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2012年6月30日 (土)

青森から北海道へJRの旅 ~ その3

その2の続き)

前回は函館駅で「特急 北斗」に乗り換え、函館を出発したところまでをお伝えしました。
大沼公園駅でたくさんの中国人観光客が乗り込んできて、車内が異国状態になってしまった後はどうなったのでしょう。

僕はここで中国人観光客に取り囲まれてしまった訳ですが、彼らを見ていてひとつだけ不思議な点がありました。
彼らは旅行客であるはずなのに、大きな荷物を一切持っていません。
せいぜいリュックくらい。
あと、ほぼ全員が日本製のカメラ(CANONが多かったような。。。)を手に持っていました。

僕と同様車窓をパシパシ撮りまくってて、他の日本人乗客からは僕も彼らの一味(?)と間違われるんじゃないかってちょっと不安になってしまいました。

そんないらぬ心配をしていると、やがて列車は長万部駅に到着。
何と、先程の中国人観光客らはここで全員下車したんです。

なるほど、彼らはきっと函館本線に乗り換え、羊蹄山でも見物にいくんだな。

そういえば十数年前に僕も函館に行った時、あの後倶知安に移動したのを思い出しました。
ここ長万部からは在来線になるため速度は遅くなる代わりに、その分美しい景色を堪能できるんです。
特に倶知安のあたりは羊蹄山の麓を走るんですが、蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山の美しさに感動したのを思い出しました。

いずれにしても、これでまた「北斗」は日本を取り戻すことができました。
僕はこのまま海沿いを走り、千歳を目指します。

列車は内浦湾沿いを走ります。

さて、洞爺駅を過ぎた辺りで左側を見ると、何だか見覚えのある山が見えてきました。

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中央奥に見えるのが有珠山
そしてその右側にちょこんと角を出しているように見えるのが昭和新山です。

そう、約1年半前に行ったのでまだ記憶に新しい景色なんです。
ロープウェイで有珠山に上ると、ここがまだバリバリの活火山だってのがよくわかりました。

昭和新山も平らな土地に突如できた山でした。
そういえば熊牧場にも行ったなぁ。
いろいろと思い出します。

洞爺湖畔にあるレークヒル・ファームで食べたアイスは美味しかったなぁ。
(「有珠山」「昭和新山」「熊牧場」「レークヒルファーム」をクリックで当時の記事にジャンプ)

当時の思い出に浸っている間に、車窓は大自然から近代的な景色に変わってきました。

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変わった形の「塔」が見えます。
これは石油コンビナートでしょうか。
そう、室蘭に入ってきたんです。

北海道を代表する工業地域。
特に室蘭は「日本四大工場夜景」のひとつとも言われており、「室蘭工場夜景バスツアー」なるものまであるそうです。
商魂たくましいって言うか、でもちょっと興味をそそられたりして。。。

ちなみに列車は終着駅である室蘭駅には行きません。
手前の東室蘭に停車すると、すぐに発車。

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そして再び、北海道らしいのどかな風景が広がってきます。
このあたりは白老から社台あたり。
競馬ファンなら「社台ファーム」って聞いて知らない人はいませんよね。
数多くの名馬を排出している名門クラブです。
ただし、社台ファームは社台じゃなくて千歳にあるんですけどね。。。

そして、列車は再び工業地域へ。

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苫小牧です。

苫小牧も室蘭と並んで北海道を代表する工業地域です。
室蘭は石油精製や製鉄関係の工場が多いのに対し、苫小牧は製紙・パルプ関連の工場が中心。
いずれも太平洋に面していて、本州、特に関東圏との航路が確保されているというのが発達した要因のひとつなのでしょうね。

さて、苫小牧を過ぎると室蘭本線から千歳線へと入り、いよいよ乗り換え駅の南千歳はすぐそこです。

17:01、函館を出て3時間で南千歳駅に到着。

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ここから最終ゴールの千歳駅はひとつ先。
実は南千歳駅の周りはほとんど何もありません。
強いて言えばアウトレットモールくらい。
千歳駅が千歳市の中心だし、特急が止まるのは南千歳じゃなくて千歳ほうじゃないのって思いたくなってしまいます。

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いわゆるワンマン電車ってやつ。
整理券と運賃箱。
関東では一昔前のバスでしか見ることのできない、懐かしい車内の光景です。

乗換時間は2分。
わざと接続を合わせているのか、17:04に発車。

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ひと駅4分なので、17:07に今回の最終目的地、千歳駅に到着です。
青森駅を11:50に出発して5時間と17分。
長いと言えば長い移動時間ですが、それでもいろいろな経験ができたし、終わってみればあっという間だったような気もするし、とても充実したJRの旅でした。

で、このあと何をしたかって?
それはご想像におまかせします。。。

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2012年6月27日 (水)

青森から北海道へJRの旅 ~ その2

その1からの続き)

12:20、スーパー白鳥15号は青森県最後の停車駅、蟹田駅を出発。
いよいよ青函トンネルへと向かいます。

しばらくすると、社内アナウンスが流れ、車掌さんによる青函トンネルの説明が始まりました。
座席の前に貼られている断面図と併せて説明を聞きましょう。

青函トンネルは全長53.85キロメートル、海底部分の長さは23.3キロメートル、鉄道用のトンネルとしては今のところ世界一の長さです。
トンネルの最深部は海面から240メートル、海面から海底までの水深が140メートルなので海底からさらに100メートル下がったところをトンネルは通っていることになります。

青函トンネルの建設に当たっては、現在の竜飛岬~吉岡を通す西ルートと下北半島の大間~函館市戸井を通す東ルートの2案がありました。
単純に青森と函館を結ぶのであれば東ルートの方が距離は短いのですが、東ルートの海底は最深部で300メートルあり、さらに100メートル下を掘るとなると、トンネルの長さとしてはとんでもないことになるという理由から西ルートになったそうです。

ちなみに、現在新幹線が建設中ですが、この青函トンネルは初めから新幹線が通ることを見越して設計、建設されているため、新たなトンネル工事は必要ないのだとか。
ただし、現在時速140キロで走行している特急電車に対し、新幹線は時速260キロ。
レールの幅も違います。
レール敷設工事や電気工事は必要になるし、風圧の影響等いくつかの課題があるそうです。

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さて、いよいよ青函トンネルへと入って行くのですが、実はその前に9つのトンネルを通ります。
青函トンネルの予行演習と言った感じでしょうか?
大平トンネル、津軽トンネル、大川平トンネル、第1今別。。。
社内の電光掲示板に9つのトンネルの名前が黄色い文字で表示されます。

そして、9つめの第4浜名トンネルを過ぎた所で、

「次が 青函トンネル」

と、赤い文字で表示されました。
おおっ、いよいよかぁ。

そしてついに突入。
やったぁ、青函トンネル初体験の瞬間です。
といっても、普通のトンネルと大して変わりは無いんだけど。。。

ただ、何となく下ってる感はあります。
スピードも上がっているようだし。

やがて竜飛海底駅付近を通過。
事前に申し込んでおくと、ここで降りて青函トンネルツアーができるらしい。
いつか絶対行こう。

そして、トンネル最深部に到達。
ここが海底から100メートルも地下だなんて。。。

トンネルの照明の色が、青と緑に変わるらしいのですが、イマイチわかりませんでした。

あっという間に最深部を過ぎ、列車は登り傾斜を進みます。
そして、約10分程で地上へ出てきました。

もう終わりなんだ。
なんか呆気なかったような気もします。
ただのトンネルだって言われるとその通りだし。
でも僕にとっては「青函トンネル初体験」という記念すべき日となりました。

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何てことを考えているうちに、北海道の最初の停車駅、「木古内」に到着。
あとは、函館に向かって走り続けるだけです。

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しばらく走ると、海の向こうに島らしきものが見えてきます。

あれは島ではなく、函館山です。
函館湾を隔てた向こう側の陸地なんです。

列車は函館湾に沿ってぐるっと一周し、スーパー白鳥の終着駅、函館駅に到着です。

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函館には15年以上前に仕事で一度来たことがあります。
函館の地に足を踏み入れるのはこれで2回目。

確か函館山ロープウェイにも乗った記憶があります。
夜じゃなかったけど。。。
しかも男ふたり。。。(T_T)

あと駅前市場で食べた海鮮丼がめちゃくちゃ美味かった記憶が甦ってきます。

残念ながら今回は乗換時間が15分しかないため、駅の外に出ることはできません。

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次は同じホームの反対側で待っている電車に乗り込みます。
残念ながら今度の列車は、「スーパー」の文字が付かない「北斗」
車両の形も一世代古いのが上の写真からもよくわかりますよね。

14:00ちょうど。
じっくり立ち寄ることができなかった函館を後に、目的地の千歳を目指します。

約3時間の旅ですが、北海道の景色を堪能しながらのんびり行きましょう。

と行きたいところだったんですが、大沼公園駅で中国人観光客がどっと乗りこんできました。
その数約50人!
ほとんどまばらだった座席が中国人で埋め尽くされてしまいました。
同時に社内は中国語が飛び交う異国の世界に様変わり!

マジかよっ。(ー_ー)!!
まさかこの状態が南千歳まで続くのか?

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右手に美しくそびえる駒ケ岳を眺めつつも、不安な気持ちを抱えながら、千歳への旅は続くのでした。

さて、次回は完結編をお送りします。
お楽しみに。

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2012年6月24日 (日)

青森から北海道へJRの旅 ~ その1

ここ何回か青森の話題が続いています。
実はあの時、引き続き北海道への出張が入っていて、青森から千歳へ移動しなければなりませんでした。

青森から千歳へは飛行機で飛ぶのが早いのですが、便数が少ないこと、また今回は若干移動時間に余裕があったので、JRで行くことにしました。

何てったって青函トンネル初体験だったので、ちょっと楽しみだったんです。

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5月の終わりの青森駅はこんな感じ。
さすがに県庁所在地だけあってロータリーも広く、駅ビルもそこそこ大きい感じがしました。

ちなみに、1月に来た時は当然雪が積もっていました。
ほぼ同じアングルで撮ったので、ちょっと見比べてみてください。

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何となくイメージが変わりますよね。

さて、青森から千歳へは特急列車を乗り継いでいくことになります。

青森~函館 : 白鳥 or スーパー白鳥
函館~南千歳 : 北斗 or スーパー北斗
南千歳~千歳 : 在来線(普通列車)

「スーパー」の文字がつくかつかないかは、列車のタイプの違い。
もちろん「スーパー」のほうが新しいし、乗り心地もいいんじゃないかと思います。

とりあえず乗車券と2種類の特急券を購入し、ホームへと向かいます。

まずはスーパー白鳥で函館へと向かうのですが、ふとホームの先に見慣れない形の車両が目に入ってきました。

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鮮やかな青と黄色のラインが入った車両です。
一瞬、「きかんしゃトーマス」かと思いきや、
(そんな訳ないか。。。)
車体にはなぜか「竜」のイラストと「ENR-1000」の文字。
一体何をするための車両なんでしょう。

早速「ENR-1000」でググってみましょう。

正式名称は「ENR-1000形 投排雪保守車」といいます。
いわゆる除雪車なんですが、JR東日本が2007年に導入した最新型なんです。

とここで除雪車についてちょっと勉強しましょう。

除雪車は大きく2種類に分かれます。
(正確には5種類あるそうですが。。。)

車両の前部がブレード状になっていて、雪をかき分けながら除雪するタイプを「ラッセル型」といいます。
一方前部にロータリーが付いていて雪をかき集め、それを吸い上げて横に飛ばすタイプを「ロータリー型」といいます。

ラッセル型はある程度スピードを出せますが、積雪量が多いところでは使えないというデメリットがあります。
一方ロータリー型は積雪量に関係なく能力を発揮できますが、スピードを出せない、つまり時間がかかるというデメリットがあります。

このENR-1000は前面のブレードが可動式になっていて、ブレードを閉じるとラッセル型に、ブレードを開くとロータリー型になるというめっちゃ優れものなんです。

これ以上説明すると、これだけで記事が終わってしまいますので、詳しく知りたい方はネットで検索してくださいね。
あと、You Tubeで検索すると、ブレードの可動シーンを見ることができます。
仕組みがよくわかりますよ。

話を本題に戻します。

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この格好いいグリーンの電車がこれから僕が乗る「スーパー白鳥15号」です。

車両に乗り込み、座席に座ると、

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座席の前、つまりテーブルの部分にこのような説明書きが貼ってありました。

これは嬉しい!

これから青函トンネルを通るんだっていうワクワク感が増してきます。
青函トンネルの構造がよくわかるし、全ての列車のトンネル通過時刻が書いてありとっても親切だなぁって思いました。
これによると、僕が乗ったスーパー白鳥15号のトンネル通過時刻は次のとおりです。

トンネル本州側入口 : 12:34頃
竜飛海底駅 : 12:40頃
トンネル最深部付近 : 12:46頃
トンネル北海道側出口 : 12:58頃

いよいよ出発です。
11:51 青森駅をほぼ定刻に発車。

青函トンネルに突入する前に、まずは腹ごしらえ。
もちろん、駅弁です。

いろいろ迷ったんですが、青函トンネル初体験記念というこじつけで、ちょっと奮発しました。

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津軽海峡「海の宝船」 1150円!

ちょっと見た目豪華なんじゃない?
いわゆる海鮮ちらし寿司ですが、いくら、うに、トビコがふんだんに盛られていて、あと卵、椎茸、きゅうり等が入っていました。

あと、銀しゃりは青森県産「まっしぐら」というブランド米なんだそうです。
まさに、これから青函トンネルに向かってまっしぐら、って感じでピッタリですよね。

とっても美味しくいただきました。

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青森駅を出て、列車はしばらく海岸線に沿って走ります。
右側の窓側の席を確保しておいたので、窓からは青森湾、陸奥湾がとても綺麗に見えます。
天気もいいし、波も穏やか。
列車の旅としては最高の条件。

蟹田駅を過ぎると、青森の海とはお別れし、内陸へ。
だんだんと青函トンネルが近づいてきます。

さて、次回いよいよ青函トンネルへ突入します。
お楽しみに。

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2012年6月21日 (木)

八甲田雪中行軍記念碑 ~ 馬立場にて

(一応前回の続きになります)

雪中行軍遭難資料館を後にした僕らは、雪中行軍道路と呼ばれる県道40号を南へ進み、馬立場へと向かいます。

小型バスでの移動でしたが、15分程過ぎた辺りから勾配とカーブがだんだんきつくなっていくのが感じられます。
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と同時に森の景色も変わり始めます。

白いダケカンバ(多分。。。)が目立つようになり、根雪が残っている場所が増えてきます。
ちなみに、5月下旬でこんな感じです。
特に印象に残ったのは、これらの多くが折れたり曲がったりしていること。
おそらく強風と豪雪の重みでこのようにひん曲がってしまったのだと思います。

やがて馬立場に到着。
ここにあるのは、「八甲田雪中行軍記念碑」があるところ。
そして道路に面した広場には「銅像茶屋」というドライブインがあります。

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銅像茶屋からは八甲田山を間近にはっきりと見ることができます。

ところで銅像茶屋って何?
って思った方もいるのではないでしょうか。

実は先程言った記念碑の上には、ある人物の銅像が立っているんです。
誰の銅像でしょう。

それはこの茶屋からさらに250メートル登ったところにあります。
ちなみに徒歩でしか行けませんよ。
早速登ることにします。

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このようにひたすら階段を上って行くことになるのですが、途中カンバの木が道を遮っている場所が何か所かありました。

多少息を切らしつつ、何とかたどり着いた場所は。。。

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もの凄く綺麗な景色。
八甲田山、正確に言うと「北八甲田連峰」の山々がバッチリ見えます。

実は八甲田山という山(峰)はありません。
正確には北八甲田、南八甲田という山々の・・・・・・。。。

失礼、今日の本題はそっちじゃないので、説明は省略。
どうしても気になる方は、Wikiとかで調べてくださいね。

それよりも、銅像の話をしなくちゃ。

記念碑の上に立つ銅像の人物は、

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雪中行軍の生存者の一人、「後藤房之助」伍長です。

前回の記事で、雪中行軍の迷走内容を簡単に書きましたが、捜索活動の方はあまり書いていませんでしたよね。

実は本格的な捜索が始まった3月27日の午前10時頃、一番最初に発見されたのが後藤伍長なんです。
この日は天候もかなり回復していたようです。
捜索隊の行く手の先に、一人の兵士が直立不動の状態で突っ立っています。
近づいてみると、後藤伍長でしたが、すでに仮死状態だったそうです。
救助隊が何とか蘇生に成功し、約10分後に息を吹き返すことができたのだとか。
もう少し遅れていたらアウトだったのかも知れませんね。

後藤伍長の発見と証言から捜索活動が進んだとも言われています。

ちなみに、後藤伍長は両手両足を切断してしまいますが、その後は故郷である宮城県に帰り、妻子を持ち、地元の村会議員も務めたそうです。

そんな訳で、この記念碑の上には後藤伍長が立っているんです。
ちなみに、八甲田山に背を向けていますが、見ている方向はロシア。
まさに宿敵ロシアに対して睨みを利かせているっていう構図なんですね。
(って、バスガイドさんが言ってました)

おまけ。
銅像茶屋で買ったもの。

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いろんな種類の南部せんべいが売ってました。

で、今回僕の目に止まったのは、

渋川の南部せんべい「フライ」
10枚入りで250円。

南部せんべいを揚げたやつは初めてです。
気になってつい衝動買いしてしまいました。

しかも、その場で開封し、口の中へ。
見た感じは、ゴマせんべいにちょっと味をつけ、そのまま揚げた感じ。
持った感じは、かなり軽い。
口の中に入れると、サクッとした感触が新鮮。

これ、当たりだと思いました。
回りの人にもあげましたが、みんな美味しいって言ってましたよ。

しかもビールに合いそう。。。
人に差し上げた残り(4枚)は夜に取っておこうと思いましたが、結局手が止まらず、バスの中で食べちゃいました。。。

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2012年6月18日 (月)

八甲田山雪中行軍遭難資料館

青森八甲田山と言えば、映画にもなった雪中行軍遭難事件の話は余りにも有名ですよね。

ちょっとお恥ずかしい話なんですが、実は映画も見たことないし、雪中行軍の詳しい話はほとんど知りませんでした。

今回訪れた、「八甲田山雪中行軍遭難資料館」を見学して、とても勉強になりました。

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もともとこの地は「幸畑陸軍墓地」と言って、旧陸軍の戦没者を埋葬する墓地でした。

現在の資料館ができたのは2004年(平成16年)7月。
それまでも資料館はあったんですが、旧連隊長官舎を移設して造られたものだったそうです。
建物の老朽化に伴い青森市が建て替え、このような立派な資料館になったのだそうです。

中に入ると、館長さんが出迎えてくれました。
専属の説明員(ボランティア)もいらっしゃるそうですが、朝早かったこともあって館長自ら説明してくれました。

展示室には、雪中行軍の概要と遭難に至るまでの様子がビデオと展示でわかりやすく説明されています。

ということで、僕なりに理解した八甲田山雪中行軍遭難事件のあらましを綴ってみたいと思います。

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明治35年1月、日本が日露戦争を戦う2年前のことでした。
当時陸軍は来るべき日露戦争に備えるため、急ピッチで準備を進めていました。

青森に駐屯する「歩兵第5連隊」は、ロシアが厳冬期に青森へ上陸してくることを想定、海岸沿いの経路を遮断された場合の退路として、八甲田山を越えて八戸に抜ける経路の確認が必要ということで、冬の時期の雪中行軍訓練を一泊二日で計画しました。

出発地は当時の青森駐屯地(現在の青森高校)、目的地は今の県道40号を約20km登ったところにある田代というところ。
(ちなみにこの県道40号は現在別名「八甲田山雪中行軍道路」と呼ばれているそうです)

ここには温泉があり、訓練終了後は温泉に入って冷えた体を温めようという配慮があったようです。

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20kmって大した距離ではないような気もしますよね。
マラソンの半分、平地かつ普通の日であれば5,6時間で到着できる距離ですもんね。

1月23日(一日目)午前6時55分出発。
総勢210名、隊長は中隊長神成(かんなり)大尉、先導のカンジキ隊を先頭に4個小隊とソリ運搬等を担当する特別小隊で編成されていました。
また、編成外として山口少佐以下12名による臨時移動大隊本部が同行します。

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この写真の左側が当時の行軍時の服装です。
それに対し右側は現在の冬の格好です。
靴なんて藁靴ですよ。
一見暖かそうにも見えますが、極寒の冬山で長時間耐えられる服装とはお世辞にも言えません。

さて、午前中の行軍はわりと順調だったようです。
ところがお昼頃から天候が急変、午後4時頃に馬立場というところに到着しますが、運搬隊が遅れて到着できず、第2小隊を応援に出すとともに先遣隊を田代に向かわせますが、猛吹雪のため道に迷い部隊全体が大混乱に陥ります。

そして、午後9時、部隊は露営することを決定します。

1月24日(二日目)、午前2時。
行軍を中止し帰営することを決断した山口少佐は、午前5時の予定を3時間早めて出発。
あたりは猛吹雪、部隊はマイナス20℃を下回る記録的な大寒波に襲われることとなります。

そして部隊はいきなり迷走をはじめます。
わずか1km四方の山中を1日中彷徨い続けたことになります。
午後5時頃、小さな窪地で2日目の露営となりますが、飢えと寒さ、睡魔により3分の1の兵士が凍死してしまいます。

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25日(三日目)以降は、散々となっってしまい、さらに迷走を続けます。
目的地である田代を目指す者、初日の露営地を目指すもの、川を下ろうと飛びこむ者。

一方で青森の連隊本部は26日から救援活動を始めます。
本格的な捜索は27日になってからでした。

しかし、飢えと寒さで殆どの隊員が凍死、結局最終的に生きて発見されたのはわずか17名。
そのうち6名は治療中に亡くなったので、結果11名が生存者となります。

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さらに、そのうち五体満足なのは3名のみ。
あとの8名は凍傷のため手足を切断しています。

幸畑墓地には、亡くなった全員の墓碑がありますが、柱の側面には死亡が確認された日付が刻まれています。
なお、発見された後に亡くなった方は「○月○日死亡」と書かれていますが、発見された時すでに亡くなっていた方は「○月○日死體(体)発見」と書かれています。
中には雪が溶けた5月の日付のものもありました。
3ヶ月もの間、雪の下に眠っていたなんて、余りにも可哀想過ぎます。

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さて、資料館で一通り学習した僕らは、雪中行軍道路を登って「馬立場」に向かいます。
5月下旬でも、この辺りまで来るとまだ雪が残っている場所がたくさんあります。
天気は良かったんですが、結構寒かったです。

さて、次回は馬立場から望む八甲田山とここにある記念碑をお届けする予定です。
お楽しみに。

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2012年6月15日 (金)

南部屋旅館 ~ 浅虫温泉にて

青森市郊外にある、浅虫温泉。
最初は八甲田山方面の山奥にあるのかと思っていましたが、青森市内から下北方面へ海岸沿いに行ったところにあるんですね。

海に面した温泉街でした。

今回泊まった旅館は、

「南部屋」旅館

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最初この字を見たとき、つい「みなみべや」って読んでしまいました。
全部屋南向きなのかなって。。。(笑)

そうじゃないでしょ。
青森の有名なお菓子と言えば?
そう、南部せんべい。

そうです、「なんぶや」旅館です。
ちょっと考えればわかりますよね。

昭和25年創業という老舗旅館です。
浅虫温泉の中でもかなり大きな旅館。
お隣りにある「海扇閣」も姉妹館なので、二つ合わせると浅虫温泉で最も大きな旅館なんじゃないでしょうか。

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部屋の窓からは陸奥湾を眺望することができます。
目の前にある、ちっちゃな島は「湯の島」といって、浅虫温泉のシンボル的存在です。

さて、チェックインを済ませ、ひとっ風呂浴びた後はさっそく夕食。

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東北ならではの海の幸、山の幸を中心とした会席料理でした。

夕食が終わり、「二次会どうしよう」なんて考えていたところに、ホテルの方から、

「となりの海扇閣で、8時半から津軽三味線のショーがありますよ。」

と案内があり、それは行っとかないとまずいっしょ、ってことで、早速移動。

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コンサート会場と化したホテルのロビーにはすでにお客さんで埋め尽くされていました。
結局、僕らは立ち見です。

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いやぁ、ライブで見る津軽三味線は迫力が違いますね。
約30分間、ホールに響く三味線の音に心を洗われた気がしました。

ここ海扇閣では、基本毎日津軽三味線ライブをやっているそうです。

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翌朝、朝食前に再度温泉へ。
南部屋のお風呂は1階ですが、隣の海扇閣の風呂は最上階展望風呂とのこと。
南部屋宿泊客も利用できるとのことで、そちらへ行ってみることに。

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確かにこちらの方が断然いい。
大きな窓からは陸奥湾を一望できるんです。

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片隅にはちっちゃな露店風呂もあります。
ここに立つと、ガラス越しではない、生の(?)陸奥湾を眺望できます。

ただし、海側からこちらも丸見えですけどね。。。
実際このときも海辺にいた数名の団体客に見られたような。。。

温泉、会席、津軽三味線、そして陸奥湾眺望。

青森市内からすぐの浅虫温泉は、確かに「青森の奥座敷」と呼ばれるのがよくわかる、そんな浅虫温泉を代表する旅館、「南部屋」でした。

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2012年6月12日 (火)

三内丸山遺跡、リベンジ!(後編)

前回に引き続き、青森市にある「三内丸山遺跡」をお届けします。

前回は「大型竪穴住居」と「大型掘立柱建物」を見てきました。
今回は、その他の建物を順に見ていきましょう。

まずは、こちら。

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「掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)」

いわゆる高床式の建物ですね。
僕らが小さい時に習ったのは、高床式倉庫という名で、弥生時代以降に出てきたという記憶があります。
縄文時代は狩猟が中心でした。
弥生時代から農耕が始まったのに伴い、収穫した農作物を貯蔵するための倉庫として建てられたと記憶してます。

でも、この建物は約4500年前、縄文時代中期に建てられたもの。
弥生時代が始まる2500年も前に建てられた計算になります。

その特徴は堅いクリの柱に穴をあけ、床のベースとなる木材を貫通させて造られているところ。
縄文時代にこのような建築技術があったなんて、僕らの先祖って凄いと思いません?

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ちなみに、1月に来た時はこんな感じでした。
ほぼ同じアングルからのショットですが、これじゃよくわかりませんよね。

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これは単なる道路のように見えますが、この道路の両脇はお墓になっていて、大人の遺骨が2列に整然と並んでいたそうです。
現在は全て埋め戻されているので、その様子をこの目で確認することはできませんでした。

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こちらの一画にあるこれらの建物は、いわゆる竪穴式住居と呼ばれるものです。
実は、竪穴式住居と言っても、いくつかのバリエーションがあるようです。

上の写真でもいくつかのタイプが写っています。
一般的な茅葺きの他に、樹皮葺き土葺きといったバリエーションがありました。
土葺きにはさらに一面が苔や草で覆われたものもあります。

時代の流れでいろんなバリエーションが造られたのか、位や身分によって種類が分けられたのか定かではありませんが、とりわけ土葺きはなんとなくみすぼらしい感じがします。
でも、土葺きは下地として茅を敷いた上から土をかぶせていて、断熱効果が高い構造になっているそうです。
先人の知恵ってやつですね。

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ところで遺跡の入口には、縄文時遊館という展示施設が併設されています。
中庭から見ると、総ガラスの回廊のような造りになっていて、遺跡とは対照的に超近代的な建物です。

中には、当時の時代背景や生活の様子などが展示されているようですが、何せ40分という短い時間、今回は、いや今回もこちらの見学は断念。

最後に、施設内にあるレストランで目に止まったのがこちら。

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「ソフト栗夢(クリーム)」 (-_-;)

ダジャレにしては多少強引な気もしないでもないですが、当時の建築材であった栗にひっかけて考案されたソフトクリーム。

「ソフトクリームとモンブランのステキな出会い」

だそうです。

ご当地ソフトはこれまでも結構とりあげています。
なので、ここも行っとかないといけないでしょう。
実際かすかにモンブランのテイストが加わっていて、美味しかったですよ。

今回紹介した他にも、見所満載の三内丸山遺跡。
40分という時間では全部見るのは無理でした。。。

また近い将来再リベンジしようと心に誓い、遺跡をあとにしたのでした。

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2012年6月 9日 (土)

三内丸山遺跡、リベンジ!(前編)

今年1月に初めて訪れた、青森市内にある縄文時代の遺跡、

「三内丸山遺跡」


小学校の教科書にも載る、大変貴重で有名な遺跡です。

1月に訪れたときは豪雪の真っ只中。
全景もよくわからず、施設もほとんど見ることができず、そのうちまた来ようと心に決めていたんですが、こんなに早くリベンジの機会が来るなんて、あの時は考えもしませんでした。
(前回訪問時の記事はこちらから。)

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あれから4ヶ月。
あんなに積もっていた雪もすっかり溶け、今日こそはその全貌に迫れそうです。
ただし、与えられた時間は40分しかないんだけど。。。

時間もないので館内施設は後回しにして、早速遺跡の現場へ向かいます。

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まずは遺跡のほぼ全景。
大きな萱葺きの建物から小さな竪穴式住居までけっこうたくさんの建物が建っています。
ちなみに、1月に見た景色はというと、

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一面が雪で覆われ、何が何だかわからない状態。。。
全然違うのが、この2枚の比較でよくわかるでしょ?

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前回唯一中に入れた、「大型竪穴住居」
外から見るとこんな風になってたんですね。

そしてその奥にそびえる6本の柱。

これが、三内丸山遺跡のシンボルでもある、

「大型掘立柱建物」

前回は遠くから眺めるだけだったので、今回はもっと近寄って見たいと思います。

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間近で見るとかなりデカい。
高さ15メートル、クリの木でできた柱は直径1メートルもあります。

でもこの建物、一体何のために造られたのでしょう。

実は現在でもよくわかっておらず、諸説あるようです。
専門家の意見としては、物見櫓、灯台、魚の見張り台、天文や季節の基準を知るための施設など、様々な見解が出されています。

この遺跡の最大の謎のひとつなんです。

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この建物のすぐ近くには、ドームに囲まれた実際の跡地が保存されています。

そう、さっきの建物はこの場所にあったであろう建物を復元したものなんです。
穴の直径は2メートル、深さ2メートルの穴が3個ずつ2列に並んでいます。
しかもそれぞれの穴の間隔はすべて4.2メートル。

でもここでまた疑問が浮かびます。

出てきたのはこの穴だけなんでしょ?
なのにどうして、上に立っていたものがさっきのような建物だって推測できるんでしょう。

その答えは、遺跡内の説明パネルにありました。

穴の中にあったクリの柱は、ほんのちょっとだけ内側に傾いていたそうです。だとすると、上部にはこれらを連結する構造物があったと予測できます。
さらに柱の地中部分は2~2.5メートル、さらに穴の土質調査から柱下にかかっていた荷重を計算して建物規模を確定し、このような構造ではないかと推測したのだそうです。

もちろんこれが正解かどうかはわかりません。
壁や屋根があったであろうことも十分考えられます。
いつかまた、もっと解明されることを期待しましょう。

さて、このあとさらに他の建物を見に行くのですが、今回はここまで。
次回の後編にご期待ください。

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2012年6月 6日 (水)

青森「小巾亭」で豪華?ランチ

こないだ、とある集まりで青森へ行ってきました。

東京からだと、飛行機で来る人、新幹線で来る人とまちまち。
なので、集合場所は昼食会場となりました。

「小巾亭(こぎんてい)」西バイパス店01

新青森駅から歩いて7,8分くらいのところにあります。
バイパス沿いにあるかなり大きな郊外レストラン。
大型バスも駐車可能な広い駐車場があります。
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中央の玄関を入って右側はテーブル席、左側は座敷席になっています。
座敷席のほうには一部個室になっているスペースもありました。

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こちらは座敷席側にあるトイレへの廊下。
なかなか絵になる空間だなと思い、シャッターを押して見ました。

さて、今回は昼食時の会食。
メニューは幹事さんにおまかせ。

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まず運ばれてきたのは刺身、小鉢、茶碗蒸しににぎり寿司5貫。
昼食なのでこれで味噌汁かお吸い物が出るくらいかなと思ったんですが、気になるのはお盆の中央の広いスペース。
さらに何か出てくるってことなんでしょうか。

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にぎり寿司を2貫ほど平らげたところで、そばが登場。
そっか、ここは一応「そば処 小巾亭」でした。
おそばが出てくるのは当然ですね。

で、これで終わりかと思いきや。。。

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なんと、天ぷらが登場!
ここに来て天ぷらとは。。。
ちょっと想定外でした。

っていうか、かなり満腹に近い状態での天ぷらって、なかなか箸が進みませんよ。

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さらにさらに、終盤で登場したのが小鉢に入ったすきやきと味噌汁。
これはかなりの想定外!
最初にメニューの中身を教えて欲しかったなぁ。
これはほとんど手をつけることができませんでした。

さすがにこれ以上は無理。
ここで店員さんに、
「これで終わりですよねっ」
って聞いちゃいました。
すると、
「あと、デザートがあります」
だって。。。

デ、デザート。。。なるほど。。。(>_<)

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やってきたのは、そば饅頭(餅)。
大きさはというと、そう、ビリヤードの球をひとまわり小さくした感じかな。

とても美味しそうに見えたので、4分の1だけいただきました。
そば粉を練りこんだ餅皮の中にはつぶあんが入っていました。
ひんやしした食感とモチモチ感、そして甘さを控えたつぶあんがとっても気に入りました。

ただし、ここにきてほぼ極限の満腹状態。
デザートは別腹、ではないのでこれ以上は無理です。

惜しみつつ、4分の3はあきらめました。

あとで幹事さんに聞いてわかったんですが、にぎり寿司はオプションで白飯から変更したとのこと。
だから、最後でなく最初に出てきたんですね。
もう若くないんだから、ここまで奮発しなくてもよかったのに。。。

どのメニューも美味しかったですよ。
でも今回はちょっと欲張りすぎな内容でした。

お手軽なメニューから宴会コースまでいろんなシチュエーションに対応できるようなので、是非一度お試しあれ。

関連ランキング:そば(蕎麦) | 新青森駅

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2012年6月 3日 (日)

第7師団記念行事2012 ~ チンムーショット・ベスト10(続き)

前回からお送りしている、なんのひねりもない記事、

「第7師団記念行事2012 ~ チンムーショット・ベスト10!」

いよいよベスト5の発表です。

前置きはなし。
今回もひねりはなし。
早速進めていきましょう。

第5位!
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これ、なんだかわかりますか?
ミサイルのようなものが激しい煙と共に飛び出していきました。

これは、「92式地雷原処理車」といいます。
地雷を処理するのにどうしてミサイルなんでしょう。。。

実はこういう仕掛けなんです。

そもそもこの装備の目的は敵がばら撒いた地雷原を突破するため、車両が通れる道を確保する(専門用語で「啓開」と言います。)ためのもの。
ミサイルの中にはワイヤーで数珠つなぎに26個の爆薬が装填されています。
ある距離(400~500mくらいでしょうか)を飛んだ後、ミサイルから飛び出したワイヤーが一直線になって地面に落ちます。
そしてワイヤーにつながれた爆薬が爆発することでばら撒かれた地雷を誘爆させるという仕組みなんです。

この説明でわからないという人は、YouTubeか何かで確認してください。

余談ですが、この装備の愛称は「マインスイーパー」
マインスイーパーっていったら、昔Windowsに標準で入っていたゲームの名前じゃないですか。
数字を頼りに爆弾を避けつつ全てのマスを開けていくゲーム。
昔ひまつぶしによくやったもんです。

もう無いと思ってたんですが、まだあったんですね。
今使ってるノートPCで確認したら、ゲーム一覧の中にありましたよ。
知らなかったなぁ。
でもって、ちょっとハマってたりして。。。

第4位!
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2機の偵察ヘリ。
手前はOH-1という陸上自衛隊が誇る最新鋭の国産偵察ヘリです。
奥の丸っこいのはOH-6という一世代前の機種。

手前のOH-1がすごいことになってます。
低空飛行から急上昇し、180度旋回して折り返すところです。
この写真からもOH-1の運動性能の高さを垣間見る、そういう1枚です。

第3位!
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観閲行進から、87式自走高射機関砲
通称「87AW」
前にも書きましたが、僕が最もカッコイイと思う装備品のひとつです。
これが4列縦隊で行進するなんて、ここ東千歳以外では見ることができません。

第2位!
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やはり第7師団の記念行事は、この90式戦車による5列縦隊での観閲行進抜きには語ることができません。
総勢100両以上の戦車が次々とやってくる様は本当に圧巻です。
本来であればこれが第1位になってもおかしくありません。

では、第1位に輝いたのは一体何なんでしょう。

では、発表します。
栄えある第1位は。。。

ダダダダダダダダ。。。(一応ドラムの音のつもり。。。)

第1位!
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同じく90式戦車

えっ?
なぜこれが第1位なのかって?

よく見てください。
90戦車の主砲が火を吹いてるでしょ?
(火と言うか写ってるのは煙ですけど。。。)

これ、90戦車が空砲を撃った瞬間なんです。

実は90戦車が空砲を撃つのは今年の記念行事が初めて。
去年までは90戦車には空砲がありませんでした。
訓練展示で空砲を射撃していたのは、99式HSP74戦車のみ。
90戦車は機関砲を撃つのみで、主砲に関しては空砲が無かったため撃つことができなかったんです。

今年、10戦車と共用できる空砲が開発されたのに伴い、今回の訓練展示でお披露目されたという訳なんです。

ただ正直なところを言わせていただくと、ちょっと物足りない感じ。。。
74戦車と比べて音がこじんまりしてるっていうか。。。
例えて言うと、74戦車の音が、「ドカーンッ」って感じで耳を塞がないと耳ヤラれるぞっていうのに対し、
90戦車の音は、「シュバッ」って感じ?
74戦車の後に聞くと、ちょっと拍子抜けした感がするんです。

それでも90戦車の空砲、7師団記念行事で初披露ってことに敬意を表し、見事第1位を獲得です。

ということでベスト10は以上。
今回のランキングどうでした。

ひねりがない上に、かなりマニアック過ぎなんじゃない?

なんてこと言わないでくださいね。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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