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2013年1月16日 (水)

長崎を“さるく”Part2 ⑤ ~ 旧スチイル記念学校

今回は、グラバー園の中にある、

「旧スチイル記念学校」

にスポットを当ててお届けしたいと思います。

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ここは、園内の最も奥にある建物なので、つい見逃してしまいがちな場所。
実をいうと僕もこの建物に入るのは初めてでした。

でも、中に入ってみてびっくり。
いろんな展示があって、長崎の歴史や文化を知るのにとても勉強になる、まさしく「学校」なんです。

そもそも、1887(明治20年)にアメリカのダッチ・レフォームド教会外国伝導局長スチイル博士が、18歳で亡くなった息子ヘンリーのために寄贈した資金により開設されたミッション系の学校で、旧英国領事館跡に建てられていたそうです。
最後は長崎市内にある海星学園の寄宿舎として使用されていたそうで、1972(昭和47年)に海星学園より保存のため長崎市が寄贈を受け、翌年現在地に移築し復元したそうです。

それでは早速建物内を見て行きましょう。
1階は、長崎開港の歴史に触れることができます。

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展示室の中央には、おなじみ「出島」の模型がありました。
出島については、別の観光スポット「出島資料館」にお任せしますので今回は省略。

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この部屋には、出島を取り囲むように数多くの船の模型が展示してありました。
鎖国時代、唯一の貿易港だった長崎。
いろいろな国の帆船がここ長崎に来ていたんですね。

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2階へ上がると、廊下にかけられた大きな絵が目を引きます。

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この絵、歴史の教科書か何かで見た事があるような気がしません?

さて、2階のある1室は、グラバー園とは直接関係かもしれませんが今長崎が世界遺産に登録しようと運動展開中の、ある島についての展示が行われていました。

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これがその島の模型です。
わかりますか?

「端島(はしま)」
、通称「軍艦島」です。

明治から昭和の時代まで、炭鉱の町として栄えた所です。
軍艦島という通称は、大正時代に高層ビルが立ち並び、沖合いからこの島を見たときに当時の戦艦「土佐」に似ていたことから付けられたそうです。

大正5年に建てられた鉄筋コンクリート5階建てのアパートは日本で最初のRC構造の建築物でとても貴重なんだとか。
南北約480m、東西約160m、周囲約1,200m、面積約6.3haという小さな島に最盛期は5200人の住民が住んでいたそうて、日本一、いやもしかしたら世界一の人口密度だったかも知れません。

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石炭から石油へのエネルギー転換により徐々に人も減り、1974年(昭和49年)1月に閉山
以来、無人島となり、風化と台風等の影響により、今では廃墟と化してしまっています。

そういえば今思い出したけど、小学生の頃うちのすぐ近所に端島から引っ越してきたっていう同級生がいたっけ。
尾崎君だったっけ。
考えてみると引っ越してきたのは閉山の時期とぴったり合う。
ということは、最後まで残った島民だったんだね、きっと。

さて、近年になって、端島は文化的価値が高いということから世界遺産への登録に向け活動が進められています。
島自体は立ち入り禁止ですが、4年前(2009年)から見学コースが整備され、限定された場所のみ立ち入り見学が可能となりました。

僕もそのうち行ってみたいと思います。

なお、軍艦島を世界遺産にする公式WEB」というサイトでは、軍艦島の概要からツアーの紹介まで、端島に関するあらゆる情報を取り扱っていますので、興味を持った方はご覧になるといいですよ。 

なんだか最後はグラバー園とは全く関係ない話になってしまいましたが、グラバー園に来たら、この旧スチイル記念学校も忘れずに行きましょうねって話でした。
(話の締めがかなり強引すぎ。。。)

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