陸上自衛隊湯布院駐屯地
湯布院(由布院)といえば言わずと知れた大分県にある湯治の街。
「別府の奥座敷」とも呼ばれ、九州の避暑地でもある閑静な街です。
そんな大分県由布市にあるのが陸上自衛隊湯布院駐屯地です。
湯布院駐屯地は町の中心からも近く、由布院駅からも歩いて行けるところにあります。
いきなり脱線しますが、JR由布院駅にはホームに足湯があるんですよ。
知ってました?
湯布院駐屯地の歴史は、今から約50年程前の地元による自衛隊誘致活動まで遡ります。
それまでも湯布院は九州最大の日出生台演習場を有していたため、軍隊と無縁ではありませんでした。
かの朝鮮戦争の際にも、日出生台演習場が米軍の拠点として使われ、湯布院の街も特需の一部恩恵に預かっていたという話もあります。
しかし、1953年に朝鮮戦争が終わり、演習場に駐留していた米軍が去ってしまうと湯布院も寂しい街へと戻ってしまいます。
そんな中、湯布院盆地ダム化計画が浮上します。
戦後復興事業の一環として突如湧き起こった話で、この地に巨大なダムを建設し、国からの補助金を使ってダムの周辺をリゾート地として開発する計画でした。
しかし、当時絶大な力を持っていた地元青年団の反対運動によって、白紙撤回されました。
こういう湯布院の存在自体を揺るがす中で、新たに出てきた有力案が自衛隊誘致運動だったのです。
元々日出生台演習場があったため、住民の軍隊への抵抗は少なかったと予測できます。
また、自衛隊を誘致すれば国からのいろいろな補償金やら周辺道路等の助成金等も入ってくるということで、当時の町長が中心となり誘致活動が行われたと聞きました。
そういう経緯でこの地に駐屯地が開設されることとなったのですが、駐屯地建設に際しても苦労があったそうです。
なにせ、この湯布院盆地は国内有数の湯量を誇る温泉地。
どこを掘っても温泉が出てくるらしいのです。
なので、駐屯地の建設地も湿地帯で、地面を掘れば地下水が出てくる始末。
そこで、まず駐屯地の中に人口の川を作り、水はけを良くしてから工事に取りかかったんだそうです。
今でも駐屯地の中を流れる小川には、とてもきれいな水が流れています。
水のきれいな駐屯地だからなのか、この駐屯地に住み着いているらしいカルガモにも出会いました。
さらに、全国各地にある自衛隊駐屯地の中でもここだけにしかないだろうという場所があります。
それは、「温泉露天風呂」。
「由布の湯」と書かれたこの木戸をくぐるとりっぱな露天風呂が現れました。
残念ながら入ることはできませんでしたが、この温泉の源泉は54℃なので、ほぼ源泉かけ流しです。
腰痛、リウマチ、神経痛等に効き、飲用としても効果があるそうです。
いや~、ほんと、入りたかったなぁ~。
湯布院駐屯地に所在する主要部隊は、西部方面特科隊です。
駐屯地開設当初は戦車部隊が主力部隊でしたが、戦車部隊が日出生台演習場の反対側にある「玖珠駐屯地」へ引っ越していき、同時に別府から特科部隊が移駐して来てからは特科部隊中心の駐屯地になりました。
そして、この部隊が所有する主力装備品のひとつが「203mm自走榴弾砲」。
陸上自衛隊が所有する火砲の中で、最も口径が大きな火砲です。
この装備品の歴史はとても古く、もともとは米軍で1961年に開発されたM110がベースとなってライセンス国産されたものです。
もっとも現在では、155mmが主力となっているため、この203mm自走榴弾砲を装備している部隊は、ここ西部方面特科隊ともう1ヵ所(たぶん北海道のどこかの部隊だったような。。。)しかないそうです。
僕も203mmの実物は初めて見ました。
さすがに203mmだけあって、砲身がすごく太く感じました。
近くで見るととても迫力があります。
すぐ脇には弾も展示してありました。
さすがに実弾ではないそうですが...
榴弾砲の弾って、思ったより小さい気がしたんですが、この大きさで重さはなんと80kgもあるそうなんです。
当然ながら、とても一人で持ち上げることはできませんでした。
湯布院駐屯地の広報の方、今度行った時には是非露天風呂に入れて下さい。
お願いします。
※余談 : 「湯布院」と「由布院」、ゆふいんには2つの書き方があるんですが、これが気になる方は是非こちらの記事も読んで下さいね。
「由布院」と「湯布院」 : http://hirohi.cocolog-nifty.com/hirohi1/2008/03/post_49ef.html
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