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2012年6月18日 (月)

八甲田山雪中行軍遭難資料館

青森八甲田山と言えば、映画にもなった雪中行軍遭難事件の話は余りにも有名ですよね。

ちょっとお恥ずかしい話なんですが、実は映画も見たことないし、雪中行軍の詳しい話はほとんど知りませんでした。

今回訪れた、「八甲田山雪中行軍遭難資料館」を見学して、とても勉強になりました。

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もともとこの地は「幸畑陸軍墓地」と言って、旧陸軍の戦没者を埋葬する墓地でした。

現在の資料館ができたのは2004年(平成16年)7月。
それまでも資料館はあったんですが、旧連隊長官舎を移設して造られたものだったそうです。
建物の老朽化に伴い青森市が建て替え、このような立派な資料館になったのだそうです。

中に入ると、館長さんが出迎えてくれました。
専属の説明員(ボランティア)もいらっしゃるそうですが、朝早かったこともあって館長自ら説明してくれました。

展示室には、雪中行軍の概要と遭難に至るまでの様子がビデオと展示でわかりやすく説明されています。

ということで、僕なりに理解した八甲田山雪中行軍遭難事件のあらましを綴ってみたいと思います。

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明治35年1月、日本が日露戦争を戦う2年前のことでした。
当時陸軍は来るべき日露戦争に備えるため、急ピッチで準備を進めていました。

青森に駐屯する「歩兵第5連隊」は、ロシアが厳冬期に青森へ上陸してくることを想定、海岸沿いの経路を遮断された場合の退路として、八甲田山を越えて八戸に抜ける経路の確認が必要ということで、冬の時期の雪中行軍訓練を一泊二日で計画しました。

出発地は当時の青森駐屯地(現在の青森高校)、目的地は今の県道40号を約20km登ったところにある田代というところ。
(ちなみにこの県道40号は現在別名「八甲田山雪中行軍道路」と呼ばれているそうです)

ここには温泉があり、訓練終了後は温泉に入って冷えた体を温めようという配慮があったようです。

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20kmって大した距離ではないような気もしますよね。
マラソンの半分、平地かつ普通の日であれば5,6時間で到着できる距離ですもんね。

1月23日(一日目)午前6時55分出発。
総勢210名、隊長は中隊長神成(かんなり)大尉、先導のカンジキ隊を先頭に4個小隊とソリ運搬等を担当する特別小隊で編成されていました。
また、編成外として山口少佐以下12名による臨時移動大隊本部が同行します。

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この写真の左側が当時の行軍時の服装です。
それに対し右側は現在の冬の格好です。
靴なんて藁靴ですよ。
一見暖かそうにも見えますが、極寒の冬山で長時間耐えられる服装とはお世辞にも言えません。

さて、午前中の行軍はわりと順調だったようです。
ところがお昼頃から天候が急変、午後4時頃に馬立場というところに到着しますが、運搬隊が遅れて到着できず、第2小隊を応援に出すとともに先遣隊を田代に向かわせますが、猛吹雪のため道に迷い部隊全体が大混乱に陥ります。

そして、午後9時、部隊は露営することを決定します。

1月24日(二日目)、午前2時。
行軍を中止し帰営することを決断した山口少佐は、午前5時の予定を3時間早めて出発。
あたりは猛吹雪、部隊はマイナス20℃を下回る記録的な大寒波に襲われることとなります。

そして部隊はいきなり迷走をはじめます。
わずか1km四方の山中を1日中彷徨い続けたことになります。
午後5時頃、小さな窪地で2日目の露営となりますが、飢えと寒さ、睡魔により3分の1の兵士が凍死してしまいます。

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25日(三日目)以降は、散々となっってしまい、さらに迷走を続けます。
目的地である田代を目指す者、初日の露営地を目指すもの、川を下ろうと飛びこむ者。

一方で青森の連隊本部は26日から救援活動を始めます。
本格的な捜索は27日になってからでした。

しかし、飢えと寒さで殆どの隊員が凍死、結局最終的に生きて発見されたのはわずか17名。
そのうち6名は治療中に亡くなったので、結果11名が生存者となります。

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さらに、そのうち五体満足なのは3名のみ。
あとの8名は凍傷のため手足を切断しています。

幸畑墓地には、亡くなった全員の墓碑がありますが、柱の側面には死亡が確認された日付が刻まれています。
なお、発見された後に亡くなった方は「○月○日死亡」と書かれていますが、発見された時すでに亡くなっていた方は「○月○日死體(体)発見」と書かれています。
中には雪が溶けた5月の日付のものもありました。
3ヶ月もの間、雪の下に眠っていたなんて、余りにも可哀想過ぎます。

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さて、資料館で一通り学習した僕らは、雪中行軍道路を登って「馬立場」に向かいます。
5月下旬でも、この辺りまで来るとまだ雪が残っている場所がたくさんあります。
天気は良かったんですが、結構寒かったです。

さて、次回は馬立場から望む八甲田山とここにある記念碑をお届けする予定です。
お楽しみに。

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