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2010年12月30日 (木)

ひろめ市場 ~ 高知のランチスポット

高知市内のほぼ中心、はりまや橋から西に伸びる商店街が帯屋町2丁目商店街。

その商店街のほぼ終点付近にあるのが、

「ひろめ市場」

です。

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はりまや橋を見た後、ちょうどお昼時になったので、昼食はこちらでとることとなりました。

この辺りは毎週日曜日に開催される「土佐の日曜市」というのがあります。
今回は日曜日ではなかったため、あいにくその様子を見ることはできませんでしたが、「追手筋」という広い道路いっぱいにいろんな出店が並ぶのだそうです。

ふつうこういう市場って朝市というイメージがあるのですが、土佐の日曜市の場合、日の出から日没まで行われているそうで、食料品から衣料、お土産品まであらゆるものが売られています。
大変活気のある市場で、歴史も古く、土佐の台所としてだけではなく観光スポットとしても有名です。

一方、ひろめ市場は常設の市場なんですが、意外と歴史は浅く、平成10年10月オープンなのでまだ12年とちょっとということになります。

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さて、店内に入って見ます。
市場の中央には広い食事スペースがあります。
その周りにいろんなお店が並んでいます。

ショッピングモール風に言うと、いわゆるフードコートってやつですね。

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この時間帯はちょうどお昼時、修学旅行の学生もいて市場内は超満員。

高知は太平洋に面していて魚介類がおいしい土地です。
なかでも有名なのはなんといっても「鰹(かつお)」ですよね。

この市場でも一番人気はやはり鰹のタタキでした。

鰹のタタキ定食では市場の中央に構える「明神丸」が有名らしく、この日も長い行列ができていました。
目の前で炙られるカツオを見ているとよだれが垂れてきそうです。

僕もさっそく、と思いましたが、並ぶのは面倒だったので他のものを物色。

そして僕の目に止まったのが、

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「鯛めし」の森光水産。

明神丸の隣にあるわりとこじんまりした店構えです。

鯛めし定食は750円ですが、僕は敢えて鯛めし単品(350円)を注文。
定食には鯛汁や惣菜もついていてボリューム満点、こちらもお勧めです。
ただ鰹のタタキにも未練が残っていたので単品にして、続いて魚屋さんに向かいました。

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そして帯屋町側入り口近くにある「土佐黒潮水産」にて鰹のタタキを物色。
1パック300円のタタキには、その場で食べられるようタレとニンニク、そして「伯方の焼塩」がセットになっていました。

たった650円で、鯛めしと鰹のタタキの豪華ツートップが完成。

そのツートップとは。。。

その模様は次回にて。(^_^;)

(次回って、年越すんじゃないの?)

 

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2010年12月29日 (水)

はりまや橋

高知市内で有名な観光スポット、あの「よさこい節」の中にも登場する、

「はりまや橋」

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はっきり言ってちっちゃな橋です。

江戸時代、この地を流れていた堀川を挟んで商売を行っていた、豪商「播磨屋(はりまや)」「櫃屋(ひつや)」の往来のためにかけられた私設の橋です。

現在の橋は1998年に架け替えられたものです。
大通りの横に「はりまや橋公園」が整備され、歩道専用の橋となっています。
どちらかというと観光スポットとしての位置づけですね。

はりまや橋公園には地下施設もあり、そこにははりまや橋の歴史とともに、先代の橋の欄干が展示してありました。

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現在の橋と似ていますが、大きく違う点は現在の橋は欄干が湾曲しているのに対し、先代の橋は欄干がまっすぐです。

当時は車道兼歩道だったのでしょうか。
地元の人に聞いてみないとわかりませんね。

また、公園内には明治時代末期に架け替えられた鋳鉄製の橋も復元されています。

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今のものとは全然違いますよね。

この橋の親柱部分は当時のものなんだそうです。
なんでも高知の名門ホテル「三翠園」の庭に設置されていたものをここに移設したのだそうです。

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大通りにはこのような橋げた?があります。

こちらもはりまや橋なんですね。
欄干の向こうに見えるのが現在のはりま家さんです。
おみやげ屋さんになっていました。

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こちらは「はりまや橋商店街」です。

結構活気がある商店街です。

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両サイドのお店の他に、通りの真中にいくつもの出店があるのが印象的です。

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こうやって見るとつい手を伸ばして食べたくなってしまいます。
1個80円の団子を食べながらの商店街散策もなかなかいいですよ。

この後僕らは昼食をとりに「ひろめ市場」へ向かうのですが、
この続きは次回のお楽しみです。

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2010年12月26日 (日)

坂本龍馬記念館 ~後編~

地下2階の資料展示室から地上階へと進んでいきます。

ここには坂本龍馬にまつわる船の模型も数多く展示してあります。

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その中のひとつ、土佐藩船「夕顔」

慶応3年(1967年)2月29日、長崎でイギリス商人オールトから15万5000ドルで土佐藩が購入した蒸気内車型鉄製船です。

同年6月、坂本龍馬が後藤象二郎とともに長崎から京都へ向かった際、この船の中で書きあげたのがこちら、

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「船中八策」

です。
大河ドラマ「龍馬伝」でも、とても印象深いシーンでしたよね。
龍馬がこれまでいろんな人物と接し、学んだ結晶として生まれたのがこの船中八策でした。
翌年、明治天皇から五箇条の御誓文が出されますが、この内容の基になったのがこの船中八策であるとも言われています。

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こちらは海援隊の旗、「二曳(ニビキ)」と言います。

海援隊とは、坂本龍馬が長崎で旗揚げした「亀山社中」をベースにできた、土佐藩お抱えの海上輸送部隊であり、私設海軍部隊であり、今で言うところの貿易会社でもあります。

決して武田鉄也を中心とする3人組のフォークソング・グループじゃないのでお間違えなく。

この旗はのちに岩崎弥太郎によって作られた三菱系の海運会社「日本郵船」の社旗となり、その精神が受け継がれていて、二曳の旗は現在も世界の海を駆け巡っているんですよ。

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2階にある展示コーナーには、龍馬が暗殺された場所、「近江屋」が再現されていました。

京都において龍馬の隠れ家であった近江屋ですが、普段龍馬は離れの土蔵に寝泊まりしていました。
というのも、いざという時、すぐさま裏口から出て墓地へ逃げ込むことができるためです。
暗殺当時、龍馬は風邪をひいていたため寒い土蔵から母屋の2階へ移っており、そこで長岡慎太郎と密談中のところを襲われたという訳です。

ところで、龍馬の暗殺に関しては今だ謎が多く、いろんな説があります。
大河ドラマ「龍馬伝」では幕府系の人間によるものと受け取りがちですが、実はいろんな含みを持たせた終わり方になっていました。

西郷隆盛と木戸孝允(桂小五郎)も、最終回のころには、徳川家を残そうとする龍馬に対し憎悪を向けるようになっていましたよね。
幕府を武力で倒して自分たちが新政権の主導権を取りたいと考えていた薩摩藩や長州藩が、坂本龍馬の暗殺を企てる動機は十分あったと言えます。

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こちらは屋上から眺めた景色。
桂浜ではなく、高知海岸になります。
かなり長い砂浜ですが、こちらも海水浴はできないようです。

さて、暗殺の謎に戻ります。

紀州藩も有力な説です。
いろは丸事件で坂本龍馬は紀州藩から莫大な賠償金を獲得しました。
紀州藩はこの事件で責任者であった茂田一次郎らを謹慎にする等厳しい処分を行っており、その恨みを買っていました。
暗殺直後、海援隊士であった陸奥宗光らは紀州藩家老が泊まっていた宿を襲撃していることから、紀州藩による犯行であった可能性もあります。

また、わざわざ長岡慎太郎との密談中を襲ったところに着目する説があります。
長岡慎太郎は同じ土佐藩出身「陸援隊」の頭。
陸援隊にはお尋ね者も多く、一部の土佐藩上士からは陸援隊を追放する動きもあったようです。
また、後藤象二郎は大政奉還の立役者が坂本龍馬であることを全く語っていないことから、手柄を一人占めにするため用済みの二人を亡き者にする動機があったとも考えられるのです。
暗殺するのに相手が二人だとリスクが増すはず、二人を一緒に殺してメリットがあるのは土佐藩だとする説です。

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この他にも幕府見回り隊説や新撰組説など、いくつかの説があるようです。

いずれにしても、坂本龍馬という一人の人間によって幕末の時代が大きく動き、明治維新をもたらしたのはほぼ間違いないと言えます。

今の僕たちがこうして生活していられるのも、日本という国が他国に侵略されることなく自立してきたからであり、それには幕末を動かした人物たち、特に坂本龍馬の存在はとても欠かせないものであったと言えるのです。

屋上に立ち、雲間から光が射しこむ広い太平洋を眺めながら、そんなことを考えさせられた、高知県立坂本龍馬記念館でした。

高知県立坂本龍馬記念館公式サイトはこちら。
      (上の文字をクリック)

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2010年12月24日 (金)

坂本龍馬記念館 ~前編~

桂浜から小高い丘を登ったところに、

「高知県立 坂本龍馬記念館」

という施設があります。

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坂本龍馬にまつわる史料館はいくつかあるようですが、この坂本龍馬記念館は「県立」。
坂本龍馬の半生と彼をとりまく人物たちの素顔について、時代背景等を含めわかりやすく展示してある施設だと思います。

なによりも、龍馬が書いた数多くの手紙のうち、本物、複製併せて約40通も展示しているのは他にはないそうです。

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今回は特設展示として勝海舟、ジョン万次郎そして坂本龍馬の3人にフォーカスした展示、

「風になった龍馬展VOL.2」

が開催されていました。

3人の共通点は「船」
そんな3人が生きた時代を船、そして世界という視点から迫っています。

さて、常設展示の方に戻ります。

見学は地下2階からスタート。
たくさんの手紙や活動の痕跡が展示してあります。

そんな中、妻であった「お龍」さんの素顔に迫るコーナーに目が留まりました。

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どうしても大河ドラマ「龍馬伝」のお龍さん役、真木よう子さんのイメージになりがちですが、顔立ちは別として性格的なところはよく捉えていたようです。

借金の「カタ」に連れ去られた妹を単独で取り返しに行ったとか、ピストルの腕は相当なものだったとか、そんなプロフィールを読むとドラマのシーンを思い返しました。

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こちらの掛け軸は龍馬が暗殺された現場の床の間にかかっていたものです。
掛け軸の下側に、血痕がついているのが生々しいですよね。

残念ながらこちらは複製です。
本物は京都国立博物館に行くと見れるそうですよ。

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こちらの刀は、暗殺当時龍馬が持っていた脇差し。

と同じ刀鍛治が作ったものだそうです。

実際の暗殺現場では、これと同じ脇差しで刺客の刀を受け止めました。
しかし、体長も悪く、敵の刃の切っ先が額を切り裂き、あえなく散ったとされています。

地下2階の展示は真剣に見出すと軽く1時間はかかってしまいそうです。
この後、地下1階、1階、2階そして屋上へと進みます。

その模様は後編にて。

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2010年12月21日 (火)

広島ドリミネーション2010

クリスマスも近づいたこのシーズン。

あちらこちらで光のイルミネーションで着飾られた町並みを見ることができます。

先日広島へ行った時、平和大通りの両脇でたくさんの光の芸術を見ることができました。

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「広島ドリミネーション2010」

というイベントで、毎年11月から年末年始にかけて行われているんだそうです。
会場は平和大通りの他、紙屋町付近、本通など広島市内のいろんな場所で展開されています。

その中でもこの平和大通りがメイン会場と言ってもいいでしょう。
各区画に大小様々な光の芸術が並んでいます。

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広島ドリミネーションは2002年にスタート。
今年で9回目になります。

「おとぎの国の冬物語」

をテーマに総数130万個の電球で広島の夜の街が彩られるんです。

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今年の物語は、「幸せの国 =第1章=」。

ある少女が幸せになる国をめざして旅を続けます。

幸せそうないろんな国を見ますがなんとなく違います。
途中少年と出会い、語り合い、一緒に旅をつづけるうちに、
幸せの国とは自分が生まれ育った故郷だということに気付く。

少年と1年後の再開を誓い合い、少女は故郷へ帰る。

そして第2章へと続くのでした。

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第2章はおそらく来年のストーリーとなるんでしょうか。

まさか第1章で終わりなんてことにはならないでしょうね。

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開催期間は2011年1月3日まで。
点灯時間は17:30~23:00とのこと。
開催期間中は会場のあちこちでカフェやコンサートなんかもあるみたいです。

詳しい内容を知りたい方は下のサイトへどうぞ。

広島ドリミネーション2010公式ホームページ
(上の文字をクリックするとリンクへジャンプします)

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2010年12月19日 (日)

桂浜 その2 ~ 浜で見つけたもの

前回に引き続き桂浜よりお送りします。

今回は桂浜で見つけたものをレポートします。

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桂浜の海岸を歩くと、ミシッミシッと歩く音がします。
足元を良く見るといろんな色や形をした小石が散らばっているのです。

「桂浜の五色石」

といって、近くのお土産屋さんにも売られている(いた?)ほどなんです。

で、僕もとりあえず海岸を歩きながら、気に入った石を物色します。

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昔は綺麗な石がそれこそたくさん転がっていたのだそうです。
かつて大量に採取したせいかどうか、はたまた公園化が進んだせいかどうかは分かりませんが、最近はあまり採れなくなったんだとか。

勝手に拾ってよかったのかどうか気になる所ですが、とりあえず色や模様の違う石を5コだけ選んでみました。

続いてはこちらの看板。

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桂浜って海水浴はできないんですね。

こんなに綺麗な海岸なのに遊泳禁止なんてもったいないですよね。
看板の説明によると、この地域は波の変化が激しく、突然の高波による水難事故が多発しているんだそうです。

って、遊泳禁止なのに事故が起こるって、どういうこと?

この看板を無視して泳ぐ人がいるってこと?
それって自業自得ってやつ?

とにかくルールは守りましょうね。

ラストはこちら。

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観光地ではよく見かける街角アイス屋さん。

でもよく見ると、昔ながらの。。。

「アイスクリン」

アイスクリームじゃないんだ。
ここ、高知ではアイスクリンという名前で親しまれているんだそうです。

「こじゃんとうまい!」のなら、買って食べるしかない。

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僕の出身地、長崎でもおばあちゃんがひとまわり小さなリアカーに乗せて町中を歩きまわる、通称「チリンチリンアイス」というのがあります。
車の一部に小さなベルをつけていて、引っ張られて動くときにそのベルが「チリンチリン」と鳴ることから名付けられたものです。

高知のアイスクリンはアイスを半球状のスプーン(アイスクリームディッシャー)で2段重ねにしてくれます。
一方長崎のチリンチリンアイスはヘラのようなもので入れてくれるため先が尖ったような形になります。

アイスの形は違いますが、味はそっくりだと思いました。
アイスと言うよりはシャーベットに近い味です。
味も甘味が抑えられていて、シャリシャリ感のある、さっぱりした味です。

高知と長崎って坂本龍馬以外にも意外な共通点があったんですね。

桂浜は、これ以外にも水族館や闘犬センター等見どころ満載です。

今回は残念ながら行けませんでしたが、機会があったらまた来るぜよ!

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2010年12月16日 (木)

桂浜 その1 ~ 高知を代表する景勝地

桂浜と言えば、高知を代表する観光地&景勝地です。

そして桂浜といえば、NHK大河ドラマ「龍馬伝」でも何度となく登場した舞台、

あの坂本龍馬が新しい日本を創造する決意をした場所です。

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桂浜は高知市内からは南へ10キロメートルちょっと、車だと30分くらいかかるでしょうか。

市内からはまずひたすら海を目指して南下していきます。
すると、とても広い海岸にぶつかります。
最初僕はここが桂浜かと思ったのですが、案内によるとここは「高知海岸」というところで桂浜ではないらしいのです。
車は高知海岸にぶつかったところで左折、海岸通り沿いを超え、小高い山を登って降りたところにこじんまりした砂浜が広がっていました。

地図的にいうと龍頭岬と龍王岬の間に広がる弓上の砂浜、長さにして400メートル弱のこの場所こそ、あの有名な「桂浜」なんです。

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桂浜が屈指の景勝地と言われる所以は、陸地と砂浜と海のバランス、弓上に湾曲した海岸線、太平洋の荒波を受ける岩、そういった自然の調和にあるのではないかと感じました。

実際この日はとてもよく晴れた日だったのですが、意外と波が高く、岩肌に打ち付ける荒波に僕もしばらく見とれてしまいました。

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桂浜は月の名所としても有名です。
残念ながら今回は午前中。
でも朝日の映える桂浜もなかなか絵になります。

この海の向こうは太平洋。
そしてその先には、とてつもなく大きい世界が広がっているんです。

坂本龍馬がこの場所に立って、世界一周したくなる気持ちになるのがよくわかります。

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その坂本龍馬の銅像は、桂浜を見下ろす小高い丘の上に立っていました。

銅像の高さは、台座を含めると13.5メートル、銅像だけでも5.3メートルもあります。

この龍馬像は昭和3年5月27日に建てられました。
大正末年に当時高知県に在住する青年たちがこの地に銅像を建てることを提唱、当時の秩父宮他の寄付金も含め、当時のお金で25,000円が集められ、建造されたのです。

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その後、2回の大きな改修工事が施されています。

1回目は昭和58年、やはり当時の青年たちが中心となって募金活動を行い、573万円をかけて修復。

2回目は平成11年、有志によって作られた龍馬像修復実行委員会が中心となって集められた資金はなんと5,941万円!
見事に甦った坂本龍馬は遥か太平洋を望み、今も勇ましい姿を見せてくれているのです。

坂本龍馬が愛した桂浜。
朝日が映える太平洋を見ていると、僕も何だか世界観が広がったような気分になりました。

さて、次回はこの桂浜で見つけたものをいくつかレポートしたいと思います。
どうぞお楽しみに。

 

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2010年12月13日 (月)

高木酒造見学 ~ 高知の美味しいお酒づくり

高知には意外とたくさんの酒蔵があるってご存知ですか?

全国的に有名なお酒といえば、「土佐鶴」、「酔鯨」、「司牡丹」といったあたりでしょうか。

今回は縁あって、

「高木酒造」

という酒蔵を見学する機会がありました。

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ここの銘柄は

「豊の梅」

というお酒です。

それほど大きな酒蔵ではありません。
地元を主体に展開している酒蔵です。

今回は五代目社長である高木直之さん自ら酒蔵とお酒の造り方について説明していただきました。

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酒蔵は高知県香南市赤岡という場所にあります。

2006年3月に香南市として合併されるまでは、高知県香美郡赤岡町といって日本一面積の小さい自治体だったんだそうです。

赤岡の有名なお祭りで

「どろめ祭り」

という行事があります。
「どろめ」とはイワシの稚魚のことで、赤岡の特産のひとつです。
これにちなんでつけられたお祭りなんですが、この祭りの最大のイベントが

「大杯飲み干し大会!」

大杯に注がれた1升のお酒(女性は半分の5合)を一気に飲み干すのだそうです。
よほどの大酒のみじゃないとぶっ倒れそうですよね。

当然、この大会に使われるお酒が「豊の梅」なんです。

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お酒に使われる米といえば「山田錦」がもっともポピュラーですよね。
高知には高知オリジナル「吟の夢」というお米があり、高木酒造もこの米を使った酒造りを行っています。

高木酒造ではこの「吟の夢」を使ったお酒で、全国新酒観評会にて金賞3回受賞という快挙を達成したのだそうです。
ちなみに山田錦を使ったお酒を含めると4年連続金賞受賞なんだとか。
こちらも高知県の酒蔵としては快挙なんだそうですよ。

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こちらでは仕込から醸造まですべて手造り。

5代目高木社長、酒造りそれぞれの工程をパネルを使いながら丁寧に説明してくれました。

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こちらは酒造りの最初の工程である、米を蒸すための巨大な釜。
とても年季が入っていそうな釜です。
このあとの麹を作る工程が杜氏の腕の見せ所なんだそうです。

ざっと工場を見学した後は、お待たせ、試飲タイム!

大吟醸酒からにごり酒、梅酒など約10種類のお酒を試飲させていただきました。

お酒はどれも端麗辛口、特に大吟醸酒である「しずく酒」「龍奏」は非常に飲みやすく、いくらでも飲めそうなくらい、ある意味ヤバイお酒です。

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で、結局僕が買ったのはカップ酒「豊の梅」と、にごり酒である「おり酒」、それと梅酒に使われた「梅酒の梅」の3点。

当然ながら、これらのお酒はこの日泊まったホテルでその日のうちに僕のお腹の中へと注がれたのでした。

高知の酒蔵見学、旅行の際にはツアーコースに入れることをぜひお勧めします。

ただし、試飲のし過ぎで後の観光に支障が出ない程度に抑えるように、ね。

高木酒造HP : http://www.toyonoume.com/

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2010年12月11日 (土)

陸上自衛隊高知駐屯地

高知県に新しくできた自衛隊の駐屯地、

「陸上自衛隊高知駐屯地」

へ行ってきました。

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高知市内からはちょっと離れています。
方角としては東北東、高知県香南市というところにあります。

ここに駐屯する部隊は第50普通科連隊という部隊で、今年の3月に香川県善通寺駐屯地から移駐してきました。
つまりこの高知駐屯地はできてまだ1年も経っていない新しい駐屯地なのです。

そのためもともとは山だったところを整地して駐屯地として開設されたのです。

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実はもともとここからちょっと南へ行ったところに高知駐屯地はありました。
っていうか今もあります。

そこには第14施設中隊という部隊が駐屯しています。
したがって、現在高知駐屯地は2ヶ所に分散している駐屯地ということになります。

現在はこの第50普通科連隊がある場所を第一宿営地、第14施設中隊が所在している場所を第二宿営地と呼んでいます。

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駐屯地設営に当たっては予算が削られたせいか、グランドが完成していません。

早くりっぱなグランドができることを祈りたいですね。

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奥に見える山はすでに自衛隊の所有になっているそうで、近い将来ここが隣接した演習場となる予定なのだそうです。
ただし、こちらもこれからの予算次第なんだとか。。。

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手前に見える施設は厚生棟です。
この中には隊員食堂、風呂、隊員クラブそして売店等が入っています。

今回はこちらも見学させていただきました。

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正面入り口をはいると広いホールになっています。

外側もそうですが、中もコンクリート打ちっぱなし。
最近の流行りなのか、それともこちらも予算の都合でこうなったのか。。。

それはともかく、僕が気になったのは天井部分。

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星空をイメージしたのか、こんなお洒落な天井になっていました。

ただ、こんな星座はちょっと見たことありません。
星座なのか、はたまた別の意味があるのかは不明です。

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隊員さんたちが使用するお風呂も見せていただきました。

この写真のような扇形の浴槽が2つあって、結構広くて綺麗なお風呂だと思いました。
ただし、自衛隊の隊員さんって結構早風呂だって聞くので、ゆっくりお湯に浸かって疲れを癒すなんてことはしないんでしょうかね。

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最後に、今回頂いた昼食です。

まん中にあるメインディッシュは煮込みハンバーグです。
デミグラスソースがたっぷりかかったハンバーグは結構イケます。

デザートもついていて、なかなかお洒落な昼食ですね。

台風などの災害が多い高知の人たちにとって、大きくなった自衛隊は頼もしい存在でしょう。

これからの活躍をお祈りいたします。

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2010年12月 6日 (月)

てつのくじら館

今回も広島県呉市の話題です。

前回お伝えした大和ミュージアムの斜め前に、

「海上自衛隊呉史料館」

があります。

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海上自衛隊には全国に3つの大きな史料館があります。

主に水上艦を展示する海上自衛隊佐世保史料館、海上自衛隊が所有する航空機を展示する鹿屋航空基地史料館、そして潜水艦と掃海(水中機雷除去のこと)に関して展示する海上自衛隊呉史料館です。

そしてなんといってもここの目玉はこれ↓

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本物の潜水艦!

この史料館が「てつのくじら館」と言われる所以です。

この潜水艦は「あきしお」と言い、昭和60年に進水、平成16年に退役するまでの約19年間現役として活躍した潜水艦です。

この場所に設置されたのは平成18年9月、国内最大のクレーンを使って陸揚げされたそうです。

総排水量2,250トン、長さ76.2メートル、幅は9.9メートル。
乗員は75名です。

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あまり内容を公開されることのない潜水艦ですが、この史料館では潜水艦の構造や仕組みをわかりやすく展示してあります。

そして、最大の目玉である「あきしお」の中を見学できるんです。

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船体の横に開けられた入口をくぐると、そこには現役当時の船内がそっくり広がっています。

狭い廊下、窮屈そうなトイレ、寝返はとても打てそうにない3段ベッド。

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最後に潜水艦を操る操舵室では潜望鏡を覗くことができます。
潜望鏡からは屋外の景色を見ることができます。

実は今回この史料館は大和ミュージアムの後に行ったんですが、呉駅発の電車の時間が迫っていたためわずか10分しかなく、こちらは本当に駆け足で回った見学で、ほとんど勉強することができませんでした。

なので、また来ます。絶対に!

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2010年12月 4日 (土)

大和ミュージアム

広島県呉市には海上自衛隊の基地がありますが、この地はかつて戦時中は海軍の呉工廠といって戦艦等を建造していた場所でもあります。

あの有名な戦艦大和もここで建造されました。

呉駅のすぐ近くには、

「大和ミュージアム」

という博物館があり、海軍時代の歴史や大和にまつわるエピソード等を知ることができます。

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入場料500円を払って入り、最初の展示コーナーは「呉の歴史展示室」

ここでは呉が海軍の町として発展してきた歴史を学ぶことができます。

明治22年(1889年)に呉鎮守府、明治36年(1903年)呉海軍工廠が設立され、軍港として栄えていきます。

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日清戦争の頃は横須賀、佐世保そしてここ呉の3ヶ所に工廠があったのですが、横須賀は中国から地理的に遠く、また佐世保にはまだ十分な設備が整っていなかったため、呉工廠が艦船の建造や修理に大活躍したそうです。

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昭和10年(1935年)には鉄道開通を記念して、「国防と産業大博覧会」が開催されます。
「景気は呉から」という合言葉のもと、国防意識高揚を図る目的も重なって、約71万人という多数の入場者数を記録したそうです。

そんな中、世界最強と言われた戦艦大和の建造計画が進められ、ここ呉で大和が誕生します。
昭和12年11月4日に起工され、竣工が昭和16年12月16日、世界最大級の戦艦をたったの4年で完成させたことになります。

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全長は263メートル、最大幅は38.9メートルもあり、想像を絶するデカさです。

この船体を動かすための動力源はタービンエンジン4基。
スクリューの大きさは直径5メートル。

最大速度は27.46ノット、車の速度に直すと時速約51キロメートルとかなりのスピードで航行することができます。

戦艦大和は当時最高の技術力を結集して誕生したのです。

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 ここに展示してある大和の模型は10分の1スケールのもの。
つまり、この模型は長さが26.3メートルもある、文字通り世界最大の大和の模型であるということになります。

主砲は45口径46センチ3連装砲が3基、つまり砲弾の直径が46センチ、砲身の長さが20.7メートルの大砲が合計9門装備されているということ。
砲弾の重さは一発なんと1.5トン。
現在海上自衛隊が保有する護衛艦に搭載されている艦砲でさえ直径12.7センチと約4分の1なので、大和の主砲の大きさ、破壊力たるや、全く想像できません。

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その他の兵装や特徴については省略、ウィキペディア等に詳しく出ているので、気になる方はそちらを参考にしてください。
ちなみに宇宙戦艦じゃないので波動砲はありません。
お間違えなく。

就役した大和は数々の作戦に参加しますが、目立った活躍をしたという記録はあまり残っていません。
そして、1945年4月7日東シナ海における坊ノ岬沖海戦において米軍の航空攻撃によって沈没してしまいます。
わずか3年4ヶ月という短い命でした。
考えてみると建造期間より短かったんですね。

今回は、わずか30分という短い時間しかとれず、ほとんど駆け足でまわった大和ミュージアムでした。
今度呉に来るときは、じっくり見学する時間をとりたいと思っています。
おそらく2時間くらいは必要なんじゃないかな。

宇宙戦艦ヤマト実写版も始まったことだし、ここ大和ミュージアムもまた人気が出るのかも知れませんね。

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2010年12月 2日 (木)

海上自衛隊呉地方隊

今回、珍しく海上自衛隊の呉地方隊にお邪魔する機会がありました。

広島県呉市は明治時代から軍港として栄えてきた町です。
さらに、明治36年には呉海軍工廠が設立、旧海軍における戦艦建造の中心地となったところでもあります。
あの有名な戦艦大和を建造したことでも有名です。

この近くには「大和ミュージアム」という施設があり、当時の呉の歴史から戦艦大和の詳細な説明などが展示してあります。

こちらの話題はまた別の機会に譲るとして、もとの話に戻ります。

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呉港の一角を占める呉地方隊の総監部庁舎は、小高い丘の上に建っています。

1907年(明治40年)に建てられた、レンガ造りの勇壮な建物です。

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建物の反対側からも美しい姿を見ることができます。
両サイドが突き出ていて、中庭のようになっています。

今回中には入れませんでしたが、おそらく総監の部屋からはこの庭園と、港が一望できるのでしょうね。

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こちらも同じくレンガ造りの建物で、現在は呉造修補給所の庁舎です。
建物の前に居座る大きな錨がいかにも海上自衛隊って感じです。

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呉地方隊は宮崎から和歌山までの海上警備を担当する部隊です。

その中心となるのは呉警備隊で、担当する海域の安全確保のための監視、警備の他、海難救助等を実施しています。

また、忘れてはならないのは「水中処分隊」という部隊です。
これは、戦時中に米軍や日本軍が設置、投下した水中機雷や不発弾を爆破処理するのが任務です。
実は瀬戸内海には多数の機雷が仕掛けられていました。
これらを除去するのも大変だったのです。

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つい最近(11月25日)も松山沖海底で日本軍の不発弾が見つかり、ここの部隊によって処理されました。

その時の様子はネットで確認することができます。
爆破処理した瞬間、水上に約60メートルの水柱があがったと報道されています。

一般の人からすると、基地の中には入りにくいイメージがありますが、ここ呉では毎週日曜日に艦艇公開日として基地の施設と呉地方隊所有の艦船を見ることができるんです。

もちろんあの美しいレンガ造りの総監部庁舎も間近に見ることができるので、興味がある方は是非どうぞ。

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