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2011年1月29日 (土)

長崎を“さるく”⑧ ~ 思案橋

眼鏡橋から中島川沿いを下っていくと、やがて長崎を代表する繁華街、浜町(はまのまち)が見えてきます。

長崎は路面電車が走る町。
平野部が狭く、日中は交通渋滞もあちらこちらで起こるので、意外と路面電車が便利です。

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観光地のほとんどを結んでいるし、運賃はどこまで乗っても120円とリーズナブル。
しかも1日乗車券なら500円で乗り放題ととっても便利です。

今回は「さるく」旅なので、路面電車は利用しませんでしたけど。。。

さて、浜町アーケードにに沿って商店街を抜けた所が、

「思案橋」です。

実際に橋がかかっている訳ではありません。
江戸時代、この橋を渡ると丸山、つまり当時の遊郭に行けるということで、丸山に行こうかやめようか思案する、ということからつけられた名前です。

その欄干の一部が復元されていて、当時の面影を偲ぶことができるようになっていますが、今は思案橋と言うのはこのあたりの地名として親しまれています。

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その欄干の横にある、船が乗っかっている石碑。。。これは何?

昔はこんなの無かったような気がするんだけど。

書かれてある文字を読んでみると。。。

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1982年(昭和57年)7月23日に起こった「長崎大水害」からの復興を讃える石碑です。

「長崎大水害水位」の文字の上に引かれた線は、ここまで浸水したという水位です。
ほぼ大人の目の高さになります。

この辺りは先ほども言った通り、繁華街の中心地です。
ほとんどのお店が水浸し、もちろん商品も全て冠水状態になってしまいました。

水害が治まっても、しばらくは町中が異臭に包まれていたのを思い出します。
水に浸かってしまった冠水商品でまだ何とか使えそうなもの、例えば服とか食器とかが超格安で売られていましたが、まず買う気にならなかったという記憶があります。

ちなみに僕はこの水害で、原チャリを50メートルほど流されてしまいました。
何とか復活したけど、結局半年くらいでダメになってしまいました。

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思案橋を渡り、細い路地を奥へ入っていくと、丸山方面へ行くことができます。
路地を抜けてまず目に入ってくるのは、1本の柳。

通称「見返り柳」と呼ばれています。

その昔、丸山で遊んだ男たちが、この場所で振りかえって遊女との別れを惜しんだところから付けられた名前です。

この角を左へ曲がったところが丸山です。

龍馬伝でもよく出てきた「花月」はこの先になります。

ということで、次回は今の丸山がどうなっているのかをお届けしたいと思います。

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2011年1月26日 (水)

長崎を“さるく”⑦ ~ 中島川と眼鏡橋

若宮稲荷神社から坂を下って、再び長崎の街中に戻ってきました。

長崎の中心地を流れる川は、それほど大きくはないのですが、長崎市民にとっては親しみのある川です。

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「中島川」

「なかじま」ではなく、「なかしま」が正解です。

関東では「じ」と読むのが一般的ですが、九州では「し」と濁らないのが一般的です。
名字の場合も同じで、例えば歌手で鹿児島出身の「中島美嘉」さんも、「なかしま」ですよね。
あと、「山崎」さんの場合も、「やまさき」さんと読む方が多いようです。

そういえば、ジャパネット・タカタの社長は長崎県佐世保の方、高田(たかた)さんですしね。
もっとも、高田の場合は九州でも「タカダ」さんと呼ぶ人も結構いますが。。。

中島川には、古くからの多くの石橋が残っています。
あの、眼鏡橋もこの中島川にかかっている橋の一つなんです。

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石橋の多くは江戸時代、原型となるものは1600年代にかけられたものがほとんどですが、たび重なる洪水で流出、その度に修復されたり架け替えられたりして現在の姿になっています。

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例えばこちらの橋は「東新橋」と呼ばれるアーチ橋ですが、最初のものは1673年に中国人によってかけられたと伝えられています。
昭和57年の長崎大水害によって流出されましたが、4年後の昭和61年に復元されています。
長崎大水害といえば、僕の記憶にも鮮明に残っています。
ただし、この話を語り出すと長くなるし、年齢もバレそうなのでやめときますね。

川は所々で仕切られ、鯉が放たれているところがあったりします。

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僕が若いころは鯉はいなかったような気がするんだけど。。。
昔に比べたらずいぶん川の水が綺麗になったような気がします。

そしていよいよ、眼鏡橋です。

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この眼鏡橋は1634年に架けられた、我が国最古のアーチ型石橋と伝えられています。
この近くにある古いお寺「興福寺」の和尚さん(中国人)によって作られたものです。

この橋はとても頑丈で、長崎大水害をはじめとする幾度の水害にも耐え抜き、一部損傷はしても全壊は免れると言う、驚異的な強度を誇る橋なのです。

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こうしてみると、川の水面に写るアーチ型と合わさって、たしかに眼鏡のように見えますよね。

これをご覧になった方、長崎に来て時間があれば是非中島川に沿って散歩してみるといいですよ。
余談ですが、噂によるとこの眼鏡橋の近くにはハート形の石がいくつか埋め込まれているようですよ。
ハート型の石を見つけることができた人には、幸せが訪れると言うジンクスがあるとか。。。

どう?行ってみたくなったでしょ?

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2011年1月23日 (日)

長崎を“さるく”⑥ ~ 若宮稲荷神社

風頭公園から見下ろす長崎の風景に堪能した僕は、再び急な坂道を降りて、市街地へと向かいます。

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上ってきた路とは別のルートで坂道を降りていたのですが、その途中で神社を発見。

それほど大きい神社ではないんですが、赤い鳥居に惹かれてくぐって見ることにしました。

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「若宮稲荷神社」

といいます。
稲荷神社といえば全国至る所で見られます。
赤い鳥居と白狐がトレードマークですよね。

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そう、狛犬(こまいぬ)ではなく狐なんですよね。
僕はこれまで、てっきり狐の神様を祀っているのかとおもっていました。

でも、調べて見ると全然違っていることがわかったのです。
恥ずかしながら。。。

全国にある稲荷神社は3万社とも6万社とも言われているようですが、その稲荷神社の総本山は京都にある伏見稲荷大社です。

ここで祀られている神様は当然ながら稲荷大神(稲荷大明神とも言われます)ですが、古事記や日本書紀に出てくる5人の神々の総称で、実際伏見稲荷大社には、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)、佐田彦大神(さたひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)、田中大神(たなかのおおかみ)、四大神(しのおおかみ)の5柱が祀られています。

狐は稲荷大神の使いであるとされますが、動物の狐ではなくこちらも神聖化されたもので、正確には白狐と呼ばれます。
「びゃっこ」と読みます。「びゃっこさん」という言葉を聞いた事があるんじゃないでしょうか。

話を若宮稲荷神社に戻します。

ここの境内にもあったんです。
坂本龍馬の像が。。。

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稲荷大神が南北朝時代の英雄、楠木正成の守護神であったことから幕末には各地から長崎にやってきた志士が多く訪れたそうです。
亀山社中からも近いこともあって、当然坂本龍馬をはじめとする社中のメンバーも度々ここで参詣したと伝えられています。

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しかし、よくみるとこの銅像、風頭公園にあった銅像と同じポーズですね。
というか、ミニチュアレプリカですよね。

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大河ドラマ龍馬伝の出演者もここで撮影成功の祈願を行ったということで、役者さんたちの絵馬が飾られていました。
ただし、残念ながら、龍馬役の福山雅治は都合がつかず来れなかったそうです。
主役なのにね。

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最後に、近くの坂道でくつろいでいた猫の写真です。

田舎(?)の猫って、何かのどかで、ほんわかとしてて可愛らしいですよね。ほんと。

この後僕は、市街地に戻り、長崎の中心地を流れる中島川、そして眼鏡橋へと向かいます。
その様子は次回のお楽しみ。

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2011年1月20日 (木)

長崎を“さるく”⑤ ~ 風頭公園と龍馬像

亀山社中からさらに坂を登っていくと、やがて見晴らしの山頂らしき場所にたどり着くことができます。
風頭山という標高152m程の小高い山ですが、山頂は公園になっていて長崎の町並みを見下ろすことができます。

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「風頭(かざがしら)公園」といいます。

実は僕は今回初めてここを訪れました。
ここからの景色もなかなかのものです。

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正面に見える小高い山は、「稲佐山(いなさやま)」です。
夜景のスポットとして有名です。
よく旅行雑誌やガイドに掲載される写真に出てくる長崎の夜景は、ほぼ全てがこの稲佐山からの景色といってもいいでしょう。
そういえば僕も学生の頃、何度か夜景を見に出かけたのを思い出します。

誰と行ったのかって?
はるか昔のことなので、よく覚えていません。。。(笑)

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長崎の港、そして左奥に見える吊り橋は、「女神大橋」です。
正確に言うと吊り橋ではなく、「斜張橋」というそうです。
高い2本の塔から斜めに張ったケーブルで橋の部分を吊り下げるもので、分類としては吊橋ではなく、桁橋に属するそうです。

女神大橋も僕が学生の頃にはなかったスポットです。
2005年に完成したもので、長さ1289mで国内では6番目に長いそうです。

ここ、風頭公園の目玉といえば景色もそうですが、やはり何といっても坂本龍馬像でしょう。

昨年末、高知桂浜での坂本龍馬像をレポートしましたが、長崎といえばここ、風頭公園の龍馬像です。

(桂浜のブログはこちらからどうぞ)

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桂浜の龍馬像は写真でお馴染みのポーズでしたが、こちらの龍馬像は腕組みをしています。
左足を軽く前に出し、こちらのほうがちょっと粋な感じに見えるような気もします。

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角度を変えて見ると、また違ったイメージに見えてきませんか?
粋というか、いなせというか、何か考えにふけっている、あるいは何かを確信しているようにも感じます。

で、坂本龍馬が何を見ているかというと。。。

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長崎の町を見渡しているんです。

長崎港に続々と入港する異国の船を見て、将来の日本の姿を想像していたのでしょうか。
世界の玄関口としての長崎の町を見下ろして、やがて世界に羽ばたく将来の自分の姿を想像していたのでしょうか。

興味がある方は是非、この地にたって龍馬の気分に浸ってみてください。

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こちらは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」からの一節。
竜馬が長崎に入ってくる船を見て、陸奥陽之助に言った、

「長崎はわしの希望じゃ」

という言葉が、この碑に刻まれていました。

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最後にこちらのお墓。

前々回、「長崎歴史文化博物館」編で取り上げた、写真家、上野彦馬のお墓です。
長崎に生まれ、66歳の生涯を閉じるまで長崎の地を拠点に活動を続け、日本の写真発展に寄与した人物として有名です。
上野彦馬については、前々回の記事でもう少し詳しく触れていますのでそちらを参照願います。

(前々回の記事は、こちらからジャンプできます)

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2011年1月17日 (月)

長崎を“さるく”④ ~ 龍馬通りと亀山社中

長崎歴史文化博物館を堪能した僕は、続いて亀山社中跡へと向かいます。

というのも、ここ亀山社中は今でこそ龍馬ファンなら必ず訪れると言う観光スポットですが、僕が学生の頃にはありませんでした。
それもそのはず、この施設ができたのは平成21年8月、たったの2年半しか経ってないんです。

亀山社中跡へは、長崎特有の長い坂道を登っていかなくてはなりません。

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この道、今は「龍馬通り」と名付けられていますが、もともとはこの辺りの住民が通行する生活道路です。

細くて階段交じりの坂道を歩くと、ああここはやっぱり長崎だって実感することができるんです。

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坂道を歩いていると、坂道を下っていく郵便屋さんとすれ違いました。
郵便屋さんは坂の下までバイクで来て、そこから各家庭までこの坂道を歩いて配達するんです。
これもまた長崎ならではの風景です。
しかし結構な重労働ですよね。ほんといつもご苦労様です。

さて、龍馬通りを案内に従って進むこと約15分、足にもちょっと疲れがきたあたりで目的の亀山社中が現れました。

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もともとは個人の所有物だった建物を所有者の厚意で長崎市が譲り受け、「長崎市亀山社中記念館として整備したものなんだそうです。

門をくぐると確かに普通の民家のような家があり、靴を脱いで中にあがっていきます。
ほんと、「お邪魔しまぁす!」って感じなんですよね。

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部屋は10畳、8畳、3畳の3部屋に分かれていて、それぞれの部屋には龍馬をはじめとする社中とゆかりのある品々の展示と説明パネルがあり、当時の様子を垣間見ることができます。

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壁には亀山社中のメンバーの名札がかけられていました。

坂本龍馬はもちろん、陸奥陽之助や近藤長次郎、沢村惣之丞、池内蔵太等、大河ドラマでも活躍した名前が連なっています。

見学は15分もあれば十分です。
ただし、龍馬ファンの場合は1時間いても飽きない場所だと思います。

見学を終わり、通りに戻ったところで猫を発見。

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長崎の街では坂道を歩くと結構ノラ猫(?)と遭遇します。

こんなところでよく昼寝できるなぁって感心した、そんな1枚でした。

せっかくここまできたので、もう少し坂道を上って、坂本龍馬の銅像のある風頭公園へと向かうのですが、この続きは次回にて。

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2011年1月14日 (金)

長崎を“さるく”③ ~ 長崎歴史文化博物館(後編)

前回に引き続き、長崎歴史文化博物館のレポートをお届けします。

長崎奉行所、岩崎弥太郎展に続き、最後にやってきたのは常設展示の歴史文化展示ゾーン。

ここでは、主に江戸時代から現在まで長崎がどのようにして発展してきたのか、海外の技術や学問、文化がどのようにして広まっていったのか、長崎と関わりのある人物とは等、長崎にまつわる歴史と文化をテーマごとに展示、解説しています。

全体的に薄暗い空間、かつフラッシュ撮影は禁止されていたので、コンパクトカメラではなかなかいい写真は撮れませんでした。

いずれにしても、総計48,000点という膨大な資料が保存されていて、展示されているのはその一部だとしてもかなり見ごたえがあります。

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こちらは、「長崎くんち」の出し物のひとつ、「傘鉾」です。

ここで長崎くんちの説明を簡単にします。

地元の人たちからは「おくんち」と呼ばれていて、「精霊(しょうろう)流し」と並んで長崎を代表するお祭りです。
10月7、8、9日の3日間にわたって行われ、最終日の9日が「くんち」の語源とも言われています。

おくんちの出し物は長崎市内に古くからある59の町が担当していて、「踊町(おどりちょう」と呼ばれます。
その年に披露される出し物は7つ前後であるため、ひとつの町の出し物は約7年に一度しか回ってこないことになります。

各踊町が担当する出し物は決まっています。
例えば、有名な蛇踊は籠町、諏訪町、筑後町、五嶋町の4町が担当で、他の踊町はやりません。
なので、蛇踊は毎年見られる訳ではないのです。

僕が大好きな、「コッコデショ」樺島町の出し物で他の踊町にはありません。
なので7年に一度しか見ることができないということになります。
ちょうど今年がその年に当たるようなので、チャンスです。

先程の写真に合った「傘鉾」は、各踊町それぞれにある出し物で、上にある飾り物の下には一人で担ぐための太い棒がついています。
いわゆるプラカードのようなものだと思ってください。
地元の人は、傘鉾の飾りを見て、今年はあの町とこの町が出てくるんだって分かるんです。
僕は分かりませんけど。。。

僕が学生だった頃、おくんちが始まる前夜から諏訪神社に集合、場所取りを兼ねてみんなで騒いでました。
夜通しで酒を飲んだりして騒ぐのですが、一度蛇踊が来てくれた記憶があります。
通称「裏くんち」と呼ばれ、これはこれで地元の恒例行事だったんですが、現在は禁止されているようです。

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話題を元に戻して、博物館の中には上の写真のように長崎の暮らしを再現しているコーナーもありました。

今回は正月ということで、長崎の正月料理を展示してありました。

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こちらは長崎の工芸文化を紹介するコーナーです。

長崎には陶磁器、ガラス細工、べっ甲細工等、たくさんの工芸文化があります。
どれも綺麗で美しく、中にはとても手の込んだものもあります。

長崎でこれらが発展したのには、江戸時代唯一の海外玄関口だった長崎ならではの理由があります。

それは、海外からの技術がまずこの長崎に入ってきたということ、
そして、これらの工芸品は輸出のためのものだったということ、の2つです。

とても精巧で美しい日本の工芸品は欧米でとても人気が高かったそうです。

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そして、それらとともに海外からはたくさんの先進技術や学問が入ってきました。
医学、海洋学、天文学をはじめ、海外の文学、文化が入ってきたのです。

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こちらはそのうちのひとつ、写真です。
日本の写真術の創始者と言われる人物、「上野彦馬」です。

龍馬伝では情報番組などでお馴染みの「テリー伊藤」さんが演じていましたよね。
あの有名な坂本龍馬の立ち姿を撮影した人です。

上野彦馬は長崎の人、父親は肖像画を描く絵師で、最初にカメラに触れた日本人だとも言われています。
江戸時代末期の1862年に長崎で「上野撮影局」を開設、ビジネスして写真活動を行った最初の人物でもあります。

彼は明治に入ってからも写真家としての活動を続け、西南戦争では従軍し戦跡を撮影したそうです。
これっていわゆる「戦場カメラマン」じゃないですか?

ということは上野彦馬も喋りが遅かったのでしょうか?

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博物館のまわりには、伝統工芸を体験できる工房やレストラン「銀嶺」などもあります。

入場料は決して安いとは言えませんが、非常に内容の濃い時間を過ごすことができました。
長崎の歴史と文化に触れてみたい方には是非お薦めのスポットです。

さて、長崎歴史文化博物館を後にした僕は、次に亀山社中へと向かいます。

この続きは次回をお楽しみに。

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2011年1月11日 (火)

長崎を“さるく”② ~ 長崎歴史文化博物館(前編)

長崎駅を出発して歩くこと約20分、目の前に立派な城壁のような建物が見えてきました。

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「長崎歴史文化博物館」です。

僕が学生の頃にはこんな立派な施設はありませんでした。
それもそのはず、この施設は平成17年11月にできたものなのです。

それまでは、県立美術博物館を含む公園地区で、すぐ近くにある諏訪神社を含め、この辺りいったいは「諏訪の森」と呼ばれていました。

平成12年度末にまとめられた「歴史文化博物館(仮称)建設基本構想」によると、これまで単なる資料の貯蔵庫でしかなかった博物館から、長崎の歴史と文化を広く一般に広めることを主な目的とし、江戸時代において唯一の外国との出入り口であった長崎の海外交流史とそこから発展した「長崎学」を学べる場所として建設されたのです。

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開館以来入場者数も順調に伸びているそうでう、この日(1月3日)も次から次へと入館者が来ていました。

どこかのお偉いさん風の人も来ていて、正月なのにスーツ姿、おそらく案内役には館長さんかそのあたりの方もつきっきりで案内していました。

さて、正面玄関を入るといきなり2体の銅像が出迎えてくれました。

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左側は坂本龍馬、右側は岩崎弥太郎です。
実は昨日(1月10日)まで、2つのイベントが開催されていて、それにちなんだ銅像なのでしょう。
常設ではなさそうです。

ちなみにその2つのイベントとは、
「長崎奉行所・龍馬伝館」
「岩崎弥太郎展」

です。

さっそく「長崎奉行所・龍馬伝館」へ入って見ます。

昨年放映されたNHK大河ドラマ「龍馬伝」とタイアップした企画です。
僕も龍馬伝は全話見ました。
しかも全部録画してDVDに保存しています。

なので、いろんな展示物を見ると、
「ああ、あのシーンだ」
って、記憶が甦ってきました。

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こちらは長崎奉行所を再現したものです。
こちらは建物の中から見たもの。

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逆に外から見るとこんな感じです。

あと、長崎奉行所の「お白州」を再現した場所では、「劇団ちゃんぽん」による寸劇「お白州劇場」が行われていました。
「劇団ちゃんぽん」とは、長崎奉行所芝居組とボランティアによる、いわば素人さんによる劇団です。

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今回やっていた演目は、

「イカルス号事件」

1867年(慶応3年)7月6日、英国船イカルス号の水夫2名が何者かによって殺害されました。
状況証拠等から海援隊に疑いがかかり、坂本龍馬は「才谷梅太郎」という名前で奉行所に出頭します。
結局疑いは晴れるのですが、ここではその奉行所でのやり取りの様子を面白おかしく、そしてわかりやすく演じていました。
ただ坂本龍馬はとても30代とは思えない風貌で、それがまた龍馬伝とは全く違っていて面白さを演出していました。

この「お白州劇場」も龍馬伝館の終了とともに見れなくなってしまったのでしょうか。
ちょっと残念な気がします。

このあと、岩崎弥太郎展へ進みますが、一切撮影禁止だったので省略。
常設の歴史文化展示ゾーンへの進みます。

が、今回はここまで。
続きは後編にて。

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2011年1月 8日 (土)

長崎を“さるく”① ~ 長崎駅とその周辺

長崎県は僕が生まれ育った故郷であり、長崎市は大学時代4年間を過ごした地でもあります。

昨年は龍馬伝の舞台でもあり、高知に劣らず坂本龍馬フィーバーで盛り上がったようです。

1月3日、久しぶりに長崎の街を「さるいて」みたので、何回かに渡ってお送りしたいと思います。
ちなみに、「さるく」というのは長崎の方言で、「ぶらぶら歩きまわる」というような意味の言葉です。
今回は長崎駅から長崎歴史文化博物館~亀山社中~風頭公園~眼鏡橋~思案橋~長崎県美術館~長崎駅というコース、約2万歩の「さるく」レポートです。

まずは長崎駅
遠方から長崎市へ入る方法としては飛行機で長崎空港、そして高速バスで入る方法と、JRで長崎駅へ入る方法が主流だと思います。

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長崎駅は陸路の玄関口と言えるでしょう。

今回僕は実家がある諫早駅からJRで長崎に入りました。
さすが田舎だけあって、普通列車は昼間で1時間に2本程度、あと特急列車がやはり1時間に2本程度という少なさです。

特急料金は諫早~長崎で300円なので、それほど負担ではありません。
今回もちょうど特急が来たのでそれに飛び乗りました。

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通称「白いかもめ」と呼ばれるJR九州の新型車両(と言っても10年くらい前ですが)です。

白い車体に流線型のボディがとても美しいと思います。
内装もシートが黒い革張りだったり、木目調の内装だったりとちょっとだけ贅沢な気分になれる列車なんです。

諫早からは約20分ちょっとで到着。

長崎駅はJR長崎本線の終着駅です。
終着駅とは、これ以上先には行けない、行き止まりということでもあります。

なので、終着駅でしか見られない光景というのがあります。

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そうです。
線路がここで終わっているんです。

「せ~んろは続く~よ~、ど~こま~で~も~」

ではないんですね、長崎駅の場合。。。

さて、長崎駅を出て歩道橋を渡り、駅の反対側へ行くとちょっとした飲食街になっています。
そんな中、長崎ならではというか、とても目立つお店がこちらの中華料理店。

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これでもか、というくらいの超ビッグ皿うどんが強烈です。
しかも皿に乗っていないものや、重なっているものまで、ちょっと雑じゃないっすか?

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駅の近くにある中町教会は明治時代に建てられた教会です。

白くそびえ立つ高い尖塔がとてもきれいな教会です。
現在の建物は原爆で焼け落ちた跡に建て替えられたものですが、塔の部分は焼け残ったものを生かして建て替えられているのだそうです。

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中町教会を過ぎ、中町~上町~玉園町と歩くと「聖福寺」というお寺を見つけることができます。

長崎にはたくさんの寺院がありますが、この「聖福寺」は何で有名かと言うと、

慶応3年4月23日に起きた「いろは丸」事件で、坂本龍馬らが紀州藩相手に直談判を行った場所なんです。
龍馬伝を見ていた方は覚えていることでしょう。
坂本龍馬はこの事件で紀州藩から7万両という巨額の賠償金を支払わせることで決着したのでした。

聖福寺の前の通りを過ぎ、広い道にぶつかったところに、「長崎歴史文化博物館」があります。

が、今回はここまで。長崎歴史文化博物館探索は次回のお楽しみということで。。。

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2011年1月 5日 (水)

「答えはひとつじゃない!」② ~ 聞き上手になるために

2.聞き上手になれる「答えはひとつじゃない!」

「答えはひとつじゃない!」は、聞き上手になれるおまじないでもあります。

誰かと会話をするとき、あるいは数人で会議をやっているとき、会話の中で何かを決めなくてはならない場面を考えてみてください。
その問題や課題に対し、それぞれのメンバーはそれぞれの意見を持っているはずです。
そして、ほとんどの人は自分の意見がもっとも正しいと思っているはずです。
なぜなら自分の意見を正しいと思わないと、他のメンバーに話す価値が無いと考えるからです。

このときもし「正解はひとつしかない」という前提で会議を進めたらどうなるでしょう。
当然自分の意見が正しいと思っている訳ですから、お互いの意見の主張だけで相手の意見など耳を貸さない事態が想像できます。
会議らしい会議ではなくなり、意見はまとまらず、無駄な時間だけが過ぎていく会議になってしまうでしょう。
あるいは、全体が険悪なムードになり、部屋を出て行ってしまうメンバーが出るかもしれません。

では「答えはひとつじゃない」という前提で会議を進めるとどうなるでしょう。
自分の意見はもっとも最適な答えだと思っていても、もしかすると他にも答えがあるかも知れないと思うはずです。
自分の意見に落ち度は無いか、前提条件が変わると答えも変わるんじゃないかといった前提で会議に臨むことになります。
すると他のメンバーの意見も聞いてみようという気持ちになり、さらに他のメンバーの意見と自分の意見を比較してみようということになります。
自分の意見をみんなに伝え、そして他のメンバーの意見もしっかり聞くことで、その課題に対する答えは全員の合意のもとに決められることになります。
会議で決められた答えが実行され、たとえ期待通りの成果が出なかったとしても、全員の合意の結果なのでそれは攻められるものではなく、逆に反省材料とすることで次の目標や課題に対する経験、知識ベースとなるのです。

このように「答えはひとつじゃない」は聞き上手になれることはもちろん、現代人に多いといわれる「自己中」にならない薬でもあると思うのです。

僕は基本的に他人の話は最後まで聞こう、話し上手よりも聞き上手になりたいと考えています。
その根底にあるのは「答えはひとつじゃない」なのです。
こちらにとっても相手が話を最後まで聞いてくれると気持ちいいものですよね。

ただし、まだまだ僕も未熟者なので、ひとつだけどうしても許せないものがあります。
それは、人の話を最後まで聞かず、話の腰を折って突然反対意見を言い始める人です。こちらはまだ最後まで話しをしていないし、最後まで話しを聞かないと本当に言いたかったのは何か、決して伝わらないと思うのです。
なのに途中で話を遮るというのは相手の話の言いたいことを勝手に判断してしまうということですよね。
こういう人はいつまでたっても聞き上手にはなれません。

人の話は最後まで聞く、大人としての最低のマナーだと思いません?

続き:「『答えはひとつじゃない』~人生を楽しく生きるおまじない③」 はこちらから。

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2011年1月 3日 (月)

ひろめ市場 ~ 続き

高知の「ひろめ市場」での昼食。

僕がチョイスしたのは、鯛めしと魚屋さんの鰹のタタキ。

こんな感じになりました。

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鯛めしはこれで350円。
ご飯にも鯛の風味がしっかりついていて美味しそう。

鯛はほぐしたものを混ぜご飯風にしてあって、胡麻がまぶしてありました。

一方、鰹のタタキはとても新鮮。
アップにするとこんな感じです。

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タレと一緒ににんにくスライスと塩が添えられています。
聞いた話によると、1枚目は是非塩で食べてほしいとのこと。

これが土佐の食し方だそうなので、言われたとおりにんにくスライスを乗せ、塩をふっていただきます。
なるほど、塩で食べると鰹のうまみがすごく伝わってきます。

タレのほうもダシが効いていて良く合います。

やっぱり高知は海の幸を楽しむべきです。
市場には中華や韓国料理、インド料理まで揃っていますが、僕ら観光客はやはり海鮮系で行くべきでしょう。

さて、お腹が満たされたところで僕は市場の中をひとまわりしてみることにしました。

市場内には食事スペースの他に、海産物や土産物等いろいろ売られていました。
そんなに大きな市場ではありませんが、この中に65ものお店が入っています。

なかでも一番多いのは、やはり海産物を取り扱うお店です。
鮮魚をはじめ鰹節や干物など、高知の特産品の主流はやはり海産物系でした。

そんな中、高知を代表するお菓子「芋けんぴ」を目の前で作っているお店を発見。

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揚げたての芋けんぴはとっても美味しそう。
あの山積みになったけんぴは当然本物。

甘くてカリッとしたのが特徴ですが、最近地元ではやっているのは、
「塩けんぴ」
なんだそうです。

実際市内のあちこちで売られているのを見ました。
お土産にひと袋買ってみましたが、塩加減と本来の甘味がいい具合にマッチしてて結構イケると思いました。

最後はご当地ドリンクシリーズ!

今回発見したドリンクはこちら。

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ケースの中に入っているドリンク。
こんなラベルが貼ってあります。

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「ごっくん」

こちらも地元で知らない人はいない?という、ゆずドリンクです。
高知から車で約2時間、馬路村というところは「ゆずの森」とも言われるゆずの産地です。
この地で取れるゆずを絞って蜂蜜ドリンクに仕上げたのが「ごっくん」なんです。

ゆずの風味が効いたちょっと甘めのドリンクでした。

個人的にはこの味で炭酸飲料にしたほうがいいなじゃないかと思いました。
夏の暑い日なんかにはバッチリ合いそうですよね。

以上、ひろめ市場でした。

ひろめ市場のホームページはこちらから。
(上の文字をクリックすると公式サイトにジャンプします)

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2011年1月 1日 (土)

「答えはひとつじゃない!」① ~ 人生楽しく生きるためのおまじない

「答えはひとつじゃない!」

このブログのタイトルにもなっているこの言葉は、僕の座右の銘です。
座右の銘というと、偉人の名言、格言が多いと思いますが、この言葉、何の変哲もない普通の言葉です。
いつの頃からかこの言葉が頭の中に住みついてしまい、人生観、生き方の原点みたいな言葉になりました。そしていつしか座右の銘になったという訳です。
「答えはひとつじゃない」とは。この言葉にどんな意味があるのか。その辺りを語ってみたいと思います。

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