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2013年1月29日 (火)

長崎を“さるく”Part2 ⑧ ~ 江山楼の絶品ちゃんぽん

孔子廟の見学が終わり、ふと時計を見ると3時を少し回ったところ。
そういえばお昼ご飯はまだでした。

長崎には美味しいものがたくさんあるんですが、やはりお昼の定番はチャンポンでしょう。

当初の予定では、グラバー園からすぐ近く、チャンポン発祥の店でもある「四海楼」にしようと思っていたのですが、この時間は休憩時間。
なので長崎の中華街へ向かうことにしました。

「石橋」駅にて電車(何回も言いますが「路面電車」のこと)に乗り、「築町」で降りると中華街はすぐそこ。

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中華街の入り口に立つ門には「長崎新地中華街」と書かれています。
なので、長崎の中華街は、地元では単純に「新地」と呼ばれています。

ちなみに、新地というのはこの地区の住所なのですが、その語源は江戸時代に中国貿易によって運ばれてきた荷物を貯蔵するために海だったこの地を埋め立てて作った新しい土地、というのが定説となっています。

ところで、「中華街」で日本の代表格といえば横浜中華街ですよね。
新地は横浜中華街と比べると店舗の数も10分の1、面積にいたっては20分の1しかありません。
一方の門から入ると、あっという間に反対側の門に出てしまいます。
でも、長崎の中華街は江戸時代にできた町、歴史と伝統に関しては長崎のほうが絶対上。。。のはず。
2月のランタンフェスティバル9月に行われる中秋節は長崎らしさに触れることのできるとても素敵なお祭りなので是非体験してみてください。
(実は僕もまだなので強くは言えなかったりして。。。)

さて、お昼御飯の話に戻しましょう。
新地にある中華料理店は、ほぼ全店のメニューに「ちゃんぽん」があります。
まっ、当然といえば当然ですけどね。
今回は、その中でもメジャー級のお店である「江山楼(こうざんろう)」に行くことにしました。
中華街のほぼ中心辺りにあるこのお店は、長崎に数多あるちゃんぽんの中でも特に人気が高いので有名です。

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お店に入ると、3時過ぎにもかかわらず待ち行列ができていました。
お店の男性に名前を告げると約20分ほど待つことになるんだとか。
でも、ここまで来たんだから諦める訳にはいきません。

1階は大部屋のレストラン、2階には個室があります。
僕らは当然1階ですが、客層は見るからに観光客。
おそらく2階の個室には、里帰りしてきた娘夫婦にご馳走を振舞う実家のお父さん以下7,8名、なんて団体さんが主体なんじゃないかと思います。

そんな勝手な想像はともかく、お目当てのちゃんぽんを注文しましょう。
ちゃんぽんのメニューは、「特上」、「上」、「並」の3種類。

「特上」のところを読むと、

「王さんの特上ちゃんぽん
当店人気のダントツNo.1!」


だって。
これは、ここまで来て、しかもここまで待たされて、行かないわけにはいかないでしょ。
一応比較のために、並ちゃんぽんと一つずつ注文します。

しばらくすると、やってきました。
まずは並ちゃんぽん

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江山楼のちゃんぽんはこれまでも食べたことあるんだけど、こんなスープの色だったっけ?
っていうか、見ただけで濃厚そうに見えます。

そしてお待たせ。
こちらが「王さんの特上ちゃんぽん」です。

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おおっ!
器からして全然違う。。。
そしてこのボリューム感。
しかも、一番上にトッピングされているのは何?
ひょっとして、これってフカヒレ?

で、2つ並べるとこんな感じになります。

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こうやって並べてみると値段が2倍近く違うのも納得です。
さっそくいただきましょう。
もちろん、「特上」の方です。

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まずはスープ。

んっ?
何これ?
えっ?
オオ~~~ッ!!!

とっても濃厚!
とってもクリーミィ!
もちろんとっても美味い!!

これは僕が20年前に食べた江山楼の味とは全然違う。
(何せ20年ぶりなので忘れてるだけかもしれませんが。。。^_^;)

断然美味しくなってるぅ!

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続いては麺。
これこれ、ちゃんぽんの麺はこれでなくちゃ。
麺の固さ、太さ、喉ごし。
さすがです。
この麺に先ほどの濃厚なスープが絡んできて。。。
大満足です。

そして使われている20種類の具材も当然美味しい。
特にフカヒレだけじゃなく、白いはんぺんのようなもの(中に具が入ってる)、肉団子(鳥のつみれを揚げたもの?)等々、ひと手間かかる特上ならではの具材が使われていて、なるほどだからこの値段なんだって、ホント納得できる一品でした。

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最後はお店の外で飼われている縁起のいいカメに見送ってもらい、江山楼とお別れです。

さて、次回は、本日最後の目的地、稲佐山へと向かいます。
お楽しみに。


関連ランキング:ちゃんぽん | 築町駅市民病院前駅西浜町駅

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2013年1月25日 (金)

長崎を“さるく”Part2 ⑦ ~ オランダ坂から孔子廟へ

長崎にはたくさんの観光スポットがありますが、中にはいわゆる「がっかり名所」と噂されているところもあります。

それがこちら。

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「オランダ坂」
です。

このフレーズ、聞いたことあるでしょ?
名前だけ聞くとわりと有名ですよね。

全長50メートル程の単なる石畳の坂道で、坂道沿いに名所旧跡があるわけでも無し。
結構急な坂道で、この時期ちょっとでも雪が積もると間違いなく通行できないんじゃないでしょうか。

人によっては、日本三大がっかり名所のひとつに挙がるらしいです。
ちなみに、日本三大がっかり名所には諸説あるようで、いろいろと調べてみると、
「札幌時計台」「高地はりまや橋」はほぼ当選確実。

「長崎オランダ坂」、「沖縄守礼門」が第3位争いを繰り広げているようです。

沖縄の守礼門に関して言うと、今でこそ首里城が復元され、守礼門はその入り口に当たる場所。
首里城公園の一部と考えれば、今やもうがっかりではないでしょう。

しかも、上記4ヶ所のうち僕が訪れたことが無い場所は沖縄の守礼門のみ。

なので、守礼門は三大がっかり名所としては却下!
オランダ坂が三大がっかり名所に当選です!
(喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。。。もちろん僕の独断なのであまり突っ込まないでくださいネ)

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オランダ坂を少し上った左側に何やら校門らしきものがあります。

「活水女子大学」

長崎では有名なミッション系の女子大です。
僕が長崎大学の学生だった頃は「活水女子短期大学」で、当時長崎市の三大メジャー女子短大(活水、純心、女短)の中でもいわゆる「お嬢様学校」として有名でした。
(女短〔めたん〕とは長崎女子短期大学のこと)

僕ら学生時代はクラブ活動(経済学部硬式庭球部)を通して活水と交流があり、年に2回の合同練習と4年生のみに参加資格が与えられるティー・パーティがとても楽しみだったのを覚えています。
(う~ん、懐かしいぃ~。今も続いてるのかなぁ。。。)

ということもあり、僕にとってオランダ坂は全然がっかりではありませんから。

さて、オランダ坂を横目に石畳を進んでいき、次の目的地「孔子廟」へと向かいます。
途中左側を見上げるとこんな建物が見えてきました。

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これはなんでしょう、西洋建築風のとても大きな建築物です。
ホテルかと思いきや何とこれ、病院なんです。

昭和会病院という総合病院で、中でも老人医療・介護医療に古くから力を入れているんだとか。
長崎東山手の景観にとってもよく合う病院ですよね。

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さて、孔子廟に到着です。
入場料600円を払って早速中へ入りましょう。

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孔子廟とは、その名の通り中国の思想家、儒教の始祖、「孔子」を祀る寺院です。
国内に数ヶ所ある中で、長崎の孔子廟は唯一本格的な中国様式によって建てられたもので、最も見応えがあるんです。

「儀門」と呼ばれる、いわゆる廟の正門をくぐると。。。

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目の前がぱっと開け、広場の奥には「大成殿」と呼ばれる本殿が現れました。
広場の両脇には白い石像がたくさん並んでいます。
孔子の弟子である「72賢人」で、ここには入りきれないため本殿の横にもたくさん並んでいました。

このあといよいよ大成殿の中に鎮座する孔子像を拝むのですが、ここから先はあいにく撮影禁止。
是非現地で拝んでくださいね、ってことで、続いて大成殿の裏にある博物館へ参りましょう。

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っていうか、この中も撮影禁止でした。

ここには孔子にまつわる史料と中国国宝級の壷や絵皿等の展示がありました。

さて、ここまでで今回の「さるく」旅は前半戦の「山手編」が終了。
次回はちょっと遅めのランチのお話です。
お楽しみに。

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2013年1月22日 (火)

長崎を“さるく”Part2 ⑥ ~ 南山手の土産屋より

グラバー園の見学が終わって出口に向かうと、出場門を兼ねた最後の建物、

「長崎伝統芸能館」

があります。
入り口を進むと、まずとても広い空間が目の前に広がってきました。

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ここは、長崎を代表するお祭り、「長崎くんち」で使用される様々な演じ物(山車)が展示されているところなんです。
「長崎くんち」とは、10月7日から9日の3日間にわたって行われるお祭りで、長崎を代表する神社、諏訪神社への奉納祭りです。
このお祭りの最大の特徴は、諏訪神社の氏子である59の町が7年に一度、それぞれの町によって異なる「演し物(だしもの)」を演じるもので、有名な龍踊り(じゃおどり)コッコデショ鯨の潮吹きオランダ船唐人船獅子踊りといった異国情緒あふれる長崎ならではのバラエティあふれる演目を楽しめるのが魅力なんです。

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長崎くんちについてはいろいろと紹介したいことがあるのですが、それは実際に長崎くんちを自分の体で体験したときにとっておきます。
それでも長崎くんちに興味を持った方は、公式HPをご覧ください。

この長崎伝統芸能館を出ると、下り坂沿いにたくさんのお土産やさんが並ぶ通りを通ることになります。
べつに土産屋はここだけじゃないんですが、いくつか面白いお店があるのでちょっと立ち寄ってみることにしましょう。

まず、目に付くのはこちらのお店。

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カステラキャラが「入ってみらんね」だって。
まっ、確かに目立つけど、入ったところで何があるのか。。。
入り口も狭いし、う~ん、今日はとりあえずパス。。。

その3件ほどお隣にあるお店。

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「石ころ館 長崎」

別にその辺に転がってる石ころを売ってるわけじゃありませんよ(笑)。
とんぼ玉(ガラス細工)や天然石等、美しいアクセサリとして販売するお店なんです。
ちなみに僕が愛用するスマホのストラップもこの店のもの。
グラバー園の帰りに是非立ち寄ってもらいたいお店です。

そこからまた少し下ったところにあるのがこちらのお店。

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主に、ガラス工芸品を扱うお店。

「グラスロード1571」

お店の名前にある「1571」という数字は、長崎にポルトガル船が初入港した年なんだとか。
それを機に、長崎へポルトガルやオランダの製造技術が渡来し、本格的にガラス製造が始まったんです。
ちなみにこの頃ガラスは、「ビードロ」(ポルトガル語)、「ギヤマン」(オランダ語)と呼ばれていたんだそうですよ。
何だか聞いたことあるようなフレーズですよね。

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ステンドグラスのグッズも長崎によく似合います。
なんてたって、教会がたくさんあるからね。

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こちらは「ガラスの天使」シリーズ。

僕は知りませんでしたが、2004年にフジテレビ系で放送された月9ドラマ「愛し君へ」で話題になったガラス細工なんだとか。
「願いが叶うガラスの天使」として、一時期はちょっとしたブームになったみたいです。

で、そのお店のお隣にあるのがこちら。

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「祈りの丘 絵本美術館」

あいにくこの日は年末年始のため休館でした。

実はこの美術館は「こどもの本の童話館グループ」が経営する美術館で、童話館が展開している「童話館ぶっくくらぶ」は国内最大規模の絵本配本ネットワークなんです。
このぶっくくらぶの最大の特徴は、毎月2冊ずつ、我が子の成長に合わせて絵本を選定してくれること。
もちろん我が家も、子供が1歳の頃から15年以上続けています。
当然ながら子供が大きくなると絵本ではなく名作や物語の数々を届けてくれますよ。

という事情から、この美術館は是非入ってみたかったんですが、ホント残念。

まっ、でも、次回の楽しみができたってことで、まっ、いいか。

この後、僕らはオランダ坂へと向かいます。
その様子は次回をお楽しみに。

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2013年1月19日 (土)

スープ春雨にはまってます【第4弾】 ~ 冬のあったかバージョン

え~っ、突然ですが約半年ぶりにスープ春雨の話題をお送りします。

今回紹介するのは、季節が冬ということもあり、寒い冬にぴったり?の2品を紹介します。
スープ春雨界にとっては王者ともいえる、あのエースコックから冬限定の商品が出ました。
それがこちら。

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ヌードルはるさめ「生姜みそ鍋

ヌードルはるさめ「鶏ちゃんこ鍋

タイトルを見ただけで暖まりそうな気分になってきますよね。
やっぱ「鍋」という字が入っているからでしょうか。
確かに、夏には売れそうもない気もします。。。
文字の力って凄いですよね。

まず最初に「生姜みそ鍋」から行きます。
お湯を注いで待つこと3分。

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あっという間に出来上がり!
濃厚なみそ鍋の色が出てますね。
確かに立ち上がる湯気とともに味噌の香りが漂ってきます。

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で、食べてみると確かに生姜が効いてて、とってもインパクトのある仕上がりです。
生姜って冬のあったかメニューには欠かせない材料のひとつですよね。
なかなかいいんじゃないですかぁ?これ。

続いては、もう一品。
「鶏ちゃんこ鍋」の方へ参りましょう。
こちらもお湯を注いで待つこと3分。

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ん?この白い物体は。。。
これは、もしかするとワンタンのようですね。
ミニミニワンタンが2個入ってます。
っていうか、こちらは具材がたっぷり。
いろんな野菜も入っていて、ボリューム感もあって、これでたったの129Kcal!!
こちらもなかなかいいんじゃないですかぁ?

ところで、話は変わりますが、こないだ近くのマツキヨでこんなものを発見!

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スパイシーHOTな燃焼系!
選べるスープ春雨 10食入り

辛さがうれしい5種のスープ

これまで4回ほどスープ春雨の話題を書きました。
しかもスパイシー系の春雨をランキング上位に取り上げてきた僕にとって、これは爆弾級の商品じゃないですか?
こんなのがあるなんて知らなかった。。。

ちなみに10食の内訳は、

坦々風 × 2食
チリトマト × 2食
チゲ × 2食
カレー × 2食
酸辣湯 × 2食

どれも僕が好きなやつじゃないですかぁ。
これまで僕が取り上げた坦々風やカレー味、そしてチゲといったスパイシー系が全部入ってる。
これはまさに、スパイシー系春雨ファン(?)にとっては夢の商品!!

しかも、10食入って500円!
1食あたりたったの50円ですよ、奥さんっ!
1回あたり2食いただいてもたったの100円!
(しつこい。。。か。)

これに勝る商品はないでしょうね、きっと。
もちろん、僕の中ではダントツの1位です。

いつの間にか、あったかバージョンのはずが、スパイシーバージョンになってしまいました。
失礼いたしました。

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2013年1月16日 (水)

長崎を“さるく”Part2 ⑤ ~ 旧スチイル記念学校

今回は、グラバー園の中にある、

「旧スチイル記念学校」

にスポットを当ててお届けしたいと思います。

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ここは、園内の最も奥にある建物なので、つい見逃してしまいがちな場所。
実をいうと僕もこの建物に入るのは初めてでした。

でも、中に入ってみてびっくり。
いろんな展示があって、長崎の歴史や文化を知るのにとても勉強になる、まさしく「学校」なんです。

そもそも、1887(明治20年)にアメリカのダッチ・レフォームド教会外国伝導局長スチイル博士が、18歳で亡くなった息子ヘンリーのために寄贈した資金により開設されたミッション系の学校で、旧英国領事館跡に建てられていたそうです。
最後は長崎市内にある海星学園の寄宿舎として使用されていたそうで、1972(昭和47年)に海星学園より保存のため長崎市が寄贈を受け、翌年現在地に移築し復元したそうです。

それでは早速建物内を見て行きましょう。
1階は、長崎開港の歴史に触れることができます。

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展示室の中央には、おなじみ「出島」の模型がありました。
出島については、別の観光スポット「出島資料館」にお任せしますので今回は省略。

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この部屋には、出島を取り囲むように数多くの船の模型が展示してありました。
鎖国時代、唯一の貿易港だった長崎。
いろいろな国の帆船がここ長崎に来ていたんですね。

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2階へ上がると、廊下にかけられた大きな絵が目を引きます。

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この絵、歴史の教科書か何かで見た事があるような気がしません?

さて、2階のある1室は、グラバー園とは直接関係かもしれませんが今長崎が世界遺産に登録しようと運動展開中の、ある島についての展示が行われていました。

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これがその島の模型です。
わかりますか?

「端島(はしま)」
、通称「軍艦島」です。

明治から昭和の時代まで、炭鉱の町として栄えた所です。
軍艦島という通称は、大正時代に高層ビルが立ち並び、沖合いからこの島を見たときに当時の戦艦「土佐」に似ていたことから付けられたそうです。

大正5年に建てられた鉄筋コンクリート5階建てのアパートは日本で最初のRC構造の建築物でとても貴重なんだとか。
南北約480m、東西約160m、周囲約1,200m、面積約6.3haという小さな島に最盛期は5200人の住民が住んでいたそうて、日本一、いやもしかしたら世界一の人口密度だったかも知れません。

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石炭から石油へのエネルギー転換により徐々に人も減り、1974年(昭和49年)1月に閉山
以来、無人島となり、風化と台風等の影響により、今では廃墟と化してしまっています。

そういえば今思い出したけど、小学生の頃うちのすぐ近所に端島から引っ越してきたっていう同級生がいたっけ。
尾崎君だったっけ。
考えてみると引っ越してきたのは閉山の時期とぴったり合う。
ということは、最後まで残った島民だったんだね、きっと。

さて、近年になって、端島は文化的価値が高いということから世界遺産への登録に向け活動が進められています。
島自体は立ち入り禁止ですが、4年前(2009年)から見学コースが整備され、限定された場所のみ立ち入り見学が可能となりました。

僕もそのうち行ってみたいと思います。

なお、軍艦島を世界遺産にする公式WEB」というサイトでは、軍艦島の概要からツアーの紹介まで、端島に関するあらゆる情報を取り扱っていますので、興味を持った方はご覧になるといいですよ。 

なんだか最後はグラバー園とは全く関係ない話になってしまいましたが、グラバー園に来たら、この旧スチイル記念学校も忘れずに行きましょうねって話でした。
(話の締めがかなり強引すぎ。。。)

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2013年1月13日 (日)

長崎を“さるく”Part2 ④ ~ グラバー園(その2)

長崎を“さるく”Part2 第4弾は、前回に引き続きグラバー園の話題をお届けします。

グラバー園はもともと外国人居住区の一画だったこともあって、園内にはグラバー邸の他にもいくつかの建物があります。
全部を紹介するのはたいへんなので、個人的に印象に残ったいくつかを紹介したいと思います。

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グラバー邸を出て階段状の坂を上ったすぐのところに、このような、

「西洋料理発祥の地」

と記された看板があります。
そこに建つ建物は、日本で初めてオープンしたレストラン、「旧自由亭」です。

もともとは長崎市内の別の場所にあったのですが、ここグラバー園内に復元されたものです。
さらにこの建物は2階部分が喫茶室になっていて、ダッチコーヒーを飲みながら当時の気分に浸ることができるそうです。

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続いては、「旧オルト邸」
グラバー邸が木造なのに対して、オルト邸は石造りの建物なんです。
玄関ポーチがとても立派で風格があります。

ここの家主であった、ウィリアム・オルトという人はどういう人物かというと、開国とともにイングランドから来日し、オルト商会という会社を設立。
でもって彼が扱った主力商品は、日本茶。
九州一円から買い集めたお茶をいろんな国に輸出、つまり日本茶を世界に広めた人物なんです。
このオルト邸はお茶の貿易で得た巨額の利益で建てたと言われています。

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邸宅の裏側には、製茶室や厨房のあとなどが残されています。

実は日本茶貿易に関しては、彼のパートナーでも会った女性実業家、大浦慶という人物についても触れなければならないのですが、その話はまたの機会にとっておきますね。

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園内のほぼ中央には広場があり、女性の銅像が立っています。
オペラ「蝶々婦人(マダムバタフライ)」を演じて世界的に有名になったオペラ歌手、「三浦環(みうらたまき)」の銅像です。

彼女自身は東京出身なのですが、蝶々婦人が長崎を舞台にした歌劇であることから、この地に銅像が建てられたのです。
オルト邸の一室には、彼女が当時身につけた衣装や装飾等が展示されていました。

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その三浦環銅像のある広場の一段上には、もうひとつの広場があります。
祈りの泉と呼ばれる池ノ前の広場は、テーブルと椅子が並んでいますが、園内(屋外)で唯一飲食ができる場所。
ここには売店もあり、ホットドックや飲み物、「グラバーコーヒー」なるものをいただくことができます。
さらに、夏の時期はビアガーデンもやってるんだとか。
長崎の夜景を眺めながらの生ビールは最高でしょうね、きっと。

続いてはこちら。

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ただの古びた小屋ですが、これは「旧長崎高商表門衛所」という建物です。
他にも立派な建物はたくさんあるのですが、なぜここでこれを取り上げたのかというと、「長崎高商」という文字に引っかかったからです。

正式名、長崎高等商業学校は明治38年に勅令によって開設された、いわゆる国立の専門学校で、国内では東京、神戸に次いで3番目の学校なんです。
ちなみに、日本三大高商という言葉があって、長崎、小樽、横浜の3つを指すと言われています。

そして長崎高商は、何といっても僕の出身校、長崎大学経済学部のルーツなんです。
なのでわざわざ取り上げたって訳。
お分かりいただけました?
(つまり個人的な理由だったってことネ。。。^_^;)

最後に、グラバー園に行ったら是非探して欲しいものがあります。

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「ハートストーン」です。
園内の2ヶ所にこのようなハート型の敷石があるそうです。
2つ見つけると良いことがあるとか、この石に触ると恋がかなうとか、諸説あるようですよ。

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2013年1月10日 (木)

長崎を“さるく”Part2 ③ ~ グラバー園(その1)

大浦天主堂の裏出口を出ると、そこはグラバー園の入り口につながっています。

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ということで、続いては長崎を代表する観光スポット、グラバー園を探索することにしましょう。
僕がここを訪れるのは何年ぶりだろう。
おそらく10年、いや15年は経っているんじゃないかなぁ。

最近の出来事で言うと、2009年12月31日の紅白歌合戦で、福山雅治さんがここグラバー園から生中継で歌っていたのを思い出します。
長崎出身の福山さん、そしてこの年は大河ドラマが「龍馬伝」ということもあって、ゆかりの地である長崎の、しかもここグラバー園を選んだんですよ、きっと。

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この園内マップは平面図ですが、実際は傾斜地になっていて、上の図で言うと左上から右下に行くにつれ高台になります。

また、グラバー園には2箇所の入り口があります。
今回僕が入場したのが第1ゲート(上図の右端、赤い部分)
そして、上のマップの左下、一番高いところに第2ゲートがあります。
といっても、第2ゲートができたのは10年前、それまでは第1ゲートしかなかったんですけどね。
第1ゲートから入ると、「動く歩道」に乗って一番高いところ、つまり第2ゲート付近まで行き、そこからだんだん下るようにして見学するのが通常コースとなります。

今回もてっきりそのコースだと思ったんですが、何と動く歩道が工事中で利用不可。
つまり、全行程を自分の足で踏破しなければならないということ。
これは、想定外。。。

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ということで、通常は一番最後に行くはずのグラバー邸からスタートです。
グラバー邸は園内の割と低いところにあるとはいえ、前庭からは長崎の中心地が一望できる見晴らしの良い場所に立地しています。

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前出の紅白で福山さんが生放送で歌った場所もこの場所。
前庭にロウソク(のような照明だったかも。。。)が敷き詰められ、バックには長崎の夜景。
そして、めったに降らない雪まで降ってましたよね。
あの時はとても幻想的で、本当に感動したのを今でも覚えています。

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ところで、トーマス・グラバーという名前は誰しも聞いたことがあると思うのですが、彼がどのような人物だったのかというと意外と知られていないのではないでしょうか。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」にも登場していたので、龍馬伝を見ていた人は何となくイメージできるかも知れません。

本名は、トーマス・ブレーク・グラバー、スコットランド人です。

幕末の1859年、21歳の若さで来日し、主に武器を扱う貿易商として一代を築いたことは有名です。
坂本龍馬がグラバー邸に乗り込み、薩摩の資金で武器を調達し長州まで届けた話は龍馬伝でも出てきましたよね。

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天井の一画には秘密の扉もあって、ここに坂本龍馬ら倒幕派の藩士を匿ったという説もあります。

しかし武器商人として繁栄を誇ったのは幕末までの話。
その後、グラバーはどうなったのでしょう。

1868年(明治元年)、グラバーは炭鉱開発(のちの高島炭鉱)造船所(修船場)を建設するなど、意欲的に事業を展開しますが、肝心の武器が売れなくなり、1870年(明治3年)にグラバー商会は事実上破産
ただし、グラバー自身は高島炭鉱の経営者として留まります。

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その後、1881年(明治14年)高島炭鉱が三菱に買収されるのに伴い、グラバーも三菱財閥の一員となり、引き続き炭鉱経営を続けつつ、1885年からは三菱財閥の相談役となります。

相談役時代の活躍として、経営危機に陥っていたある酒造メーカーの買収を岩崎弥太郎に進言、1885年新たにジャパン・ブルワリー・カンパニーを立ち上げ、経営に貢献。
その3年後の1888年(明治21年)、「麒麟麦酒」、すなわち今のキリンビールが誕生したのです。

1893年(明治26年)に、三菱の終身顧問に就任。
1908年(明治41年)には、勲二等旭日賞を受賞、外国人としては破格の褒章なんだとか。
1911年(明治44年)、73歳で逝去。

幕末から明治時代までの波乱に満ちた時代を生き抜き、日本の近代化に大いに貢献したことが、以上でお判りいただけたのではないでしょうか。

さて、グラバーの話はここまで。
ところで、グラバー園にはグラバー邸以外にも多くの建物があります。
次回は、ここから坂を上りながら園内を巡ってみたいと思います。
お楽しみに。

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2013年1月 7日 (月)

長崎を“さるく”Part2 ② ~ 大浦天主堂

「長崎をさるく」Part2の最初の目的地は、南山手にある「大浦天主堂」です。

電車路面電車のこと:前回記事参照)を大浦天主堂下で降り、歩くこと3分。
目の前にあの有名な教会が現れました。

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この大浦天主堂、どうしてこんなに有名なのでしょうか?
日本国内で最も古いカトリック教会であり、国宝に指定されていること、というのが最大の理由なのでしょうが、キリスト教布教活動に関わる2つの歴史的な出来事と密接に関わっていることを押さえておく事が重要です。

まずひとつめ
大浦天主堂の正式名称は、「日本二十六聖殉教者堂」と言います。
長崎県民以外の方はあまり知らないと思うので、ちょっとだけ解説します。

長崎駅のほど近く、NHK長崎放送局の裏に西坂公園という場所があります。
ここには、「日本二十六聖人記念碑」が建てられています。

フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を持ち込んだのが戦国時代の1549年
その後、豊臣秀吉が天下を取ると、彼はキリスト教の弾圧を始めます。
まず、1587年に「バテレン追放令」を、そして1596年に「キリシタン禁教令」を発布します。
この禁教令発布直後、石田三成によって京都、大阪で布教活動をしていた者をはじめとするキリシタン24名を捕縛、市中引き回しの後長崎へと連行されます。
ちなみに長崎まで裸足で歩かされたそうです。
さらに途中彼らの世話役として随行した2名も加えられ、合計26人が長崎西坂の地ではりつけの計に処されたのです。

26名の内訳は、外国人6名、日本人20名で、日本人の中には3名の子供が含まれていたそうです。

それから約160年経った1952年、当時のローマ教皇によってこの26人が聖人の地位を与えられました。
(キリスト教ではこれを「列聖」といいます)
これを受け、同じ年に赴任してきたフューレ神父と翌年赴任してきたプチジャン神父とともに教会建設に着手、彼ら自らが設計し、1865年2月に落成となりました。
この時名付けられた名前が、「日本二十六聖殉教者天主堂」だったのです。

余談ですが、大浦天主堂の正面は、26聖人殉教の地である西坂を向いているということです。

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さて、大浦天主堂は外観も美しいので正門の外から眺めるだけでもいいのでしょうが、せっかくなので拝観料300円を払って中をじっくり見学しましょう。
実は僕も中に入るのは初めてなんです。

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天主堂の入り口中央にはかなり大きな聖母マリア像が据えられています。
1メートル42センチある聖母像の礎石には、

「日本之聖母」
「信徒発見記念」

と書かれています。

ふたつめの歴史的な出来事とは、この信徒発見です。
江戸時代もキリスト教が弾圧され続けたのは周知ですが、ここ、外国人居住地であった南山手だけは例外でした。
なのでこの地に初めて教会が建設できたのですが、落成してから約1ヵ月後、当時「フランス寺」と呼ばれていた天主堂に、見物客に紛れて浦上の隠れキリシタンたちがやって来ました。
彼らは神父に近づき信仰告白した後、「サンタ・マリアの御像はどこ?」と尋ねました。
そこで、神父は大喜びで彼らを教会内にあるマリア像の前に導いたのです。
これが最初のキリスト信者発見となりました。
その後、長崎県の各地から、また、遠くは福岡県からまでも、噂を聞きつけた隠れキリシタンたちが名乗りをあげにやってきたと言われています。

この白いマリア像は、日本に数多くの隠れキリシタンたちがいたというビッグニュースが全世界に伝えられた後、フランスからその記念に贈られてきたものなんです。

(以上出典:大浦天主堂公式HPより)

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さて、大浦天主堂のある敷地には、教会のほかにもいくつかの建物があります。

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そのうちのひとつが、「旧羅典神学校」です。
1873年(明治6年)にキリスト教禁教が停止となったのを受けて建てられた神学校です。
1926年(大正15年)までラテン神学校校舎兼宿舎として使用、その後は司祭館や集会所にも使用され、現在は「キリシタン資料室」として、キリスト教の歴史とそれに関わる展示品が陳列されています。

その中からひとつ。
歴史の教科書にも出てくるこちら。

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「踏み絵」です。
いずれも複製らしいのですが、一番右の真鍮製の踏み絵は、当事長崎奉行で使われていたものだそうです。
ちなみに現存する踏み絵は、国内に29枚あるそうです。

最後に余談をひとつ。
敷地内にこんなベンチを発見。

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可愛らしい「たぬき」と「うさぎ」のベンチ。
教会とどういう関係があるのかはわかりませんが、なんとなくほのぼのとしていて思わずシャッターを押しました。

で、よくよく近づいてみると、

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なんだかベンチをムシャムシャ食べているように見えませんか?

もし、大浦天主堂へ行くことがあったら是非探してみてくださいね。

これで大浦天主堂の見学は終了。
ここからお隣のグラバー園へと進みます。

ということで次回はグラバー園をお届けします。
お楽しみに。

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2013年1月 4日 (金)

長崎を“さるく”Part2 ① ~ 2年ぶりにさるいてみる

2013年最初のブログは、2年前に好評だった、
(かどうかはわかりませんが。。。)

「長崎をさるく」
シリーズの第2弾です。
ちなみに、前回も説明しましたが、「さるく」というのは長崎の方言で、「ぶらぶら歩きまわる」というような意味の言葉です。

使い方の一例をあげると、例えば買い物客の親子が商店街の人混みの中で、子供が迷子にならないよう母親が言うセリフ。

「あっちゃこっちゃさるかんごとせんば、迷子になるとやけんね!!」


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さて、前回は長崎駅から歴史文化博物館を経由し、亀山社中を始めとする坂本龍馬ゆかりの地を巡って来ました。
(前回をクリックで2年前の記事にジャンプします)

今回は長崎を代表する観光地の中でもメジャー級なところをいくつか巡ってみることにします。

201301

前回と同じく、スタート地点は長崎駅です。

前回はすべて「歩き」でしたが、今回は路面電車を極力利用することにしました。
長崎では普通に「電車」というと、路面電車のことを指します。
では、JR等の電車のことはなんと言うのでしょうか?

答えは「汽車」です。
(少なくとも20年前までは。。。多分今でもそうだと思います。。。^_^;)
JRが電化されていないわけではありません。
路面電車と使い分けるために、長崎では昔からこういう風に呼び分けているんです。
鉄道ファンに人気の特急列車「白いかもめ」も、長崎市民にとっては「汽車」なんです。

話を戻しましょう。
長崎市内の移動は路面電車がとても便利。
有名な観光地はほぼ路面電車で行くことができるし、運賃も距離に関係なく一律120円。
ちなみに2009年8月までは、一律100円と全国一安かったんですよ。

また、観光地めぐり等で一日に何回も利用するのなら、一日乗車券が便利。

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500円で一日乗り放題。
路線図と主な観光スポットが付いてくるので、目的地へ行くにはどの電停で降りたらいいのかがひと目で分かります。
しかも、記念になるしね(*^_^*)

という訳で、長崎駅の観光案内所で1日乗車券を買い求め、いざ路面電車へGO!

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最初の目的地は、大浦天主堂です。

ところで、長崎の路面電車には、行き先表示部分に「1」から「5」までの番号が振られています。
5系統の路線があるということなんですが、目的地によっては乗換えが必要になります。
最初のうちはちょっととまどうかも知れませんが、そこは大丈夫。
長崎の人は、基本的にみんな親切ですから。
地元っぽい人に聞けば必ず丁寧に教えてくれるはず。

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で、長崎駅から大浦天主堂へ行くには、まず1番の電車「正覚寺下」行きに乗り、「築町」という電停で5番の電車「石橋」行きに乗り換えます。
終点のひとつ手前の電停、「大浦天主堂下」で下りると目的地はすぐそこです。

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電車の種類も昭和時代の匂いが残るレトロなものから、割と新しいタイプのものまで様々。
でもやっぱせっかくなので、レトロなタイプに乗ってみたい。
時折「チーン」というベルの音が社内に鳴り響き、いわゆる「チンチン電車」ってこれのことなんだなって実感できるんです。

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最初の目的地、大浦天主堂に辿り着く前に、路面電車の話題で終わってしまいました。
大浦天主堂の話は次回のお楽しみということで。

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