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2013年1月13日 (日)

長崎を“さるく”Part2 ④ ~ グラバー園(その2)

長崎を“さるく”Part2 第4弾は、前回に引き続きグラバー園の話題をお届けします。

グラバー園はもともと外国人居住区の一画だったこともあって、園内にはグラバー邸の他にもいくつかの建物があります。
全部を紹介するのはたいへんなので、個人的に印象に残ったいくつかを紹介したいと思います。

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グラバー邸を出て階段状の坂を上ったすぐのところに、このような、

「西洋料理発祥の地」

と記された看板があります。
そこに建つ建物は、日本で初めてオープンしたレストラン、「旧自由亭」です。

もともとは長崎市内の別の場所にあったのですが、ここグラバー園内に復元されたものです。
さらにこの建物は2階部分が喫茶室になっていて、ダッチコーヒーを飲みながら当時の気分に浸ることができるそうです。

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続いては、「旧オルト邸」
グラバー邸が木造なのに対して、オルト邸は石造りの建物なんです。
玄関ポーチがとても立派で風格があります。

ここの家主であった、ウィリアム・オルトという人はどういう人物かというと、開国とともにイングランドから来日し、オルト商会という会社を設立。
でもって彼が扱った主力商品は、日本茶。
九州一円から買い集めたお茶をいろんな国に輸出、つまり日本茶を世界に広めた人物なんです。
このオルト邸はお茶の貿易で得た巨額の利益で建てたと言われています。

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邸宅の裏側には、製茶室や厨房のあとなどが残されています。

実は日本茶貿易に関しては、彼のパートナーでも会った女性実業家、大浦慶という人物についても触れなければならないのですが、その話はまたの機会にとっておきますね。

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園内のほぼ中央には広場があり、女性の銅像が立っています。
オペラ「蝶々婦人(マダムバタフライ)」を演じて世界的に有名になったオペラ歌手、「三浦環(みうらたまき)」の銅像です。

彼女自身は東京出身なのですが、蝶々婦人が長崎を舞台にした歌劇であることから、この地に銅像が建てられたのです。
オルト邸の一室には、彼女が当時身につけた衣装や装飾等が展示されていました。

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その三浦環銅像のある広場の一段上には、もうひとつの広場があります。
祈りの泉と呼ばれる池ノ前の広場は、テーブルと椅子が並んでいますが、園内(屋外)で唯一飲食ができる場所。
ここには売店もあり、ホットドックや飲み物、「グラバーコーヒー」なるものをいただくことができます。
さらに、夏の時期はビアガーデンもやってるんだとか。
長崎の夜景を眺めながらの生ビールは最高でしょうね、きっと。

続いてはこちら。

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ただの古びた小屋ですが、これは「旧長崎高商表門衛所」という建物です。
他にも立派な建物はたくさんあるのですが、なぜここでこれを取り上げたのかというと、「長崎高商」という文字に引っかかったからです。

正式名、長崎高等商業学校は明治38年に勅令によって開設された、いわゆる国立の専門学校で、国内では東京、神戸に次いで3番目の学校なんです。
ちなみに、日本三大高商という言葉があって、長崎、小樽、横浜の3つを指すと言われています。

そして長崎高商は、何といっても僕の出身校、長崎大学経済学部のルーツなんです。
なのでわざわざ取り上げたって訳。
お分かりいただけました?
(つまり個人的な理由だったってことネ。。。^_^;)

最後に、グラバー園に行ったら是非探して欲しいものがあります。

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「ハートストーン」です。
園内の2ヶ所にこのようなハート型の敷石があるそうです。
2つ見つけると良いことがあるとか、この石に触ると恋がかなうとか、諸説あるようですよ。

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