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2008年11月25日 (火)

陸上自衛隊湯布院駐屯地

湯布院(由布院)といえば言わずと知れた大分県にある湯治の街。
「別府の奥座敷」とも呼ばれ、九州の避暑地でもある閑静な街です。

そんな大分県由布市にあるのが陸上自衛隊湯布院駐屯地です。

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湯布院駐屯地は町の中心からも近く、由布院駅からも歩いて行けるところにあります。

いきなり脱線しますが、JR由布院駅にはホームに足湯があるんですよ。
知ってました?

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湯布院駐屯地の歴史は、今から約50年程前の地元による自衛隊誘致活動まで遡ります。

それまでも湯布院は九州最大の日出生台演習場を有していたため、軍隊と無縁ではありませんでした。
かの朝鮮戦争の際にも、日出生台演習場が米軍の拠点として使われ、湯布院の街も特需の一部恩恵に預かっていたという話もあります。
しかし、1953年に朝鮮戦争が終わり、演習場に駐留していた米軍が去ってしまうと湯布院も寂しい街へと戻ってしまいます。

そんな中、湯布院盆地ダム化計画が浮上します。
戦後復興事業の一環として突如湧き起こった話で、この地に巨大なダムを建設し、国からの補助金を使ってダムの周辺をリゾート地として開発する計画でした。
しかし、当時絶大な力を持っていた地元青年団の反対運動によって、白紙撤回されました。

こういう湯布院の存在自体を揺るがす中で、新たに出てきた有力案が自衛隊誘致運動だったのです。
元々日出生台演習場があったため、住民の軍隊への抵抗は少なかったと予測できます。
また、自衛隊を誘致すれば国からのいろいろな補償金やら周辺道路等の助成金等も入ってくるということで、当時の町長が中心となり誘致活動が行われたと聞きました。

そういう経緯でこの地に駐屯地が開設されることとなったのですが、駐屯地建設に際しても苦労があったそうです。
なにせ、この湯布院盆地は国内有数の湯量を誇る温泉地。
どこを掘っても温泉が出てくるらしいのです。

なので、駐屯地の建設地も湿地帯で、地面を掘れば地下水が出てくる始末。
そこで、まず駐屯地の中に人口の川を作り、水はけを良くしてから工事に取りかかったんだそうです。
今でも駐屯地の中を流れる小川には、とてもきれいな水が流れています。

水のきれいな駐屯地だからなのか、この駐屯地に住み着いているらしいカルガモにも出会いました。

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さらに、全国各地にある自衛隊駐屯地の中でもここだけにしかないだろうという場所があります。
それは、「温泉露天風呂」

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「由布の湯」と書かれたこの木戸をくぐるとりっぱな露天風呂が現れました。

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残念ながら入ることはできませんでしたが、この温泉の源泉は54℃なので、ほぼ源泉かけ流しです。
腰痛、リウマチ、神経痛等に効き、飲用としても効果があるそうです。
いや~、ほんと、入りたかったなぁ~。

湯布院駐屯地に所在する主要部隊は、西部方面特科隊です。

駐屯地開設当初は戦車部隊が主力部隊でしたが、戦車部隊が日出生台演習場の反対側にある「玖珠駐屯地」へ引っ越していき、同時に別府から特科部隊が移駐して来てからは特科部隊中心の駐屯地になりました。

そして、この部隊が所有する主力装備品のひとつが「203mm自走榴弾砲」

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陸上自衛隊が所有する火砲の中で、最も口径が大きな火砲です。
この装備品の歴史はとても古く、もともとは米軍で1961年に開発されたM110がベースとなってライセンス国産されたものです。

もっとも現在では、155mmが主力となっているため、この203mm自走榴弾砲を装備している部隊は、ここ西部方面特科隊ともう1ヵ所(たぶん北海道のどこかの部隊だったような。。。)しかないそうです。

僕も203mmの実物は初めて見ました。
さすがに203mmだけあって、砲身がすごく太く感じました。
近くで見るととても迫力があります。

すぐ脇には弾も展示してありました。

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さすがに実弾ではないそうですが...
榴弾砲の弾って、思ったより小さい気がしたんですが、この大きさで重さはなんと80kgもあるそうなんです。
当然ながら、とても一人で持ち上げることはできませんでした。

湯布院駐屯地の広報の方、今度行った時には是非露天風呂に入れて下さい。
お願いします。

※余談 : 「湯布院」と「由布院」、ゆふいんには2つの書き方があるんですが、これが気になる方は是非こちらの記事も読んで下さいね。

「由布院」と「湯布院」 : http://hirohi.cocolog-nifty.com/hirohi1/2008/03/post_49ef.html

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2008年11月23日 (日)

こむらさき

「こむらさき」っていきなり言われてラーメンのことだとわかる貴方はラーメン通です。

言われてみると「ああっ」って思う人もいるでしょうが、いきなり「こむらさき」って言われても、普通の人はわかりませんよねぇ。

芸者の名前だっけ、なんて言う人もいるでしょうし、醤油の小さいやつって思う人も...
・・・それは考えすぎか...

冗談はさておき、行ってきました。
熊本ラーメン「こむらさき」本店。

現在では熊本はもちろん、新横浜のラーメン博物館にも店があるので、今や全国区となったラーメン店ですよね。

こないだ熊本へ出張する機会があり、ちょっとだけ時間に余裕ができたので、
で、しかもちょうど昼時だったので、せっかくだからこむらさきのラーメンを食べようと閃きました。

たしか上通り方面だったような気がしたので、通町筋から上熊本アーケードを進んで行きました。
アーケードの中に1軒あったのですが、こちらは本店ではないとのこと。
本店はアーケードをさらに先へ進み、熊本電鉄藤崎宮前駅にほど近いところにありました。

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こむらさきの本店だから、さぞや立派な店構えなんだろうと思いきや、店そのものは意外と小さく、ごくごく普通のラーメン屋さんといった感じでした。

でも逆に言うと、どんなに有名になろうがこの熊本ラーメン発祥の地をそのままの形で残しているというこだわりなのかも知れません。

店の中はというと、5~6人が座れるカウンターとテーブル席が6つ程という、やはり昭和を感じさせる雰囲気。
なんだか懐かしい空気が漂っています。

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この「こむらさき」ラーメンが熊本ラーメンのルーツと言われている理由は、その歴史からも十分理解できます。

こむらさきの歴史は昭和29年まで遡ります。
初代社長の(故)山中安敏さんという方が玉名市までおいしいと評判のラーメンを食べに行き、それから熊本でラーメン店を開業します。

最初はうまく行かず、3ヶ月で閉店。
その後、場所を変え、彼と妻、そして久留米で修業した若い職人3人で再スタートを切ったそうです。

当初は久留米の味にならっていたそうですが、それでは物足りず、独自の味を追求していた結果たどり着いたのが、現在も受け継がれている「にんにくチップ」なんだそうです。

なお、現在の場所に本店を構えたのは、昭和32年ということなので、この本店は50年以上前から存在していることになります。

そういえば、なんとなくそんな風格が漂っていたような気がしました。

http://www.komurasaki.com/k_reki.htm

ルーツの話はこれくらいにして、ラーメンを注文しましょう。

メニューを見ると、結構バラエティに富んだメニューが並んでいます。

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チャーシューメンや九州では珍しいコーンラーメンから、「納豆ラーメン」、「ピザ風ラーメン」なんていうメニューまで。

ピザ風ラーメンもちょっと気になるところではありますが、ここは「当店おすすめ」の「王様ラーメン」を注文することにしました

しばらくしてやって来ました。

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これが王様ラーメンです。

テーブルに置かれた瞬間からニンニクの香りが漂ってきます。

見た感じは純粋なトンコツ系。
九州ラーメンにしてはやや太めのストレート麺。
トッピングはもやし、メンマ、のり、チャーシューが4枚。

そして緑色の細ネギ。
九州でネギと言えば、いわゆる九条ネギのような細い緑色のネギのことを言うのですが、特に熊本に特有のネギが「ひともじ」と呼ばれるネギです。
当然「こむらさき」ではこの「ひともじ」が使われています。

さらに、何やらスープに浮かぶ黒いツブツブ。
これがひょっとして「にんにくチップ」?

聞くところによると、こむらさきでは2種類の製法からなるにんにくを使用していて、1種類は油で揚げたヤツ、そしてもう一つは、乾燥したにんにくを炒めて粉砕したもの
これがにんにくチップと言われるものなんだそうです。

お店のご主人には確認しませんでしたが、この黒い物体がにんにくチップなのでしょう。
(一見、黒ゴマのようにも見えますが...)

スープはコクのある純粋豚骨スープ、でもそんなにしつこくはありません。

当然スープも最後まで飲み干しましたよ

さすがです。
本店のラーメンは最高です。

といっても、基本的にはどの店も味は変わらないそうなので、関東の方は新横浜で食べてくださいね。

今度来た時には、ピザ風ラーメン、じゃなくて特製チャーシューメンに挑んでみたいと思います。

熊本ラーメン 「こむらさき」 : http://www.komurasaki.com/

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2008年11月 9日 (日)

西部方面隊創隊53周年記念行事

去る11月2日、陸上自衛隊西部方面隊53周年記念行事に参加してきました。

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ここは熊本市にある陸上自衛隊健軍(けんぐん)駐屯地というところです。

「健軍」という地名も珍しいと思うのですが、この地には熊本市の中でも最も古いと言われる「健軍神社」があり、一説によるとそこから生まれた地名とも言われています。

「健軍町」は熊本市の中心を走る路面電車の始発駅のひとつでもあり、電車の行き先表示などでもよく見るため、地元の人には馴染みのある地名でもあります。

そんな健軍駐屯地で行われた西部方面隊の記念行事なのですが、僕的には2年ぶりの参加でした。
一昨年は「統合運用元年」をキーワードに大々的な行事が行われたと記憶していますが、今回はかなり規模が縮小された行事だったような印象を受けました。

というのも2年前から比べると、守屋事案による自粛ムードやガソリンの高騰等いろんなマイナスの要因が増えているからなのだと思います。
とくに燃料の高騰はパレードやいろんな展示に直接響くだけに、規模を縮小せざる得ないのも理解できます。

さて、西部方面隊の記念式典、全体の流れは他の部隊とさほど変わらないのですが、ここの最大の特色は、観閲行進が駐屯地の外、一般道で行われることでしょう。
駐屯地のすぐ前の道路、通称「自衛隊道路」と言われる4車線の道路で実施されるのです。

なので、記念行事はまず駐屯地のグラウンドで行われる総監式辞や来賓祝辞、部隊巡閲といった前段と、自衛隊道路で行われる観閲行進である後段とに分かれるのです。

今回は前段に行われた部隊巡閲で西部方面総監と熊本市長の2名がジープに乗って部隊巡閲が行われました。

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市長が総監(観閲官)と一緒に回るのは珍しく、僕としては練馬駐屯地で開かれる第1師団記念式典とここでしか見たことがありません。
ちなみに第1師団は練馬ですから、当然石原東京都知事ですよね。
なるほど石原都知事だったら納得だけど。
なんて、石原都知事だとなんとなく納得できるのがちょっと怖いと思いません?

前段が終わり、メインイベントの観閲行進となるのですが、我々も移動しなければならないため、この間のインターバルが1時間以上と結構長くとられます。

そして、いよいよパレードの開始です。
観閲官(方面総監)がお立ち台に立ったところで、まず国旗がジープに乗って登場。
全員その場で起立します。

次に九州各県の県旗が入場。
僕は長崎県出身なので、長崎県旗が入場してきたところで思わずシャッター。

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そして、各部隊の行進が続くのですが、行進そのものは他で行われるものと対して差はありません。
本来なら海上自衛隊のヘリや、航空自衛隊の戦闘機が飛んでくるのですが、最初に言ったとおり、燃料高騰により中止ということでしたので、イマイチ迫力不足でした。

ただ、そんな中で、西部方面普通科連隊は異色を放っていました。
その写真が下の2枚。

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さすが、九州唯一のレンジャー部隊を持つ西部方面普通科連隊
この日は10月とは言えかなり暑い日だっただけに、さぞや大変だったんじゃないかと思います。

あと、ヘリ部隊の数は少なかったものの、今回撮った写真が面白く撮れていました。

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なんだか五線譜の上の音符のように見えません?
実際は八線譜になってしまっているので音階は不明ですけど...

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2008年11月 3日 (月)

下鴨神社 ~ 参拝編

京都の「下鴨神社」は京都御苑から北東の方向にある「糺の森の中にあります。

下鴨神社へ行くにはこの糺の森の南側から進んでいくのが一般的な順路です。

この南側の入口から入り、森の北側に位置する下鴨神社本殿までの道がいわゆる表参道であり、距離にすると500メートルちょっとになります。

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ただし、表参道と言っても糺の森全体が国の史跡として保護されているため、茶店や露店などは一切ありません。
その代りに素晴らしい自然が広がっていて、京都の中心でありながら都会の喧騒を一切感じさせない雰囲気に満ち溢れています。

南側の入口左側にまず、下鴨神社全体が描かれた大きな絵図があります。
この絵図で下鴨神社の大体のイメージが掴めるようになっています。

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森へ入るとすぐ、左側に建物が見えてきます。
これは「河合神社」と呼ばれる神社で、鴨長明ゆかりの神社として有名です。

神社の境内の中に実際に鴨長明が住んだとされる「方丈の庵」が復元展示されていました。

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さて、元の道に戻り、表参道を北上します。
この表参道に並行する形で、左側にはとても水のきれいな小川が流れています。

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これは「瀬見の小川」と呼ばれる小川で、先出の鴨長明が詠んだ有名な和歌にも出てきます。

「石川や 瀬見の小川の 清ければ 月も流れを たづねてぞすむ」
(新古今和歌集)

現在の瀬見の小川は復元されたものらしいのですが、それだけ古くから親しまれていたのでしょう。
紅葉の季節にはこの小川を楓の葉が漂い、また見事な景色を見せてくれるんでしょうね。

瀬見の小川を見ながら表参道を進んでいくと、大きな赤い鳥居が現れます。

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そして右側には清めのための手を洗う場所、いわゆる御手洗が現れます。
ここで身を清めるといよいよ本殿が近づいてきます。

その前にまず出てくるのは「楼門」
東西に延びる回廊の中心にあり、眩しいほどの朱色がひときわ目を惹きます。

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そういえば、鹿島神宮のときも香取神宮のときもこの楼門は鮮やかな朱色でした。
楼門の色って朱色って決まってるんでしょうか。
なぜ朱色なんでしょう。

ネットで調べた限りじゃちょっと判明しませんでした。
またじっくり調べてみたいと思っています。

楼門をくぐると広い空間が広がっていて、いくつかの建物が建てられています。

楼門と本殿への入口の間にあるのが「舞殿」
その左側にある建物は「神服殿」、その奥に「参集殿」
逆に右側にあるのは「橋殿」、その奥に「細殿」、さらに奥には「直会殿」

こんなに多くの建物がある神社は初めてです。
さすが「山城国一之宮」、宮内庁御用達(?)の格式高い神社なんですね。

また、本殿の東側にはちょっとした庭園のようなところがあり、「みたらし池」そして「井上社」という社があります。

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この社は別名「御手洗社」とも呼ばれていて、以前記事を書いた「賀茂みたらし団子」発祥の池なのです。

関連ブログ : 加茂みたらし団子 http://hirohi.cocolog-nifty.com/hirohi1/2008/10/post-b18d.html

さて、お待たせしました。
いよいよ本殿へと進みます。

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まず入り口である「中門」をくぐるのですが、これをくぐったところには幾つもの小さなお社が並んでいます。

正式には「言社」というのだそうで、全部で7つの社があるのですが、それぞれに干支の神様が祀ってあるそうで、自分の干支と同じ社にお参りすることで、御利益があるのだとか。

僕は「寅年」なので左の中央の社「大己貴神(おおなむちのかみ)」が祀ってある社に参拝しました。

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そしていよいよ本殿へのお参りを行う「幣殿」という場所にたどり着きます。
一般的に言うところの拝殿です。

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この奥には、前回の記事に書いたとおり、東西2つの本殿があります。
「西本殿」には「賀茂建角身神(かもたけつぬみのみこと)」が、そして「東本殿」には「玉依媛命(たまよりひめのみこと)」が祀られています。

当然ながら本殿へは我々一般人は足を踏み入れることができませんので、ここ「幣殿」から参拝することになります。

「二礼、二拍手、一礼」

糺の森に佇む下鴨神社。

京都という所は本当に不思議な場所だと思います。
都会なのに、他の都市のような喧騒さを感じさせない不思議な空気が流れています。

今回は時間の都合でここ「下鴨神社」しか行けませんでしたが、次に来るときには是非たっぷりと時間をとって、京都の街をじっくり堪能したいと改めて思いました。

少なくとも次に来たときには「上賀茂神社」には絶対行かないとね。

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