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2013年1月 7日 (月)

長崎を“さるく”Part2 ② ~ 大浦天主堂

「長崎をさるく」Part2の最初の目的地は、南山手にある「大浦天主堂」です。

電車路面電車のこと:前回記事参照)を大浦天主堂下で降り、歩くこと3分。
目の前にあの有名な教会が現れました。

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この大浦天主堂、どうしてこんなに有名なのでしょうか?
日本国内で最も古いカトリック教会であり、国宝に指定されていること、というのが最大の理由なのでしょうが、キリスト教布教活動に関わる2つの歴史的な出来事と密接に関わっていることを押さえておく事が重要です。

まずひとつめ
大浦天主堂の正式名称は、「日本二十六聖殉教者堂」と言います。
長崎県民以外の方はあまり知らないと思うので、ちょっとだけ解説します。

長崎駅のほど近く、NHK長崎放送局の裏に西坂公園という場所があります。
ここには、「日本二十六聖人記念碑」が建てられています。

フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を持ち込んだのが戦国時代の1549年
その後、豊臣秀吉が天下を取ると、彼はキリスト教の弾圧を始めます。
まず、1587年に「バテレン追放令」を、そして1596年に「キリシタン禁教令」を発布します。
この禁教令発布直後、石田三成によって京都、大阪で布教活動をしていた者をはじめとするキリシタン24名を捕縛、市中引き回しの後長崎へと連行されます。
ちなみに長崎まで裸足で歩かされたそうです。
さらに途中彼らの世話役として随行した2名も加えられ、合計26人が長崎西坂の地ではりつけの計に処されたのです。

26名の内訳は、外国人6名、日本人20名で、日本人の中には3名の子供が含まれていたそうです。

それから約160年経った1952年、当時のローマ教皇によってこの26人が聖人の地位を与えられました。
(キリスト教ではこれを「列聖」といいます)
これを受け、同じ年に赴任してきたフューレ神父と翌年赴任してきたプチジャン神父とともに教会建設に着手、彼ら自らが設計し、1865年2月に落成となりました。
この時名付けられた名前が、「日本二十六聖殉教者天主堂」だったのです。

余談ですが、大浦天主堂の正面は、26聖人殉教の地である西坂を向いているということです。

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さて、大浦天主堂は外観も美しいので正門の外から眺めるだけでもいいのでしょうが、せっかくなので拝観料300円を払って中をじっくり見学しましょう。
実は僕も中に入るのは初めてなんです。

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天主堂の入り口中央にはかなり大きな聖母マリア像が据えられています。
1メートル42センチある聖母像の礎石には、

「日本之聖母」
「信徒発見記念」

と書かれています。

ふたつめの歴史的な出来事とは、この信徒発見です。
江戸時代もキリスト教が弾圧され続けたのは周知ですが、ここ、外国人居住地であった南山手だけは例外でした。
なのでこの地に初めて教会が建設できたのですが、落成してから約1ヵ月後、当時「フランス寺」と呼ばれていた天主堂に、見物客に紛れて浦上の隠れキリシタンたちがやって来ました。
彼らは神父に近づき信仰告白した後、「サンタ・マリアの御像はどこ?」と尋ねました。
そこで、神父は大喜びで彼らを教会内にあるマリア像の前に導いたのです。
これが最初のキリスト信者発見となりました。
その後、長崎県の各地から、また、遠くは福岡県からまでも、噂を聞きつけた隠れキリシタンたちが名乗りをあげにやってきたと言われています。

この白いマリア像は、日本に数多くの隠れキリシタンたちがいたというビッグニュースが全世界に伝えられた後、フランスからその記念に贈られてきたものなんです。

(以上出典:大浦天主堂公式HPより)

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さて、大浦天主堂のある敷地には、教会のほかにもいくつかの建物があります。

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そのうちのひとつが、「旧羅典神学校」です。
1873年(明治6年)にキリスト教禁教が停止となったのを受けて建てられた神学校です。
1926年(大正15年)までラテン神学校校舎兼宿舎として使用、その後は司祭館や集会所にも使用され、現在は「キリシタン資料室」として、キリスト教の歴史とそれに関わる展示品が陳列されています。

その中からひとつ。
歴史の教科書にも出てくるこちら。

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「踏み絵」です。
いずれも複製らしいのですが、一番右の真鍮製の踏み絵は、当事長崎奉行で使われていたものだそうです。
ちなみに現存する踏み絵は、国内に29枚あるそうです。

最後に余談をひとつ。
敷地内にこんなベンチを発見。

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可愛らしい「たぬき」と「うさぎ」のベンチ。
教会とどういう関係があるのかはわかりませんが、なんとなくほのぼのとしていて思わずシャッターを押しました。

で、よくよく近づいてみると、

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なんだかベンチをムシャムシャ食べているように見えませんか?

もし、大浦天主堂へ行くことがあったら是非探してみてくださいね。

これで大浦天主堂の見学は終了。
ここからお隣のグラバー園へと進みます。

ということで次回はグラバー園をお届けします。
お楽しみに。

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