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2011年4月 4日 (月)

陸上自衛隊土浦駐屯地

茨城県土浦市、正確には茨城県稲敷郡阿見町というところに、

陸上自衛隊土浦駐屯地

があります。

ここには、武器学校という教育部隊(?)があります。

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今年の2月に新しい本部庁舎が完成したばかりだそうで、新築の匂いのする立派な隊舎は外から見ても、また内装も大層綺麗でした。

陸上自衛隊にはそれぞれの任務に応じた15種類の「職種」というのがあり、それに応じた様々な学校があります。
武器学校は「武器科」職種の自衛官を育成する学校であり、装備品や武器等の整備員を養成する教育機関です。
なので、新しい装備品から古い装備品までいろいろな器材を見ることができます。

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武器学校の資料館の入り口にこんなマークを発見。

これは、武器科職種の徽章で、諸外国陸軍の武器科職種に共通的に使用されている火炎弾のシンボルマークと武器科の汎用工具であるスパナを組み合わせ、武器科の職務と日本の武人の勇猛さを象徴する兜を模して表現しているんだそうです。

ここ土浦駐屯地、旧軍時代は海軍航空隊が置かれていました。
そして、海軍航空隊のパイロットを養成するための教育機関の役割を持ちます。

海軍飛行予科練習生、通称「予科練」です。

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昭和5年、これからの戦争は航空機が主役になると考えた海軍は、早い段階からパイロットを育てようと、14歳から17歳までの少年を全国から集め、この地で教育しました。

その後、予科練は三重、岩国、松山など最終的には19カ所に作られたそうです。
入隊者の総数は最終的には24万人ですが、終戦とともに解体されたため、卒業者は2万4千人だそうです。
残念なのは、その卒業者の約8割が戦死したということ。

そう、予科練の卒業者のほとんどは特攻隊等のパイロットとして全国に散らばっていったのです。

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これらの英霊を鎮魂するため、ここには雄翔園、雄翔館という施設が作られています。

雄翔園は追悼の碑や予科練二人像等が置かれていて、全体は庭園になっています。
芝生に置かれた7つの石は、予科練生の制服の7つボタンを、芝生を囲む外縁は日本列島を表しています。

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雄翔館では予科練から戦地で散った卒業生たちの写真や遺品等を展示しています。

特攻隊に選抜された少年が両親に宛てて書いた遺書など、とても10代で書いたものとは思えないほど立派な文章でした。

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雄翔館の前にある銅像は、山本五十六元帥の銅像です。
これは、戦時中にこの地に立っていた銅像のレプリカですが、この銅像をめぐる逸話を聞いたのでちょっと紹介します。

昭和18年秋から昭和20年終戦時まで海軍航空隊の本庁舎前に設置されていた山本元帥の銅像は、終戦によって米軍に汚されることを恐れ、上半身と下半身の二つに割られそれぞれ別の場所に隠されました。
その後、上半身は昭和23年に隣接する霞ヶ浦の湖底にて発見され、現在、海上自衛隊がある広島県江田島に保管されています。
一方、下半身は長く発見されませんでしたが、平成14年6月10日、元々銅像のあった台座の横(常在戦場の碑)付近の土中から発見されました。
そして、さらに細かく砕かれ、現在はこの銅像の下に眠っているのだそうです。

さて、次回は陸上自衛隊を代表する装備品、90戦車の体験搭乗と新旧戦車の紹介をしたいと思います。
お楽しみに。

 

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