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2009年12月17日 (木)

北海道ラーメン道場② ~あじさい~

前回に引き続き、新千歳空港にある北海道ラーメン道場から、

今回は「麺厨房 あじさい」をレポートします。

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北海道は函館、五稜郭の近くに本店をおく有名店です。

最近はここの商品も出回っていますし、空港などでもお土産として売ってたりするんで結構全国的にも知名度が上がっているんじゃないでしょうか。

ここに来たら当然塩ラーメンを食べるべきで、僕も塩にしようと思ってたんですが、とても気になるメニューを見つけてしまいました。

それは、ここ千歳空港限定のメニュー、

「味彩加里(カレーラーメン)」850円!!

カレーって言うと今北海道ではホットな食べ物で、ラーメンに続くご当地グルメにしようと道内あちこちで盛り上がってますよね。

そんなカレーとラーメンのコラボレーションなら、いっとくべきでしょ。
しかも「限定」だし。

塩ラーメンは次回にとっといて、今回は「味彩加里」に挑戦だぁ。

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来たー!

これがあじさいのカレーラーメンです。

トッピングされているのは唐辛子と水菜でしょうか。
おもしろい組み合わせです。

カレーが跳ねてもいいように、ちゃんと大きめのナプキンが添えられています。
この気配りは素晴らしいと思いました。

で、さっそく麺をすくってみますね。

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おおっー!来ましたよ。

麺にカレーがしっかりからみついています。
麺は細麺のストレートでしょうか。
それでもしっかりカレーがからみついているってことは、このカレーがそれだけ濃厚であるということです。

実際スープを飲んでみると、これはラーメンのスープじゃありません
はっきり言ってカレールーです。
豚肉もタップリ入ってたし、人参もしっかり入っています。

当然、ルーも残さず頂きました。

これはかなり強烈なインパクトのあるラーメンです。
僕的にはかなり気に入りました。

千歳空港の北海道ラーメン道場から、「あじさい」のレポートでした。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

ここからはおまけ。

今回ラーメンを食べた後多少時間があったので、「花畑牧場カフェ」に寄りました。

で、そこで見つけた「生キャラメルソフトクリーム」380円。

食後のデザートにと思い、買ってみることに。

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とっても美味しかったんですが、困ったことがひとつだけ。

持った瞬間に感じたんですが、重量感がすごい。

実際かなり食べ応えがあって、とっても濃厚な味なんです。

普段なら喜ぶところなんですが、なんせ濃厚なカレーラーメンをスープまで頂いた直後だっただけに、最後はかなり苦しい思いをしました。

このソフトクリームもお薦めの一品なんですが、食後のデザートに...

は避けた方がいいみたいです...(+_+)

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2009年12月16日 (水)

北海道ラーメン道場① ~開高~

新千歳空港にある、「北海道ラーメン道場」

ここには北海道各地を代表するの人気店6店舗が入っています。

出張でお昼時に新千歳空港にいる時はまずここに寄ります。

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どこもおいしそうなんですが、今回は僕が言った2軒のお店をレポートします。

といっても2軒をハシゴした訳じゃないですからね。

まずは前回の出張時、夏頃に行ったお店。

麺屋「開高」(かいこう)

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帯広にある味噌ラーメン専門店です。

帯広と言えば「豚丼」が有名ですよね。

という訳で、ここのお店の人気商品は、ずばり「十勝豚麺」890円。

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味噌を白味噌と赤味噌から選べるのですが、今回は辛めの赤味噌です。

チンゲン菜が一本横たわっているのが印象的です。

さっそく白ネギの下に埋もれているだろう豚肉を麺と一緒に取り出してみましょう。

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出ました。豚丼の上に乗っかってるやつと同じです。

チャーシューと違ってとろけるような食感ではありませんが、豚肉にもしっかり味がついていて食感もあり、これはこれで美味しいと思いました。

スープは辛めの赤味噌が効いていて、スープ本来の味はよく分かりませんでしたが、そこそこ美味しいと思います。

むしろ僕的にはこの黄色味がかったちぢれ麺が気に入りました。
この色は玉子が効いてるんでしょうか。
こういう麺は、ちょっと硬めにすると美味しいんですよね。

結構インパクトのある「麺屋 開高」十勝豚麺でした。

次は今回食べた「あじさい」をレポートします。

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2009年12月15日 (火)

上越高田 「旧師団長官舎」

こないだ陸上自衛隊高田駐屯地に行った話を書きましたが、

駐屯地を訪問した後、「旧師団長官舎」を見学しました。

現在は観光スポットとして、上越市が管理している建物になっています。

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西洋風の立派な建物です。

前にも触れましたが、この建物は1910年(明治43年)、当時の陸軍第13師団長 長岡外史によって建てられたものなんです。

当時はこういう西洋風の建物なんてなかったでしょうし、とても目立つ、かつ珍しかったんじゃないでしょうか。

木造二階建てで、延床面積は429.39平方メートルになります。

中の造りも非常に凝った作りになっています。

まず1階部分。本格的な西洋風のインテリアです。

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基本的にはカーペットが敷き詰められていて、おそらく靴は脱いでいたものと思われます。

書斎と思われる部屋には長岡外史の写真と当時の官舎前で撮影した写真が飾られていました。

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中央階段を2階に上がると、1階とは打って変わって純和風になります。

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1階と2階のギャップがすごいですよね。

押し入れの奥にこんなものを見つけました。

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昭和初期と思われる雑誌の切り抜き。

週刊朝日とサンデー毎日の9月10日号とありますが、何年の9月なのかは不明です。

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しかし、こういう窓も中からみると純和風なのに、外から見ると西洋風に見えるのですから不思議な感じになりますね。

また、建築当時に発行されていた地元新聞「高田日報」によると、こういう洋風と和風が混在した建築様式はそれまでに例がなく、これを「長岡式建築」と名付けています。

実際、長岡外史は建築の知識にも非常に明るかったようで、建築の間も頻繁に現場に通って指導していたと伝えています。

この建物は長岡師団長の後任である、第4代師団長「秋山好古」も住んでいます。
そうです、「坂の上の雲」に出てくる秋山好古です。

戦後まもなくは駐留米軍の首脳部によって利用され、その後は高田駐屯地の隊員官舎として平成3年まで使われていたそうです。

平成4年になって、上越市が旧師団長官舎としてこの地に移転、復元を行い、歴史的遺産として保存・活用することにしたということです。

入場は無料です。また、2階部分は集会所として1時間100円で利用できるそうです。

さすがに宴会は無理でしょうが、会合等この歴史的建築物で行うと良い結果が出せそうですよね。

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2009年12月13日 (日)

ロイズチョコ ~クリスマスバージョン~

北海道に行ってきました。

帰りの新千歳空港でお土産を買おうと思い、ショップの方へ。

毎回違うお土産を買おうと思っているので、今回も何か変わったものがないかなぁなんて物色してたんですが、ロイズのコーナーになにやら可愛らしい商品が並んでました。

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どうやら、ロイズのクリスマス限定商品らしいのです。

「限定」とつくのなら買うしかないでしょ。ネ。

といっても全部買うのもアレだし、
 (アレってなんだかわかんないし!)

とりあえずパッケージが可愛らしい、

「ロイズキッズ ピュアチョコレート〔クリスマス〕」

を買いました。

帰って、さっそく中味を拝見。包装紙をとってみると。。。

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中味もメリークリスマス!

とても可愛らしいパッケージです。
うちの子供も喜んでくれました。

女性にもウケそうですよね。

以下、ロイズのサイトより抜粋すると、

「クリスマス限定の[マイルドミルク]と定番の[クリーミーホワイト]の2種類を詰め合わせた、クリスマス限定ピュアチョコレートです。ミルクのなめらかな コクと、カカオの豊かな風味がやさしく広がる[マイルドミルク]。マイルドな甘みと豊かなコクが楽しめる、口当たりがやさしいホワイトチョコレート[ク リーミーホワイト]。クリスマス限定デザインの可愛い個包装もクリスマスムードを盛り上げてくれます。お子様だけではなく、大人の方にも満足いただける一 箱です。」

だそうです。

ロイズのサイトで通販も扱ってるそうです。 → こちら。

ただし、売り切れ次第終了ということらしいので、ゲットしたい人はお早めに。。。

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2009年12月12日 (土)

陸上自衛隊高田駐屯地② ~郷土記念館~

陸上自衛隊高田駐屯地郷土記念館に行ってきました。

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「郷土記念館」は駐屯地を入って右奥にあります。

この建物自身も築100年以上経っていて、歴史的にも貴重な建物なんだそうです。

中に入るとまず、右側に蒋介石、山下清コーナーという部屋があります。

なぜ、ここに蒋介石と山下清が...と思うのですが、それにはちゃんと理由があるんです。

まず、蒋介石

蒋介石は、日露戦争後の1908年(明治38年)から3年間、日本に滞在しています。

東京の学校を出た後、高田に所在していた砲兵学校で学び、そのあと高田野砲第13連隊に士官候補生として入隊しています。

当時の成績はいまひとつと言われているそうですが、ここに展示してある掛け軸の字を見る限りなかなかの達筆でした。

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そして、山下清

なんと山下清は、ここ高田駐屯地に1日駐屯地司令として訪問しているんだそうです。

そのときの辞令書、写真、そしてその時に書いた絵などが展示してありました。

山下清というと、どうしても昔テレビでやっていた、「裸の大将放浪記」の芦屋雁之助のイメージが強いんですが、実際の写真はかなり小柄です。

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さすがにシャツ1枚とはいかないようで、ちゃんと制服姿の写真でした。

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メインの展示室には旧軍時代の遺留品や書物、写真等が展示してあります。

その中でもとくに僕の目を引いたのは、旧第13師団の歴代師団長の写真です。

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右の写真が、第3代師団長 長岡外史、そして左の写真は第4代師団長 秋山好古です。

秋山好古といえば、そう、「坂の上の雲」の主人公のひとり、秋山真之の兄ですよね。

小説では、秋山好古は日本人離れした顔という表現がありますが、確かに外人っぽい顔をしています。

長岡外史はあの横に伸びた大きなヒゲが有名ですよね。
「坂の上の雲」では、世界で2番目に長い...なんてありますが、この写真で見る限りそれはちょっとオーバーなんじゃないのって思います。

地元高田では、秋山好古より長岡外史の方が、人気があるんだそうです。

というのは、第3代師団長として赴任してきた長岡中将は、日本で初めてスキーを取り入れたことからこの地がスキー発祥の地であること、また西洋風の師団長官舎を建てたこと等、高田とのつながりが深いことによるようです。

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この記念館には他にも、山縣有朋の書があったり、天地人のロケ地となった関山演習場での撮影風景の写真があったり、はたまた当時の春日山城、高田城の模型が展示してあったりと、かなり盛り沢山な内容です。

駐屯地の広報に連絡すれば、いつでも見学できるそうなので、興味がある方は是非行ってみてくださいね。

連絡先は、こちら。 ←高田駐屯地のサイトにジャンプします。

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2009年12月 7日 (月)

陸上自衛隊高田駐屯地① ~訪問編~

今回は、新潟県上越市にある陸上自衛隊高田駐屯地を紹介します。

自衛隊の話題は久々です。

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上越市といえば、今年の大河ドラマ、といってももう終わってしまいましたが、

「天地人」

ですよね。

市内にある春日山は上杉家のお城、当然今年は観光スポットとしてもかなり賑わったそうです。
直江津駅のすぐ近くには、天地人博なるものもやっているそうです。
  (この天地人博は今月20日迄らしいですよ)

さて、今回僕は初めての訪問です。
ていうか、高田の地を踏むのも初めて、っていうか新潟県に足を踏み入れるのも初めてだったんです。

この辺りは豪雪地帯としても有名なので、今回当然雪が積もっているんだろうななんて思いながら来たんですが、なんと雪は全くなし。
遠くに見える山の頂に多少見えるだけ。

しかも、この日は雪ではなく、雨が降ってる。

外から来た僕らからすると、ちょっと期待外れ?

さて、初めての上越高田、まず高田駅にびっくり。

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駅前がとても綺麗です。
西洋風、レンガ造りの駅舎と、統一感のある駅前広場。

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そして、駅前から続くアーケードがこの先の商店街のアーケードまで同じデザインでつながっているんです。

正直、びっくりしました。
ただ、その割には人がちょっと少ないような。。。

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高田駐屯地に駐屯する主力部隊は、

第5施設群第2普通科連隊です。

現在、高田駐屯地司令は第5施設群長が兼任しています。

駐屯地自体の歴史は非常に古く、明治の時代まで遡ります。

日露戦争後の明治41年、陸軍第13師団が樺太制圧、朝鮮警備の任務を終え、ここ高田に駐屯したことから始まります。

NHKドラマ、「天地人」が終わった後放映されている、「風の上の雲」
主人公秋山真之の兄である秋山好古は、第4代第13師団長として1913年(大正2年)1月から1915年(大正4年)3月まで、ここ高田に勤務しているんですよ。

「天地人」といい、「風の上の雲」といい、上越高田の街は今年とってもホットな所だったんですね。

現在の駐屯地には、そのころ建てられた建物がまだ14棟も残っているらしく、現在も宿舎や記念館等に活用されているそうです。

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上の隊舎は、長さが50メートル以上はあると思われる、築108年の細長い隊舎です。

元々は厩舎とも火砲の倉庫とも言われていますが、2階部分は今でも外来宿舎として使われているそうです。
すごいですよね。

陸自の駐屯地としては、昭和25年の警察予備隊の発足に伴い開設され、来年で60周年を迎えるそうです。

駐屯地のすぐ近くにある高田公園は、三大夜桜の名所と言われていますし、来年の春、また是非訪れてみたいと思いました。

さて次回は、駐屯地の中にある「郷土記念館」の見学レポートをお届けしたいと思います。

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2009年12月 5日 (土)

渡良瀬遊水地④ ~展望台より~

渡良瀬遊水地の最終回は、ウォッチングタワーからの眺めをレポートします。

ここは谷中湖のやや北側、第一貯水池のほぼ中央にあります。

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前回の記事で紹介したとおり、このタワーはヨシ原浄化設備の制御棟になっていて、谷中湖の水をこのヨシ原に強制循環させることできれいな水質を保っているんです。

この屋上部分が展望台となっているんです。
だいたい10メートル四方のスペースで、当然ながらまわりには高い建物とかは一切なく、とっても見晴らしのいい場所です。

この日もとても天気が良く、遠くの山々までくっきり見ることができました。

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これは前回も掲載ましたが、ウォッチングタワーの東側です。
アシ原浄化設備の向こうに、筑波山が見えます。

次に、北側。

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小さい池の奥、やや左側の遠くにうっすら見える山は、赤城山
右側の奥に見えるのは日光の山々です。

手前の池にはなにやら鳥がいるようです。
この展望台には無料の双眼鏡が設置してあり、眺めを堪能することができます。

この双眼鏡にカメラのレンズを当ててみました。すると、

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おおっ!!
カモだ!綺麗に撮れてるっ。
なんだか面白い写真が撮れました。
双眼鏡って、デジカメの超望遠レンズとしても使えるんだ。

次は西側。
といっても、西側は太陽がまぶしいので、正確にはやや南西方向です。

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手前の緑地帯は「子供広場ゾーン」と呼ばれる緑地公園、その向こうに見えるのが谷中湖です。

そして、遠くに見える山々...

んっ?右奥にうっすら見えるのは...ひょっとして...

富士山か?

ちょっとアップで再度シャッターを押す。

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たしかに富士山だ。

そうだ、さっきの超望遠レンズを使ってみよう。

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おおっ、すごいっ!!

目の前に富士山が見える。

ここからは直線距離で130キロメートルも離れている富士山が見えるんです。
なんだか超ラッキーな気分になりました。

ということで、この時期天気の良い日は富士山も見える、

そんな渡良瀬遊水地。

一度行ってみてはいかかでしょうか。

僕も、今回は短い滞在時間だったので、もう一度じっくり遊びに行きたいと思います。

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2009年12月 3日 (木)

渡良瀬遊水地③ ~谷中湖~

渡良瀬遊水地の第3弾は、「谷中湖」です。

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渡良瀬遊水地は、大きく三つの区画に分けられます。
第1調節池、第2調節池、第3調節池です。

昭和の時代までは、もっぱら治水の目的であったため、これらの調節池は普段はただの原野でした。

治水の仕組みは第1回でお話ししましたね。

平成2年になって、第一調節池に人口の湖が完成しました。
渡良瀬貯水池、通称「谷中湖」と呼ばれるこの湖はハート形をしていて、湖底も当然コンクリートでできています。

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谷中湖を建設した目的は、「利水」です。
つまり、渡良瀬川の水をここに貯めておき、いざという時の生活用水として使うために作られた湖なんです。

山間部のダムに比べ貯水量が多い、また都心部に近いため利便性にも優れるといった効果があるそうです。

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また、谷中湖の水をきれいに保つため、いろいろな工夫が施されています。

それは、この遊水地内に自生しているヨシ原の活用です。

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一見、ただのヨシ原に見えますが、じつは谷中湖の水を強制的にこのヨシ原を通すことで、汚れの元となる窒素、リン等を取り除き、水質の改善を図っているのです。

いわゆる、自然の浄水器ですよね。

谷中湖とこのアシ原の間にウォッチングタワー(展望台)があるんですが、実はこの展望台、なんとヨシ原浄化施設の制御設備なんです。

そして、この展望台に施設の説明板がありました。

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また、谷中湖の水は毎冬「干し上げ(水を抜くこと)」を行い、夏場のカビ臭を抑えているんだそうです。

夕焼けもとってもきれいな谷中湖。

家族で来ても、カップルで来ても、なかなか楽しめるスポットです。

次回は、ここの展望台から見える風景を中心にレポートするつもりです。

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2009年12月 1日 (火)

渡良瀬遊水地② ~今の姿になるまで~

今回は、現在の渡良瀬遊水地ができるまでの歴史について触れてみたいと思います。

調べていくうちに、渡良瀬遊水地の誕生には足尾銅山との関係が深く関わっていることが分かってきました。
渡良瀬遊水地の公式資料には足尾銅山との関係はあまり触れられていませんが、ウィキペディアや足尾鉱害事件の関連サイトには多くの資料がありました。

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今回は、栃木県教育委員会が子供向けに掲載しているサイト「栃木ふるさと学習『足尾銅山の歴史』」および渡良瀬遊水地の公式サイトを中心に、調べたことをまとめます。

足尾銅山は明治から昭和の初めまで最も栄えた日本一の銅山として有名です。

渡良瀬川の最も上流に位置し、地図で言うと日光中禅寺湖から10km程南に位置します。

わたらせ渓谷鉄道の終点が間藤、その一つ手前が足尾の駅ですが、車で行く場合は日光宇都宮道路の終点である清滝インターから国道122号を経由していくのが早いようです。

足尾銅山は江戸時代初期(1610年)に発見された銅山で、江戸幕府直轄の銅山としてスタートしました。
江戸城や東照宮の材料として使われる他、江戸時代の代表的な通貨、「寛永通宝」の原材料としても有名です。
江戸時代の中では1600年台後半から1700年代前半までが最も栄えた時期ですが、生産量の減少とともに、江戸時代後半にはだんだん寂れていき、1844年には一旦休止状態となっています。

明治になり、銅山は明治政府に没収され、栃木県の直轄となりましたが、
1877年(明治10年)古河市兵衛により民営化鉱山として再スタートを切ることとなり、それから飛躍的に発展、新しい鉱脈もいくつか開発され、1884(明治17年)には日本一の銅山となります。

ちなみに4大財閥とともに古河財閥も当時栄えた財閥のひとつですが、その原点は何と言っても足尾銅山の成功ですね。

一方で、足尾銅山の発展とともに深刻な問題として浮上したのが、公害問題です。

銅山の発展とともに森林伐採等が進むにつれ、渡良瀬川下流地域で洪水が頻発するようになりました。

また、鉱物に含まれる有害物質が渡良瀬川により下流へ運ばれ、川の魚が死滅したり、洪水と合わさって田畑の農作物が全滅するという被害が出るようになりました。
いわゆる「足尾鉱害問題」です。

1890年(明治23年)1896年(明治29年)には大きな洪水があり、農作物に甚大な被害が出たという記録があります。また1900年(明治33年)鉱毒問題直訴のため上京しようとした地域農民と警官隊が衝突して多数の拘束者が出たという、通称「川俣事件」が起こっています。これをきっかけに足尾鉱害問題が大きな問題として取り上げられています。

この問題と利根川下流の治水事業を一気に解決するために、渡良瀬川の下流に一大貯水地を建設しよう計画が持ち上がり、そしてできたのが「渡良瀬遊水地」なんです。

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この地域は遊水地になる前は何だったか。

実は、谷中村というひとつの村だったんです。
1889年(明治22年)に3つの村が合併して誕生した谷中村は、渡良瀬川と思川に挟まれた地域で、沼地や湿地が多く農業や漁業が営まれる人口2700人の村でした。

しかし、1904年(明治37年)に栃木県はこの谷中村をそっくり貯水池とすることを地域の了解なく決定、1906年(明治39年)6月30日をもって谷中村は強制的に廃村、隣の藤岡町に合併されることになったんです。

わずか17年という短い歴史で幕を閉じた谷中村は、遊水地となる宿命を背負って誕生したと思えて仕方ありません。

1911年(明治44年)から1922年(大正11年)に、総工費750万円(当時)をかけて工事が進められ、この地に国内最大の遊水地が誕生しました。

その後、昭和10年、13年、22年と相次いで大きな洪水が発生したのを受け、昭和38年より遊水地をより効果的に活用するための大規模工事が行われました。
これは、大きな洪水の時だけ調節池の中に川の水が入るようにし、従来より洪水調節機能を増大させる事業で、調節池化事業と言われています。

なお、当時は現在のようなハート形の池はありませんでした。
谷中湖と呼ばれる現在の貯水池ができたのは、1990年(平成2年)とずいぶん最近なんです。

現在はゴルフ場やスポーツ施設、展望台や資料館等いろんな施設があって、本来の治水機能の他にもスポーツ、レジャーといった多目的な利用の拡張が行われています。

さて、次回は前出のハート形の人工池、「渡良瀬第一貯水池」、通称「谷中湖」にスポットを当てたいと思います。

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