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2014年9月29日 (月)

ロンドンを「さるく」① ~ スタートは大英博物館から

つい先日「パリをさるく」シリーズを終えたばかりですが、引き続きロンドン編をお届けしたいと思います。
今回も出張で行って来たんですが、今年に入って海外出張が俄然増えてきました。
シンガポール、パリに続いて3度目の海外です。
今はもう9月の終わりですが、行って来たのは7月中旬。
日本と比べるとロンドンはそれほど暑くなく、過ごしやすく感じました。

それもそのはず、だってロンドンの緯度って北緯51度
日本の最北端といわれる北海道宗谷岬でさえ北緯45度
それよりもさらに北に位置するんだから当然といえば当然ですよね。

ちなみに、前回訪れたパリだって北緯48度あるんです。
夏の日が長い理由もこの辺りにあるのかもしれませんね。

さて、今回のロンドン「さるく」シリーズのスタート地点はこちら。

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大英博物館

いわずと知れたイギリスを代表する博物館です。
ここに収蔵されている美術品は700万とも800万ともいわれています。
でもって実際に常設展示されているのは15万点なんだとか。
でもって入場料は何と無料!
さすがは大英帝国、何て太っ腹なんでしょう。

02

神殿チックな正面玄関をくぐると、中はこのようなモダンな屋根に覆われた広場になっています。

「グレート・コート」と呼ばれる中庭です。
実は昔はこのような屋根はなかったんだそうです。
2000年の大改修の際に造られたもので、これにより各店事情への行き来がとても楽になったのだとか。
ノーマン・フォスターという、その筋の業界ではとても有名な建築家によるものらしいです。

この日も小雨が降っていたんですが、この屋根がなかったら確かに大変だったかもしれませんね。

15万点の作品を1日で見るのはとても無理。
でもここだけにそんなに時間をかけられない、って無謀なことを考える方のために、絶対外してはならない2ヶ所を紹介します。

まずはなんといってもこれ。

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「ロゼッタストーン」です。

わざわざ解説するまでもないとは思いますが、

「聞いたことあるフレーズだけど、実際何だっけ?」

って疑問を抱いた方のために、簡単に解説しておきます。
1799年、フランスのナポレオン軍エジプト遠征を行った際、ロゼッタという街で発見した石碑がロゼッタストーンです。

この石碑のどこが貴重なのかというと、この石碑にはほぼ同一の文章が3つの言葉で書かれていることなんです。
その3つの言葉とは、古代エジプト語の神聖文字(ヒエログラフ)と民衆文字(デモティック)、そしてギリシア文字です。
この石碑の発見により古代エジプト文字の解読が一気に進んだといわれており、そのようなことからとても価値のある発見だったといえるのです。

ではなぜこの石碑がフランスではなくロンドンの大英博物館にあるのか、なぜ3つの文字が書かれているのか、等々いろいろ気になるところではありますがここでは省略。
Wikiにもかなり詳しく書かれていますが、僕が見てて参考になったサイトがありますので、こちらを参照していただければと思います。

ロゼッタストーン/日本語訳とその解説 ~ 無限∞空間」
(上記クリックでサイトにジャンプします)

さて、もうひとつの外してはならない場所は、こちらの空間。

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四方の壁一面に白い彫刻が並んでいる場所です。
これらの彫刻、何だかわかりますか?
さらに正面奥の彫刻に近寄ってみたいと思います。

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この形、端から中央ほうへだんだんと高くなっています。
どうでしょうか、こういう形の彫刻が納まる場所ってどこでしょう。

正解はこちら。

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この建物の屋根下の三角の部分です。
そう、この建物は古代ギリシャのパルテノン神殿なんです。

この一角にはパルテノン神殿にあった大理石彫刻が数多く展示してあるスペースなんです。
これらの彫刻は19世紀の初め、オスマン帝国イギリス大使として派遣されたトマス・ブルースという人物によってイギリスへ持ち込まれたとされています。
(当時ギリシャはオスマン帝国の支配下にあった)

実は、ロゼッタストーンもパルテノン神殿の彫刻群も、ある共通の問題を抱えています。
ロゼッタストーンはエジプトから、彫刻群はギリシャからそれぞれ返還せよという勧告を受けているんです。

大英博物館に展示されている美術品の多くは、大英帝国時代に各地から略奪したものだとも言われていて、一部では「泥棒博物館」などと揶揄されているんだとか。
そういう歴史的事情もあり、このような返還問題が現在もくすぶっているんだそうです。
一方で、このように博物館でしっかり管理されているために歴史的価値が保存されているという声もあり、それはそれで正当な意見なのかもしれません。

最後に僕が興味を持った展示をひとつ。

07

この椅子、全て本物の「銃」でできているんです。
展示物の説明によると、「Throne of Weapons(武器の玉座)」というタイトルが付けられており、アフリカ、モザンビークのアーティストによって作られたものだそうです。

モザンビークは1975年にポルトガルから独立しましたが、その後も政権政党と反政府組織の間で17年間という長期にわたって激しい内戦が続きました。
1992年にようやく和平協定が成立し内戦は終結しましたが、国内には大量の武器が残されたままでした。
これらの武器を再び戦争で使われないようにするため、「銃を鍬(すき)に(TAE:Transforming Arms into Plowshares)」というスローガンのもと、農具や自転車などと交換に武器を回収する運動が行われました。
そしてそれらの回収された武器はこのような芸術品へと生まれ変わったのです。

戦争の道具を平和の象徴に変えるというプロジェクト、とっても素晴らしいと思いました。

余談ですが、日本の陸上自衛隊も1993年から2年弱の間、2番目のPKO派遣先として活動したんですよね。
ちなみに、最初のPKO派遣先はどこかというと。。。カンボジアです。

大英博物館はこの他にも古代エジプトのミイラ、アッシリア朝時代の人頭有翼牡牛像をはじめ、日本からは鎧や埴輪なんかも展示してあり見所満載です。
ですが、今回もテーマは「さるく」
約1時間半で大英博物館を後にし、ロンドンの名所をさるき始めます。

でもってこの続きは次回にて。
「さるく」シリーズ、ロンドン編の始まり始まり~ぃ。

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2014年9月23日 (火)

六本木で流し○○○○!?

今回の話題は夏も終わりの8月下旬、暑気払いを兼ねた職場の懇親会のお話です。

場所は六本木、六本木と言えば今やインターナショナルな街。
個人的には、かつては防衛庁があったことから毎日のように通ってたところでもあります。
今は防衛庁跡にはミッドタウンがそびえ、交差点にあった本屋や行きつけの居酒屋も無くなってしまいました。
そう、六本木は個人的に言うとここ10年ちょっとですっかり様変わりしてしまったなぁって感じる場所なんです。

どうでもいい回想話は置いといて、今回行ってきたお店は麻布警察の裏手にある、

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「六本木農園」

という名前のお店です。
「六本木」と「農園」、何ともミスマッチングな言葉の組合せが妙に気をそそられるネーミングですよね。

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お店の入り口付近には、ミニ耕うん機が飾ってあります。
単なる耕作機械でも、こういう置き方をするとお洒落なインテリアに見えます。
こんな所にもお店のこだわりが感じられるのですが、一体どんなお店なのかネットで調べてみましょう。

お店の公式サイトに「六本木農園とは?」というページを見つけました。
それによると、

『近年問題となっている日本の食料自給率、40%しかない現状の大きな原因は農家の高齢化や就農者の減衰とも言われています。

 《中略》

そんな中、実家が農家だけど今は都心で働いているという「こせがれ」が実家に戻って就農していくのが、ハード面でも、ノウハウの面でもハードルが低いと農家のこせがれネットワークでは考えています。
ではいったいなぜ若者は就農しないのか?
それは農家の魅力が伝わっていないからです。きつい、きたない、かっこ悪い、食えない、そんな農家のイメージを払拭して、本当に顔が見える農家の友だちが多くできで、まずは週末は自分の実家の畑仕事からでもスタートしてもらう、そんな気持ちにさせる場所を作りたいという思いからこのプロジェクトはスタートいたしました。

 《中略》

六本木農園とは期間限定で若者やこれから就農する生産者・地域のプランディング、マーケティングから販売のサポートまでをトータルでプロデュースするプロジェクトです。』

『生産者と一緒に日本を元気にしたい!“農業実験”レストラン!』

要するに、農家の「こせがれ」たちを支援して日本の農業を活性化させるプロジェクトであり、こせがれたちの食材を使って都会の消費者に食を提供する場所が、ここ「六本木農園」なんですね。

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ところで店内は建物の中だけではなく、隣接した庭園部分も含まれます。
店内と店外を合わせると100席以上のスペースがあり、大きなパーティーも開けそうです。

今回は約10名で予約したんですが、外のオープンスペースでほぼ貸し切り状態でした。
8月下旬とはいえ、夜はまだまだ残暑の暑さが残っていました。
なので、テントの回り3,4箇所に大型の扇風機が設置されていました。

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さて、最初に登場したのは旬の野菜のバーニャカウダです。
お店のスタッフがそれぞれの野菜の生産者を説明してくれます。
おそらく、プロジェクトに参加している「こせがれ」さんたちなんでしょうが、申し訳ない、聞き流してしまいました。。。

さすがに野菜はどれも新鮮でシャキシャキしています。
唯一の難点は、扇風機の風のせいでバーニャカウダを温める固形燃料の火がすぐに消えてしまうこと。
仕方ないことなんだけどね。

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こちらは一風変わった創作料理。
土台はキュウリだったかズッキーニだったか忘れましたが、上に乗っかってる刺身も鯛だったかハマチだったか忘れましたが、とにかく添えてあるディップを載せていただきます。
(いい加減な説明でスミマセン。。。<m(_ _)m>)
素材の味を生かすためなのか、全体的に薄味だなぁって感じました。

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こちらの鉄鍋に出てきたのは、メイン料理です。
キャベツの下にあるのは、ひき肉と野菜を使った蒸し料理。
この状態だとよくわからないので、器によそってみますね。

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こんな感じの料理です。
野菜の食感が残っていて、とても美味しかったです。

ところで、今回このお店を選んだのは、ここからのイベントが本当の理由。
お店の外のこのスペースでしかできないオプションメニューがお目当てだったんです。

それがこちら。

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流しそうめん!!

10名以上、庭園貸し切り、1日1組限定のオプションプランなんだとか。
暑い夜にもかかわらず、店外の席だったのはこのためだったんです。

とはいえ、最初にこの装置(?)を見たときには、ちょっと期待外れな気もしました。
全長5,6メートルの竹竿が置いてあるだけだし。

ところが、実際やってみると、めちゃくちゃ楽しい!!
その最大の理由は大勢で囲んでワイワイやるからだと思います。
都会の真ん中で流しそうめんができるシチュエーションってそう簡単に体験できるもんじゃないしね。

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最初に簡単なルール(?)を聞いた後、まず、流し役を1名決めます。
当然普通は食べ役がいいに決まってます。
なので、まずはジャンケンで負けた人が流し役に。

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陣取る場所もジャンケンで決めます。
今回僕はジャンケンで一番になりました。
当然、奥側の最も上流をゲットです。
右ききにとって最も有利な場所だからです。

この場所の最大のメリットは、流した直後の、まだ速度が遅いそうめんを狙えること。
比較的簡単にゲットできます。
ただ同時に最大のデメリットは、下流の人たちから思いっきり罵声を浴びせられること。
ここで彼らを無視して食べ続けるか、仲間の輪を尊重するかは僕次第だったりして。

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この後僕は流し役と交代。
で、わかったこと。

そうめん流すのって結構楽しい。

だって、僕が流さない限りみんなはそうめんを食べられないんだもんね。
実はこのイベントを仕切っているのは流し役なのかもしれない。

このイベント、パーティの企画で盛り上がること間違いなしです。
東京のど真ん中、六本木で流しそうめん。
どうやらこのオプションプラン、10月までやってるみたいです。
秋の夜長に、お月見プラス流しそうめんで一杯ってのもいいかも。。。ネ。

六本木農園
夜総合点★★★☆☆ 3.9

関連ランキング:野菜料理 | 六本木駅乃木坂駅麻布十番駅

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2014年9月15日 (月)

パリの街を「さるく」⑥ ~ モンマルトルの丘

その⑤のつづき)

パリを「さるく」の最終回は、モンマルトルです。

凱旋門からシャンゼリゼ通りを抜け、「Concorde(コンコルド)」で地下鉄に乗車、「Abbesses(アベス)」で降りるとそこはもうモンマルトルの丘の中腹。

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ここから、モンマルトルの一番高い地点へと向かうのですが、ここから結構急な階段が続くんです。
道も狭くて入り組んでいるため一見迷いがちなんですが、観光客の行列をついていけばまず迷うことはありません。

以前の記事でも書きましたが、この日は6月の夏至の日。
パリでは夏至の日は「音楽の日」
市内の至る所で音楽演奏を楽しむことができます。

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とりわけ、モンマルトルは芸術の街ということもあり、あちらこちらで音楽演奏が披露されていました。

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なかには行商人なのかミュージシャンなのかよくわからなかったり、

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これ音楽じゃなく大道芸じゃん!!
なんてのもあったりしましたが、まっ楽しいからイイか。

さらに坂道を進むと、「テルトル広場」という場所にやってきました。

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ここはモンマルトルでも特に有名なスポットで、たくさんの絵描きさんが集まっている場所です。
話には聞いてたけど、こんなにたくさんの絵描きさんがいるとは思っていませんでした。

時間に余裕があるんだったら自分の似顔絵を描いてもらうのもいい記念になるんじゃないかな、きっと。

さて、テルトル広場を抜け、土産物屋が並ぶ道を進んで行くと、その先にモンマルトルのシンボルが見えてきました。
モンマルトルの丘にそびえる巨大な建造物、

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「サクレ・クール大聖堂」です。

カトリック寺院なんですが建造されたのは意外に新しく、完成したのは1914年
実はエッフェル塔よりも25年も後のことでした。

実はこの大聖堂の建設に関しては、着工(1877年)から完成(1914年)まで何と37年もかかっているんですが、その理由はこの地の地盤が予想以上に弱かったためと言われています。
さらに、建設決定(1975年)から最初の礼拝(1919年)までだと45年もかかっているんですが、その当時のフランスの歴史を振り返ると、18世紀から19世紀初頭までのフランスが如何に激動の歴史を歩んできたかが理解できます。

歴史の詳細に触れ出すと長くなってしまうのでここでは触れませんが、普仏戦争(1970年-71年)プロイセン(ドイツ)に敗れた後、紆余曲折を経て第三共和政が発足した年(1975年)に、それまでのカトリック教徒の心を癒す目的でこの大聖堂の建設がスタートしました。

ところが、最初の礼拝が行われたのは1919年。
1919年というと第一次世界大戦が終結した年。

つまり、普仏戦争に続き第一世界大戦においてもドイツに散々苦しめられたにもかかわらず、最終的には普仏戦争のリベンジを果たしたことになったのです。

そういう訳で、サクラ・クール大聖堂は普仏戦争以来のドイツに対する復讐の象徴として、カトリック教徒だけでなくフランス国民に慕われる寺院となったのです。

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ところでこの建物、間近で見るとめちゃくちゃでかい。
上の写真でいうと、下の方で蟻のように群がっているのが人間。
一番高いドームの高さは83mなんだとか。
いやぁ、目の前にそびえる姿は圧倒的な威圧感を感じます。

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正面入り口に来ると、扉の回りや天井にたくさんの彫刻が施されています。
これらの彫刻はキリストの生涯を描いたものなんだそうです。
ただし、じっくり見ようと思っても多分無理だと思います。
だって、中へ入る行列の人だかりのせいで、この場に立ち止るのはおそらく不可能だからです。

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モンマルトルの丘から見るパリの景色も最高です。
実はサクラ・クール大聖堂は入場無料なんですが、それとは別に有料でてっぺんのドームまで登ることができるんです。
そこから見る景色はまた全然違うんだろうなぁ。

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この時は有料で登れるって知らなかった。。。
っていうか、持ってたガイドブックにはちゃんと書いてあったんだけど、見落としてたっていうのが正解なんだけどね。。。

ということで、今回の「パリを『さるく』シリーズ」はこれでおしまい。
いつの間にか3ヶ月も前のことになってしまいましたが、ご勘弁を。

さて、この次の「さるく」シリーズはどこになるのでしょう。
近日公開予定ですので、そちらもお楽しみに。

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