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2008年10月25日 (土)

下鴨神社

先日、何年ぶりか、いや十何年ぶりかも、ってくらい久しぶりに京都へ行く機会がありました。

そして以前から京都へ行った際には是非行きたい場所がありました。

その場所とは、金閣寺でも銀閣寺でもなく、清水寺でも京都御所でもありません。

僕が行きたかった場所とは、『下鴨神社』です。

理由は2つあります。

1つめは、神社のうち世界遺産に登録されている貴重な神社ということ。
ちなみに世界遺産に登録されている神社は、この他にも上賀茂神社(京都)、宇治上神社(京都)、春日大社(奈良)、厳島神社(広島)等があります。
いずれも是非訪れてみたい場所です。

2つめは、前回鹿島神宮に行った際、大きなみたらし団子を食べたんですが、そのみたらし団子の発祥の地がこの下鴨神社なんです。

  過去のブログ : 『鹿島神宮 ~ 茶店「一休」』

    過去のブログ : 『加茂みたらし団子』

今回は出張の合間で立ち寄ったことでもあり、それほど時間もとれなかったので、東京から新幹線で京都へ着くとバスに乗って下鴨神社へ直行しました。

地下鉄でも行けないことはないんですが、京都を巡るならやっぱバスですよね。
地下鉄に比べて時間はかかるかも知れませんが、地下を移動するのはもったいないと思いません?
その点、バスなら京都のいろんな町並みを見ながら目的地へ行けるというのもひとつの楽しみだと思うんです。

それに、1日乗車券を買えば500円で乗り放題というのも魅力です。

下鴨神社へ行くには、京都市バス205系統(市内循環)内回りに乗ります。
バスは京都駅前から塩小路通りを東へ進み、河原町通りとの交差点を左折するとあとはまっすぐ北上します。

途中、京都の一番の繁華街である四条河原町交差点付近、京都市役所、そして今出川の何やら懐かしい商店街を左手に見ながら、葵橋(鴨川に架かる橋)を渡ると右手に見えてくるのが下鴨神社がある「糺の森(ただすのもり)」です。

下鴨神社前というバス停もあるんですが、正しい順路で下鴨神社へ行くのであれば、「新葵橋」もしくはその1つ手前の「葵橋西詰」で降りるのがいいと思います。

今回僕はそれを知らずに「下鴨神社前」で降りてしまったために、逆の順路で行くことになってしまいました。

通常は糺の森の南側入口からスタートしてOKだと思うのですが、実はそこからさらに南へちょっと行ったところに最初の鳥居があるんです。

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赤い鳥居に「賀茂御祖神社」と書かれた石碑。

実は下鴨神社の正式名称は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」というのです。

また、この下鴨神社に対し、鴨川の上流には「上賀茂神社」があるのですが、こちらの別名は「賀茂別雷神社」。
つまり、上賀茂神社と下鴨神社は兄弟のような関係で(実際は兄弟でなく親子関係なんですが...)、この2つを総称して「賀茂神社」、「賀茂社」などという言い方をします。
そして、賀茂社すなわちこの2社をして山城国一之宮と呼ばれています。

ちなみに「山城国」とは京都地方の昔の呼び名。
「一之宮」とは、その国(地域)の中で最も社格の高い神社のことですので、下鴨神社は京都において最も格式と由緒のある神社だと言えます。

神社の記録によると、平安京を造営するにあたり、この下鴨神社にて成功祈願の祈祷が行われたとあるそうです。

下鴨神社に祭られている御祭神は2人、じゃなくて神様だから2神です。
この2神を祀るため、下鴨神社の本殿は東西2つあるんです。

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まずは、「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」。
相変わらず神様の名前は難しいですよね。早口言葉みたい。

古代の京都を拓かれたと言われていて、京都の守護神として祀られています。

神話によると、神武天皇が国を平定するために東征した際、この賀茂建角身命が八咫烏(やたがらす)に化身して先導したとあるそうです。

ん? 八咫烏っていうと、そう、サッカー日本代表のシンボルマークじゃないですか。

日本サッカーの守り神、八咫烏の起源はここ下鴨神社にあったんですね。

もう一人、じゃなくて1神は「玉依媛命(たまよりひめのみこと)」。
前述の賀茂建角身命の子で、「山城国風土記」によると、鴨川で禊をしている際、上流より流れてきた丹塗の矢を拾ったところそれが美しい男神になり、その神と結婚して生まれた子供が「賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)」、すなわち上賀茂神社の御祭神なんだそうです。

なので、上賀茂神社と下鴨神社は親子関係と言えるのです。

また、日本書紀などによるとこの女神は海神の子で、神武天皇のお母さんであると伝えられているようです。

と、このように下鴨神社は単に世界遺産であるだけでなく、格式の高い由緒ある神社だということがわかりましたよね。

次回は、糺の森の入口から表参道を通り、本殿までの道のりをレポートしたいと思います。

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2008年10月21日 (火)

デッチング・トレーナー

こないだ海上自衛隊鹿屋航空基地へ行った際、日本で一つしかないというものを見学することができました。

「デッチング・トレーナー」

という装置です。

「デッチング」とは、ヘリコプター等の航空機が何らかのトラブル等により不時着水することを意味する専門用語です。
「トレーナー」とは訓練装置のことなので、直訳すると「不時着水訓練装置」となるんですが、要は「ヘリコプター着水脱出訓練装置」です。

ここ鹿屋基地には、「SH-60J」というヘリコプターを模擬した訓練施設を持っていて、この手の訓練施設を持っているのは日本広しと言えども、この鹿屋基地のみなのです。

訓練場の入口を入ると、まず目に飛び込んできたのはプールとその上に構えている大層な装置。

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なるほど、プールの上5メートルくらいのところに据え付けられているのはローターこそないけれど、ヘリコプターの機体のようです。
「日本飛行機株式会社」の看板がやけに目立ちます。
また窓ガラスはついていないけれど、この中には計器類も含めて実際のヘリのコックピットを模擬しているみたい。
聞くところによると模擬している機体はSH-60Jなので、4人分のシートがあり最大4人までの同時脱出訓練ができるのだそうです。

今回は実際に脱出訓練のデモまでしてくれました。

通常は訓練準備として、身体検査や準備運動、そして水に慣れるためのプール1往復等のいくつかの項目をこなしてから訓練開始となるのだそうですが、今回はここの隊員さんのデモということでその辺は省略、というか事前に済ませてあったんだと思います。

1名のパイロットがトレーナーに乗り込むと大きな機械音とともに下降を始めました。

そして間もなく着水。
バシャーンという大きな音とともに、水しぶきが上がります。

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その後、機体は回転しながら水没していきます。
通常ならパイロットはこのあたりからパニック状態に陥るんでしょうね。
見ているだけでも怖いです。

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そして水中で180度回転
いわゆるお腹を上に向けた状態で静止しました。
ヘリコプターというものは、その構造上機体の上にローターやそれを回すモーターが付いているため、実際でもこのように水中で180度回転することが多いんだそうです。

ここからパイロットは脱出を開始します。
なお、もしもの場合のため常にダイバーが水中待機しています。
今回は1名での訓練なのでダイバーも1名だったんですが、4名の訓練の場合はダイバーも4人、つまりマンツーマンで救助員がつくのだそうです。

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パイロットが無事に脱出し、プールの隅にある救命ボートに自力で乗り込み、最後に右手を上げ無事であることを伝えたところで訓練は終了となります。

見ていてすごい迫力がありました。
っていうか、僕だったら確実に死ぬな。
っていうか、絶対やりたくないし...

訓練を終えたマシンが、プールから出て元の位置にもどるとき、中に溜まっていた水を吐き出しながら上昇するシーンも、この訓練の大変さを物語っているようでした。

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ところで、この装置はいろいろなケースでのシミュレーションができるそうです。
降下、沈下、回転、前傾といった動作を手動で行える他、自動モードでは8つのパターンの動作を選択して行うことができるのだそうです。

その8つのモードとは、

  • モード1 : 降下着水して、停止
           (水没はしません)
  • モード2 : 降下着水して、左または右へ最大180度横転
           (これも水没はなし)
  • モード3 : 降下着水後、完全水没まで沈下
           (回転はしません)
  • モード4 : 降下着水、完全水没後左または右へ最大180度横転
  • モード5 : 降下着水後、沈下しながら左または右へ最大180度横転
  • モード6 : 最大40度前傾した後、降下着水し完全水没まで沈下
  • モード7 : 降下着水、完全水没後最大40度前傾
  • モード8 : 降下着水、完全水没および前傾した後、左または右へ横転

モードが上がるにつれ過酷な条件になっていくようです。
モード8なんか、体操でいうとD難度てんこもりみたいな状態なんでしょうね、きっと。

今回実施したくれたデモは、僕が見ていた限りではモード5だったようでした。

何度も言いますが、この装置は日本ではここ鹿屋にしかありません。
なので、全国のヘリパイ(ヘリコプターのパイロットのことね)がここにやって来て訓練を受けるのだそうです。
それは海上自衛隊のみならず、陸上自衛隊、航空自衛隊、さらには海上保安庁や警察、消防といったヘリコプターを所有しているいろんな機関のパイロットたちがここへ来て訓練を受けるのだそうです。

そして今年7月7日、開設以来10年目でついに1万人を達成したそうです。
その記念すべき訓練員は、海上保安庁の隊員さんだったとかで、記念写真が飾ってありました。

参考ニュース : http://373news.com/modules/pickup/area.php?areaid=26&storyid=11578

トラブルを想定した訓練というのはあまり前向きな訓練ではないため、なかなかやる機会はないと思います。
でも、こういう訓練があってこそ、パイロットはいざという時にも冷静に判断し、行動できるようになるのでしょうね。

いや、すばらしいものを見学させて頂き、ほんと感激でした。
今回見せて頂いた海上自衛隊鹿屋基地の関係者の皆様、本当にありがとうございました。

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2008年10月14日 (火)

加茂みたらし団子

以前から行きたかったお店のひとつだった所へ行ってきました。

「加茂みたらし団子」

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それは、みたらし団子発祥の地と言われるお店です。

そもそも、みたらし団子ってなんで「みたらし団子」って言うかわかりますか?

「みたらし」を漢字で書くと、「御手洗」です。

「おてあらい」(=トイレ)じゃないですよ。

「御手洗」というのは神社なんかにある場所で、参拝する前に身を清める場所。
そうそう、柄杓で水をすくって手を洗うでしょ?
中にはウガイまでする人がいたりする所。

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この場所のことを「御手洗(みたらし)」って言うんですよ。

みたらし団子の「みたらし」はある神社の御手洗からとったと言われているんです。

その神社とは、京都市内にある「下鴨神社」というところです。
聞いたことある人も多いんじゃないかと思います。
だってここは今や世界文化遺産のひとつなんですよ。

下鴨神社のレポートもそのうち詳しくしようと思っていますのでお楽しみに。
(って、誰も楽しみにしてないか)

そして、このみたらし団子を食べられる場所こそが、その下鴨神社のすぐ横にある
「加茂みたらし茶屋」というお店なんです。

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お店のメニューに、みたらし団子の由来が載せてありました。

それによると、

下鴨神社には清泉が湧き出る「みたらしの池」があります。
この池は京都三大祭りのひとつ「葵祭り」の際、祭の主役である「斎王代」が祭の前日に禊(みそぎ)を行う場所で、その時に湧き出す水玉はまず一つ浮き、やや間をおいて3つ4つ湧き出すそうで、その様を形取って作られたのが由来だと言われています。

とここで、祭りの主役の「斎王代(さいおうだい)」って何?
って疑問を持った人のために、ちょっと調べてみました。

「斎王代」は「斎王」の代理のことです。
では、斎王とは何かというと、あるサイトの説明によると、

天皇に代わって伊勢神宮の神事に参加するために、天皇の即位に合わせて天皇の娘や姉妹等の身内から選出された未婚の女性のことなんだそうです。
歴史上記録に残っているのは、673年天武天皇の代に任命された大来皇女から1333年後醍醐天皇の代の洋子皇女まで660年続いたとあります。
斎王は京都で約三年の禊ぎの期間を経た後、9月15日~17日の伊勢神宮神掌祭に参加するために、今日から5泊6日かけて数百人の規模で伊勢に赴きます。
なお、斎王が任を解かれて帰京するのは天皇の代替わりの時だということです。

下鴨神社では810年から1204年まで、この斎王の代理として斎王代を立て、神事である葵祭りの主役としていたのだそうです。
当然斎王代の選出基準は皇族の未婚女性です。
現在京都の三大祭りとなった葵祭りですが、現在選ばれる斎王代も未婚女性の中から選出されるそうです。
ただし皇族ではないようですが...

斎王代の話はこれくらいにして、団子の話に戻りましょう。

加茂みたらし団子の特徴は、1本の串に5個の団子が刺さっていること、
そして、そのうちの1個だけ他の団子と離れて刺さっていることです。

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これには意味があるんです。

この5個の団子は人間の五体を表わしているのです。
ひとつ離れているのは、当然「頭」ということになります。

昔はこの団子を神前に供え、祈祷を受けたのちこれを家に持ち帰って食べたのだそうです。
とても神聖な食べ物だったんですね。

今回食べた加茂みたらし団子、1人前3串15個入って400円
ひとりで15個って多い気もしますが、1個1個が思ったより小ぶりなので決して多くはありません。
トロッとした甘いタレがたっぷりかかっていて、タレをすくって食べることができるよう細長いスプーンが添えられています。

正式な食べ方は分りませんが、爪楊枝がついてくるので1個ずつ串から外し、爪楊枝で刺して口に運ぶといった食べ方で食しました。

ただちょっと気になることが...

爪楊枝が一番上の団子に刺さって出てくるんですよね。
この団子って、確か頭の部分じゃぁ...

まっ、いいかぁ。
針治療だと思えば......

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2008年10月11日 (土)

翠嵐楼

九州にはたくさんの温泉があります。

熊本県も例外ではなく、阿蘇、菊池、天草など多くの温泉があります。

今回、僕は熊本から鹿児島を巡る研修ツアーに参加したのですが、その時に泊まったのが

人吉温泉 「翠嵐楼」 (すいらんろう)

という温泉旅館でした。

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人吉温泉は熊本県人吉市、熊本県の中では南に位置し、もう少し南へ下ると宮崎県えびの、そして鹿児島県へと続きます。

市内には球磨川が流れ、球磨焼酎をはじめとする焼酎の酒蔵が多く所在する町としても有名です。
なお、球磨川は流れの早い川で、日本三大急流のひとつであり、ここ人吉の観光の目玉の一つに「球磨川下り」があります。

球磨川下りHP :  http://www.kumagawa.co.jp/start.html

ちなみに、日本三大急流とは最上川、富士川、そして球磨川のことです。

JR人吉駅の周辺にはいくつかの温泉宿が立ち並んでいますが、今回泊まったこの翠嵐楼は人吉の街から3km程西へ離れた場所にあります。

今回はツアーだったので観光バスで向かったんですが、こんな所に旅館があるのだろうかと思うくらい町の中心から外れて行き、田んぼや民家の脇道を通り抜けていくと、突然この旅館が現れました。

旅館自体はそれほど大きくはありませんが、本館のすぐ裏には球磨川が流れ、その奥には山をいただく、とても清楚な感じがする佇まいです。

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それもそのはず、この翠嵐楼は創業明治43年(1910年)という人吉では最も歴史のある旅館で、しかも皇室御用達なんだとか。

なるほど、納得。

ここの旅館の特徴は、何といってもその温泉の質の良さでしょう。
ここには足湯も入れると5つの風呂があるんですが、基本的にはすべてかけ流し、
しかも、なんとこの旅館には源泉が2つもあるんです。

人吉駅周辺の温泉と違い、ここの温泉名は、

「翠嵐楼温泉」

と名付けられているそうです。

源泉の温度も47.3℃、毎分143リットルも湧き出すため、夏の暑い時期には多少加水するものの、基本的には源泉かけ流しなんだそうです。

特に、半地下のような場所にある「御影の湯」というお風呂は創業当時からあるお風呂で、ポンプも使わず直接源泉を湯舟に注ぎ込むという正真正銘100%源泉かけ流しなんだそうです。

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「御影の湯」 : 創業当時を思わせるレトロな雰囲気

お湯はとてもなめらかな感触がしました。
説明によると、ここの泉質は食塩性アルカリ炭酸泉で無色透明、多少塩味のする温泉で、重曹を多く含み、肌がつるつるすべすべするお湯なんだそうです。

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「みどりの湯」 : とても静かな落ち着ける空間

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「翠山の湯」 : こちらは本館3階にある大浴場
2階には「翠河の湯」(今回は女湯)がある。

大浴場の脱衣所にはここの温泉で作られたというミネラルウォーターが置いてありました。

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「球磨のちから」というミネラルウォーターで、市内でも一般販売されている商品なんだそうです。
ミネラルウォーターの他に、「美肌水 球磨のちから」なんていう商品もあるそうですよ。

飲んだ感じはちょっと硬めな感じがしました。
球磨焼酎をこの水で割ると二日酔になりにくいらしいですよ。

歴史のある旅館ですが部屋もきれいだし、若女将をはじめ従業員も皆さん親切で愛想がよく、とっても好印象でした。

人吉温泉「翠嵐楼」、お勧めの宿です。

翠嵐楼HP : http://www.suiranrou.jp/  

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2008年10月 7日 (火)

二式大艇 in 鹿屋

先日、海上自衛隊鹿屋基地へ行ってきました。

ここは戦前からの海軍基地、そして特攻隊の前線基地としても有名です。

最近では知覧の方が有名になっている感もありますが、鹿屋基地の方に言わせるとあそこは陸軍の特攻基地であり、実はこちら海軍特攻基地である鹿屋の方が多くの特攻隊が飛び立った前線基地だったんだよと言われました。

じゃあ、なぜ知覧の方が有名になったんでしょう。

詳しいことはわかりませんが、知覧の方が鹿児島市に近いし、指宿との間にあるから観光コースに組み込みやすいこと。
あと、知覧には武家屋敷もあってセットで観光できること。
あと、穿った見方ですが、鹿屋は自衛隊(=国)が運営していて入場料も無料なため、旅行代理店にとってもメリットがないなんてことも理由のひとつなんでしょうかねぇ。

それはさておき、鹿屋基地のレポートは次回にとっておくことにして、今回は鹿屋基地に隣接している鹿屋航空基地史料館にある気になった飛行機について取り上げたいと思います。

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ここの目玉はなんといっても零戦なんですが、今回僕が最初に取り上げたいのは「二式大艇」と言われる飛行機。
ここ鹿屋航空基地史料館に展示されている航空機の中で、4年前ほどから展示されている最も新しいもので、ひときわデカく、そして美しいフォルムで佇んでいました。

正式には「二式大型飛行艇12型」と呼ばれるもので、戦時中日本が誇る大型飛行艇です。

零戦は国内数か所で見ることができますが、この二式大艇はここ鹿屋でしか実物をみることができないんです。

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この二式大艇の生い立ちは、太平洋戦争に遡ります。

本機の前身である「九七式飛行機」が昭和13年に採用されましたが、日本海軍はその後継機の開発を九七式飛行艇を開発した「川西航空機」(現新明和工業)に命じます。
そして、昭和15年に試作機が完成ののち昭和17年に正式化されたのが「二式飛行艇」です。

当時は世界一の高性能と言われた大型飛行艇です。
その主な性能諸元は次の通り。

全長:28.1メートル
全幅:38.0メートル
全高: 9.2メートル
最大速度:453.2km/時
航続距離:最大7,152km

偵察、策敵、哨戒、輸送といった長大な航続距離を生かした作戦や任務に用いられた、多方面で活躍した名機です。

本機は改良型も含め、終戦までに167機作られました。
開発そして量産のスピードとも今と比べるととてつもなく早いと思いませんか?

しかも出来上がった二式大艇は当時としては画期的なスピードと航続距離を誇る名機として世界を震撼させる程で、太平洋戦争の当初は連合軍からとても恐れられていたようです。

鹿屋航空資料館では、その活躍の一端として、梓特別攻撃隊への参加が紹介してありました。

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「第2次丹作戦」と呼ばれるこの作戦は、太平洋戦争末期の昭和20年3月に行われた作戦です。

その前の月の2月、関東地方を襲った爆撃機が、空爆を終え帰還した場所がカロリン諸島ウルシー基地であると断定。
4年前に行った真珠湾攻撃での戦果を忘れきれない日本海軍は、翌3月にそこへの奇襲作戦を計画します。
ちなみに、カロリン諸島とは現在のミクロネシア連邦にあり、日本からは南へ約3000km、グァム島からさらに約700km程南に位置します。

この計画を実行するため日本海軍は鹿屋基地に司令部を置く「第5航空艦隊」を編成しました。
そして、この計画を実行する作戦を「第2次丹作戦」と呼び、この作戦を実施する部隊は「菊水部隊 梓 特別攻撃隊」と命名されました。

ウルシー基地まではあまりにも遠く、戦闘機では往復できる距離でないことから必然的に特攻となります。
海軍戦闘機「銀河」24機が選抜されました。
ただし、戦闘機のみでは夜間の長距離飛行は困難なため、その誘導機として選ばれたのがこの「二式大艇」3機だったのです。

二式大艇3機のうち1機は気象観測用、残りの2機が道案内用でしたが、道案内用のうち1機が早い段階で離脱、
また、銀河も目的地までたどり着けたのは15機だったようです。

戦果は、米空母「ランドルフ」に突撃。
撃沈まではできなかったようですが、大破させたと記録にあるようです。

このように当時活躍した二式大艇ですが、戦況の悪化とともに次々に撃墜され、終戦時にはたったの4機しか残っていなかったとか。
しかもそれは米軍に奪われたもので、米軍はそのうちの3機を破壊、残った1機を本国に輸送して調査したそうです。
そのとき米軍はこの飛行機の圧倒的な性能にあらためて驚愕したそうです。

その後、1979年になり日本へ返還されました。
このときの尽力者が、当時船の科学館初代館長だった、かの笹川良一氏だったそうです。
そしていたんだ箇所が修復、復元された後、そのまま船の科学館で展示公開されていました。

この鹿屋基地に二式大艇が移管されたのは2004年3月
それ以来、世界で唯一生き残った二式大艇はここ鹿屋でしか見ることができないのです。

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何はともあれ、この二式大艇、機体のフォルムが実に美しいと思います。

特に船底を思わせるような機首下部の滑らかな形は、思わず見とれてしまいました。

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戦争には負けましたが、軍事技術では勝っていたのかも知れませんね。

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2008年10月 4日 (土)

東北方面隊総隊48周年記念行事

9月28日(日)東北方面隊総隊48周年記念行事へ行ってきました。

開催場所は仙台市に所在する霞目駐屯地というところです。

前回は霞目駐屯地の紹介をしましたので、今回は記念行事の内容についてレポートします。

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まず全体的に言って、今回の行事はかなり手の込んだ、というか、かなり細かいところまで気の行きとどいた行事だったという印象を受けました。

その最たるものが、当日招待者用に配られた栞(しおり)

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記念式典の式次第はもちろんのこと、観閲部隊についてはどの部隊がどの位置に整列しているか、観閲行進においてはどの部隊がどういう順番でどんな車両に乗ってやってくるか、さらには訓練展示の内容と参加する部隊、その部隊が所有する器材等について、わかりやすくイラストで説明してあります。

ここまで詳しく説明してあるパンフレットは初めてだし、実際とても重宝しました。

観閲式が始まり、部隊巡閲の後観閲官(今回の場合は東北方面総監)の式辞が始まったんですが、ここで本日1番のサプライズ。

なんと、観閲官が部隊側ではなく、来賓席の方を向いて話し出したんです。

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どういうことか、もう少し詳しく説明します。

通常、観閲式はグランドに観閲部隊が整列しています。
今回の場合、約1500名が部隊毎きれいに並んでいました。

そして、観閲部隊の正面にはスタンドがあり、ここには来賓や招待者、さらには地元の関係者等が座っています。

スタンドの一番前、すなわちスタンドと観閲部隊の間には観閲台があって、通常観閲官式辞や来賓祝辞の際、この観閲台に立ち、部隊の方を向いて話します。
なので、スタンド側から見ると、話している人の背中を見ることになります。

ところが今回観閲官は来賓席の方を向いて話したということは部隊に背を向けて話したということになるんです。
当然マイクは部隊側にあるので、マイクに背を向けたことになります。

今まで各地の記念式典に数多く出席していますが、マイクに背を向けた式辞は初めてでした。

でもよく考えてみると、式辞の内容は前半は自衛隊を取り巻く情勢の説明、最近の活動紹介、関係者へのお礼とさらなる協力依頼、そして決意表明といった内容なので、観客席に向かって話すのが自然と言えば自然なのかもしれませんね。
強いて言えば、部隊への訓示の時だけ、クルッと180度向き直って話すのが理想なんでしょうが、方面総監がそんなことするのはちょっと滑稽だし。

今回のサプライズについては賛否両論あるようですが、これはこれでアリなのかなって思いました。
だって、「答えはひとつじゃない」から。

式辞と来賓祝辞が終わると、次は観閲行進なんですが、それまで並んでいた部隊が行進の準備をするためしばらく待たされることとなります。

東北方面隊はこの短い時間にも配慮していました。

このタイミングで空挺降下の展示を行ってくれたんです。

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通常、空挺降下は観閲式と訓練展示の間にもってくるんですが、このタイミングで空挺降下展示を行うのはあまり例がないんじゃないでしょうか。

後で別の方から聞いたんですが、思ったより式辞と祝辞が長かったため、空挺を行うヘリを上空で待機させていたらしいです。

分単位の時間調整ご苦労様でした。

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訓練展示も他とは異なる趣向の内容でした。

普通こういった行事で行われる訓練展示は、敵の占領陣地を攻撃し見事奪回するというシナリオで実施されます。

偵察隊のバイク、戦車、装甲車、各種火砲が登場するのが定番で、戦車、りゅう弾砲による派手な空砲射撃で観客を沸かせます。

ところが、今回の展示は災害派遣における自衛隊の活動、および消防や警察等との連携した具体的な活動を紹介するという内容でした。
なので、機関銃や戦車等の空砲射撃は一切ありません。

ある意味、地味な展示と言えるかもしれませんが、先の6月に発生した岩手・宮城内陸地震の記憶が新しい中、こういった展示も観客、特に地元地域の人々にはとっても感動的な訓練展示だったはずです。

で、実際どんな展示だったかというと...

某日某時刻、東北地方で大規模地震が発生します。
「NEAニュース」なる臨時ニュースが大画面に流れ、各地の震度や揺れの状況についての放送が流れます。
なかなかリアル感あるニュースです。

宮城県知事の要請を受けた陸上自衛隊は、まず偵察隊を派遣し現地の様子を把握します。

まずはバイクによる地上偵察と偵察ヘリによる上空からの偵察に加え、ヘリに積載したヘリ映像伝送装置が現場の状況をリアルタイムに逐一伝えてくる様子が展示されます。

その結果、山間部のある集落が完全に孤立化されていることが判明、警察や消防と協力・連携した捜索、救助活動が始まります。

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自衛隊のヘリのみでなく、宮城県防災航空隊の防災ヘリ「みやぎ」、宮城県警の「まつしま」、仙台市消防局の「けやき」が登場、なかなか見れない光景です。
取り残された人々をそれぞれのヘリで救出、避難地域まで搬送する様子が展示されていました。

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また、正面近くでは倒壊した家屋に取り残された被災者を助け出すべく、自衛隊、消防に加え、宮城県警の「広域緊急援助隊特別救助班」が出動、チェーンソーで壁に穴をあけ、そこから閉じ込めれた人を救い出すシーンが展開されていました。

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次に、避難地域での活動の様子の展示です。

自衛隊により、避難地域に給水所、配食所、入浴施設、救護施設が展開されています。

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実際に避難民役の人たちが行列を作っているシーンが展開されるという、なかなかリアル感ある風景でした。
入浴施設では、実際に風呂に入っている人がこちらに向かって手を振っているなんていう演出もあっておもしろかったです。

最後に各救助隊員の撤収。
お世話になった自衛隊や警察、消防の隊員さんたちに向かって、「ありがとう」の横断幕で見送る避難民の人たち。
観客席からも拍手喝采が送られていて、なかなか感動的なシーンでした。

これらの一連の活動は、実際に6月の岩手・宮城内陸地震の再現を思わせる内容で、地元の人たちも感心して見入っていたのがとても印象的でした。

他の方面隊や部隊と違った、かなり趣向を凝らした記念行事の数々。

また来年も是非来たいなぁってつくづく思った、そんな東北方面隊記念行事でした。

p.s.この日は、朝から新幹線が止まっていて、東京へ戻るのがすごく大変でした。
  でも、いい記念行事が見れたので、許してあげます...

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