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2012年6月21日 (木)

八甲田雪中行軍記念碑 ~ 馬立場にて

(一応前回の続きになります)

雪中行軍遭難資料館を後にした僕らは、雪中行軍道路と呼ばれる県道40号を南へ進み、馬立場へと向かいます。

小型バスでの移動でしたが、15分程過ぎた辺りから勾配とカーブがだんだんきつくなっていくのが感じられます。
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と同時に森の景色も変わり始めます。

白いダケカンバ(多分。。。)が目立つようになり、根雪が残っている場所が増えてきます。
ちなみに、5月下旬でこんな感じです。
特に印象に残ったのは、これらの多くが折れたり曲がったりしていること。
おそらく強風と豪雪の重みでこのようにひん曲がってしまったのだと思います。

やがて馬立場に到着。
ここにあるのは、「八甲田雪中行軍記念碑」があるところ。
そして道路に面した広場には「銅像茶屋」というドライブインがあります。

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銅像茶屋からは八甲田山を間近にはっきりと見ることができます。

ところで銅像茶屋って何?
って思った方もいるのではないでしょうか。

実は先程言った記念碑の上には、ある人物の銅像が立っているんです。
誰の銅像でしょう。

それはこの茶屋からさらに250メートル登ったところにあります。
ちなみに徒歩でしか行けませんよ。
早速登ることにします。

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このようにひたすら階段を上って行くことになるのですが、途中カンバの木が道を遮っている場所が何か所かありました。

多少息を切らしつつ、何とかたどり着いた場所は。。。

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もの凄く綺麗な景色。
八甲田山、正確に言うと「北八甲田連峰」の山々がバッチリ見えます。

実は八甲田山という山(峰)はありません。
正確には北八甲田、南八甲田という山々の・・・・・・。。。

失礼、今日の本題はそっちじゃないので、説明は省略。
どうしても気になる方は、Wikiとかで調べてくださいね。

それよりも、銅像の話をしなくちゃ。

記念碑の上に立つ銅像の人物は、

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雪中行軍の生存者の一人、「後藤房之助」伍長です。

前回の記事で、雪中行軍の迷走内容を簡単に書きましたが、捜索活動の方はあまり書いていませんでしたよね。

実は本格的な捜索が始まった3月27日の午前10時頃、一番最初に発見されたのが後藤伍長なんです。
この日は天候もかなり回復していたようです。
捜索隊の行く手の先に、一人の兵士が直立不動の状態で突っ立っています。
近づいてみると、後藤伍長でしたが、すでに仮死状態だったそうです。
救助隊が何とか蘇生に成功し、約10分後に息を吹き返すことができたのだとか。
もう少し遅れていたらアウトだったのかも知れませんね。

後藤伍長の発見と証言から捜索活動が進んだとも言われています。

ちなみに、後藤伍長は両手両足を切断してしまいますが、その後は故郷である宮城県に帰り、妻子を持ち、地元の村会議員も務めたそうです。

そんな訳で、この記念碑の上には後藤伍長が立っているんです。
ちなみに、八甲田山に背を向けていますが、見ている方向はロシア。
まさに宿敵ロシアに対して睨みを利かせているっていう構図なんですね。
(って、バスガイドさんが言ってました)

おまけ。
銅像茶屋で買ったもの。

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いろんな種類の南部せんべいが売ってました。

で、今回僕の目に止まったのは、

渋川の南部せんべい「フライ」
10枚入りで250円。

南部せんべいを揚げたやつは初めてです。
気になってつい衝動買いしてしまいました。

しかも、その場で開封し、口の中へ。
見た感じは、ゴマせんべいにちょっと味をつけ、そのまま揚げた感じ。
持った感じは、かなり軽い。
口の中に入れると、サクッとした感触が新鮮。

これ、当たりだと思いました。
回りの人にもあげましたが、みんな美味しいって言ってましたよ。

しかもビールに合いそう。。。
人に差し上げた残り(4枚)は夜に取っておこうと思いましたが、結局手が止まらず、バスの中で食べちゃいました。。。

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