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2013年3月23日 (土)

吉野ヶ里遺跡ひとりツアー③ ~ 弥生時代のお墓

吉野ヶ里遺跡ガイドマップのおすすめ見学ルートによれば、南内郭の次は北内郭となるのですが、内郭続きも芸がないので(?)、先に北墳丘墓へと向かいます。

吉野ヶ里遺跡(2月時点)の最も北側に位置するこの一帯は墓場であったようです。
北墳丘墓は吉野ヶ里遺跡の歴代の王が埋葬されている特別なお墓であったと考えられているそうで、この地域の最も奥に位置しています。

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そこへ向かう途中、地面が凹凸になっている場所があります。

「甕棺墓列(かめかんぼれつ)」

と言います。

その字の通り、当時は死者を甕の形をした棺に入れて埋葬していたことから付けられた名前なんです。
で、どうやって埋葬されているかというと。。。

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こんな感じ。
大小2つの甕をつなぎ合わせ、その中に遺体を納めるという具合です。

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また、甕にはいろいろな大きさがあって、南内郭の隣にある展示館で様々な大きさの甕が展示されていました。
これらをよく見ると、ひび割れのような跡がたくさんあります。
実際に出土したときは粉々になっていたものを念入りにつなぎ合わせて復元したのでしょう。
実際、その作業現場も見学できるようになっていました。
それはまた後日掲載予定です。

さて、甕棺墓列を過ぎると小高く土が盛られた場所が現れました。

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これが、「北墳丘墓」です。

これが王の墓、いわゆる古墳の前身となるのでしょうか。
「危険、登れません」って看板立ってるし、ふむふむ、では戻るかと思っていたのですが、なにやら向こうから人が歩いてくるではないですか。

もしやと思い、反対側へ回ってみると。。。

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なんと、自動ドアがある。
ということはこの中へ入れるってこと?
いやいや、思わず見逃してしまうところだった。
よく見るとパンフレットにも書いてありました。

小さい吹き出しで、「中に入れるよ!」ってね。

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中に入ると、発掘現場をそのままドームで囲ったような構造になっていました。
遺跡の殆どが復元なんですが、ここだけは本物なのでしょうか?

壁側は発見から発掘の経緯や出土品の展示と説明がぎっしり。
そんな中、特に印象に残ったのがこちら。

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出ました。
またもや蝋人形の登場です。

こういう風に甕棺の中に納められていたんですね。
死者が身に着けていた装飾品や思い出の品とかを一緒に葬るというのは今も昔も変わらないようです。
ちなみに、発掘されたときはミイラではなく、骨だけですのでお間違いないように。

さて、お墓の説明はここまで。
次は、見学の順番を入れ替えた「北内郭」へと向かいます。

(つづく)

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