カテゴリー「旅行・地域」の23件の記事

2009年11月 4日 (水)

弘前 最勝院

弘前自衛隊記念日のあった日曜日の朝。

宿を早めに出発し、五重塔のある「最勝院」へ行ってみることにしました。

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正式な名称は「金剛山 光明寺 最勝院」と言います。

京都にある智積院を本山とする真言宗のお寺です。

早速、中へ入ることとします。

「新仁王門」と呼ばれる大きな門をくぐると、紅葉に染まった境内が広がっていました。

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本堂までまっすぐ伸びる道の両側には観音様がずらりと並んでいます。

そしてその後ろに赤く染まった紅葉がとても綺麗でした。

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この道を進んでいくとまず目に留まるのが、「平和の鐘」と記された鐘つき堂です。

平和の願いを込めて、一人一回だけ撞くことができるそうです。

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ただし、「一打百円」。。。( ̄Д ̄;;

次は水場。手を洗って清める所です。

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ここには、立派な青龍が鎮座していました。

よく見ると、右手(?)に何やら文字が書かれた金色の玉を持っています。

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続いて本堂へ。

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宗派は違うのであまり関係はないんだけど、一応参拝しておきます。

本堂に参拝し後ろを振り返ると、
紅葉に染まった木々から頭を出したお目当ての五重塔が見えてきます。

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近くにいきましょう。

本堂を背に右手の入り口から五重塔へと進みます。

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とても立派な五重塔ですね。きれいな形をしています。

高さは31.2メートルあるそうです。

もっと近づいてみます。

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ここまで近づくと何だかわかんなくなりますが、これはこれで面白い写真が撮れました。

この五重塔は江戸時代前半、津軽の地を統一するにあたって戦死した敵味方を供養するために建てられたそうで、1667年に完成したとされているそうです。

平成3年の台風被害で大きな被害を受け、翌平成4年から6年にかけて大規模な改修工事を行い、今の姿があるそうです。

最後に、こんなものを見つけました。

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「太子堂」すなわち聖徳太子を祭る祠です。

聖徳太子と言えば知らない人はいないでしょう。

十七条憲法の制定を初め、法隆寺、四天王寺を建立するなど幅広い活躍で有名ですが、

もっとも有名なのは何と言っても昔の一万円札でしょう。

あの顔が本当かどうかは別にして、特に昔は、

「聖徳太子を拝む」というのは、太子堂に行って聖徳太子にお参りする、

じゃなくて、一万円札を拝む=頂く、っていう意味だったりしたんですよね。

ちょっと横道にそれた気もしますが、紅葉の美しさも相まって、思ったよりとても見どころ満載だった弘前の最勝院でした。

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2009年11月 2日 (月)

紅葉の弘前城~後編

いよいよ弘前城天守閣の中へ入ります。

東北で唯一現存すると言われる弘前城、さすがに傷みがはげしく、でもとても歴史を感じさせる雰囲気が漂っていました。

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最上階の小さな窓からカメラを突き出して外の景色を撮影してみました。

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小さな天守閣なので見学は10分程で終了。

この辺りは公園内ではもっとも高い場所なので、岩木山、通称「おいわきやま」がきれいに見えます。

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帰~ってこ~いよ~♪ って思わず口ずさんでしまいそうになりませんか?

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天守閣を後にして、北の方角へ向かっていきます。

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公園内のいろんなところに、このような菊のデコレーションがありました。

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もちろん美しい紅葉も各所で見られます。

ほんと美しい風景を見ると幸せな気分になりますよね。

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公園内のもっとも北側には、「青森県護国神社」がありました。

戊辰戦争で死亡した津軽藩士67人を慰霊したのが始まりだとか。

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最後に、これも重要文化財に指定されている北門から弘前公園を後にしました。

紅葉が本当に美しいこの時期の弘前城、とってもよかったです。

今度は、桜が満開のころにまた訪れたいと思います。

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2009年11月 1日 (日)

紅葉の弘前城~前編

前回の記事にあるとおり、初めて弘前市を訪れました。

弘前のシンボルといえばやはり弘前城でしょう。

春の弘前城も見事な桜に囲まれ美しいと聞きますが、

秋の弘前城もなかなかいいものでした。

弘前城がある弘前公園ではこの時期「弘前城 菊と紅葉まつり」が開催されていて、とっても美しい紅葉を見ることができました。

弘前城の歴史とかは、Wikiで調べてもらうこととして、今回は写真中心でレポートします。

まずは東門から公園に入りました。

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いろんな色の菊があちらこちらにディスプレイされていました。

そして公園内はいたるところで美しい紅葉を拝むことができます。

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弘前城が見えてきました。

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逆光でお城の真後ろに太陽があったため、お城に光臨が射しているような1枚になりました。

ここから先は有料となります。

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「鶴の松」という名前が付いているそうです。

そう言われてみるとなんとなく鶴にも見えるような。。。

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天守閣が近づいてきました。

いよいよ弘前城とご対面です。

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と、今回はここまで、次回はいよいよ天守閣の中へ入ります。

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2009年8月16日 (日)

谷中ぎんざ

JR日暮里から西の方角へ歩いて行くと、下へ降りる階段があります。

この階段を「夕焼けだんだん」と言います。

そして、この階段を降りたところから東西に続く細い商店街が、

「谷中銀座商店街」です。

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商店街そのものは200メートル程とさほど長くはないのですが、

道の両側にいろんなお店がぎっしり並んでいるんです。

その数約70店舗。

ほとんどが小さなお店なんですが、なんとなくレトロな下町を思わせるような雰囲気があって、歩くだけでも楽しい商店街です。

その中で、よくテレビなんかで紹介されるのが

「谷中メンチ」

商店街の中でも2、3ヶ所のお店で売ってました。

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残念ながら今回僕は買いませんでしたけど、できたてのメンチカツを食べながら通りを歩いている観光客を何人も見かけました。

あと、この辺りは猫が多いことでも有名です。

商店街の屋根の上なんかにも何匹か発見できます。

実はあとで知ったんですけど、そのうちの何匹かは、なんと、

本物そっくりの木彫りネコなんだとか。ホントびっくりです。

あと、ネコに関してはこんなものを売ってるお店を発見。

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「お座りネコ」とでも言うんでしょうか。

インドネシア製ですが、いろんなネコがいてどれも可愛らしい顔をしてます。

ネコだけじゃなく、カエルもいましたけど...

「野のはな舎」さん、勝手に撮影してゴメンナサイ。<m(_ _)m>

ひととおり散策した後、商店街を抜けたところの甘味処に入ったんですが、

その話はまたの機会にします。

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2008年12月 6日 (土)

長崎鼻、龍宮神社そして開聞岳

鹿児島県薩摩半島の最南端にある岬は「長崎鼻」といって、観光地としても有名です。

先日そこへ行ってきました。

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       ↑長崎鼻から大隅半島を望む

実はここを訪れるのは2回目だったんですが、前回はかなり幼少の頃だったのでほとんど覚えていませんでした。

今思うに、僕の両親の新婚旅行が宮崎、鹿児島ツアーだったようで、その記憶をもとに子供がある程度成長したところでもう一度鹿児島へ行ったんだと推察します。

僕の両親が結婚した昭和30年代後半から昭和40年代前半にかけては、宮崎、鹿児島は「新婚旅行のメッカ」と言われていたそうです。
(「メッカ」って、今や死語かも...)

というのも、昭和35年に島津久永・貴子(昭和天皇の第五皇女)夫妻が、そして昭和37年には皇太子夫妻(今の天皇陛下、皇后陛下)新婚旅行に選んだコースで、いわゆる「ロイヤルハネムーン」と呼ばれる超人気コースだったんです。

なんでも、新婚さん専用の寝台列車「ことぶき」という臨時列車があったそうですよ。
この列車、昭和42年から大安の日と友引の日の前後の日の下りのみの運行で、京都と宮崎を結ぶA寝台のみの寝台列車だったそうです。
ウソみたいな本当の話です。

ちなみに、その時の新婦さんはほぼ全員美智子妃殿下のファッションを真似ていたそうで、同じような格好をした新婚カップルが、うじゃうじゃいたそうです。
新婦を間違える新郎なんかもいたりして...
しかも、ワザとだったりして...(笑)

当然、「成田離婚」ならぬ「宮崎離婚」なんていうのもあったようですよ...

参考HP : 「駅の物語第5話 宮崎駅 駅の証人に聴く」

ところで、長崎鼻には「龍宮神社」という神社があり、浦島太郎伝説でお馴染みの「乙姫様」が祀られています。

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この乙姫様とは、日本神話で言う「豊玉姫(とよたまひめ)」のことで、海神の娘であり、山幸彦のお嫁さんです。
この二人から生まれたのは「鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)」という神様で、豊玉姫の妹である「玉依姫(たまよりひめ)」と結婚し、4人の子供を授かります。
その4番目の子供は「磐余彦尊(いわれひこのみこと)」と言うのですが、この神こそ「神武天皇」であり、初代天皇と言われるお方なのです。

このあたりの話もキリがないのでこれくらいにしておきましょう。
詳しく知りたい方は、日本書紀や古事記で勉強してください。

この龍宮神社の隣にたたずむ小さな祭壇には大黒様らしき神様が祀られていました。

この大黒様の顔が何とも幸せそうな顔をしていて、こちらまで幸せになれそうな気がしたのがとても印象に残りました。

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最後に長崎鼻から望むとても美しい山、「開聞岳」。

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薩摩富士」とも呼ばれるその姿は、きれいな円錐形をしていて、とくにこの長崎鼻からみる開聞岳は前に何も遮るものがないため、とてもきれいに見えます。

開聞岳は標高が922mあり、9世紀に起こった2度の大噴火によって現在の姿になったと言われています。

今回訪れた日は朝早くだったせいか、早く流れる雲の影が開聞岳に映され、刻々と模様を変える開聞岳がとても神秘的に見えました

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どうです?
判りますか?

実際、自分の目で見れば感動すること請け合いです。

九州は薩摩半島の最南端、長崎鼻と龍宮神社、そして開聞岳のレポートでした。

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2008年11月 3日 (月)

下鴨神社 ~ 参拝編

京都の「下鴨神社」は京都御苑から北東の方向にある「糺の森の中にあります。

下鴨神社へ行くにはこの糺の森の南側から進んでいくのが一般的な順路です。

この南側の入口から入り、森の北側に位置する下鴨神社本殿までの道がいわゆる表参道であり、距離にすると500メートルちょっとになります。

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ただし、表参道と言っても糺の森全体が国の史跡として保護されているため、茶店や露店などは一切ありません。
その代りに素晴らしい自然が広がっていて、京都の中心でありながら都会の喧騒を一切感じさせない雰囲気に満ち溢れています。

南側の入口左側にまず、下鴨神社全体が描かれた大きな絵図があります。
この絵図で下鴨神社の大体のイメージが掴めるようになっています。

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森へ入るとすぐ、左側に建物が見えてきます。
これは「河合神社」と呼ばれる神社で、鴨長明ゆかりの神社として有名です。

神社の境内の中に実際に鴨長明が住んだとされる「方丈の庵」が復元展示されていました。

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さて、元の道に戻り、表参道を北上します。
この表参道に並行する形で、左側にはとても水のきれいな小川が流れています。

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これは「瀬見の小川」と呼ばれる小川で、先出の鴨長明が詠んだ有名な和歌にも出てきます。

「石川や 瀬見の小川の 清ければ 月も流れを たづねてぞすむ」
(新古今和歌集)

現在の瀬見の小川は復元されたものらしいのですが、それだけ古くから親しまれていたのでしょう。
紅葉の季節にはこの小川を楓の葉が漂い、また見事な景色を見せてくれるんでしょうね。

瀬見の小川を見ながら表参道を進んでいくと、大きな赤い鳥居が現れます。

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そして右側には清めのための手を洗う場所、いわゆる御手洗が現れます。
ここで身を清めるといよいよ本殿が近づいてきます。

その前にまず出てくるのは「楼門」
東西に延びる回廊の中心にあり、眩しいほどの朱色がひときわ目を惹きます。

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そういえば、鹿島神宮のときも香取神宮のときもこの楼門は鮮やかな朱色でした。
楼門の色って朱色って決まってるんでしょうか。
なぜ朱色なんでしょう。

ネットで調べた限りじゃちょっと判明しませんでした。
またじっくり調べてみたいと思っています。

楼門をくぐると広い空間が広がっていて、いくつかの建物が建てられています。

楼門と本殿への入口の間にあるのが「舞殿」
その左側にある建物は「神服殿」、その奥に「参集殿」
逆に右側にあるのは「橋殿」、その奥に「細殿」、さらに奥には「直会殿」

こんなに多くの建物がある神社は初めてです。
さすが「山城国一之宮」、宮内庁御用達(?)の格式高い神社なんですね。

また、本殿の東側にはちょっとした庭園のようなところがあり、「みたらし池」そして「井上社」という社があります。

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この社は別名「御手洗社」とも呼ばれていて、以前記事を書いた「賀茂みたらし団子」発祥の池なのです。

関連ブログ : 加茂みたらし団子 http://hirohi.cocolog-nifty.com/hirohi1/2008/10/post-b18d.html

さて、お待たせしました。
いよいよ本殿へと進みます。

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まず入り口である「中門」をくぐるのですが、これをくぐったところには幾つもの小さなお社が並んでいます。

正式には「言社」というのだそうで、全部で7つの社があるのですが、それぞれに干支の神様が祀ってあるそうで、自分の干支と同じ社にお参りすることで、御利益があるのだとか。

僕は「寅年」なので左の中央の社「大己貴神(おおなむちのかみ)」が祀ってある社に参拝しました。

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そしていよいよ本殿へのお参りを行う「幣殿」という場所にたどり着きます。
一般的に言うところの拝殿です。

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この奥には、前回の記事に書いたとおり、東西2つの本殿があります。
「西本殿」には「賀茂建角身神(かもたけつぬみのみこと)」が、そして「東本殿」には「玉依媛命(たまよりひめのみこと)」が祀られています。

当然ながら本殿へは我々一般人は足を踏み入れることができませんので、ここ「幣殿」から参拝することになります。

「二礼、二拍手、一礼」

糺の森に佇む下鴨神社。

京都という所は本当に不思議な場所だと思います。
都会なのに、他の都市のような喧騒さを感じさせない不思議な空気が流れています。

今回は時間の都合でここ「下鴨神社」しか行けませんでしたが、次に来るときには是非たっぷりと時間をとって、京都の街をじっくり堪能したいと改めて思いました。

少なくとも次に来たときには「上賀茂神社」には絶対行かないとね。

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2008年10月25日 (土)

下鴨神社

先日、何年ぶりか、いや十何年ぶりかも、ってくらい久しぶりに京都へ行く機会がありました。

そして以前から京都へ行った際には是非行きたい場所がありました。

その場所とは、金閣寺でも銀閣寺でもなく、清水寺でも京都御所でもありません。

僕が行きたかった場所とは、『下鴨神社』です。

理由は2つあります。

1つめは、神社のうち世界遺産に登録されている貴重な神社ということ。
ちなみに世界遺産に登録されている神社は、この他にも上賀茂神社(京都)、宇治上神社(京都)、春日大社(奈良)、厳島神社(広島)等があります。
いずれも是非訪れてみたい場所です。

2つめは、前回鹿島神宮に行った際、大きなみたらし団子を食べたんですが、そのみたらし団子の発祥の地がこの下鴨神社なんです。

  過去のブログ : 『鹿島神宮 ~ 茶店「一休」』

    過去のブログ : 『加茂みたらし団子』

今回は出張の合間で立ち寄ったことでもあり、それほど時間もとれなかったので、東京から新幹線で京都へ着くとバスに乗って下鴨神社へ直行しました。

地下鉄でも行けないことはないんですが、京都を巡るならやっぱバスですよね。
地下鉄に比べて時間はかかるかも知れませんが、地下を移動するのはもったいないと思いません?
その点、バスなら京都のいろんな町並みを見ながら目的地へ行けるというのもひとつの楽しみだと思うんです。

それに、1日乗車券を買えば500円で乗り放題というのも魅力です。

下鴨神社へ行くには、京都市バス205系統(市内循環)内回りに乗ります。
バスは京都駅前から塩小路通りを東へ進み、河原町通りとの交差点を左折するとあとはまっすぐ北上します。

途中、京都の一番の繁華街である四条河原町交差点付近、京都市役所、そして今出川の何やら懐かしい商店街を左手に見ながら、葵橋(鴨川に架かる橋)を渡ると右手に見えてくるのが下鴨神社がある「糺の森(ただすのもり)」です。

下鴨神社前というバス停もあるんですが、正しい順路で下鴨神社へ行くのであれば、「新葵橋」もしくはその1つ手前の「葵橋西詰」で降りるのがいいと思います。

今回僕はそれを知らずに「下鴨神社前」で降りてしまったために、逆の順路で行くことになってしまいました。

通常は糺の森の南側入口からスタートしてOKだと思うのですが、実はそこからさらに南へちょっと行ったところに最初の鳥居があるんです。

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赤い鳥居に「賀茂御祖神社」と書かれた石碑。

実は下鴨神社の正式名称は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」というのです。

また、この下鴨神社に対し、鴨川の上流には「上賀茂神社」があるのですが、こちらの別名は「賀茂別雷神社」。
つまり、上賀茂神社と下鴨神社は兄弟のような関係で(実際は兄弟でなく親子関係なんですが...)、この2つを総称して「賀茂神社」、「賀茂社」などという言い方をします。
そして、賀茂社すなわちこの2社をして山城国一之宮と呼ばれています。

ちなみに「山城国」とは京都地方の昔の呼び名。
「一之宮」とは、その国(地域)の中で最も社格の高い神社のことですので、下鴨神社は京都において最も格式と由緒のある神社だと言えます。

神社の記録によると、平安京を造営するにあたり、この下鴨神社にて成功祈願の祈祷が行われたとあるそうです。

下鴨神社に祭られている御祭神は2人、じゃなくて神様だから2神です。
この2神を祀るため、下鴨神社の本殿は東西2つあるんです。

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まずは、「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」。
相変わらず神様の名前は難しいですよね。早口言葉みたい。

古代の京都を拓かれたと言われていて、京都の守護神として祀られています。

神話によると、神武天皇が国を平定するために東征した際、この賀茂建角身命が八咫烏(やたがらす)に化身して先導したとあるそうです。

ん? 八咫烏っていうと、そう、サッカー日本代表のシンボルマークじゃないですか。

日本サッカーの守り神、八咫烏の起源はここ下鴨神社にあったんですね。

もう一人、じゃなくて1神は「玉依媛命(たまよりひめのみこと)」。
前述の賀茂建角身命の子で、「山城国風土記」によると、鴨川で禊をしている際、上流より流れてきた丹塗の矢を拾ったところそれが美しい男神になり、その神と結婚して生まれた子供が「賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)」、すなわち上賀茂神社の御祭神なんだそうです。

なので、上賀茂神社と下鴨神社は親子関係と言えるのです。

また、日本書紀などによるとこの女神は海神の子で、神武天皇のお母さんであると伝えられているようです。

と、このように下鴨神社は単に世界遺産であるだけでなく、格式の高い由緒ある神社だということがわかりましたよね。

次回は、糺の森の入口から表参道を通り、本殿までの道のりをレポートしたいと思います。

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2008年10月11日 (土)

翠嵐楼

九州にはたくさんの温泉があります。

熊本県も例外ではなく、阿蘇、菊池、天草など多くの温泉があります。

今回、僕は熊本から鹿児島を巡る研修ツアーに参加したのですが、その時に泊まったのが

人吉温泉 「翠嵐楼」 (すいらんろう)

という温泉旅館でした。

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人吉温泉は熊本県人吉市、熊本県の中では南に位置し、もう少し南へ下ると宮崎県えびの、そして鹿児島県へと続きます。

市内には球磨川が流れ、球磨焼酎をはじめとする焼酎の酒蔵が多く所在する町としても有名です。
なお、球磨川は流れの早い川で、日本三大急流のひとつであり、ここ人吉の観光の目玉の一つに「球磨川下り」があります。

球磨川下りHP :  http://www.kumagawa.co.jp/start.html

ちなみに、日本三大急流とは最上川、富士川、そして球磨川のことです。

JR人吉駅の周辺にはいくつかの温泉宿が立ち並んでいますが、今回泊まったこの翠嵐楼は人吉の街から3km程西へ離れた場所にあります。

今回はツアーだったので観光バスで向かったんですが、こんな所に旅館があるのだろうかと思うくらい町の中心から外れて行き、田んぼや民家の脇道を通り抜けていくと、突然この旅館が現れました。

旅館自体はそれほど大きくはありませんが、本館のすぐ裏には球磨川が流れ、その奥には山をいただく、とても清楚な感じがする佇まいです。

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それもそのはず、この翠嵐楼は創業明治43年(1910年)という人吉では最も歴史のある旅館で、しかも皇室御用達なんだとか。

なるほど、納得。

ここの旅館の特徴は、何といってもその温泉の質の良さでしょう。
ここには足湯も入れると5つの風呂があるんですが、基本的にはすべてかけ流し、
しかも、なんとこの旅館には源泉が2つもあるんです。

人吉駅周辺の温泉と違い、ここの温泉名は、

「翠嵐楼温泉」

と名付けられているそうです。

源泉の温度も47.3℃、毎分143リットルも湧き出すため、夏の暑い時期には多少加水するものの、基本的には源泉かけ流しなんだそうです。

特に、半地下のような場所にある「御影の湯」というお風呂は創業当時からあるお風呂で、ポンプも使わず直接源泉を湯舟に注ぎ込むという正真正銘100%源泉かけ流しなんだそうです。

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「御影の湯」 : 創業当時を思わせるレトロな雰囲気

お湯はとてもなめらかな感触がしました。
説明によると、ここの泉質は食塩性アルカリ炭酸泉で無色透明、多少塩味のする温泉で、重曹を多く含み、肌がつるつるすべすべするお湯なんだそうです。

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「みどりの湯」 : とても静かな落ち着ける空間

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「翠山の湯」 : こちらは本館3階にある大浴場
2階には「翠河の湯」(今回は女湯)がある。

大浴場の脱衣所にはここの温泉で作られたというミネラルウォーターが置いてありました。

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「球磨のちから」というミネラルウォーターで、市内でも一般販売されている商品なんだそうです。
ミネラルウォーターの他に、「美肌水 球磨のちから」なんていう商品もあるそうですよ。

飲んだ感じはちょっと硬めな感じがしました。
球磨焼酎をこの水で割ると二日酔になりにくいらしいですよ。

歴史のある旅館ですが部屋もきれいだし、若女将をはじめ従業員も皆さん親切で愛想がよく、とっても好印象でした。

人吉温泉「翠嵐楼」、お勧めの宿です。

翠嵐楼HP : http://www.suiranrou.jp/  

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2008年5月22日 (木)

鹿島神宮 ~ 七不思議

鹿島神宮の奥には森が広がっています。
拝殿で参拝を済ませた後、奥の森へと続く入口に、「東神門」があります。

ここに、鹿島神宮境内の案内板があるのですが、案内のあとに鹿島神宮七不思議が記載してあります。

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その七不思議とは、

①要石
 その根底ふかくて図り知れずという

②御手洗
 池の深さ大人 小人によらず乳を過ぎずという

③末無川
 川の水 流れ行くほど追々かれて行末知らず

④藤の花
 御山の藤の花の多少により その年の豊凶を予知すること

⑤海の音
 波の響が上(北)の方に聞えれば日和
 下(南)に響けば雨降るという

⑥値上りの松
 すべて御山の内の松 幾度伐れども伐り跡に目出て枯れることなし

⑦松の箸
 鹿島の松で作る箸は松脂の出たことなしという

という七つです。
なんだか怪しいものばかりですね。
もっとも怪しいから不思議というんでしょうが...

この七つの真偽については定かではありませんが、少なくとも①の要石と②の御手洗の池は実物を拝むことができるし、実際今回見てきました。

まず、要石について。

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要石についての説明は鹿島神宮にもありますが、香取神宮の説明の方がわかりやすく記述されています。

参考(香取神宮の要石) : http://hirohi.cocolog-nifty.com/hirohi1/2008/03/post_f1e9.html

それによると、むかし鹿島の神である武甕槌大神(たけみかづちのかみ)と香取の神である経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、葦原中国(あしはらなかつくに)を平定し、香取が浦(霞ヶ浦)付近にたどり着きます。
ところがこのあたりは地下に潜む大ナマズのせいで地震が頻発していました。
二神はこれを鎮めるため地中深くに石棒を差し込み、鹿島の武甕槌大神はナマズの頭を、そして経津主大神はナマズの尻尾を抑え、地震を鎮めることに成功したとのことです。

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両神宮ともこの要石が地上に出ている部分はほんのわずかなのですが、地底深くまで続いている巨大な石なのだそうです。

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 ↑写真下の方に見えるちょこっと出っ張っている石が要石です

そして、かの水戸黄門様がその真偽を確かめるため7日7夜掘り続けさせたのですが、結局最後まで掘りつくすことができなかったという伝説が残されており、これが七不思議の1番「その根底ふかくて図り知れずという」に通じているのでしょう。

次に、御手洗(みたらし)の池について。

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この場所は奥宮から急な階段を降りたところにあります。
昔はこちら側が本殿に向かう参道の起点であり、参拝の前にまずこの池で身を清めたそうで、これが「御手洗」という名の由来なんだそうです。
「みたらい」ではなく「みたらし」です。
そういえば僕の田舎の方に「御手洗水」と書いて「おちょうず」と読む地名がありました。
って、そんなのどうでもいいんですけど。

水は清く透き通っていて池を泳ぐ鯉もよく見える、そして池の真ん中には鳥居が建てられていて、とても神聖な池に見えます。

それもそのはず、この池はすぐ横から湧き出す水が源泉であり、そのまま飲むのはやめた方がいいとは書いてありましたが、自由に汲んで持ち帰ることができます。

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実際水筒に入れて持ち帰り、沸かしてお茶にして飲みました。
おいしかった...というか、気分的なもんでしょうが霊験あらたかなお茶をいただくことができました。

池の傍にある茶店では、この池の水を使った(かどうかは定かではありませんが...)お酒が売られていました。

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で、肝心の不思議についてですが、これはどう見ても大人のひざ上くらいの深さしかなく、確かに胸までの深さはないとは言え、「池の深さ大人 小人によらず乳を過ぎずという」のはちょっと大げさでしょう。

わざわざ七不思議にするほどのものではないと思うのですが...

むしろ、「どんな干ばつの時でも枯れることのない霊泉」というのを不思議にした方がいいんじゃあないの?って思ったのは僕だけ?

その他の不思議については実際確認はできませんでしたが、あちこちネットで調べた限りの情報をまとめてみます。

③の末無川についてですが、
これは神宮の外、神宮から東へ数キロ程行ったあたりの小さな道路沿いに立て札が立っているようです。
当然川などありませんし、小さな立て札なのでうっかり見逃してしまいそうな場所なんだそうです。

④の藤の花と⑥の松の根については、今は無いそうで、したがって真偽を確かめることはできないようです。
したがって⑦の箸の件も現在では確かめようがないということになります。

⑤の海の音については、奥宮の前にある芭蕉の句碑の上部にある穴に耳を当てると音が聞こえるそうですが、今回はそのことを知らなかったため確認できませんでした。
次回行くことがあれば、試してみたいと思います。
といっても、豊作凶作との関連性を確かめることはできないと思いますが...

以上、鹿島神宮の七不思議についてでした。

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2008年5月 6日 (火)

鹿島神宮 ~ 訪問編

3月に香取神宮へ行った報告をしましたが、今回は「鹿島神宮」へ行ってきましたので、何回かに渡り報告することにします。
実は、昨年伊勢神宮にも行ってきているので、いわゆる「延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)」による3大神宮を制覇したことになります。

マイカーで行ったんですが、この付近は香取神宮と違い駐車場が有料でした。
公営の駐車場が神宮のすぐ脇(第1駐車場)と、ちょっと離れた所(第2駐車場)にあるんですが、それとは別に参道沿いの店ではあちこちにおばさん達が立っていて、自分の店に入ってもらおうと一生懸命呼び込みをしていました。
これに乗っかると後々面倒くさそうなので、今回は離れた方の第2駐車場に止めました。
料金は3時間で200円と良心的。(タダにはかないませんが...)
料金所には愛想良さそうなおばあちゃんが座っていて、「どうぞごゆっくり」と声をかけてもらいました。

駐車場から参道を歩いて行くと、目の前に大きな鳥居が現れます。

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「大鳥居」別名「二の鳥居」です。
ちなみに一の鳥居が見つからないのですが、後で調べたところ「一の鳥居」はちょっと離れた北浦湖畔、大船津という場所に立っているのだそうです。

大鳥居を拝礼してくぐり、短い表参道を進むと次に現れるのが「楼門」。

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そして楼門をくぐるとすぐ右手に拝殿、本殿が現れます。

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香取神宮の場合は表参道がカーブしていて、かつ楼門の前に「総門」がありました。
伊勢神宮や香取神宮と比べると鹿島神宮はあっさり拝殿までたどり着けるので、ちょっと意外な感じがしました。

とにかく、拝殿の前に立ち、二礼二拍手一礼をし家族安泰を祈願。
これで、やることはやったのですが、ちょっと物足りない感じ?

しかし、鹿島神宮はここから奥が広いんです。
拝殿の先に「東神門」があるのですが、ここから先が鹿島の森と呼ばれる散策コースになっているんです。

この先にもいろんな見所があるんですが、今回はここまで。
次回はその前に鹿島神宮についての豆知識についてです。

お楽しみに。

P.S. 今回の滞在時間は約4時間だったんですが、駐車場の追加料金はとられませんでした。
さすが、良心的なおばあちゃん。ありがとうございました。

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2008年3月30日 (日)

香取神宮 ~ 要石

ついこないだまで、フジTVで放映されていたドラマ「鹿男あをによし」を見てましたか?

この話、どんな話だったかをかなり端折って言うと...

日本の国を滅ぼしてしまう規模の大地震が迫っている。
これ、実は地下に潜む大ナマズが暴れるのが原因で、60年に一度ナマズを抑えている石にパワーを注ぎ直す必要があり、その使いとして「鹿の運び人」に突然任命された一人の教師が七転八倒しつつ、最後は何とか大惨事を食い止める、というストーリーです。
(すみません、ほんとにかなり端折ってしまいました...)

香取神宮にはこれと同じ話があり、境内の一角に「要石」と呼ばれる石が祀ってあります。

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説明によると、むかし鹿島の神である武甕槌大神(たけみかづちのかみ)と香取の神である経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、葦原中国(あしはらなかつくに)を平定し、香取が浦(霞ヶ浦)付近にたどり着きます。
ところがこのあたりは地下に潜む大ナマズのせいで地震が頻発していました。
二神はこれを鎮めるため地中深くに石棒を差し込み、鹿島の武甕槌大神はナマズの頭を、そして経津主大神はナマズの尻尾を抑え、地震を鎮めることに成功したとのことです。

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写真の通り、地上に出ている部分はわずかですが、地下には巨大な石が埋まっていることになります。
1664年3月、なんでも徳川光圀がこの石を掘らせたそうですが、根元を見ることはできなかったそうです。
信じる信じないは別としても、黄門様って結構バチ当たりなことをしたんじゃないですか?

たしかに気になりますけどね。石の正体。

香取の要石は丸っこい形をしていますが、鹿島の要石は凹型をしているらしいです。
香取の要石は石柱で囲ってあるだけですが、鹿島の要石は鳥居付きの立派な囲いに覆われているようです。
要石の扱いに差があるようですが...

それはともかく、今度鹿島の要石も見てみようと思います。

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2008年3月28日 (金)

香取神宮 ~ 訪問編

先週の土曜日、行ってきました。香取神宮。

過去記事「香取神社」の中でも書いたんですが、香取神宮は全国にある香取神社の総本山です。

http://hirohi.cocolog-nifty.com/hirohi1/2007/12/post_3320.html

千葉県香取市(ちょっと前までは佐原市)にあります。
東関東自動車道佐原香取ICを降りてすぐ、高速を利用すれば都内からでもそんなに遠くありません。

我が家では厄除け、七五三等神社での祈祷は近所の香取神社にお世話になっています。
今回特にイベントがあったわけではないんですが、やはり総本山の香取神宮へは一度行っておかねば。
思い立ったが吉日ということで突然の参拝となった訳です。

まず、参道入り口の無料駐車場へ到着。

Photo

天気もよく、土曜日だったんですが、意外と人は少ない。
来週から桜まつりがはじまるらしく、そうなると見事な桜、かなりの人出となるのでしょうが、逆にそうなるとゆっくりできなさそうだし、そういう意味ではよかったのかも。

参道前の商店街を抜けると、「香取神宮」の巨大な石碑と大鳥居。
第二の鳥居というらしいのですが、第一の鳥居はどこにあるのでしょう。

Photo_2

鳥居の下で一礼し、参道を進む。
この道は左へカーブしているんですが、鳥居をくぐった瞬間から、空気が変わります。
ものすごく神聖な、そして清らかな気分にさせてくれる空気に包まれるのです。
この感覚、そう以前伊勢神宮へ行った時と同じ感覚です。
あの時もそうでした。
カーブしている参道を進み本殿に近づくにつれ霊験あらたかな感覚に包まれていく。
それと同じ感覚です。
やはり、こういう場所には神々に守られた何かしら違ったものがあるんでしょうか。

参道を登ると目の前に広がるのは大きな鳥居、そしてその奥に総門という建物が現れます。

Photo_3

ここでまた一礼し、総門をくぐって右に曲がると、左手にもう一つの門である楼門という建物が見えてきます。

Photo_4

またまた拝礼をして、この楼門をくぐるといよいよ本殿(正確には拝殿)とのご対面。
目の前に現れた本殿を見てびっくり。

Photo_5

想像とは違って、全体的に黒い建物なんです。
ここへたどり着くまではどちらかというと赤色で来てたのに...
ハッキリ言って予想外。
屋根も黒、柱も黒、壁も黒、そしてそこに輝く金色の模様。
とても荘厳なたたずまいです。
これはこれで圧倒されます。

拝殿の前に立ち、二礼二拍手。
家族の無病息災を祈り、一礼。

さすが香取の総本山だけあって、願いが叶うような気が。
なんだか来た甲斐あったなぁ、って思えます。
おみくじは末吉だったけど...

このあと、本殿の裏手にある茶屋、あと要石を見に行ったのですが、この話は後日ということで。

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2008年3月13日 (木)

金鱗湖

大分県湯布院にはとても小さいけれど有名な湖があります。

「金鱗湖(きんりんこ)」という、直径200メートル程の、池と言ってもいいような湖なんですが、ここは湯布院の観光スポットでもあります。
湯量が豊富だと言われる由布院温泉。
この湖底からも温泉が湧き出ているため、湖面を湯気がうっすらと覆い何とも幻想的な雰囲気を醸し出しています。

Photo

実は後で解ったのですが、湖を覆っていたのは湯気ではなく、湖水と空気の温度差により発生した霧なんだそうです。

この湖のほとりに1枚の看板があり、金鱗湖の名前の由来が記されていました。
それによると、もともとこの湖は「岳下の池(岳とは由布岳のこと)」と呼ばれていたのですが、明治17年幕末の儒学者である毛利空桑(もうりくうそう)という人が、この湖に泳ぐ魚の鱗が夕陽に照らされ金色に輝くのを見て、金鱗湖と名付けたのだそうです。
また、大昔はかなり大きな湖だったのですが、度重なる地震と土砂崩れにより今の大きさになったのだそうです。

しばらくこの湖を観賞していると、湖畔に巨大なカモを発見。

Photo_2

東京の皇居なんかでみるカルガモと比べても2倍以上はありそうな感じでした。
温泉パワーで巨大化したんでしょうかね。

僕が訪れたこの日は平日だったのですが、かなりの観光客が来ているようでした。
そして、この観光客目当てにこの辺りには沢山のお店があります。

次回は僕が今回訪れたお店を紹介します。

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2008年1月19日 (土)

西諫早ニュータウン ~ 田舎の風景③

今年の正月は実家(長崎県諫早市)に帰っていたんですが、前にも書きましたけど食って寝てでは太る一方なので、朝散歩することにしました。

僕の実家は、「西諫早ニュータウン」という町にあります。
西諫早ニュータウンとは、中尾町、山川町、白岩町、馬渡町、堂崎町の5つの町からなる地域のことで、1972年に長崎県の住宅供給公社が開発した住宅地域です。
当時はまさしく「ニュータウン」でした。
この開発で諫早市の人口は当時7万人から8万人以上になったと言われています。
今はもう35年以上経つのでかなり古くなっているはずなのですが、未だにニュータウンと呼ばれています。
ちょっと恥ずかしい...

ということで、今回元日の散歩コースは西諫早ニュータウン全5町を踏破することにしました。
ついでに懐かしの母校巡りも兼ねることとなりました。

スタートは実家のある中尾町。
南へ下り、地区センターの脇を西諫早小学校へ。
ここは僕の通った小学校ではないのですが、おもしろい木を発見。

Photo

なんとなく、龍(ドラゴン)に見えませんか?
しかも上り龍、正月から縁起がいいっ!!

そのまま南へ下り、西諫早中学校の前を通る。
ここは僕が3年間通った中学校。とっても懐かしい。

Photo_2

そういえば、昔は中学校の前に雑貨屋さんがあったはずなんだけど、今はなくなって駐車場になっている。
なんだか寂しい。

あと、3年の時の担任だった堤先生は今どうしてるんだろう。
なにせ30年くらい前の話なので、もうとっくにおじいちゃんなんだろうなぁ。
技術の先生だったんだけど、よく前の雑貨屋にタバコ買いに行かされたなぁ。
それに、冬の時期にはお昼に余った牛乳を集めてでっかいやかんに入れ、技術室で温めて飲んでいたっけなぁ。
う~ん、とっても懐かしい。

その中学校を過ぎ、馬渡町を西諫早駅の方へ。
そのまま北上し、堂崎町の裏手から回り込むようなルートで白岩町へ進む。
その途中で2年間通った真崎小学校の前で立ち止まる。

Photo_3

本当は西諫早小学校の方が近いんだけど、僕が引っ越してきた時はまだ西諫早小学校はなかったので、仕方なくこっちに通っていたのでした。

白岩町から山川町に入るとゴールは近い。
途中、なかなか楽しいそうな幼稚園バスを発見したので記念に写真を1枚。

Sl

こんなバスだと通園も楽しいだろうなぁなんて思いつつ、ゴールの中尾町の実家までたどり着くことができました。

全行程約1時間30分。
とってもいい運動になったし、昔の懐かしい風景を満喫できたし、そのあとの食事もおいしかったし、とても満足できた元日の朝でした。

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2008年1月15日 (火)

本明川 ~ 田舎の風景②

田舎の風景第2弾は、諫早の中心を流れる「本明川」です。

その前にまず川についての基礎知識から。

皆さんよく「一級河川 ○○川」という言葉をよく耳にしますよね。
日本の河川は、国土交通省および政令によって区分されているわけですが、この区分には一級水系、二級水系といった「水系」という言い方と、一級河川、二級河川といった「河川」という言い方があるのをご存知ですか?

まず、「水系」から。
一級水系とは、国土保全上あるいは国民経済上特に重要として、国土交通大臣により指定されたものを指します。
これは「河川法」という法律の第4条に基づき指定されており、現在日本全国で109の水系が指定されています。

意外と少ないと思った方が多いのではないでしょうか?
実は水系というのは本流、支流に加えそれに係る湖やダム等まで含まれます。
例えば、利根川水系というと、利根川だけでなく、渡良瀬川、小貝川、鬼怒川、江戸川といった50以上の河川、中禅寺湖や霞ケ浦、印旛沼、手賀沼といった20以上の湖、それと60以上のダムや用水路までが含まれるのです。

そして、一級水系に含まれるこれらの河川は、全てというか自動的に「一級河川」となります。
つまり、利根川水系の中には50以上の一級河川が存在することになります。

二級水系は、一級水系以外の水系のうち重要なものについて、都道府県知事により指定されたものを指します。
これも同じく「河川法」の第5条に基づき指定されるもので、現在日本全国に約2700程あります。

この一級水系、二級水系に属さない河川は、普通河川、準用河川と呼ばれるわけですが、この説明については省略します。
本題に入れなくなってしまいますので...

ここからが本題です。

先ほど言った、109の一級水系のうち最も短いものが「本明川」なのです。
日本一ショボい一級河川とでも言いましょうか。
しかも、長崎県では唯一の一級水系なのです。

Photo

総延長たったの21km、日本一長い信濃川が361kmなので、約17分の1しかありません。
本明川より長い二級水系もたくさんあります。

なぜ本明川が一級水系に指定されたかは定かではないけれど、僕が思うに大きな理由は二つあると思います。

第一は過去に大きな水害があったということ、前回の記事にも書きましたが、昭和32年7月に起こった「諫早大水害」です。
この事故は、死者494名、行方不明者45名、負傷者1476名、家屋の全壊、流出727戸、床上浸水2734戸という大惨事だったそうで、今でも諫早では当時の話をよく耳にします。
ちなみに昨年(2007年)がちょうど災害発生から50年だったそうで、地元諫早では防災フォーラムや川の清掃大会等いろんなイベントが行われたそうです。

第二は、この本明川が流れ込む海が諫早湾(有明海)だということ。
そうです。数年前、諫早湾干拓事業の話題が全国ニュースでとりあげられた、その海に流れ込む川がこの本明川なのです。
干拓事業は今でも着々と進められていますが、有明海周辺の環境変化も相変わらず進んでいるようです。

つまり、安心安全的にも経済的にも非常に重要な意味を持つ「本明川」は、当然一級水系に指定されるべき河川なのです。

最後に、諫早の水はとてもおいしいと思います。
本明川の源流でもある多良岳の伏流水が、この本明川に流れ込んでいるからなのでしょう。

(下の写真の川が本明川、奥の山が多良岳です)

Photo_2

田舎の自慢、「本明川」の話でした。

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2008年1月13日 (日)

眼鏡橋 ~ 田舎の風景①

今年の正月は例年通り田舎に帰ってました。

いつものことだけど、ほぼ飲み食い正月と寝正月になってしまい、帰ってきたら2~3Kg体重が増えているパターンなので、今年の正月は朝散歩をすることにしました。

僕の田舎は長崎県諫早市という街なんだけど、都会と比べるとそんなに変化が少ない。
昔住んでいた時の風景がかなり残っています。
それと、散歩してみて改めて田舎の良さがわかったりもしました。

そんな田舎の風景を何回かにわたって自慢していきます。

第1回目は、「眼鏡橋」。

眼鏡橋と言えば長崎市の眼鏡橋が有名ですよね。
長崎の観光ガイドに必ず載っているスポットです。
でも、実は諫早市にも長崎のものに負けない立派な眼鏡橋があるんです。

Photo

この眼鏡橋は諫早市の繁華街からちょっと歩いたところにある諫早公園という所で見ることができます。

なぜ眼鏡橋っていうのかというと、橋が水面に映った絵が眼鏡のようにみえるからです。
下の写真のように。

Photo_2

ね、見えるでしょ。

比較のために一応長崎市の眼鏡橋の写真も撮ってきました。

Photo_3

長崎市の眼鏡橋と諫早市の眼鏡橋、見た感じはどうでしょう。
それぞれ独特のたたずまいを持つ美しい形ですよね。

そこで、2つの橋を少し比較してみましょう。

まずは作られた年。諫早:1839年(天保10年)、長崎:1634年(寛永11年)。
どちらも江戸時代ですが長崎の方が約200年早いことになります。
それもそのはずで、諫早眼鏡橋は諫早の中心を流れる本明川に頑丈な橋を架けるため、長崎の眼鏡橋を参考に作られたのです。

次に大きさ。諫早:長さ49.25m、幅5.5m、長崎:長さ22m、幅3.65m。
諫早眼鏡橋の方が約2倍の大きさということになります。

2つの橋は共に国の重要文化財に指定されていますが、長崎眼鏡橋が1960年に指定されたのに対し、諫早眼鏡橋は1958年と意外にも長崎より2年早く指定されています。
諫早眼鏡橋はなんと石橋としては全国で初めて指定された重要文化財なのです。
すごいじゃないですか。

諫早眼鏡橋は今は公園の中にありますが、かつては前述の本明川に架けられていました。
1957年(昭和32年)7月、諫早の中心地を水浸しにした諫早大水害という災害が起きました。
この事故は、死者494名、行方不明者45名、負傷者1476名、家屋の全壊、流出727戸、床上浸水2734戸という大惨事だったそうです。
そして、この大惨事の原因の一つがこの眼鏡橋だったのです。
なぜかというと、この眼鏡橋の頑丈さが仇となり、上流から流れてきた流木や瓦礫がこの眼鏡橋によりせき止められたために水没被害を拡大させたのだそうです。

この水害の後、川は拡幅工事が計画され、一時は橋が壊されそうになったのですが、当時の市長以下の働きで文化財として保存されることとなり、今の公園へ移設されることとなったのです。

実はこの眼鏡橋、僕が通った諫早高校の裏にあって、当時は当たり前の風景だったのですが、調べてみるとすごい歴史のあるものなんだと改めて実感した、そんな眼鏡橋の紹介でした。

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2008年1月 7日 (月)

初詣

    新年あけましておめでとうございます。

年末年始は田舎に帰っていたのでしばらくブログもお休みしてました。

ところで皆さん、初詣には行きましたか?

僕は、田舎(長崎)に帰っていたので、実家の近所の神社(諫早市にある「高城神社」)と、あと長崎市内にある「諏訪神社」という所へ行ってきました。
この諏訪神社、長崎ではかなり有名なんですよ。

Photo_3

長崎で有名なお祭りで「長崎くんち」というのがあるんですが、このメイン会場なんです。
(ちょっと雑っぽい言い方ですみません)

それはともかく、僕が東京に出てきて不思議に思ったことがあります。
それは、初詣に出かける場所が神社とは限らないということ。
自分の中の常識では、初詣といえば神社、すなわち神様にお祈りして1年の安泰を祈願するのが当たり前なんですが、こちらでは、「○○寺」だったり、「○○大師」だったりします。
つまり、神様ではなく仏様に祈願するということですよね。

個人的には納得いかないのですが、仏様も徳の高い方なのでしょうから、誰が何にお参りするかは個人の自由ですし、文句を言うつもりはありません。

あなたは、神社派?それともお寺派?

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2007年12月18日 (火)

裏富士

前回、富士吉田市でちょっと変わった信号機の話題を書きましたが、今回はそのとき撮った富士山の写真を掲載します。

今回は仕事の関係で、陸上自衛隊北富士駐屯地というところへ行ってきました。

この駐屯地からはいわゆる「裏富士」をきれいに見ることができます。
この日は、また朝からすばらしい天気で、富士山もきれいに見ることができました。

071212

この写真は朝9時半くらい。
雲ひとつない快晴。
富士山といえば、静岡県側から見るいわゆる「表富士」が一般的ですが、個人的には「裏富士」の方がきれいな形に見えると思います。

071212_2

上の写真は11時頃。
この時間帯はこちら側からは逆光になってしまい、バカチョンカメラではなかなかきれいに撮ることはできませんが、この日はたまたまきれいに雲の傘をかぶった富士山を見ることができました。
実際は写真以上にすばらしい眺めでしたよ。

最後の写真は、山頂付近のアップです。

071212_3

積雪の具合で、登山道がはっきり見えます。
きれいなジグザグ状に道が見えますよね。
僕はまだ実際に山頂まで登ったことがないので、
「登山道ってこんなになってるんだぁ」て感心しました。

これを見ただけで、富士登山って本当きつそうだなぁって思います。

あなたは、「表富士」と「裏富士」、どちらが好きですか?

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2007年8月 8日 (水)

7月の富良野

もうだいぶ前になるんだけど、先月17日、北海道は富良野へ仕事で行ってきました。

7月の富良野といえばなんといってもラベンダー。

今回は空港でレンタカーを借りたし、せっかくなので仕事の合間にあちこち寄り道してきました。

まず、空港から富良野に向かう国道237号線を走るとまもなく右手に「ぜるぶの丘」という花畑が見えてきます。
ここは、アトム農機という会社が経営している農園で、いろとりどりの花のほか、花畑を1周できるバギーコースなんかもあったりして、まあまあ楽しめそうな感じです。

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次に寄った所は、国道237号線を美瑛町から上富良野町に入ってまもなくの所、左側に菅野ファームが見えてきます。

ここはラベンダーのほかにいろんな色のポピーが綺麗に並んでいて、とてもきれいな花畑です。
(下の写真はラベンダーですが...)

Photo

最後に寄ったところは中富良野にある「富田ファーム」。
ここはかなり有名な場所らしく、平日だというのにファームの入り口付近が渋滞していました。
観光バスもかなり来てました。さすが、人気のスポット。
ここのポイントは、なんといっても色とりどりの花が帯状に連なっている花畑を展望台から見下ろす景色でしょう。
噂に違わず、ちょっと見とれてしまいました。

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富良野を訪れたのは今回が初めてだったんだけど、それが7月だったのはとっても最高でした。
当然ながら生ラベンダーを見るのも初めてだったし、花をみて感動したのももしかしたら初めてかも。

仕事の時間より観光の時間のほうが長かったりして(^_^;)

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2007年7月26日 (木)

碓氷峠鉄道文化むら

先日家族で軽井沢へ久々の家族旅行へ行ってきました。

その帰り道、本来なら碓井軽井沢インターから高速道路に乗って帰るところなんですが、なんとなく碓氷峠を越えて松井田妙義インターから乗って帰ろうということになりました。
そのおかげで予想外の発見(=思い出)が3つできました。

まず1つ目は、碓氷峠のカーブには番号が振られていて、カーブのたびに「C-123」といった札が立っています。
横川側の「C-1」から始まり軽井沢側の「C-184」で終わる。つまり全部で184のカーブがあることになります。

今回は軽井沢からの帰り道、子供たちはカーブの番号札を見つけるたび数字を読み上げるので、最終的には車の中でカウントダウンが始まることになるんです。
ドライバー(僕)は神経使うけど、子供たちは楽しんでました。 

次に2つ目、峠を越えてくだりの中ほどの所に、眼鏡橋というレンガ造りのでっかい橋が出現します。

Photo

ここは当時信越本線が走っていた頃の鉄道橋で、実際橋の上まで登れます。
僕は上まで上りませんでしたが、家族が上まで登ったところ橋の上には専属の説明員みたいな人がいて、いろいろと解説をしてくれたそうです。
とうぜんですが、カメラのシャッターも押してくれたそうですよ。

3つ目の発見は、横川駅の横にある「碓氷峠鉄道文化むら」というところです。

Photo_2

ここには、碓氷峠の鉄道に関する歴史や、D51から始まって特急しなのまで全国から集められた数々の実物車両、あとトロッコ列車の体験試乗等鉄道ファンにはたまらない場所、のはずです。
(僕はそこまで鉄道ファンではないので(-_-;) )
というか、鉄道ファンではない僕でも結構楽しめました。
というか、今回の旅行で僕的にはここが一番よかったっす。

D51

鉄道文化むら公式HP : http://www.usuitouge.com/bunkamura/

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2007年5月12日 (土)

佐世保の町by弓張岳

佐世保へ行ってきました。

佐世保は大昔、たぶん小学生か中学生の頃に来て以来だと思うので、約30年ぶりくらいになると思います。
昔から海軍の町で有名ですよね。

今は佐世保バーガーが全国的に人気ですが、僕が印象に残っているのは「蜂の家」のシュークリームですね。
小さいながらもすごくおいしかった印象があります。
今回は食べなかったけど...

蜂の家HP:http://www.hachinoya.net/profile/hachinoya.php

佐世保での仕事が終わって、ホテルへのタクシーで帰る途中、運転手さんに頼んで「弓張岳」に登ってもらいました。
ここから佐世保の街が一望できるんです。

20070510164726

夜になると夜景が美しく、デートスポットのひとつになっているそうです。
あと、ここから見る九十九島もきれいです。

20070510164712

この日はちょっとかすみがかかってて、あまりきれいに撮れませんでした。(腕もヘタだし..)
上の写真に写っている港は、アメリカ海軍の基地です。

この後食事をしました。
九十九島に落ちる夕日が最高でした。
その話は、またあとで。

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2007年3月21日 (水)

出張三昧

先週(3月5日の週)は出張三昧でした。

3月5日、6日は仙台、3月7日は小松(石川県)、3月8日と9日は札幌っていう感じです。

先週1週間で飛行機4回、新幹線2回乗ってしまいました。

実は最近出張が多いせいで、出費がかさんで大変なんです。
メシ代とか飲み代とか、土産代とか...(-_-;)

でもお土産だけはしっかり買おうと決めてますので、今回も3ヶ所でお土産を買ってきました。

まず、仙台のお土産はズバリ「伊達の牛タン」。特にここの牛タンは「芯タン」と言って特に柔らかいらしいです。
実は自分のお腹には入らなかったんですけど...(T_T)
それと、ついでに「牛タンふりかけ」。

次に小松のお土産ですが、「羽二重餅」と「甘えびかに合せ煎」というお菓子2点。
どちらもなかなか美味でした。

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最後に札幌土産は、今回は「じゃがポックル」はやめて、「トラピストバター飴」「夕張メロンハーフチョコレート」「ハスカップ ピンキー(北海道限定)」の3点セットでした。

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2007年3月 4日 (日)

白いプリン

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先週  初め、出張で旭川へ行ってきました。

最高気温は0℃、最低気温は-15℃くらいだったんだけど、それでも現地の人に聞いたら、3月下旬くらいから4月あたまくらいの気温なんだそうです。

それよりも、驚いたのは現地の女子高生。
マイナスの中、東京なんかと同じ丈の短いスカートに生足で普通に歩いているんです。
こっちはズボンはいててもシバレルっていうのに。

おそるべし、北海道。

で、今回のお土産は、十勝の白いプリン。
ちっちゃい牛乳びんみたいなのに入ってて、巷では結構人気商品らしいです。
1個315円もするんですけど、家族は喜んで食べてたんでよかったかなと。

それと、ロイズのチョコ。
今人気なのは、エクストラビターというカカオ90%のものだそうで、それも一緒に買って帰りました。

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