90式戦車でしょう。

90式戦車は教育用(富士教導団や学校など)を除くと北海道でしか見ることができません。
今回観閲行進で90式戦車が隊列を組んでやってくる姿はなかなか壮観でした。

01

次は、96式装輪装甲車(WAPC)。

13

何といっても特長は8本のコンバットタイヤでしょう。
通常走行時は後部4輪駆動ですが、スイッチ1つで8輪駆動に切り替えることができます。
最高速度は自衛隊の装甲車両の中ではダントツの100km/h。
ドライバーを含め10人の隊員を乗せることができます。

通常の観閲行進では普通科部隊は歩いてくるか、ジープ、トラックに乗って行進しますが、今回はすべての隊員がこのWAPCに乗ってやってきました。

08_2

さすが第2師団!!こんな光景もここでしか見れないのではないでしょうか。

今回はここまで。
次回は火砲を中心にレポートします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月11日 (水)

陸上自衛隊旭川駐屯地

6月8日(日)、陸上自衛隊旭川駐屯地へ行ってきました。
ここには陸上自衛隊第2師団司令部があります。

今回の訪問は毎度おなじみの記念行事で、第2師団創立58周年、旭川駐屯地開設56周年記念行事への参加が目的でした。

03

考えてみると、4月13日の第1師団(練馬駐屯地)を皮切りに、4月20日の第6師団(神町駐屯地)、5月18日の第4師団(福岡駐屯地)、6月1日の第9師団(青森駐屯地)、そして今回の第2師団とこの2ヶ月で5つの師団を訪問したことになります。

現在陸上自衛隊には9つの師団があるので、この2ヶ月の間に半分以上を制覇したことになります。
本当は5月25日に第7師団があったんですが、子供の運動会だったのでキャンセルしました。
もし第7師団に行っていたら3分の2を制覇したことになったんですけどね。

第2師団創立58周年というとかなり歴史が古いということになります。
陸上自衛隊ができたのが昭和29年で54年前なのでその前から存在していることになり一見矛盾しているようなのですが、実は警察予備隊時代の第2管区隊という時代から起算しているためで、第2師団の歴史をたどると次のような年表となります。

昭和25年 8月      警察予備隊創設 (真駒内において第2管区隊を編成)
昭和26年 5月     第2管区隊編成完結(4連、5連3大、基幹)
昭和27年10月     保安隊発足に伴い北部方面隊新編成
       12月     第2管区隊総監部が旭川に移駐
昭和29年 9月     陸上自衛隊発足(3普連、9普連、10普連基幹)
昭和37年 1月     第2師団編成完結(3普連、9普連、25普連、26普連基幹)
昭和63年 3月     師団改編
             第2後方支援連隊、化学防護小隊の新編
             第2高射特科大隊の師団直轄
平成7年 3月     師団改編
             第9普通科連隊、第2対戦車隊の廃止
             第2戦車大隊を第2戦車連隊に
平成13年 3月     第2化学防護隊新編
(※第2師団HPより)

一方旭川と軍隊の歴史は明治時代まで遡ります。

旭川の開拓は明治25年に屯田兵がこの地へ入植したのが始まりと言われています。

日清戦争を経て、明治33年札幌に本拠地があった北鎮第七師団が旭川へ移駐し、旭川は北方警備の拠点として歴史を刻み始めることとなりました。

明治37年に日露戦争が勃発し北鎮第七師団も出兵、乃木将軍率いる第三軍に編入され、かの203高地を奪還する活躍を見せたことから、北鎮第七師団が陸軍最強部隊と呼ばれるようになったそうです。

昨年リニューアルした北鎮記念館には、旭川の歴史と第七師団や第2師団の歴史が多数の展示品と伴に紹介してあります。

北鎮記念館HP : こちらをクリック

02

さて、第2師団記念行事の内容については、他の師団とだいたい似たようなものですが、第2師団には陸上自衛隊の最新装備がほぼ揃っているため、他の師団ではなかなかお目にかかれない装備品を見ることができます。

次回はそのあたりを重点的に紹介したいと思います。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年6月 6日 (金)

陸上自衛隊青森駐屯地

陸上自衛隊青森駐屯地へ行ってきました。

例によって、記念式典ってやつです。

正確に言うと、陸上自衛隊第9師団創立46周年、青森駐屯地創立57周年記念行事です。

46周年と57周年、この11年の開きは駐屯地開設と師団創立の差ということになるのですが、その歴史を見ると次のような年表となります。

-旧軍時代-
明治9年     陸軍歩兵第5聯隊第1大隊が青森の地に発足
明治11年    聯隊本部が青森に設置、第5聯隊は青森を本拠地とする部隊となる
昭和12年    満州に駐屯
昭和19年    満州からフィリピンへ移駐
昭和20年5月  相次ぐ敗戦で縮小、ついに消息を絶つ
-戦後-
昭和26年10月 第5連隊第1大隊が金沢から移駐するのに伴い青森駐屯地開設
昭和37年8月 第9師団創立、師団司令部を青森駐屯地に開設
          (担当警備隊区は青森県と岩手県)
平成2年3月   師団改編 第9後方支援連隊新編
平成11年3月  師団改編 第21普通科連連隊(秋田)を第6師団から編入
           これに伴い師団警備隊区に秋田県が加わる

なお、現在青森駐屯地に駐屯する部隊は、

第9師団司令部
第5普通科連隊
第9後方支援連隊
第9通信大隊
第9化学防護隊
第9師団司令部付隊
第9音楽隊
第123地区警備隊
第380回携帯
第305基地通信中隊
青森駐屯地業務隊

となります。

さて、記念式典は6月1日だったのですが、今回はその前夜祭なるものにも参加してきました。
いわゆる立食パーティなんですが、おもしろい余興があったので、ちょっとだけ紹介します。

03

これは、「スコップ三味線」というのだそうで、三味線の代わりにスコップを持ち、バチの代わりにフォークを持ち、流れる音楽に合わせてフォークでスコップを叩くんです。
スコップには一応ヒモが張られていて、まるで三味線を弾いているように見えるから不思議なんです。
津軽じょんがらをはじめ、3曲ほど演奏したのですが、高度なテクニックでスコップを叩くリズミカルな音が会場に響いて拍手喝采モノでした。
時折弦を調整する仕草をしたりとコミカルな動きもあり、初めて見たけどとても感動しました。

翌日の式典はあいにくの雨でしたが、ほぼ予定通り行われました。
式典の内容はほぼ前回行った神町駐屯地と同じパターンなので今回は省略します。

(参考)神町駐屯地記念行事 : http://hirohi.cocolog-nifty.com/hirohi1/2008/04/post_75ee.html 

式典の後、祝賀会食が実施されたのですが、会場の片隅には北東北各地の名物料理コーナーが設けられていました。
メニューは全部で5つ。
青森:しじみラーメン
八戸:いくら丼
弘前:マタギ飯
岩手:ひっつみ
秋田:稲庭うどん

九州出身の僕にとってどれも馴染みのないものばかりですが、その中でも「マタギ飯」と「ひっつみ」は聞いたこともない料理。
マタギ飯はかやくご飯のおにぎりみたいなやつでした。
ひっつみはけんちん汁の中にでかいうどんのぶつ切りのようなものが入っている感じ?
下の写真の左側がそうです。

01

いくら丼と併せて食べましたが、おいしかったです。

最後に空港で土産を購入。
ご当地お土産の代表と言えば「南部せんべい」でしょう。
ということで、南部せんべいを買ったのですが、売場の脇に変わった物を発見。

Photo

写真の左側「南部せんべいのみみ」です。
いわゆる南部せんべいの端っこの薄っぺらい部分のこと?
初めて目にする代物だったので、迷わず購入。

帰って食べました。
思ったよりずっと堅い。
歯が弱い人にはかなり酷かも、ってくらい堅い。
でも味は南部せんべいです。
ハッキリ言って食べ始めるとヤミツキになります。
っていうか、ビールのつまみとしてはなかなかGOOD。

今回もいろんな発見があった青森訪問でした。

| | コメント (2) | トラックバック (4)

« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »