カテゴリー「自衛隊訪問記」の51件の記事

2009年10月31日 (土)

弘前自衛隊記念行事

10月25日 青森県弘前市で行われた自衛隊記念行事に行ってきました。

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弘前駐屯地に所在する部隊は第39普通科連隊です。

昭和37年に青森市に第9師団が編成された際、この第39普通科連隊は第38普通科連隊とともに八戸に所在していました。

弘前市は自衛隊を誘致する活動を行い、昭和43年弘前駐屯地を開設、第39普通科連隊が移駐してきたのです。

さて、今回の記念行事は第39普通科連隊の創隊記念行事なわけですが、公式には「平成21年度自衛隊創立記念行事」となっていました。

第9師団のホームページでは、弘前市中パレードとしか案内されていません。

第39普通科連隊という言葉が出てこないんですけど、

まっ、いいか。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

当日は超快晴。雲ひとつない、素晴らしい天気でした。

日差しが当たると暑いくらいです。

弘前を訪れるのは初めてだったので、どんな行事なんだろうと思っていたんですが、行ってみてびっくりしました。

他の自衛隊記念行事とはかなり内容が異なっていたんです。

まずは、市中パレード

通常観閲式の最後に行われる観閲行進がいきなり最初に来るんです。

弘前市の中心、中三デパート前を出発し弘前城方向に約500メートルの距離を行進します。

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行進の最後の地点が観閲会場で、観閲官である第39普通科連隊長に敬礼するというものでした。

沿道には多くの市民が並んで国旗を振っていました。

次に行われたのは、記念式典です。

駐屯地に移動するのかと思いきや、すぐ近くの弘前城がある弘前公園レクレーション広場で行われました。
隊員や招待者含め、全員がゾロゾロと歩いて移動します。

ここでいつもと違うなって思ったのは、観閲官による「巡閲」

普通はジープに乗って各部隊をまわるんですが、公園でやる制約なのか、連隊長自ら歩いて行われました。

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最後に行われるのが祝賀会食

今度こそ駐屯地へ移動して体育館とかで実施されるんだろうと思いきや、

同じ公園内にあるピクニック広場までまた全員でゾロゾロと歩き始めたんです。

そう、青空の下、外で行われたんです。

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快晴だったから気持ちよかったんだけど、もしこの日が雨だったらどうなっていたんでしょうか。

案内状には雨天決行って書いてあったから、雨が降っても外でやったんでしょうね。

いやぁ晴れでよかった。

祝賀会食で食べた「じょっぱりそば」もおいしかったし。。。

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結局、弘前駐屯地には一度も入ることのない、記念行事でした。

他の自衛隊もそうですが、ここ弘前の自衛隊は特に地域住民との交流を意識した行事だたぁって感じました。

駐屯地も訪れたかったけど、それは来年春の駐屯地記念行事までとっておきます。

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2009年10月26日 (月)

中部方面隊49周年記念行事~前編

10月18日(日)
兵庫県は伊丹市にある伊丹駐屯地で、「中部方面隊創隊49周年記念行事」が開催されました。

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僕としては昨年に続いての参加でした。
昨年も晴れて、とても暑かった記憶がありますが、今年も快晴、結構日射しも強く、今年もやはり暑い式典となりました。

去年と今年の違いはいくつかありました。

そのひとつ。
国会議員が、なんと9人も参加。
しかも、そのうち民主党が6人。

こんなところでも政権交代の現実を垣間見ることとなりました。

また、9人のうち7人が最後の祝賀会食までいたんです。

この時期、国会議員は暇だったんでしょうか?

あと、去年は大阪府知事が参加していたんですが、今回は兵庫県知事が参加していました。
年によって出る順番とかあるんでしょうかね。

さて、長い祝辞が終わって観閲行進に移りました。

まずは音楽隊の登場。
今年は中部方面音楽隊と第13音楽隊の混成チームでした。

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中方管内の2府19県の県旗の後、指揮官を乗せた指揮通信車、徒歩部隊と続きます。

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曲はもちろん、「抜刀隊」。

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偵察部隊はオートバイによるジャンプ付きでした。

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この後は、大体いつもと変わらない内容なので省略。

で、この続きは後編でお送りします。

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2009年10月11日 (日)

陸上自衛隊座間分屯地

10月10日(土)陸上自衛隊座間分屯地に行ってきました。

この日、座間分屯地創立38周年記念行事が行われたのです。

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座間といえば米陸軍座間キャンプですよね。

在日米陸軍司令部があるキャンプ座間は座間市と相模原市にまたがる2.3平方キロメートルという広大な面積を占めています。

キャンプ座間という名称ですが、実は座間市より相模原市のほうが占める面積は多いんだそうです。

この広大なキャンプの中には米軍の軍人とその家族が暮らすための様々な施設があります。

小学校、中学校に高校、スーパーマーケット、レストランにファーストフード、本屋にレンタルビデオ店、ボウリング場に映画館、さらにはゴルフ場まで。

ただし、これらの施設は基本的に日本人は利用できません。

そう、ここはまさに日本であって日本ではない空間なんです。

あっ、そうでした。
今回は米軍の話じゃなくて、陸上自衛隊座間分屯地の話でしたね。

座間分屯地はキャンプ座間の一画、本当にほんの一画にあります。

ここには、第4施設群という部隊があります。

座間にはもともと第3施設群という部隊があったのですが、2001年(平成13年)に廃止となったため、それまで宇都宮にあった今の第4施設群が移駐してきたという経緯を持っています。

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なぜ、米軍キャンプの中に施設部隊が、、、という疑問はありますが、とにかくここは昔から施設科部隊が所在する駐屯地だったんですね。

さて、今回僕はこの座間の行事は初参加だったんですが、やはり米軍キャンプの中にあるだけあって、他の駐屯地記念行事とはかなり趣の違う内容でした。

何はともあれ、言うまでもなくアメリカ人が多いということ。

来賓として在日米陸軍司令官を初めとする多数のアメリカ軍人と家族

今回式典に使う音楽演奏を実施する部隊は米軍の音楽隊でした。

なので、式典に登場する国旗は2カ国の国旗、国歌演奏もアメリカ国歌のあとに君が代という順番でした。

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あと、分屯地といっても米軍キャンプの中なので、一般公開するはずもなく、したがって招待者だけの物静かな行事だなぁって感じました。

あと、司会は日本語の後に英語の通訳が流れます。

分屯地司令の式辞、そして来賓として挨拶した在日米陸軍司令もバイリンガルでおこなわれました。

なので、通常の式典の2倍の時間がかかることになります。

まぁそんな感じで式典が終わると、続いてアトラクションに移ります。

アトラクションの1つめは少年工科学校学生によるドリル展示でした。

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10分近い展示はなかなか見ごたえありました。

さすがに体育館の中では射撃はできませんが、それでもアメリカ人の女性から大きな拍手が起こっていました。

引き続き2番目のアトラクションは、北富士駐屯地から招いた太鼓演奏でした。

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曲目は忘れましたが、日本を意識させるような演目だったと思いました。

アトラクションが終わり、祝賀会場へ移動します。

会場に着くと、開演前のステージでは、大正琴の演奏が行われていました。

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祝宴が始まり、歓談中の間にも大正琴の演奏が行われていました。

全体を通して、「和」の世界を感じさせる内容の記念行事でした。

やはりアメリカ人をもてなす、というかアメリカ人を意識した演出がいろんなところでなされているんだなぁ、という感じです。

そういう意味での座間分屯地創立38周年並びに第4施設群総隊37周年記念行事、貴重な経験をさせていただきました。

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2009年10月 5日 (月)

相浦駐屯地記念行事~あらためて..

前回、話が脱線したまま戻ってこれなかったので、あらためまして相浦駐屯地記念行事をレポートします。

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9月13日(日)、今年の記念行事は素晴らしい青空の中行われました。

いつものように、観閲官は第3教育団長です。

観閲官の式辞、来賓祝辞、順閲等が行われた後、観閲行進となります。

まずはいつものように音楽隊から。

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このシーンはちょうど最後に観閲官の正面に向かって左折しているところです。

最初はもちろん西部方面普通科連隊です。

音楽も「抜刀隊」に変わりました。
やっぱり徒歩行進はこの曲がイチバンですね。

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そのあと、車両の数々。
相浦駐屯地にはあまりいろいろな車両はないのですが、この後の訓練展示のため、他の部隊から来てもらった部隊も行進してきます。

音楽も「祝典ギャロップ」に変わります。

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観閲行進が終わり、訓練展示の準備が行われている間は、ラッパ隊による演奏と西部方面普通科連隊の有志で結成されている太鼓の演奏でした。

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「西海島守太鼓」ですか。
九州の離島を守るために、ここ佐世保に作られた西部方面普通科連隊にぴったりの名前ですね。

最後に訓練展示です。

パターンも他のところとそれほど変わりはありませんでした。

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上の写真は軽装甲機動車、74戦車、AH-1S、そして左後方にFH-70も写ってます。

なかなか珍しい1枚じゃないでしょうか。

ほとんど写真展示になってしましましたが、天候にも恵まれて素晴らしい記念行事でした。

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2009年10月 4日 (日)

相浦駐屯地記念行事

前回は相浦駐屯地の紹介だけで終わってしまいましたので、今回は記念行事の内容をお伝えします。

と、その前に、この相浦駐屯地で見つけた昔の装備品をひとつ。

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立ち入り禁止のロープが張ってあるだけで、装備品の名称も説明もどこにもありません。
これだけポツンと置かれていました。

今まで見たことのない形です。

上に2門載っかっているのは、迫撃砲でしょうか?

こないだ7師団で見た自走迫撃砲の前世代版とか。

もっと近くに寄ってみます。

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結構小さい車です。車高も低く目の高さに砲身がある感じです。

結局何だかわからないまま、帰ってネットで探してみました。

すると、ありました。これと同じ形をした装備品が。。。

「60式自走106mm無反動砲」という装備品でした。

迫撃砲じゃなかったですね。

「無反動砲」って、今ではほとんど見ませんね。

無反動って言うくらいなので、射撃した時の反動がないってことでしょ。

どうして反動がないかって言うと、前に飛ばす力と同じ力を後ろにも飛ばすからです。

ということは、こいつの後ろにいると味方でもやられるってことですよね。
コワッ。

1960年から装備され、2008年11師団が旅団化されるのに伴い自衛隊から姿を消すまで約50年間活躍したそうです。

この火砲の目標は敵戦車なのですが、今は対戦車ミサイルが主流なので姿を消すのも仕方ないのでしょうね。

さて、本題の記念行事の話題に。。。

と思ったんですが、意外と自走無反動砲の話が長くなってしまったんで、本題の記念行事は次回にします。

┐(´д`)┌

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2009年10月 3日 (土)

陸上自衛隊相浦駐屯地

ちょっと前になりますが、陸上自衛隊相浦駐屯地に行ってきました。

「相浦」「あいのうら」と読みます。

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9月13日(日)は相浦駐屯地創立54周年記念行事だったんです。

相浦駐屯地は長崎県佐世保市にあります。

佐世保といえば、「佐世保バーガー」

ではなくて、米海軍や海上自衛隊のイメージが強いんですが、実は陸上自衛隊も古くからあったんですね。

というのも、米海軍や海上自衛隊は佐世保市のほぼ中心に位置するのに対し、陸上自衛隊は市内中心部から車で20分程海岸線沿いを平戸方面に向かって走ったところに位置します。

市内中心からはひと山越えた所だし、海軍や海上自衛隊に比べるとかなり規模が小さいので、イメージが薄いのかもしれません。

でも、この相浦駐屯地は実に風光明媚なところです。

海沿いに位置する駐屯地からは西海国立公園にもなっている「九十九島」を望むことができます。

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個人的には、陸上自衛隊数ある駐屯地の中でも指折りに入るところじゃないかと思います。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

この相浦駐屯地には2つの大きな部隊(組織)があります。

その1つは「第3教育団」です。

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この組織は主として新入隊員を育てる「教育大隊」と、陸曹と呼ばれる階級の隊員を育成する「陸曹教育隊」という2つの課程を受け持つ教育機関です。

もう一つは「西部方面普通科連隊」です。

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この部隊は、陸上自衛隊でもここにしかない、西部方面隊直轄の普通科連隊です。

通常、普通科連隊は師団隷下部隊なんです。

九州は、対馬、五島や沖縄といったように、数多くの離島があります。
しかも、これらの島々と海を隔てた向こうには、中国や韓国、北朝鮮、台湾といった国々と隣り合わせです。

西部方面普通科連隊は、これらの島々を守る専門組織としての任務を主目的とするため、2002年に新編された部隊なんです。

なので、ここには占領された島に侵入、上陸したり、敵の特殊部隊と戦うためのレンジャー部隊を持っています。

以前、別の仕事でこの部隊を訪問したことがあり、その時このレンジャー部隊の訓練風景ビデオを見せてもらったことがあるんですが、それはもう過酷なもので、軟弱な僕なんか絶対真似できないものでした。

駐屯地の紹介はこれくらいにして、早速記念行事の内容に入っていきたい、

のですが、ここまででかなり長くなってしまったので、記念行事の紹介はまたの機会にします。coldsweats01

ではまた。<m(_ _)m>

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2009年9月27日 (日)

陸上自衛隊小平駐屯地記念行事

9月26日(土)は陸上自衛隊小平駐屯地創立55周年の記念行事が行われました。

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ここには、陸上自衛隊小平学校という教育機関があります。

陸上自衛隊には学校と名のつく機関が14コ程ありますが、学校の名前に地名がついているのは、富士学校とこの小平学校のみです。

小平学校も、もともとは業務学校調査学校という2つの学校でした。

2001年に2つの学校が統合され、現在の小平学校という名前になっています。

さらに歴史を遡ると、

戦時中の昭和17年に、陸軍経理学校が牛込若松台(現在の新宿区若松町)より移転して来たことから始まります。

この経理学校は終戦とともに閉鎖されたので、わずか3年という短い歴史だったことになります。

戦後しばらくはイギリス軍の駐留地だったそうです。

昭和22年に東京地方警察学校が開設、

昭和29年(1954年)に陸上自衛隊小平駐屯地が開設、当時久里浜にあった業務学校と幹部学校が移転してきたことから小平駐屯地としての歴史がスタートします。

当時の業務学校は今でいう調査職種や輸送職種、それと需品職種も扱っていましたが、これらの職種は移転してすぐ、調査学校(小平)、輸送学校(立川→朝霞)、需品学校(松戸)に分離移転されました。

また、昭和31年から35年まで、業務学校と調査学校はここには存在していなく、越中島というところにあったそうです。

その間、ここには海上自衛隊幹部学校と航空自衛隊幹部学校がこの地にありました。

昭和35年に陸海空の幹部学校が市ヶ谷に移転したのと同時に、業務学校と調査学校が再びこの地に帰ってきました

そして、先ほどの2001年に小平学校に統合されるまで、2つの学校が小平駐屯地に所在していたということになります。

なんだかとっても複雑な歴史をもっている小平駐屯地ですが、一貫して共通しているのはすべて学校機関が所在していたということです。

この辺りは住宅街なので、部隊を持ってくるわけにはいかなかったんでしょうか。

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ところで、小平学校のマーク(校章)ですが、銀杏(いちょう)金鵄(きんし:金色のとび)を組み合わせたものなんですが、銀杏はもともと業務学校の校章、金鵄は調査学校の厚相だったんです。

ちなみに、金鵄とは日本神話に登場する霊長「八咫烏(やたがらす)」の分身だそうで、戦前では「金鵄勲章」というのもあり、特別に功績をあげた軍人などに送られていたそうです。

最後に、現在の本部庁舎はとても古い建物で、なんでも新しい本部庁舎を建設中なんだそうです。

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祝賀会食場に完成イメージ図が展示してありました。

なんだか式典のレポートは殆どありませんでしたね。

以上、小平駐屯地記念行事レポート、

改め、

小平駐屯地歴史探訪の時間でした。

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2009年9月 7日 (月)

富士総合火力演習③

~ ③の続き ~

一連のヘリボーン展示が終わった後、AH-1SやOH-1、UH60といったヘリコプターたち。

そして会場に現れたのは87式自走高射機関砲です。

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この高射機関砲は航空機を攻撃するための装備なんですが、上空に向けて射撃するのは無理なため、地上の目標に向けて射撃していました。

ちなみに、この87式自走高射機関砲は、実配備としては北海道の第2師団と第7師団の2ヵ所のみなんです。

性能的には世界に誇れる装備なんですが、如何せん高価なため多くは買えないそうなんです。

さて、この後いよいよ戦車の登場です。

まず、90式戦車が登場してきました。

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一般の人がこの90式戦車の射撃を見ることができるのはおそらくここだけじゃないでしょうか。

90戦車は空砲を持っていないため、記念行事などでの展示では射撃のシーンはないんですよね。

90式戦車に続いて、74式戦車がやってきました。

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こちらは、各地の陸上自衛隊で見ることができるので、もうお馴染みです。

でもやっぱり実弾は迫力が違います。

さて、前段の最後は空挺降下です。

上空1500メートルのヘリから5名の空挺隊員が飛び出してきました。

約1000メートルそのまま降下し、上空500メートルの所でパラシュートを開くんだそうです。

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5名とも見事会場の中央に着地しました。

パラシュートの操作技術、いつ見ても感心します。

これで前段は終了。

休憩をはさんだのち後段へと進みます。
休憩の間は音楽隊による演奏が行われていました。

後段は会場の奥に敵がいるという想定での戦闘場面の展示です。

基本的には前段で紹介された装備と隊員さんたちが活躍するんですが、絵的には似たような感じになるので省略します。

いくつか写真をアップしますね。

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↑※高機動車を懸架してきたCH-47。ロープを切り離す場面。

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↑※最後のシーン、これまで登場してきたすべての装備が一斉に登場。

というわけで、以上、平成21年の富士総合火力演習の模様でした。

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2009年9月 6日 (日)

富士総合火力演習②

前回①の続きです。

富士総合火力演習は、富士山の麓に広がる東富士演習場、畑岡地区という所で行われます。

その内容は前段と後段に分かれています。

前段は陸上自衛隊が保有するいろいろな装備品の紹介と実弾による射撃、後段は前方に敵がいるという想定での攻撃の一連の模様を展示するというもので、全部で約2時間の演習展示です。

F-2戦闘機があっという間にいなくなり、まず陸上自衛隊最初に出てきたのは、特科部隊です。

陸上自衛隊が保有するほぼすべてのりゅう弾砲が登場してきました。

これらの火砲は、20キロメートルから30キロメートルくらいの射程を持っていて、前線で戦う普通科部隊を後方から援護するのが主な目的になります。

長い射程でも正確に命中させるためにはかなりの練度が必要です。

直接地面に着弾させる打ち方、空中で破裂させる打ち方等いろんな射撃の展示が行われました。

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そして、最大の見せ場は、種類の異なる各種りゅう弾砲が一斉に射撃を行い、空中で弾を破裂させて富士山の絵を描くという場面なんですが、今回このシーンは動画モードで撮ったため写真はありません。あしからず。

このあと迫撃砲の紹介、そしてヘリの登場です。

左手後方からCH-47(チヌーク)がやってきました。

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そして会場中央で静止すると、うしろのハッチが開き、そこからレンジャー隊員がロープを使って降り始めました。

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いわゆる「リペリング」ってやつですね。

5、6人くらいでしょうか。降りるとすぐ、奥の草むらの方へ駆けて行きました。

ヘリは一旦消えたんですが、またすぐ現れました。と同時に草むらから隊員が戻ってきました。

どうやら任務が終わり、帰還する場面のようです。

どうやってヘリに乗り込むんだろうと思ってたら、

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なんと1本のロープに全員が吊り下げられたまま、そのまま飛んで行ってしまいました。

怖くないんですかね。みなさん。

ちなみにこのロープ、「エクストラクションロープ」という吊り下げ専用のロープなんだそうです。

続いてやってきたのは、対空機関砲と対戦車ヘリ。

なんですが、続きは次回にします。

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2009年9月 5日 (土)

富士総合火力演習①

先週の日曜日(8月30日)は選挙でしたね。

僕は期日前投票、昔は不在者投票って言ってましたけど、前日に済ませてきました。

というのは、30日は、富士総合火力演習というのがあって、それを見に行ってきたからです。

といっても半分仕事なんですけどね。

今回僕は4回目になります。

ただし、ここまで天気が良かったのは初めてかもしれない。

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観客もすごかった。

スタンド席、シート席とも超満員。
ざっと見ても4、5千人。いや1万人くらいはいたかも。

この日のチケットを入手するのに、一般応募だと28倍というから驚きですよね。

いつもは防衛大臣も出席するんだけど、今年は選挙当日だし、いくらなんでも無理だろうと思ってたんですが、

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来ましたよ、、、浜田防衛大臣。

いやぁ、立派だと思います。
さすが、ハマコーJr.

最後までしっかりご覧になってらっしゃいました。

ついでに選挙でも勝利。良かったですねぇ。

さて、今回は晴天、霧もなし。風も穏やかということで、すべてのメニューが行われました。

フルで見れたのは、僕にとっても初めてかもしれない。

ということで、まずは上空後方から、航空自衛隊のF-2戦闘機が飛んできました。

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ちっちゃいし、すごく速いのでこれでもよく撮れた方だと思います。

また、戦闘機から地上爆撃を行う展示が行われました。

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といっても、これは本当に戦闘機から爆撃したんじゃなくて、あらかじめ地上に設置していた爆弾を破裂させたんだそうです。

なぁんだ、と思いますが、それでも迫力はありましたよ。

そして、いよいよ陸上自衛隊の装備が登場するのですが、続きは次回にします。

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2009年8月 9日 (日)

陸上自衛隊広報センター

陸上自衛隊朝霞駐屯地には「陸上自衛隊広報センター」が隣接して建っています。

朝霞駐屯地の和光門(川越街道沿い)を入ってすぐ右側です。

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ここへ来たのは3回目くらいかなぁ。結構久しぶりです。

特に予約とかも必要なく、誰でも気軽に入れるんですよ。

中へ入る前に、ひとつ、ブロンズ像を発見。

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台座の部分に「未来」と書いてあります。

見た感じは人のようにも見えます。

上の小さな頭はどう見ても子供でしょ。

説明によると、このブロンズ像は陸上自衛隊50周年を記念して制作されたもので、

デザインの人型は守るべき家族と我が国を、

着物の5筋は5個の方面隊を、

襞(ひだ)の長さは50年の歴史と未来へ続く時空を、

子供は未来への発展を表現しています。

だそうです。芸術って難しいですね。

さて、中へ入り受付を通るとまず2階へ案内されます。

2階には陸上自衛隊の歴史や活動を紹介している展示室があります。

また、2階からは展示場全体を上から眺めることができます。

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コブラあり、落下傘あり、UAVあり、90戦車あり、

所狭しといろんなものが展示してあります。

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90戦車をこの角度で見れる場所って、ひょっとしてここだけかもね。

下へ降りるとこれらを間近にみることができます。

器材展示のほかにも、3Dシアターや射撃シミュレーター、陸自に関するクイズコーナー、等、子供が楽しめる工夫もたくさんありました。

外に出るとすぐ左側に、こんなものがあります。

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んっ?地下指揮所

なんだかワクワクしない?

でも、あんまり期待しない方がいいかも...

外にもいろんな自衛隊の装備品が展示してありました。

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とにかく、ここへ来れば陸上自衛隊のことがひととおりわかります。

さらに、子供と来れば、2~3時間は楽しめます。

という訳で、陸上自衛隊広報センターのサイトはこちら。

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2009年7月26日 (日)

市ヶ谷自衛隊盆踊り大会

7月25日(土)は、防衛省がある、あの市ヶ谷駐屯地盆踊り大会が行われました。

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といっても、防衛省のキャリアの人たちが踊るわけではありません。

市ヶ谷駐屯地の中には防衛省の他にもいくつかの部隊があって、それらの部隊とその部隊を支援する外部団体(例えば自衛隊協力会とか)を中心として開催されるのです。

ちなみにどんな部隊があるのかというと、まず陸上自衛隊では、

○通信団
○中央情報隊
○情報保全隊
○警務隊
○中央業務支援隊
○中央管制気象隊
○中央会計隊
○会計監査隊
○システム開発隊

海上自衛隊では、

○基礎情報支援隊
○システム通信隊群
○警務隊
○情報保全隊
○印刷補給隊
○東京業務隊

航空自衛隊では、

○航空システム通信隊
○航空警務隊
○情報保全隊
○航空中央業務隊

といった部隊です。

結構な数の部隊がありますね。

っていうか、なんだか陸海空とも似たような名前の部隊ですよね。

あと余談ですが、「市ヶ谷駐屯地」というのは陸上自衛隊の呼び方で、海上自衛隊、航空自衛隊的には「市ヶ谷基地」と言うそうです。

それはともかく、防衛省の正門を入って、正面の階段を上がったところに儀仗広場があるんですが、その広場の中央にやぐらが立ち、盆踊りのメイン会場となっていました。

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僕が到着したのは午後6時ちょっと前。

まだまだ辺りも明るく、盆踊りはまだ始まっていませんでしたが、結構な数の人がすでに入っていました。

メイン会場を囲むように各部隊ごとの陣地が決まっていて、すでにあちこちで宴がスタートしていました。

僕もとりあえず、あるひとつのテーブルに着いてビールを頂きました。

ただ、この日は天気は良かったものの風がかなり強くて、残り少なくなった缶ビールは飛ばされる、紙皿と割り箸も飛ばされる、といった感じで、飲み食いするのも結構大変でした。

ちなみに僕が最初にお邪魔した通信団のテーブルは、料理の皿と取り皿が両面テープでテーブルに貼り付けてあり、缶ビールと自分の箸だけ気にしていればいいという状態で、気遣いバッチリでした。

さらに僕の隣に座った先輩は、割り箸の紙ケースを両面テープで貼り付けて、使わない時は紙ケースにしまうという「技」を披露していました。
(そのあと誰もマネしませんでしたけど。。。)

そうこうするうちに、やがて辺りも暗くなり始め、いよいよ盆踊りのスタートです。

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各部隊の選抜チーム(ほとんど男性)、そして浴衣姿の女性の方々が次々と入場してきて、賑やかになってきました。

しかし、この女性たち、決して平均年齢は低くはないと思うのですが、どういう関係の方たちなんでしょう。

近所の町内会か何かなんですかね。

結局、盆踊り大会は午後8時30分まで続きました。

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で、僕は何をしていたか。

踊りを踊ることもなく、踊りを見ることもなく、あちこち場所を変えては酒を飲んでました。

一生懸命踊ってくれた方々、ハイ、すみません。

しかもその後、仲間の何人かと2次会、3次会まで行ってしまいました。

翌朝、頭が痛かったです。

ホント、反省。。。_| ̄|○

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2009年6月23日 (火)

サイロ隊舎

陸上自衛隊真駒内駐屯地にある建物で有名なものがあります。

通称 「サイロ隊舎」

と呼ばれる建物です。

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以前から、真駒内駐屯地に来るたび気になっていた建物だったんですが、今回やっとこのサイロ隊舎を見学することができました。

というのも、このサイロ隊舎はここ真駒内駐屯地の歴史を知る上で、とっても重要な場所なんです。

このサイロ隊舎に入ると、真駒内駐屯地の歴史を学ぶことができる他、実際のサイロの最上階まで昇り、市内の景色を堪能することができるんです。

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真駒内駐屯地があったこの場所の歴史は、明治9年まで遡ります。

明治9年にこの地に、「真駒内種畜場」が誕生しました。

北海道で畜産業を広げようとする国策がスタートした訳です。

その後、「北海道種畜場」、「北海道農業試験場」と名前を変え、北海道の農業、畜産業の発展に寄与してきたのです。

現存するこのサイロは昭和12年に造られたもので、北海道内に現存するサイロとしては最大なんです。
当時建設にかかった費用も、通常の大型サイロの2倍はしたとのことです。

さて、終戦とともに種畜場としての役割を終え、米軍の駐留地となりました。

この地へ進駐した米軍は、ここを「キャンプ・クロフォード」と名付け、約8年間駐留していました。

その間、このサイロだけは取り壊されないどころか、ここを改装し「下士官クラブ、集会場、ボウリング場」と、福利厚生施設として再利用したのです。

中に、当時の米軍時代の建物の写真が展示してありました。

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ちょっと話は横に逸れますが、この写真のすぐ近くに当時の駐留軍の司令部隊舎の写真を発見。

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やっぱり五角形ですよ。

そうです、国防総省「ペンタゴン」と同じ五角形。

アメリカの軍人って五角形が好きなんでしょうかね。

と思い、ペンタゴンを調べてみました。

ワシントンに建造された国防総省「ペンタゴン」は1943年1月に完成、5階建てながら当時は世界最大のオフィスビルだったそうです。

であるにもかかわらず、どんなに遠い場所でも10分以内で到着できるよう設計されているそうで、この「ペンタゴン(五角形)」がいかに機能的で合理的な構造だったかがわかります。

ここ真駒内にあるキャンプ・クロフォード司令部は、戦後1946年以降に建造されたはずなので、国防総省ペンタゴンの完成から数年後であり、当時の司令官が米軍のシンボルであるペンタゴンと同じ五角形にこだわったことも十分推測できますよね。

ここ真駒内駐屯地内には、このサイロ隊舎の他にも、米軍駐留時代の建物、教会やら映画館等いくつか残されています。

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昭和29年に米軍からこの地を返還され、ここは陸上自衛隊真駒内駐屯地として新たなスタートを切ったわけですが、このサイロ隊舎には業務隊、会計隊といった部隊が入居し、現在も使用されています。

ちなみに、「サイロ隊舎」と呼ばれるようになったのも自衛隊時代からなんだそうです。

さて、実際にサイロ部分の展望台に登ってみました。

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この日はあいにくの天気だったので、景色もイマイチでした。

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いつもならきれいに見える「もいわ山」も、てっぺんが雲に隠れて残念でした。

自衛隊は気軽に行ける場所ではありませんが、記念行事のように駐屯地を開放する日も年に何回かあるので、そういうときに是非訪れてみてはいかが?

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2009年6月22日 (月)

第2師団記念行事 ~ おまけ

今年の第2師団記念行事における目玉は、前回お伝えしたとおり、

「増強第2音楽隊」「第2特科連隊」のコラボによるチャイコフスキー「序曲 1812年」ですが、、、

そのあと行われた祝賀会食も去年までとはちがう趣向が準備されていました。

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それは、会場(体育館)のコーナーに設置された屋台

屋台はいろんなところで企画はされているのですが、今回僕的に気になった屋台を2つ紹介しておきます。

一つ目は、「スープカレー」

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最近、北海道がラーメンに続いて力を入れている(?)のがこの「スープカレー」。

もともとの発祥の地も札幌だと言われていて、現在では札幌市内だけでも200以上のお店があると言われています。

今や全国的にも有名になりつつあるスープカレーですが、僕はまだ食したことがなく、今回この屋台を見つけた時には、まず最初にゲットしたかった一品でした。

そして、並んで手に入れたのがこちら。

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左下のヤツです。

決してカレーを薄めたものではありません。

カレーなんだけど、何かダシが効いているような。。。

そう、これにラーメンの麺が入るとカレーラーメンになるって感じ?

思ったより辛さも効いてて、個人的には好きな味でした。

ところで、横に添えてあるご飯とともにどうやって食べたらよいか分からなかったのですが、自分流ということで、スプーンですくったご飯をスープに浸して食べました。

誰か、食べ方違ってたら教えて下さいね。

ちなみに右側の食べ物は、「いももち」(だったと思う)と言って、別の屋台からゲットしてきたんですが、ジャガイモで作ったお餅の中にチーズが入っていて、こちらも意外と美味しかったです。

さて、もう一つの屋台は、やはり何と言っても「旭川ラーメン」です。

今回は、旭川観光協会だったかラーメン協会だったか忘れちゃったけど、とにかくちゃんとしたところの協力を得て、本格的な旭川ラーメンを提供していたとか。

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今回のは醤油ラーメン。

旭川と言えばやっぱ「醤油」でしょう。

麺も中細のちぢれ麺で、スープとよく合っていてホント本格的な味でした。

それと今回驚いたのは、この旭川ラーメンの屋台にできた行列

一番長い時で30メートルから40メートルくらいの行列ができたのではないでしょうか。

一番長い時の最後尾に並んだ人は、おそらく30分以上待ったんじゃないでしょうかね。

いや、会食の時間ってだいたい90分でしょ。

でもって、挨拶やら祝辞やら乾杯やらで、歓談の時間が始まるのはだいたい30分後くらいでしょ。

ということは、祝宴時間正味60分の間の30分以上を行列に費やしたことになります。

ラーメン以外、ちゃんと飲み食いできたんでしょうか。。。

って、余計な御世話か。。。

ちなみに、どうして僕がこれにありつけたかって言うと、たまたま近くの人が1つ余分にゲットしてて、たまたま僕がその1つを貰えたんです。

ラッキー!!

でもってさらに驚いたのは、通常こんなに人気がある屋台は、すぐ品切れになって会食時間の途中に店を閉めてしまうのですが、今回この屋台はこんなに人気があったのにちゃんと最後までラーメンを提供していたことです。

これは素晴らしい!!

これはおそらく第2師団の誰か偉い方の配慮によるものじゃないでしょうか。

  「今回の屋台メニューは、最後まで絶対に切らしてはならんっ!!」

なんてね。

「最強第2師団」は、気配りの面でも「最高第2師団」でした。

お後がよろしいようで。。。<m(_ _)m>

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2009年6月21日 (日)

第7師団記念行事 ~ その3

(その2の続き)

いよいよ、第7師団主力部隊の登場です。

まずは、第7高射特科連隊

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見て下さい、この87式自走高射機関砲」の数。

陸上自衛隊が現在保有している装備品の中で、僕個人的には最もカッコイイと思う装備のひとつです。

それが4列縦隊でやってきたのですから、たまりませんよね。

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続いてやってきたのは、第7特科連隊です。

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こちらも正式配備としては第2師団とここでしか見られない、「99式155㎜自走りゅう弾砲」が隊列を組んで登場してきました。

高射部隊の時と同様、4列での行進はかなり迫力があります。

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続いての登場は、第7施設大隊です。

なんとなく順番的にはもう少し前なんじゃないかなって感じですけど。。。

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ここでのポイントは、やはり写真の中ほどの車両、「91式戦車橋」でしょう。

ちょっとした沢や地隙(ちげき)に橋を架け、戦車を通すための器材です。

この後の訓練展示では実際に端を架ける作業が行われていました。

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続いてやってきたのは、「第11普通科連隊」です。

第7師団なのに第11普通科連隊、ちょっと違和感ありますよね。 

  「11連隊は第11旅団(真駒内)なんじゃないの?」

  「いやいや、真駒内にあるのは18連隊。」

  「じゃあ7連隊ってどこ?」

  「7連隊は京都の福知山駐屯地にあるんだよ。」

  「ということは7連隊は3師団隷下ってこと?じゃ3連隊は。。。」

・・・これ以上やるとキリがないのでやめときます。(;一_一)

さて、最初に登場してきた車両ですが、最初戦車かなっと思ったんですが、砲身の太さが全然違います。

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これは、「89式装甲戦闘車」といって、車内から撃てる35mm機関砲を装備した装甲車です。

実部隊配備はこの11普連のみで、あとは教育用として富士教導団や武器学校等にあるそうです。

なんと10人乗りなんだそうですよ。

89式装甲戦闘車に続いて、僕的には初めて見る車両が出てきました。

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これも装甲車のようなんですが、よくみると車体の後ろから砲身が突き出ています。

これは、「96式自走120mm迫撃砲」です。

これは、牽引式としてよく見る「120mm迫撃砲RT」をそのまんま車体に入れてしまったようなもので、通常走行時は迫撃砲は完全に車体の中に納まっています。

この装備もここ11普連の重迫撃砲中隊にしかないそうです。

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そしていよいよ最後に戦車部隊の登場です。

トップバッターにやってきたのは南恵庭駐屯地に所在する「第73戦車連隊」

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この部隊は「コア部隊」といって、主力が即応予備自衛官で構成される部隊です。

予備自衛官というのは、通常は民間企業等に努めていて、イザというときに出動命令を受けて自衛官として配属する自衛官のことです。

ここ73戦車連隊も500人規模の部隊なのですが、通常時は4分の1の120名程度しかいないそうです。

続いての登場は、同じ千歳市内、北千歳駐屯地に所在する「第71戦車連隊」

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戦車が5列になって行進するのって、ここでしか見られない光景ですよね。

しかも、全部90式戦車ですよ。

世界に誇る「90戦車」がこんなにいっぱい!!

そしてトリを飾るのは北恵庭駐屯地に所在の「第72戦車連隊」です。

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上の写真はで敬礼をされているのは第72戦車連隊長です。

僕(チンムー)とも面識があるので、一応雄姿を(勝手に)掲載させて頂きました。

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いやぁ、さすが噂に名高い、ド迫力の第7師団観閲行進でした。

しかもここでしか見ることのできない装備品も思ったより多くて、今回はかなり収穫が多かったのも嬉しいです。

我が国唯一の機甲師団「陸上自衛隊第7師団」

ここ何年かは雨続きらしいのですが、今度来る時は天気の良い日に巡り合いたいですね。

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2009年6月20日 (土)

第7師団記念行事 ~ その2

いよいよ観閲行進の始まりです。

普通最初は音楽隊が登場するのですが、音楽隊はすでに遠くで演奏を開始していました。

最初に登場してきたのは、ホーク部隊(地対空誘導弾)でした。

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あれ、確か第7師団にはホークはなかったような気がするんですが。

そう、この部隊は第7師団の部隊ではなく、方面直轄部隊の第1高射特科団だったのです。

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そのあと登場してきたのが、TSEJと呼ばれる電子戦システム

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ということは、この部隊は第1電子隊

なるほど、まずはじめに東千歳に駐屯する方面直轄部隊から登場するんですね。

他にもいくつか方面直轄部隊が登場したみたいだけど、そこは省略?

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さて、いよいよ第7師団が登場するんですが、まずやってきたのは第7通信大隊

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車の上にいろんなアンテナを乗せているのが特徴です。

ただ、この装甲車のような車にアンテナが乗っかったやつはこれまで見たことないような気がする。

ひょっとして、ここでしか見られない装備品なのでしょうか?

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続いて、第7後方支援連隊

後方支援連隊は、施設、補給、輸送、衛生といった各種後方支援のための部隊で、地味ではありますが数多くの装備品を持っています。

ここでも今回僕が初めて見る車両を発見。

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最初は除染車3型だと思っていたんですが、なんか形が違う。

前を走っているのがタンク車なので、おそらく補給隊の装備品だと思う。

ということで、後で調べた結果、これはあのイラク復興支援で活躍した「浄水セット 逆浸透型」と呼ばれる車両にたどり着きました。

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とここで、上空よりローター音が聞こえてきました。

第7飛行隊がこのタイミングで登場です。

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飛行隊は普通最初か最後が多いのですが、途中で入ってくるのは珍しいのではないでしょうか。

タイミングをピッタリ合わせるのって大変でしょうね。

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続いて登場してきたのは、第7偵察隊

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あれっ?オートバイの後ろにいるのは74式戦車じゃない

第7師団にも74戦車がいたんだ。

っていうか、さすが機甲師団の偵察隊には戦車が配備されているんですね。

この後いよいよ主力戦闘部隊、すなわち「普特機」部隊の登場となるのですが、今回はここまで。

続きは「その3」にて。

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2009年6月17日 (水)

第2師団記念行事 ~ 後編

(前編の続き)

雨の中、いよいよ第2音楽隊が入場してきました。

なんとなく人数が多いような気がします。

というのも、「1812年」は最後に大砲とコラボするため、通常の音楽隊員だけでは大砲の音に負けてしまうらしく、今回は北部方面音楽隊と第11音楽隊から支援を受けているのだそうです。

こういうのって、「増強第2音楽隊」って言うんですかね。

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音楽隊は配置についたのですが、第2特科連隊がどこにも見当たりません。

そしてそのまま演奏開始。

マイクが雨の音を拾っていて、遠くで機関銃か何かの射撃音のようにも聞こえる。

そして、演奏の中ほどまで来たときです。

突然、グランドの両サイドからエンジン始動音が鳴り始めました。

見ると、両サイドからたくさんの155mm自走榴弾砲が2列になって登場してきたのです。

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両サイドから9両ずつ、全部で18両がやってきました。

そして、音楽隊の後ろに等間隔に並んで止まると、一斉に旋回を始め、銃口を後ろに向けピタッと止まったのです。

綺麗に一直線に並び終わり、射撃体勢に入る

18両の車両の一つ一つの動作がぴったり合っています。

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さすがは最強?第2特科連隊の精鋭たちです。

そしていよいよ、クライマックスへ。

音楽の盛り上がりとともに、まずは両端の火砲から順に発射。

そして、曲の最後には全火砲が同時に斉射

全くズレはなし。

人間の耳はかなり正確にできていてほんのちょっとのズレも感じ取ることができますが、全く違和感なし。

おそらく0.1秒以下の誤差だったはずです

当然会場は拍手喝采!!

ブラボーッ!!

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このあと、第2特科連隊にお邪魔して裏話を聞きました。

今回の演奏に際しては昨年から準備を始め、それぞれの射撃手は各中隊の最も優秀な隊員を配置したそうです。

また、全員が車両の中にいるため、射撃の指示は無線で行ったらしいのですが、実はこれが一番大変で、特に最後の斉射はタイミングを合わせるため、命令の出し方や射撃方法等いろいろと工夫をし、練習に練習を積み重ねたとのことです。

心残りはあいにくの天候でしたが、自分自身ずぶ濡れになっていることをすっかり忘れさせてくれる、それくらい素晴らしい演奏でした。

増強第2音楽隊の皆さん、そして第2特科連隊の皆さん、本当にお疲れ様でした。

・・・・・・来年は何を見せてくれるのか、とっても楽しみです。

(これってある意味プレッシャー?)

実は最後のクライマックスはデジカメのビデオモードで撮影したのですが、イマイチだったので掲載はやめときます。

そのうち誰かがYouTubeにでもアップするでしょうし。。。

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2009年6月16日 (火)

第2師団記念行事 ~ 前編

6月14日(日) 陸上自衛隊第2師団創立59周年記念行事に参加してきました。

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先々週の第11師団、先週の第7師団に続き、3週連続で北海道の師団を巡ったことになります。

第2師団司令部は旭川市、旭川駐屯地に所在し、道北の守りを担う部隊です。

第2師団と旭川駐屯地については昨年の記念式典レポートで詳しく書いていますので、そちらを見てくださいね。

 ※「陸上自衛隊旭川駐屯地」 : http://hirohi.cocolog-nifty.com/hirohi1/2008/06/post_b2dd.html

第2師団の式典は今回で2年連続の参加ということになります。

去年はそこそこの天気でしたが、今回は雨。

なんと、11師団、7師団、2師団と3週連続の雨です。

しかも今回がいちばん激しい雨だったんじゃないでしょうか。

それでもやっぱり「晴天行事」でした。

というか、どういう状態なら「荒天行事」になるんでしょうね。

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観閲式、観閲行進については昨年もレポートしていますので、今回は昨年と違う部分をレポートします。

まずは装備品展示コーナーから。

こんなものを見つけました。

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「地雷探知器画像型セット」

というそうです。

地中に埋設された地雷を電波と磁気で探知し、ヘルメットに装着したヘッドマウントディスプレイに画像で表示、同時に音でも知らせることができるのだそうです。

今年の3月に装備されたばかりのものだということで、僕が見たことないのも当然なのでした。

よくわかんないけど、このハイテク機器によって地雷探知の安全性が高まるんでしょうね。

次に音楽演奏です。

実は今回の記念行事の目玉がこの音楽演奏だったのです。

今回の演目は、いつもの行進曲とかじゃありません。なんと、

チャイコフスキー作曲 「序曲 1812年 作品49」

です。

僕もCDを持っているのでよく聞くのですが、最後のクライマックスで大砲とのコラボレーションがあるんです。

この曲を演奏するなんて当日まで知らなかったので、とっても期待に胸が膨らみました。

ところで、「1812年」ってなんだかわかりますか?

1812年とは、ナポレオンが約60万の大軍を率いてロシアに侵攻した年(ロシア侵攻作戦)で、これをロシア軍が激戦ののち打ち破り、ナポレオンを敗退させたという、ロシアにとってはとっても歴史的な年なんです。

この戦争で焼失してしまったモスクワの中央大寺院が70年後の1982年に再建されたのですが、その再建を祝って作曲されたのがこの曲「序曲1812年」だと言われています。

この曲の初演もこの年に大寺院の広場で行われ、その時も実際に大砲を撃ち、大寺院の鐘をならして演奏された記録があるそうです。

さて、今回は第2音楽隊と第2特科連隊のコラボレーションが見れるのでしょうか。

・・・・・この続きは次回にて。

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2009年6月15日 (月)

第7師団記念行事 ~ その1

6月7日陸上自衛隊第7師団創隊54周年記念行事の日でした。

陸上自衛隊第7師団は、北海道千歳市にある東千歳駐屯地に司令部を置く師団で、日本で唯一の機甲師団です。

機甲師団というのは、戦車部隊を中心とする師団のことで、ここ第7師団も他の師団と比べて組織構成上大きな違いがあるんです。

通常師団には3つまたは4つの普通科連隊があり、戦車連隊または戦車大隊が1つだけあります。

第7師団の場合はこの構成が逆、

つまり、戦車連隊が3つあって、逆に普通科連隊が1つだけなんです。

実はこの第7師団の式典、前々から行きたかった記念行事のひとつでした。

これまでも何度かチャンスはあったんですが、なかなか縁がなく、今回やっと念願が叶いました。

というのも、第7師団の観閲行進はかなり大規模で、他の師団とはスケールが全然違うらしいのです。

という訳でかなり期待して行ったんですが、あいにくの雨

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先週の第11師団記念行事に続き、2週連続の雨。

しかも今週も晴天行事

まあ、先週に比べると多少小降りの雨なので、まだ良しとしましょう。

あと、配られた雨具が割としっかりしたポンチョだったので、雨はあまり気になりませんでした

実はあとで聞いたのですが、第7師団の式典はほぼ例年決まって雨なんだそうです。

だから、雨対策もバッチリなんでしょうね。

式典開始に先立って部隊が整列しているんですが、上の写真にあるとおり、部隊の後ろには90戦車がズラーっと並んでいました

さすが機甲師団。

式次第は他の師団とあまり変わりません。

観閲官(師団長)登場の後、栄誉礼、式事、来賓祝辞、来賓紹介の後、部隊巡閲と続きます。

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そしていよいよ観閲行進となります。

観閲行進に参加する車両の数は約320両

なので、行進準備も時間がかかります。

っていうか320両って、他の師団の2倍以上じゃん!!

部隊の後ろに整列していた戦車たちが、ライトを点灯して行進開始場所へ向かうシーンも圧巻でした。

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いよいよ観閲行進の開始です。

・・・・・・ですが、この先は次回ということで。

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2009年6月 9日 (火)

陸上自衛隊第11旅団記念行事

5月31日は、札幌市にある陸上自衛隊第11旅団創立1周年記念行事がありました。

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真駒内駐屯地に所在するこの第11旅団はまだできて1年しか経っていないということになります。

実は、もともとこの部隊は「第11師団」という名前で昔からあったんです。

ただ、昨年の3月にいわゆる「陸上自衛隊改編・旅団化」により、第11師団から第11旅団へと変わったのです。

で、旅団化したことで何が変わったかと言うと、

まず、人数が大幅に削減されています。

第11師団はもともとは甲師団だったのでピーク時は9000人くらいの隊員さんがいたと思います。

改編前は普通科連隊が3つだったのでおそらく7000人くらいにまで減っていたのではないかと推測します。

昨年度末旅団化になり、その人数が半数近く、おそらく4000人弱にまで減ってしまったのではないかと思います。

一気に減らされると大変でしょうね。

部隊構成で最も違うのは、特科部隊じゃないでしょうか。

特科連隊から特科隊への縮小されます。

特科連隊の場合、多いところで第1大隊から第5大隊まであるのですが、それがたったの1個部隊のみ。
他の部隊と比べても特に激減してしまう部隊なんですね。

減らされた隊員さん達はどこへ行ってしまったんでしょう。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

今回は1周年記念ということもあって、主催者側もかなり気合が入っていたようでした。

ただし、天気はあいにくの「雨」

それでも式典は「晴天行事」

つまり、晴れの日と全く変わらない内容での開催ということ。

ちなみに、激しい雨が降ると、「荒天行事」といって、かなり縮小した内容での行事となります。

たとえば、観閲式も外ではなく体育館とか、訓練展示も中止になったりとか。。。

雨の中での式典は、見ている僕らも大変なんですが、一番大変なのは隊員さん達なんです。

当然傘も差せないし、雨の中グランドで立ちっぱなしだし、ほんと大変だと思います。

特に大変なのは音楽隊ですよね。

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雨の中濡れた楽器を演奏して、栄誉礼、君が代、部隊巡閲、観閲行進、訓練展示準備中の音楽演奏と、大忙しなんですから。

ほんとご苦労様でした。

今回、訓練展示準備中のイベントとして、滝川にある第10普通科連隊の隊員さんたちで構成される「滝川しぶき太鼓」が披露されました。

とても迫力があって、感動しました。

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そのあと、訓練展示だったんですが。。。

すいません。僕はここで避難してしまいました。

というのも、実はここ真駒内にある「サイロ隊舎」を見学したかったからなのでした。

ということで、「サイロ隊舎」のレポートも近日中にお届けしたいと思っています。

お楽しみに。

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2009年5月19日 (火)

中央即応集団創立2周年記念行事

5月17日(日) 陸上自衛隊中央即応集団創立2周年記念行事に出席してきました。

中央即応集団は2年前に新編された部隊で、朝霞駐屯地に所在します。

「集団」というのは、陸上自衛隊にはない部隊の名称でした。

一方海上自衛隊や航空自衛隊には前からある部隊名称です。

例えば海上自衛隊では「航空集団」とか、

航空自衛隊では「航空支援集団」とかです。

で、この「なんとか集団」の長は「司令官」といいます。

中央即応集団のトップも当然「司令官」で陸将になります。

その下には副司令官が2人いて、陸将補です。

なので、中央即応集団には将官が3名いらっしゃることになります。

隷下部隊には、

第1空挺団(習志野駐屯地)
第1ヘリコプター団(木更津駐屯地)
特殊作戦群(習志野駐屯地)
中央即応連隊(宇都宮駐屯地)
国際活動協力隊(駒門駐屯地)
中央特殊武器防護隊(大宮駐屯地)
対特殊武器衛生隊(朝霞駐屯地)

とあまり聞きなれない部隊がいろんな場所に点在しています。

これは、中央即応集団ができる前から殆どの部隊は存在していて、中央即応集団ができたときに編入された部隊が多かったために、このようないろんな場所に隷下部隊が点在しているのです。

そして、このようないろいろな機能を持つ部隊を併せてひとつの部隊組織にしたことから、「集団」という名前にしたのではないかと推測します

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

さて、今回行われた2周年記念行事、

通常この手の記念行事は駐屯地の中で実施されることが多いのですが、

今回開催された場所は、「朝霞市民会館」、通称「ゆめぱれす」という所でした。

そこの大ホール、つまりステージと観客席がある場所です。

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我々招待者は当然観客席なんですが、観閲(?)部隊も観客席の前の方に座っていました

部隊の隊員さんたちは、司令官への敬礼や来賓祝辞の度にシートを立ったり座ったりと、なんだかいつも見ている式典とはかなり違う雰囲気が漂っていました。

この中央即応集団に招待されている来賓も他の式典とは違うものでした。

佐藤正久参議院議員の他に、軍事アナリストの小川和久氏、そして世界各国の日本駐在武官や大使館の代表の方々、、、

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非常に国際色豊かな来賓の顔ぶれでした。

式典が終わると次に用意されていたイベントは中央音楽隊による音楽演奏

ここに来て、ようやく会場としてここが選ばれた理由がわかりました。

時間にして50分、演目は8曲と一般の音楽演奏よりかなり充実しています。

しかも、中央音楽隊は陸上自衛隊の音楽隊のなかでも筆頭に位置づけられる部隊です。

これはもう、まるで「中央音楽隊コンサート」です。

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場所もいわゆるコンサートホールなので、音もバッチリ。

とても迫力ある演奏でした。

「トランペット吹きの休日」や「威風堂々」といったクラシックの名曲もあり、また昭和のよき時代を思い出させてくれる「宮川泰メドレー」等盛りだくさんでとっても感動しました。

こういう式典もなかなかいいもんですね。

というわけで、来年の3周年もここでお願いします。

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2009年5月 3日 (日)

北部方面通信群49周年記念行事

4月25日(土) 北部方面通信群49周年記念行事に参加してきました。

北部方面通信群は、北海道札幌市にある札幌駐屯地というところにあります。

札幌駐屯地は市内中心から、石山通り沿いを南へしばらく行ったところ、住所で言うと南26条西10丁目になります。

駐屯地の東側には藻岩山が間近に見えます。

この藻岩山は標高531メートル、札幌市の中心から車でわずか10分という近さです。

札幌の市街地にありながら、野生の原始林が残されている事前豊かな場所です。

というのも、この藻岩山の原始林はは大正10年、北海道第1号の天然記念物として指定を受けたのだそうです。

ここはまた札幌市内の観光地としても人気がある所なんですが、観光ガイド等では「もいわ山」とひらがな表記になっています。

古くからあるロープウェイも有名で、夜カップルでロープウェイに乗って山頂まで行き、札幌の美しい夜景を二人で眺めるなんて、とってもロマンチックでいいですよね。

「藻岩山の妄想はもういいわ」ってことでこの辺で終わりにします。

詳しく知りたい方はこちらへどうぞ。↓

もいわ山HP :  http://moiwa.sapporo-dc.co.jp/index.html

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北部方面通信群は今年で49週年、来年50周年の節目を迎えます。

その歴史ですが、Wikiによると、

昭和42年(1967年) 北部方面通信隊として総隊され、

昭和43年(1968年) 北部方面通信群に名称変更し今に至ります。

あれ、1967年からだとまだ42年しか経っていないのに、何故49周年なの?

昭和35年に総隊されていないと計算が合いません。

それで、いろいろ調べてみました。

で、発見したのが、近くの真駒内駐屯地に所在する第11師団の歴史に関する記事。

この師団ができた昭和36年、当時の通信大隊の1中隊の原隊は北部方面通信群とあります。

ということは、その前から北部方面通信群は存在していたことになります。

真相は今度現地を伺った時にでも聞いておきます。

その後の通信群ですが、平成13年と16年に大きな改編を行っており、現在ある主な隷下部隊は

第101基地システム通信大隊
第101指揮所通信大隊
第102中枢交換通信隊


の3つとなります。

現在の人員は約1200名、一番多いときには1500名程いたということなので、だいぶ縮小されたことになりますね。

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さて、本題の記念行事です。

記念行事は午後2時から、札幌駐屯地の体育館で行われました。

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体育館に入場すると、すでに隊員さん達が整列していました。

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ほどなく、式典が始まりました。

群長への敬礼のあと、国歌斉唱、群長式辞、来賓祝辞と続き、

祝電紹介の後、北部方面通信群の歌というのを全員で合唱。

当然僕は歌えませんが、群長はじめ隊員は全員歌います。

昔からいる隊員ならともかく、着任したばかりの方なんか覚えるの大変だったんじゃないでしょうか?

(余計な御世話ですけど。。。)

そうして、式典は終了したのですが、式典の時間は全部で1時間足らず。

式典が無事終了し、次に部隊訓練展示が行われました。

通常、大きい部隊の式典や普通科部隊の場合、訓練展示は外で戦車や大砲が出てきてドンパチやるのが定番なんですが、ここは通信科部隊なのでそれはナシ。

その代り、若手隊員さんによる格闘訓練のデモンストレーションを見せてくれました。

最初は型の展示。

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正拳突きや蹴り、といった1対1の訓練から、数人を相手に行う訓練。

最後は敵味方に分かれた団体戦のようなものまで行われました。

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当然、敵役の隊員はやられることになるのですが、かなり真剣で、下もマットや畳でなく床なので、投げられるととっても痛そうでした。

話は変わって、

祝賀会食は場所を替え、市内のホテルで行われました。

式典の時とは違って、群長の挨拶もくだけた感じでとても和やか

とても楽しく過ごせた1日でした。

中内群長、これから2年間(多分ですけど)、頑張って下さいね。

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2009年4月 8日 (水)

防衛省の桜

防衛省には仕事柄よく行くんですが、桜が満開のこの時期、防衛省(=市ヶ谷駐屯地)でもあちこちで桜を見ることができます。

で、一昨日も、いつものように防衛省に向かう正門前で信号待ちをしていた時のこと。

ふと上の方をみると、なんとも素晴らしい風景に気づいたんです

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桜並木の上に立つ防衛省と通信鉄塔です。

この時期にしか拝めない防衛省です。

最近ミサイルやら何やらでなにかと話題になる防衛省ですが、こうやって見るとなんとも美しい防衛省に見えるから不思議ですよね。
(不思議って、何が?)

もうひとつ、今ここでしか見れない桜があります。

それがこちら。

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桜の向こうに小さく見える車両のようなもの。

実はこれ、先日の北朝鮮ミサイル発射で話題になった、「PAC-3」なんです。

従来のパトリオットミサイルをベースに弾道ミサイル迎撃を可能とするため改良されたもので、もしも北のミサイルが日本本土に落ちてきそうになった場合には、このPAC-3が発射されていたかも知れないのです。

この日はもう騒ぎが終ったあとなので、ミサイルは収納されていますが、実際このミサイル、先週は上空に向けられていました。

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ねっ。って言ってもボケててわかんないか。

もっとも、これが発射されるようなことになると、都内各所は大変なことになっていたでしょうけどね。

ちなみに、6日の夜にはもう撤収されたようなので、防衛省の桜とPAC-3の組み合わせはこの日が見納めでした。

ところで、こんな写真勝手に掲載してよかったんでしょうか。

防衛省殿、ダメな時は、言ってくださいね。

すぐ消しますから。

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2008年11月25日 (火)

陸上自衛隊湯布院駐屯地

湯布院(由布院)といえば言わずと知れた大分県にある湯治の街。
「別府の奥座敷」とも呼ばれ、九州の避暑地でもある閑静な街です。

そんな大分県由布市にあるのが陸上自衛隊湯布院駐屯地です。

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湯布院駐屯地は町の中心からも近く、由布院駅からも歩いて行けるところにあります。

いきなり脱線しますが、JR由布院駅にはホームに足湯があるんですよ。
知ってました?

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湯布院駐屯地の歴史は、今から約50年程前の地元による自衛隊誘致活動まで遡ります。

それまでも湯布院は九州最大の日出生台演習場を有していたため、軍隊と無縁ではありませんでした。
かの朝鮮戦争の際にも、日出生台演習場が米軍の拠点として使われ、湯布院の街も特需の一部恩恵に預かっていたという話もあります。
しかし、1953年に朝鮮戦争が終わり、演習場に駐留していた米軍が去ってしまうと湯布院も寂しい街へと戻ってしまいます。

そんな中、湯布院盆地ダム化計画が浮上します。
戦後復興事業の一環として突如湧き起こった話で、この地に巨大なダムを建設し、国からの補助金を使ってダムの周辺をリゾート地として開発する計画でした。
しかし、当時絶大な力を持っていた地元青年団の反対運動によって、白紙撤回されました。

こういう湯布院の存在自体を揺るがす中で、新たに出てきた有力案が自衛隊誘致運動だったのです。
元々日出生台演習場があったため、住民の軍隊への抵抗は少なかったと予測できます。
また、自衛隊を誘致すれば国からのいろいろな補償金やら周辺道路等の助成金等も入ってくるということで、当時の町長が中心となり誘致活動が行われたと聞きました。

そういう経緯でこの地に駐屯地が開設されることとなったのですが、駐屯地建設に際しても苦労があったそうです。
なにせ、この湯布院盆地は国内有数の湯量を誇る温泉地。
どこを掘っても温泉が出てくるらしいのです。

なので、駐屯地の建設地も湿地帯で、地面を掘れば地下水が出てくる始末。
そこで、まず駐屯地の中に人口の川を作り、水はけを良くしてから工事に取りかかったんだそうです。
今でも駐屯地の中を流れる小川には、とてもきれいな水が流れています。

水のきれいな駐屯地だからなのか、この駐屯地に住み着いているらしいカルガモにも出会いました。

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さらに、全国各地にある自衛隊駐屯地の中でもここだけにしかないだろうという場所があります。
それは、「温泉露天風呂」

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「由布の湯」と書かれたこの木戸をくぐるとりっぱな露天風呂が現れました。

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残念ながら入ることはできませんでしたが、この温泉の源泉は54℃なので、ほぼ源泉かけ流しです。
腰痛、リウマチ、神経痛等に効き、飲用としても効果があるそうです。
いや~、ほんと、入りたかったなぁ~。

湯布院駐屯地に所在する主要部隊は、西部方面特科隊です。

駐屯地開設当初は戦車部隊が主力部隊でしたが、戦車部隊が日出生台演習場の反対側にある「玖珠駐屯地」へ引っ越していき、同時に別府から特科部隊が移駐して来てからは特科部隊中心の駐屯地になりました。

そして、この部隊が所有する主力装備品のひとつが「203mm自走榴弾砲」

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陸上自衛隊が所有する火砲の中で、最も口径が大きな火砲です。
この装備品の歴史はとても古く、もともとは米軍で1961年に開発されたM110がベースとなってライセンス国産されたものです。

もっとも現在では、155mmが主力となっているため、この203mm自走榴弾砲を装備している部隊は、ここ西部方面特科隊ともう1ヵ所(たぶん北海道のどこかの部隊だったような。。。)しかないそうです。

僕も203mmの実物は初めて見ました。
さすがに203mmだけあって、砲身がすごく太く感じました。
近くで見るととても迫力があります。

すぐ脇には弾も展示してありました。

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さすがに実弾ではないそうですが...
榴弾砲の弾って、思ったより小さい気がしたんですが、この大きさで重さはなんと80kgもあるそうなんです。
当然ながら、とても一人で持ち上げることはできませんでした。

湯布院駐屯地の広報の方、今度行った時には是非露天風呂に入れて下さい。
お願いします。

※余談 : 「湯布院」と「由布院」、ゆふいんには2つの書き方があるんですが、これが気になる方は是非こちらの記事も読んで下さいね。

「由布院」と「湯布院」 : http://hirohi.cocolog-nifty.com/hirohi1/2008/03/post_49ef.html

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2008年11月 9日 (日)

西部方面隊創隊53周年記念行事

去る11月2日、陸上自衛隊西部方面隊53周年記念行事に参加してきました。

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ここは熊本市にある陸上自衛隊健軍(けんぐん)駐屯地というところです。

「健軍」という地名も珍しいと思うのですが、この地には熊本市の中でも最も古いと言われる「健軍神社」があり、一説によるとそこから生まれた地名とも言われています。

「健軍町」は熊本市の中心を走る路面電車の始発駅のひとつでもあり、電車の行き先表示などでもよく見るため、地元の人には馴染みのある地名でもあります。

そんな健軍駐屯地で行われた西部方面隊の記念行事なのですが、僕的には2年ぶりの参加でした。
一昨年は「統合運用元年」をキーワードに大々的な行事が行われたと記憶していますが、今回はかなり規模が縮小された行事だったような印象を受けました。

というのも2年前から比べると、守屋事案による自粛ムードやガソリンの高騰等いろんなマイナスの要因が増えているからなのだと思います。
とくに燃料の高騰はパレードやいろんな展示に直接響くだけに、規模を縮小せざる得ないのも理解できます。

さて、西部方面隊の記念式典、全体の流れは他の部隊とさほど変わらないのですが、ここの最大の特色は、観閲行進が駐屯地の外、一般道で行われることでしょう。
駐屯地のすぐ前の道路、通称「自衛隊道路」と言われる4車線の道路で実施されるのです。

なので、記念行事はまず駐屯地のグラウンドで行われる総監式辞や来賓祝辞、部隊巡閲といった前段と、自衛隊道路で行われる観閲行進である後段とに分かれるのです。

今回は前段に行われた部隊巡閲で西部方面総監と熊本市長の2名がジープに乗って部隊巡閲が行われました。

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市長が総監(観閲官)と一緒に回るのは珍しく、僕としては練馬駐屯地で開かれる第1師団記念式典とここでしか見たことがありません。
ちなみに第1師団は練馬ですから、当然石原東京都知事ですよね。
なるほど石原都知事だったら納得だけど。
なんて、石原都知事だとなんとなく納得できるのがちょっと怖いと思いません?

前段が終わり、メインイベントの観閲行進となるのですが、我々も移動しなければならないため、この間のインターバルが1時間以上と結構長くとられます。

そして、いよいよパレードの開始です。
観閲官(方面総監)がお立ち台に立ったところで、まず国旗がジープに乗って登場。
全員その場で起立します。

次に九州各県の県旗が入場。
僕は長崎県出身なので、長崎県旗が入場してきたところで思わずシャッター。

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そして、各部隊の行進が続くのですが、行進そのものは他で行われるものと対して差はありません。
本来なら海上自衛隊のヘリや、航空自衛隊の戦闘機が飛んでくるのですが、最初に言ったとおり、燃料高騰により中止ということでしたので、イマイチ迫力不足でした。

ただ、そんな中で、西部方面普通科連隊は異色を放っていました。
その写真が下の2枚。

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さすが、九州唯一のレンジャー部隊を持つ西部方面普通科連隊
この日は10月とは言えかなり暑い日だっただけに、さぞや大変だったんじゃないかと思います。

あと、ヘリ部隊の数は少なかったものの、今回撮った写真が面白く撮れていました。

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なんだか五線譜の上の音符のように見えません?
実際は八線譜になってしまっているので音階は不明ですけど...

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2008年10月21日 (火)

デッチング・トレーナー

こないだ海上自衛隊鹿屋航空基地へ行った際、日本で一つしかないというものを見学することができました。

「デッチング・トレーナー」

という装置です。

「デッチング」とは、ヘリコプター等の航空機が何らかのトラブル等により不時着水することを意味する専門用語です。
「トレーナー」とは訓練装置のことなので、直訳すると「不時着水訓練装置」となるんですが、要は「ヘリコプター着水脱出訓練装置」です。

ここ鹿屋基地には、「SH-60J」というヘリコプターを模擬した訓練施設を持っていて、この手の訓練施設を持っているのは日本広しと言えども、この鹿屋基地のみなのです。

訓練場の入口を入ると、まず目に飛び込んできたのはプールとその上に構えている大層な装置。

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なるほど、プールの上5メートルくらいのところに据え付けられているのはローターこそないけれど、ヘリコプターの機体のようです。
「日本飛行機株式会社」の看板がやけに目立ちます。
また窓ガラスはついていないけれど、この中には計器類も含めて実際のヘリのコックピットを模擬しているみたい。
聞くところによると模擬している機体はSH-60Jなので、4人分のシートがあり最大4人までの同時脱出訓練ができるのだそうです。

今回は実際に脱出訓練のデモまでしてくれました。

通常は訓練準備として、身体検査や準備運動、そして水に慣れるためのプール1往復等のいくつかの項目をこなしてから訓練開始となるのだそうですが、今回はここの隊員さんのデモということでその辺は省略、というか事前に済ませてあったんだと思います。

1名のパイロットがトレーナーに乗り込むと大きな機械音とともに下降を始めました。

そして間もなく着水。
バシャーンという大きな音とともに、水しぶきが上がります。

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その後、機体は回転しながら水没していきます。
通常ならパイロットはこのあたりからパニック状態に陥るんでしょうね。
見ているだけでも怖いです。

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そして水中で180度回転
いわゆるお腹を上に向けた状態で静止しました。
ヘリコプターというものは、その構造上機体の上にローターやそれを回すモーターが付いているため、実際でもこのように水中で180度回転することが多いんだそうです。

ここからパイロットは脱出を開始します。
なお、もしもの場合のため常にダイバーが水中待機しています。
今回は1名での訓練なのでダイバーも1名だったんですが、4名の訓練の場合はダイバーも4人、つまりマンツーマンで救助員がつくのだそうです。

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パイロットが無事に脱出し、プールの隅にある救命ボートに自力で乗り込み、最後に右手を上げ無事であることを伝えたところで訓練は終了となります。

見ていてすごい迫力がありました。
っていうか、僕だったら確実に死ぬな。
っていうか、絶対やりたくないし...

訓練を終えたマシンが、プールから出て元の位置にもどるとき、中に溜まっていた水を吐き出しながら上昇するシーンも、この訓練の大変さを物語っているようでした。

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ところで、この装置はいろいろなケースでのシミュレーションができるそうです。
降下、沈下、回転、前傾といった動作を手動で行える他、自動モードでは8つのパターンの動作を選択して行うことができるのだそうです。

その8つのモードとは、

  • モード1 : 降下着水して、停止
           (水没はしません)
  • モード2 : 降下着水して、左または右へ最大180度横転
           (これも水没はなし)
  • モード3 : 降下着水後、完全水没まで沈下
           (回転はしません)
  • モード4 : 降下着水、完全水没後左または右へ最大180度横転
  • モード5 : 降下着水後、沈下しながら左または右へ最大180度横転
  • モード6 : 最大40度前傾した後、降下着水し完全水没まで沈下
  • モード7 : 降下着水、完全水没後最大40度前傾
  • モード8 : 降下着水、完全水没および前傾した後、左または右へ横転

モードが上がるにつれ過酷な条件になっていくようです。
モード8なんか、体操でいうとD難度てんこもりみたいな状態なんでしょうね、きっと。

今回実施したくれたデモは、僕が見ていた限りではモード5だったようでした。

何度も言いますが、この装置は日本ではここ鹿屋にしかありません。
なので、全国のヘリパイ(ヘリコプターのパイロットのことね)がここにやって来て訓練を受けるのだそうです。
それは海上自衛隊のみならず、陸上自衛隊、航空自衛隊、さらには海上保安庁や警察、消防といったヘリコプターを所有しているいろんな機関のパイロットたちがここへ来て訓練を受けるのだそうです。

そして今年7月7日、開設以来10年目でついに1万人を達成したそうです。
その記念すべき訓練員は、海上保安庁の隊員さんだったとかで、記念写真が飾ってありました。

参考ニュース : http://373news.com/modules/pickup/area.php?areaid=26&storyid=11578

トラブルを想定した訓練というのはあまり前向きな訓練ではないため、なかなかやる機会はないと思います。
でも、こういう訓練があってこそ、パイロットはいざという時にも冷静に判断し、行動できるようになるのでしょうね。

いや、すばらしいものを見学させて頂き、ほんと感激でした。
今回見せて頂いた海上自衛隊鹿屋基地の関係者の皆様、本当にありがとうございました。

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2008年10月 7日 (火)

二式大艇 in 鹿屋

先日、海上自衛隊鹿屋基地へ行ってきました。

ここは戦前からの海軍基地、そして特攻隊の前線基地としても有名です。

最近では知覧の方が有名になっている感もありますが、鹿屋基地の方に言わせるとあそこは陸軍の特攻基地であり、実はこちら海軍特攻基地である鹿屋の方が多くの特攻隊が飛び立った前線基地だったんだよと言われました。

じゃあ、なぜ知覧の方が有名になったんでしょう。

詳しいことはわかりませんが、知覧の方が鹿児島市に近いし、指宿との間にあるから観光コースに組み込みやすいこと。
あと、知覧には武家屋敷もあってセットで観光できること。
あと、穿った見方ですが、鹿屋は自衛隊(=国)が運営していて入場料も無料なため、旅行代理店にとってもメリットがないなんてことも理由のひとつなんでしょうかねぇ。

それはさておき、鹿屋基地のレポートは次回にとっておくことにして、今回は鹿屋基地に隣接している鹿屋航空基地史料館にある気になった飛行機について取り上げたいと思います。

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ここの目玉はなんといっても零戦なんですが、今回僕が最初に取り上げたいのは「二式大艇」と言われる飛行機。
ここ鹿屋航空基地史料館に展示されている航空機の中で、4年前ほどから展示されている最も新しいもので、ひときわデカく、そして美しいフォルムで佇んでいました。

正式には「二式大型飛行艇12型」と呼ばれるもので、戦時中日本が誇る大型飛行艇です。

零戦は国内数か所で見ることができますが、この二式大艇はここ鹿屋でしか実物をみることができないんです。

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この二式大艇の生い立ちは、太平洋戦争に遡ります。

本機の前身である「九七式飛行機」が昭和13年に採用されましたが、日本海軍はその後継機の開発を九七式飛行艇を開発した「川西航空機」(現新明和工業)に命じます。
そして、昭和15年に試作機が完成ののち昭和17年に正式化されたのが「二式飛行艇」です。

当時は世界一の高性能と言われた大型飛行艇です。
その主な性能諸元は次の通り。

全長:28.1メートル
全幅:38.0メートル
全高: 9.2メートル
最大速度:453.2km/時
航続距離:最大7,152km

偵察、策敵、哨戒、輸送といった長大な航続距離を生かした作戦や任務に用いられた、多方面で活躍した名機です。

本機は改良型も含め、終戦までに167機作られました。
開発そして量産のスピードとも今と比べるととてつもなく早いと思いませんか?

しかも出来上がった二式大艇は当時としては画期的なスピードと航続距離を誇る名機として世界を震撼させる程で、太平洋戦争の当初は連合軍からとても恐れられていたようです。

鹿屋航空資料館では、その活躍の一端として、梓特別攻撃隊への参加が紹介してありました。

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「第2次丹作戦」と呼ばれるこの作戦は、太平洋戦争末期の昭和20年3月に行われた作戦です。

その前の月の2月、関東地方を襲った爆撃機が、空爆を終え帰還した場所がカロリン諸島ウルシー基地であると断定。
4年前に行った真珠湾攻撃での戦果を忘れきれない日本海軍は、翌3月にそこへの奇襲作戦を計画します。
ちなみに、カロリン諸島とは現在のミクロネシア連邦にあり、日本からは南へ約3000km、グァム島からさらに約700km程南に位置します。

この計画を実行するため日本海軍は鹿屋基地に司令部を置く「第5航空艦隊」を編成しました。
そして、この計画を実行する作戦を「第2次丹作戦」と呼び、この作戦を実施する部隊は「菊水部隊 梓 特別攻撃隊」と命名されました。

ウルシー基地まではあまりにも遠く、戦闘機では往復できる距離でないことから必然的に特攻となります。
海軍戦闘機「銀河」24機が選抜されました。
ただし、戦闘機のみでは夜間の長距離飛行は困難なため、その誘導機として選ばれたのがこの「二式大艇」3機だったのです。

二式大艇3機のうち1機は気象観測用、残りの2機が道案内用でしたが、道案内用のうち1機が早い段階で離脱、
また、銀河も目的地までたどり着けたのは15機だったようです。

戦果は、米空母「ランドルフ」に突撃。
撃沈まではできなかったようですが、大破させたと記録にあるようです。

このように当時活躍した二式大艇ですが、戦況の悪化とともに次々に撃墜され、終戦時にはたったの4機しか残っていなかったとか。
しかもそれは米軍に奪われたもので、米軍はそのうちの3機を破壊、残った1機を本国に輸送して調査したそうです。
そのとき米軍はこの飛行機の圧倒的な性能にあらためて驚愕したそうです。

その後、1979年になり日本へ返還されました。
このときの尽力者が、当時船の科学館初代館長だった、かの笹川良一氏だったそうです。
そしていたんだ箇所が修復、復元された後、そのまま船の科学館で展示公開されていました。

この鹿屋基地に二式大艇が移管されたのは2004年3月
それ以来、世界で唯一生き残った二式大艇はここ鹿屋でしか見ることができないのです。

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何はともあれ、この二式大艇、機体のフォルムが実に美しいと思います。

特に船底を思わせるような機首下部の滑らかな形は、思わず見とれてしまいました。

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戦争には負けましたが、軍事技術では勝っていたのかも知れませんね。

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2008年10月 4日 (土)

東北方面隊総隊48周年記念行事

9月28日(日)東北方面隊総隊48周年記念行事へ行ってきました。

開催場所は仙台市に所在する霞目駐屯地というところです。

前回は霞目駐屯地の紹介をしましたので、今回は記念行事の内容についてレポートします。

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まず全体的に言って、今回の行事はかなり手の込んだ、というか、かなり細かいところまで気の行きとどいた行事だったという印象を受けました。

その最たるものが、当日招待者用に配られた栞(しおり)

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記念式典の式次第はもちろんのこと、観閲部隊についてはどの部隊がどの位置に整列しているか、観閲行進においてはどの部隊がどういう順番でどんな車両に乗ってやってくるか、さらには訓練展示の内容と参加する部隊、その部隊が所有する器材等について、わかりやすくイラストで説明してあります。

ここまで詳しく説明してあるパンフレットは初めてだし、実際とても重宝しました。

観閲式が始まり、部隊巡閲の後観閲官(今回の場合は東北方面総監)の式辞が始まったんですが、ここで本日1番のサプライズ。

なんと、観閲官が部隊側ではなく、来賓席の方を向いて話し出したんです。

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どういうことか、もう少し詳しく説明します。

通常、観閲式はグランドに観閲部隊が整列しています。
今回の場合、約1500名が部隊毎きれいに並んでいました。

そして、観閲部隊の正面にはスタンドがあり、ここには来賓や招待者、さらには地元の関係者等が座っています。

スタンドの一番前、すなわちスタンドと観閲部隊の間には観閲台があって、通常観閲官式辞や来賓祝辞の際、この観閲台に立ち、部隊の方を向いて話します。
なので、スタンド側から見ると、話している人の背中を見ることになります。

ところが今回観閲官は来賓席の方を向いて話したということは部隊に背を向けて話したということになるんです。
当然マイクは部隊側にあるので、マイクに背を向けたことになります。

今まで各地の記念式典に数多く出席していますが、マイクに背を向けた式辞は初めてでした。

でもよく考えてみると、式辞の内容は前半は自衛隊を取り巻く情勢の説明、最近の活動紹介、関係者へのお礼とさらなる協力依頼、そして決意表明といった内容なので、観客席に向かって話すのが自然と言えば自然なのかもしれませんね。
強いて言えば、部隊への訓示の時だけ、クルッと180度向き直って話すのが理想なんでしょうが、方面総監がそんなことするのはちょっと滑稽だし。

今回のサプライズについては賛否両論あるようですが、これはこれでアリなのかなって思いました。
だって、「答えはひとつじゃない」から。

式辞と来賓祝辞が終わると、次は観閲行進なんですが、それまで並んでいた部隊が行進の準備をするためしばらく待たされることとなります。

東北方面隊はこの短い時間にも配慮していました。

このタイミングで空挺降下の展示を行ってくれたんです。

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通常、空挺降下は観閲式と訓練展示の間にもってくるんですが、このタイミングで空挺降下展示を行うのはあまり例がないんじゃないでしょうか。

後で別の方から聞いたんですが、思ったより式辞と祝辞が長かったため、空挺を行うヘリを上空で待機させていたらしいです。

分単位の時間調整ご苦労様でした。

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訓練展示も他とは異なる趣向の内容でした。

普通こういった行事で行われる訓練展示は、敵の占領陣地を攻撃し見事奪回するというシナリオで実施されます。

偵察隊のバイク、戦車、装甲車、各種火砲が登場するのが定番で、戦車、りゅう弾砲による派手な空砲射撃で観客を沸かせます。

ところが、今回の展示は災害派遣における自衛隊の活動、および消防や警察等との連携した具体的な活動を紹介するという内容でした。
なので、機関銃や戦車等の空砲射撃は一切ありません。

ある意味、地味な展示と言えるかもしれませんが、先の6月に発生した岩手・宮城内陸地震の記憶が新しい中、こういった展示も観客、特に地元地域の人々にはとっても感動的な訓練展示だったはずです。

で、実際どんな展示だったかというと...

某日某時刻、東北地方で大規模地震が発生します。
「NEAニュース」なる臨時ニュースが大画面に流れ、各地の震度や揺れの状況についての放送が流れます。
なかなかリアル感あるニュースです。

宮城県知事の要請を受けた陸上自衛隊は、まず偵察隊を派遣し現地の様子を把握します。

まずはバイクによる地上偵察と偵察ヘリによる上空からの偵察に加え、ヘリに積載したヘリ映像伝送装置が現場の状況をリアルタイムに逐一伝えてくる様子が展示されます。

その結果、山間部のある集落が完全に孤立化されていることが判明、警察や消防と協力・連携した捜索、救助活動が始まります。

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自衛隊のヘリのみでなく、宮城県防災航空隊の防災ヘリ「みやぎ」、宮城県警の「まつしま」、仙台市消防局の「けやき」が登場、なかなか見れない光景です。
取り残された人々をそれぞれのヘリで救出、避難地域まで搬送する様子が展示されていました。

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また、正面近くでは倒壊した家屋に取り残された被災者を助け出すべく、自衛隊、消防に加え、宮城県警の「広域緊急援助隊特別救助班」が出動、チェーンソーで壁に穴をあけ、そこから閉じ込めれた人を救い出すシーンが展開されていました。

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次に、避難地域での活動の様子の展示です。

自衛隊により、避難地域に給水所、配食所、入浴施設、救護施設が展開されています。

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実際に避難民役の人たちが行列を作っているシーンが展開されるという、なかなかリアル感ある風景でした。
入浴施設では、実際に風呂に入っている人がこちらに向かって手を振っているなんていう演出もあっておもしろかったです。

最後に各救助隊員の撤収。
お世話になった自衛隊や警察、消防の隊員さんたちに向かって、「ありがとう」の横断幕で見送る避難民の人たち。
観客席からも拍手喝采が送られていて、なかなか感動的なシーンでした。

これらの一連の活動は、実際に6月の岩手・宮城内陸地震の再現を思わせる内容で、地元の人たちも感心して見入っていたのがとても印象的でした。

他の方面隊や部隊と違った、かなり趣向を凝らした記念行事の数々。

また来年も是非来たいなぁってつくづく思った、そんな東北方面隊記念行事でした。

p.s.この日は、朝から新幹線が止まっていて、東京へ戻るのがすごく大変でした。
  でも、いい記念行事が見れたので、許してあげます...

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2008年9月29日 (月)

陸上自衛隊霞目駐屯地

2008年9月28日(日)陸上自衛隊霞目駐屯地へ行って来ました。
霞目は「かすみのめ」と読みます。

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宮城県は仙台市に所在する駐屯地です。

今回訪れたのは、この日で行われた東北方面隊創立48周年記念行事への参加が目的でした。

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と言っても、東北方面隊の総監部はこの霞目駐屯地ではなく、ここより北へ3㎞程のところにある仙台駐屯地にあります。

方面隊の創立記念行事が総監部の所在する駐屯地とは違う場所で行われるのは、この東北方面隊だけじゃないでしょうか。

というのもここは元々飛行場なので、飛行場のエプロンと滑走路を使って式典を始めいろんなイベントが行われます。
当然他の方面隊と比べてもかなり大規模な行事を行うことができるんです。

その記念行事の内容に入る前に、まずは霞目駐屯地について少し調べてみましょう。

ここ、霞目駐屯地には主要部隊として2つの部隊があります。

ひとつは東北方面飛行隊、もうひとつは東北方面輸送隊です。

東北方面航空隊は各種ヘリコプターを保有する東北方面隊最大の航空科部隊です。
今年6月に起きた岩手・宮城内陸地震の際にも大活躍した部隊です。

東北方面輸送隊は東北方面隊最大の輸送科部隊で、人員・食糧から戦車や火砲までを運ぶ、東北における自衛隊活動の物流の要となる部隊です。

 

次に霞目駐屯地の歴史について。

この地は、昭和10年5月に仙台飛行場としてスタートします。

当初は陸軍飛行学校の練習用飛行場として使われていたようですが、昭和12年4月に定期旅客便も運航されるようになりました。

東京-札幌を結ぶ路線の中継地だったとのことです。
当時は一気に札幌まで行くことができなかったので、ここ仙台と青森を経由していたそうです。
当時、東京と仙台の間は2時間弱かかったそうで、現在の新幹線と同じ所要時間だったことになりますよね。

しかも飛行機も小型で旅客は6人しか乗れず、また天候が悪いとすぐ欠航になるなど、あまり便利なものではなかったらしいです。
事実初フライトであった昭和12年4月1日も、東京から仙台へは到着したものの最終目的地である札幌が雪のため、その先は運航中止になったそうです。

太平洋戦争中の昭和19年4月からは陸軍航空部隊の拠点として、また終戦から約12年間は米軍駐留を経て、昭和30年12月に陸上自衛隊多賀城駐屯地霞目分屯地として自衛隊の歴史が始まります。

米軍が完全撤収したのが昭和32年5月、そしてその年の12月に陸上自衛隊霞目駐屯地として現在に至ります。

霞目駐屯地の中には「飛翔」という名の資料館があって、過去の歴史や航空機の模型などが展示してあります。
また、駐屯地の中には過去に活躍した航空機の実物も飾られています。

正門を入ってすぐ右手の場所には陸上自衛隊が持つ数少ない固定翼機「LR-1」が展示してありました。

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この飛行機は三菱重工業が戦後ビジネス機として発売したプロペラ機「MU-2」を陸自向けに改造したもので、陸上自衛隊では輸送と偵察を目的として配備されました。

機体には「NE」そして「22008」と書かれているので、東北方面隊に配備されたもので、陸自としては8番機ということでしょうか。

このような歴史を持つ霞目駐屯地ですが、この場所は仙台市中心に程近い場所にあることから、週末は地元のグライダークラブが拠点として使用しているそうです。

仙台グライダークラブ : http://www4.ocn.ne.jp/~gli/glider/index.htm

週末にグライダーに乗って仙台の空を満喫するなんて、なんかいいですよね。
鳥になった気分になれて、いかにも優雅で高尚な趣味って感じで。

ただし、お金もかかりそうですけど...

以上、霞目駐屯地についてでした。
次回はここで行われた記念行事をレポートします。

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2008年9月26日 (金)

今津駐屯地記念行事

前回に続き、今回は今津駐屯地の創立記念行事についてレポートします。

9月21日(日)朝、京都市内のホテルを8時前に出発しました。

朝の天気予報では関西地方は雨。
しかも、京都、大阪地域には大雨洪水警報が出ている。

京都市役所前で地下鉄東西線に乗り、山科駅で乗り換え。
山科駅で乗り換えの電車が来るまで30分程あったので、駅前のロッテリアでコーヒーを飲む。
すると、雷とともに激しい雨が降って来た。
こりゃあ記念式典としては最悪の天候だなぁ、と思いつつ山科から湖西線に乗り近江今津駅へ向かう。

今津駅で自衛隊の送迎バスで今津駐屯地へ到着。

駐屯地に着いた時は小雨に変わっていました。

記念式典は予定より10分程遅れて開始。
一応招待席にはテントが張ってあったので雨が降ってもなんとかなりそう。
雨はここにきて奇跡的に降っていませんでした。

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前回お伝えしたようにこの今津駐屯地は戦車部隊主体の駐屯地なので、観閲行進の中心も当然戦車です。

全部で40両くらいの戦車が登場したんではないでしょうか。

戦車の他には96式装輪装甲車(WAPC)、中部方面移動監視隊が保有する地上レーダ装置1号、そして戦車直接支援隊が保有する78式戦車回収車などが登場してきました。

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       (地上レーダ装置1号)

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       (78式戦車回収車)

式典はなんとか無事に終わり、次は訓練展示です。

訓練展示の準備が行われている間、会場では第3音楽隊による演奏が行われました。

このいわゆる幕間のイベントは音楽隊の演奏だけだと思っていたんですが、
この後もうひとつサプライズなイベントが用意されていました。

なんと梅花学園によるチアリーディングです!!!

  梅花学園とは、大阪市茨木市および豊中市にある学校で、
  幼稚園から大学院まで揃える女子高なんです。

    梅花学園HP : http://www.baika.jp/

  特にチアリーディングでは有名で、数々の大会で優勝しているそうです。
  なんと、大学では「チアリーダー推薦入試」という制度まで設けているそうですよ。

今回はこの式典のために用意したオリジナルプログラムを披露してくれました。

自衛隊の式典とはとても馴染みのないイベントですが、周りのオジサンたちもとっても喜んでいました。
僕も生で見るのは当然初めてだったので、とても感動しました。
 (鼻の下が伸びていなかったかちょっと心配でしたけど...coldsweats01

残念ながら、写真、ビデオは撮影厳禁と言われたため、マイカメラに収めることはできませんでした...ほんとに残念。

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(この写真は撮影禁止のアナウンスが流れる直前の写真。
  このあとのオリジナル演技は素晴らしかった。。。shine

訓練展示の内容ですが、ストーリーとしては他の駐屯地記念行事とあまり変わらない内容なんですが、やはり戦車部隊だけあって登場するのはほとんど戦車のみ。
歩兵部隊は一切登場しません。

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第3戦車大隊と第10戦車大隊が協力するかたちで敵の陣地を撃破する様子を展示していました。
最後に両部隊の戦車が撃破した敵陣地の前に集結した姿は圧巻でしたよ。

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結局最後まで雨が降ることはありませんでした。

本当に奇跡的な天気で大ラッキーな今津駐屯地記念行事でした。

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2008年9月22日 (月)

陸上自衛隊今津駐屯地

昨日(9月21日)、陸上自衛隊今津駐屯地へ行ってきました。

駐屯地創立56周年記念行事への参加が目的です。

今津駐屯地は滋賀県高島市に所在する駐屯地です。

最寄りの駅はJR湖西線の近江今津駅。
駅のホームからも遠くに琵琶湖を望むことができました。

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東京からだと、まず東海道新幹線で京都まで行きます。
そこから湖西線に乗り、琵琶湖を右に眺めながら約1時間程で着きました。

今回は記念行事とのことなので、駅に送迎バスが出ていました。
それに乗り、約15分ほど山を登った所に今津駐屯地はありました。

さて、今津駐屯地は滋賀県に唯一存在する自衛隊です。
ここには、第3戦車大隊と第10戦車大隊が駐屯しています。

第3戦車大隊は第3師団(師団司令部:兵庫県伊丹市)隷下の部隊、
第10戦車大隊は第10師団(師団司令部:愛知県名古屋市)隷下の部隊。

すなわち、この今津駐屯地は異なる師団の隷下部隊が1つの駐屯地に存在する、とても珍しい駐屯地なんです。

通常師団は隊区(防衛任務を担当する区域のこと)がきれいに分けられていて、各部隊はその隊区の中に所在しているのが通常なんです。
滋賀県は一応第3師団の隊区となっているので、第10戦車大隊は10師団隷下でありながら、第3師団の隊区にお邪魔していることになる訳です。

なぜ、このような現象が起きてしまったかというと、あくまでも僕の予想ですが、戦車部隊ならではの理由なんじゃないかと思います。

  戦車部隊に限らず自衛隊が訓練するのは演習場であることが殆どなんですが、
  戦車は装軌車であるため駐屯地と演習場が隣接している必要があります。
  だって、キャタピラ着けたまま道路を走る訳にもいきませんし、
  輸送車に乗っけて運ぶのも大変でしょ。
  しかも射撃ができる広さの演習場が必要です。

  第10師団が管轄する中部、東海地方にもいくつか演習場はありますが、
  戦車部隊が動き回れるような大きな演習場はないみたいなんです。
  一方、今津駐屯地に隣接している、饗庭野(あいばの)演習場は中部方面隊の
  中でも大きい方の演習場で、戦車部隊が動き回って射撃できそうなくらいの広さ
  はありそうです。

ということで、第10戦車大隊がこの今津駐屯地に駐屯することになったのだろうと推測します。

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(上の2枚の写真。わかりますよね、3戦車と10戦車の違い)

余談ですが、2つの戦車大隊が同じ駐屯地に所在しているところはもう一つあります。
大分県の玖珠駐屯地で、第4戦車大隊と第8戦車大隊が一緒にいます。
こちらも日出生台演習場という九州では最も大きな演習場と隣接している駐屯地なんですよ。

さて、話を変えて、まずは今津駐屯地の歴史について。

今津駐屯地は、昭和27年に今津特別訓練隊として発足しました。

その後昭和29年に第3特車大隊が新編。

ところで、「特車」とは言うまでもなく「戦車」のことです。
  特別訓練とか特車とか、このころ「戦車」という言葉を使ってないのはどうしてでしょう。

  自衛隊の前身は警察予備隊(昭和25~)、保安隊(昭和27~)と名称を変え、
  昭和29年6月に現在の自衛隊という名称になりました。 

  当時は戦争を放棄した日本が軍隊をもつべきかどうか等、いろんな議論が展開
  されていたようです。
  そんな中、「戦車」という言葉自体が戦争や侵略をイメージさせる言葉だとして
  拒否されたのでしょう。

  「特車」という言葉が出てきた背景はこのような理由からだと思われます。

  しかし、自衛隊の発足とともに「戦車」という呼び方が復活しているので、
  「特車」時代(?)は意外と短かったようです。

昭和37年に、第10戦車大隊と第13戦車大隊が新編。

昭和40年に第13戦車大隊は日本原駐屯地へ移駐します。

  

第13戦車大隊は第13師団(現在は旅団)の隷下部隊なので、昭和37年から昭和40年までの約3年間は3つの師団の戦車部隊がこの今津に集結していたことになりますね。

途中は割愛させていただき、
平成20年3月に全国で初めての中部方面移動監視隊が新編され現在の体制となっています。

今津駐屯地についてのうんちくはこれくらいにしておいて、今回の記念行事について。

と思ったんですが、ここまででかなり長くなってしまったので今回はここまで。

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2008年8月26日 (火)

陸上自衛隊北恵庭駐屯地

約1ヵ月ぶりに北海道へ出張へ行ってきました。

今回行ったのは「陸上自衛隊北恵庭駐屯地」です。

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ここには、方面直轄部隊である第1戦車群、そして第7師団の隷下部隊である第72戦車連隊がある部隊で、いわゆる「戦車部隊のメッカ」と呼ばれる駐屯地です。

なので、正門警衛所の隣には74式戦車と61式戦車が並んで飾られていました。

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ところで、陸上自衛隊のある駐屯地の中で、戦車部隊がある駐屯地は大体演習場とつながっています。

ここ北恵庭駐屯地も例外ではなく、北海道大演習場(島松演習場)と一本の道でつながっています。

地図で見ると、駐屯地と演習場の間には約1㎞の一本道が走っていて、途中高速道路の上を横切っています。
なので、普段から戦車なんかが高速道路の上をガンガン横切っていることになります。

第一戦車群には74式戦車が、そして72戦車連隊には90式戦車が配備されているので、ここでは両方の戦車を見ることができます。

今回もたくさんの戦車が見れると思っていたんですが、ほとんどの戦車はカバーがかかっていて、ほとんど拝めることはできませんでした。

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さて、仕事が終わったのはちょうどお昼時、なのでお昼ごはんは駐屯地の中の厚生センターで済ますことにしました。

厚生センターへ向かい、入ったお店は「たんぽぽ」。

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とっても愛想のいいおばちゃんが、

「今日は金曜日だからサービスするよ」

と誘うもんだから、とりあえず店の中へ。

メニューを見て気になったのは、「ドカベン」。
おにぎり2個と目玉焼き、ウインナー、コロッケ、そして野菜サラダと味噌汁がついてたったの300円。

ただこの日はホテルで朝食バイキングを腹いっぱい食べたため、あまりたくさん食べる気もなく、結局きつねうどん(400円)を注文することにしました。

ところがやって来たきつねうどんを見てびっくり。
きつねうどんの他に、冷奴、おから、わかめの酢の物、お新香そして山盛りごはんが付いてきた。

そうかぁ、忘れてた。
さっきおばちゃんが言っていた、「今日はサービスするよ」ってこういうことだったんだ。

でもこれは序の口だったんです。

一緒に来た同僚が注文した「オムライス」はさらに強烈だったんです。

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超デカサイズのオムライスは約2.5人前くらいはありそう。
ちなみに横に置いたタバコはロングサイズです。
スプーンが小さいスプーンに見えませんか?
これ、普通の大きいスプーンですよ。

それに加えて、別盛りの野菜サラダ、ワカメの酢の物、そして味噌汁が付いてきました。
言っときますけど、注文したのは普通のオムライスですから。

これで530円ですよ。

当然注文した本人は完食できず、僕以外の仲間が手伝ってやっと平らげることができました。

店の看板にあった「喫茶 軽食 たんぽぽ」の「軽食」っていうのは、誇大広告の逆、つまり「過小広告」じゃないか?
「喫茶 軽食 たんぽぽ」じゃなくって、「喫茶 大盛 たんぽぽ」とかに変更すべきじゃないか。

もっとも若い隊員さんにとっては、とっても嬉しいサービスなんでしょうね。

お腹がすごく空いてる北恵庭の隊員の方、金曜日のたんぽぽはお勧めですよ。

(・・・・・・「北恵庭の隊員」って、チョー限定じゃん!!)

以上、北恵庭駐屯地レポート...というか北恵庭駐屯地食堂レポートでした。

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2008年7月14日 (月)

陸上自衛隊八重瀬分屯地 ~ 六高祭

6月29日(日) 陸上自衛隊八重瀬(やえせ)分屯地へ行ってきました。

陸上自衛隊第6高射特科群 創隊36周年記念行事への参加でした。

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ここの記念行事は通称「六高祭」と言われており、毎年この時期に行われます。

ところで、八重瀬分屯地とはどこにあるかというと、沖縄県沖縄本島、那覇市の南、糸満市の東に位置する、沖縄県八重瀬町というところにあります。
那覇市の中心部から車で行くと約40分程かかります。

実はこの八重瀬分屯地、平成17年までは「与座分屯地」と呼ばれていました。
平成18年1月1日に島尻郡東風平町と島尻郡具志頭村が合併して「八重瀬町」が誕生したのに併せ、分屯地名も「八重瀬分屯地」と改称したのです。

 (東風平は「こちんだ」、具志頭は「ぐしかみ」と読みます。
  わかってました?
  沖縄の地名も北海道に匹敵する難解さですよね。)

ちなみに、この八重瀬分屯地のすぐ南に「陸上自衛隊南与座分屯地」があるのですが、ここは合併前も合併後も「南与座」のままです。

また、八重瀬分屯地の西側には「航空自衛隊与座岳分屯基地」という基地があるのですが、こちらも昔のままです。

なぜ与座分屯地だけが改称されることとなったのか、正確なところはわかりません。
これは想像ですが、このあたりでは一番大きいこの八重瀬分屯地が八重瀬町を守る役割を担っていることから、地域密着を目指す自衛隊としては与座分屯地のみを新しい町名と同じ「八重瀬」に改めたのではないかと思います。

ところで、36年前の出来事と言えば...

昭和47年5月15日。
そうです。
沖縄がアメリカから返還された年です。
すなわち第6高射特科群は沖縄本土復帰の年とともに活動を開始したことになるのです。

ただし、総隊当初からこの八重瀬にあったわけではありません。

昭和47年8月1日、まず、本部隊の前身となる第124特科大隊が朝霞で編成されました。

そして、翌48年1月から3月にかけて、那覇駐屯地(今の第1混成団がある場所、那覇空港の隣)に移駐してきました。

同じ昭和48年4月13日、今の八重瀬分屯地(当時の与座分屯地)の開設とともに現在の第6高射特科群が移駐、現在の形ができあがりました。

さて、この六高祭ですが、他の記念行事とは決定的に違う特徴があります。

それは、開始時間が夕方だということです。
一般的な記念行事は午前中10:00頃から始まるのですが、やはりこの時期の沖縄ってことで、涼しくなる夕方から始めることにしたらしいです。
そしてその行事の内容はというと、

1720 記念式典
1810 六高エイサー
1815 音楽隊演奏
1840 祝宴

という流れになります。

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六高エイサーとは、この第6高射特科群の有志によるエイサー(沖縄の踊り)のことで、さすがに自衛隊だけあって踊りにキレがあり、とても勇壮な感じを受けます。
式典のプログラムの他、祝宴の中でも披露していました。

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祝宴ではこのエイサーの他にも、琉球舞踊や沖縄版獅子舞(正式な言い方がわからないもんで。。。)等いろんな出し物があって、かなり楽しめる祝宴でした。

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六高祭が終わり、送迎バスに乗ってホテルに到着したのは21時過ぎ。

いくら暑い沖縄でも、夜の風は結構心地よかった「六高祭」レポ-トでした。

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2008年6月26日 (木)

陸上自衛隊遠軽駐屯地

6月22日(日)、陸上自衛隊遠軽駐屯地へ行ってきました。
遠軽駐屯地創立57周年記念行事の参加が目的でした。

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遠軽(えんがる)駐屯地は北海道紋別郡遠軽町というところに所在します。

東京から行くと「オホーツク紋別空港」が最寄りの空港になります。
でも、この空港、東京からは全日空便が1日1往復しかなく、今回も満席で取れなかったため、女満別空港からレンタカーを借りて遠軽入りしました。

この遠軽という地名、実はアイヌ語が語源となっています。

遠軽には町のシンボルでもある「瞰望岩(がんぼういわ)」という場所があります。

http://engaru.jp/kankou_information/chiiki/en/ganbouiwa/ganbouiwa.html

この岩に登ると遠軽の町が一望できることから、アイヌ語で「見晴らしの良い」を意味する言葉である「インガルシ」が地名の由来になっています。
なので、「遠軽」という漢字は当て字ということになりますね。

ここ遠軽も、いわゆる屯田兵によって開拓された地域です。
明治30年に上湧別屯田兵がこの地に入ったのが始まりだそうです。

ところで、屯田兵の制度は明治6年に黒田清隆という人物が「屯田兵設立建白書」を時の政府に提出し、採択されたことから始まります。
実はこの黒田という人、明治3年に開拓次官として樺太を視察しており、その時にも札幌に部隊を置くこと、併せて北海道、樺太に軍艦2隻を配備することを上申しているのですが却下されてしまいました。
ところが明治6年になって、樺太でロシア兵による日本人の暴行、殺人事件が相次いだため、再度上申し認められたという経緯があるのだそうです。

遠軽に屯田兵が入ったのは明治30年とだいぶ年が経っていますが、これは急激に開拓を進めるとロシアを刺激してしまうことを考慮し、少しずつ兵力を増強し、時間をかけて開拓を進めたのだそうです。

遠軽駐屯地の歴史は昭和26年まで遡ります。
それ以前の駐屯地があった場所は、
昭和10年 旧農林省北見種馬所
昭和21年 種畜牧場
昭和24年 北海道農業試験場遠軽試験所
という歴史を持つ場所でした。

昭和25年に町民による自衛隊誘致活動が実り、
昭和26年1月に誘致決定、
同年3月に当時の警察予備隊約1000名が移駐、第4連隊第3大隊が編成され、駐屯地がの歴史がスタートしたのです。

当初は種馬所の馬小屋が隊舎として使われたそうで、冬はとてつもなく寒かったようです。
そのような風雪に耐え訓練に励むことにより精強な部隊が作られるということで、
「風雪磨人(ふうせつまじん)」という言葉がこの遠軽駐屯地を代表する言葉として受け継がれています。

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遠軽駐屯地の主力部隊は第25普通科連隊です。
この連隊長が駐屯地司令を兼務しています。
この連隊は、「風雪磨人」が現わすとおり、北海道の中でも特に盛況な部隊として知られており、過去には昭和44年から昭和54年まで、方面冬季戦技競技会、いわゆるスキー競技会で11連覇を成し遂げたという記録を持っています。

さて、記念行事の当日ですが、この日は天気はまあまあだったのですが、気温が10℃くらいしかなく6月とは思えないくらい寒い日でした。
聞くところによると3日前は30℃を超えていたそうで、20℃も気温差があるなんて信じられませんよね。
体調を崩す人も結構いたんじゃないでしょうか。

観閲式がひととおり終わると、太鼓と音楽演奏が行われました。

太鼓はここ遠軽の有志で作られた「遠軽がんぼう太鼓」。

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がんぼうとは前述の瞰望岩からとった名前です。
勇壮なそして息の合った演奏を2曲披露されました。

その後は地元遠軽の隊員で構成される遠軽駐屯地音楽隊の演奏。

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普通、この規模の駐屯地には音楽隊はなく、師団の音楽隊が来て式典の音楽を担当するのですが、この遠軽駐屯地では式典の音楽もすべてこの音楽隊が行っていました。

次に地元の小学校の金管バンドが登場。
自衛隊に負けず劣らずのすばらしい演奏を聞かせてくれました。

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この日は駐屯地も一般開放されていて、地元の人たちがかなり遊びに来ているようでした。
駐屯地のあちこちにも装備品の展示コーナーや出店、そして子供向けのミニSLやストラックアウト等いろんなアトラクションもあって、小さいながらも地域との一体感を感じさせる、そんな陸上自衛隊遠軽駐屯地のお祭りでした。

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2008年6月14日 (土)

陸自第2師団記念行事 ~ 最新装備品②

6月8日(日)、陸上自衛隊第2師団(旭川駐屯地)記念行事に行ってきました。

今回は前回のつづき、最新装備品レポート第2弾です。

まずは、99式自走155mm榴弾砲。

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陸上自衛隊の特科部隊に配備されている榴弾砲と言えば、FH70という器材が多く、ほぼ全国の特科部隊で見ることができます。

この99式は最も新しいタイプの榴弾砲で、これだけの数が配備されているのはここだけじゃないでしょうか?

愛称「ロングノーズ」と呼ばれるように、砲身がかなり長く感じられます。

射程はFH70と同じ約30Kmですが、時速約50kmで走れること、自動装填化されたことで3分間で約18発撃てる等、機動性には優れています。

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観閲行進ではこの車両が隊列を組んで登場。
そして隊列の最後尾には見慣れない車両が。

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これは弾薬補給用の車両です。
まさに動く弾薬庫といったところでしょうか。

ちなみに、99式の「99」とは西暦の下2桁のことで、制式化の年、すなわち調達が開始された年を表しています。
なので、90式戦車とは1990年に制式化されたことになります。

次は、87式自走高射機関砲。

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87式ということなので約20年前に開発されたことになるんですが、実戦部隊に配備されているのはここ2師団高射大隊と7師団の高射大隊くらいじゃないでしょうか。
というのも1台あたり10数億円とバカ高いため、年間1台から2台くらいしか買えないという厳しい台所事情のせいなのだそうです。

装備されている砲は35mm機関砲が2門、なんと1分間に500発以上も撃てるんだとか。
機関砲の後ろにある棒状のものと丸いやつのはレーダーで敵の航空機を探索、追尾、捕捉し、これらの情報から車体や砲の角度をリアルタイムで自動制御できるのだそうです。

さすがに今回は発射するところを見ることができませんでしたが、機会があれば是非一度見てみたいものです。

次の装備品は、師団等指揮システム(FiCS)。

この装備品は、師団司令部が震災現場や戦場に出て展開する時に使用される器材です。
隷下部隊から報告される各地現場の状況を集計し地図上に表示したり、各部隊へ命令を下したりするためのコンピューターシステムがシェルタの中に積載されています。

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観閲行進では司令部付隊がこの器材を積んだトラックに乗って行進してきました。

また、今回展示コーナーには作戦室システムが展示してありました。

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シェルターの両側の壁がジャバラのように伸び、約3倍の広さになります。
このなかにはプラズマディスプレイやプロジェクタが搭載されていて、師団長や幕僚たちが集まって作戦会議を行うことができます。

この器材は比較的新しい器材で、現在第2師団にしかないそうです。

ちなみに展示コーナーではこの機材と野外通信システム(DiCS)、基幹連隊指揮統制システム(ReCS)を組み合わせた野外型システム運用図というのをパネルで説明していました。

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これがいわゆるNCW(ネットワーク・セントリック・ウォーフェア)ってやつなんでしょうかねぇ。

ただこういった展開ができるのも今のところこの第2師団のみ。
全国に広がるにはまだまだ10年以上かかるとか、かからないとか...

以上、第2師団記念行事で見ることができる最新装備レポートでした。

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陸自第2師団記念行事 ~ 最新装備品①

6月8日(日)、陸上自衛隊第2師団記念行事へ行ってきました。

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ところで、陸上自衛隊の装備品というと戦車、装甲車といった車両、榴(りゅう)弾砲やミサイルといった火砲、あと通信器材や施設器材といった各種器材等があります。
これらの装備品はいずれも高価なため、全国一斉に配備するのが難しく、毎年ちょっとずつ、長いものでは10年以上かけて全国に行き渡ります。
なかには全国配備が完了する前に次の新しい器材が開発されるというケースもあります。

というわけで、新しい器材はまず最初に第2師団に配備されることが多く、他の師団では見られない最新装備を見ることができます。

なぜ第2師団が最初なのかというと...

平成16年12月に「新防衛大綱」(正式には「平成17年度以降に係る防衛計画の大綱」といいます)が閣議決定されました。
その中で、陸上自衛隊はそれまでの師団(13コ師団、2コ混成団)を見直し、9コの師団と6コ旅団に見直すこととしました。
またこれらを「即応近代化師団・旅団」と「総合近代化師団・旅団」という2種類に分類、さらに地域特性に応じた役割を持たせることとしました。
例えば第1師団(練馬)と第3師団(千増)は「総合近代化師団(政経中枢タイプ)」といった具合です。

第2師団は総合近代化師団に位置づけられるのですが、その中でも特に先進部隊実験師団という役割も持っていて、多様な事態に対応するためのいろんな取り組みを試す部隊でもあります。
したがって、最新装備はまず第2師団に配備され、実戦(と言ってもほとんど訓練ですが)で試されるという訳なのです。

さて、今回展示してあった装備品や観閲行進で他の師団ではなかなかお目にかかれないものをいくつか紹介します。

まずは、90式戦車。

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第7師団は機甲師団なので別格として、第2師団は他の師団と違い戦車連隊を持っています。
戦車も90式戦車と74式戦車の両方がありますが、主力はやはり90式戦車でしょう。

90式戦車は教育用(富士教導団や学校など)を除くと北海道でしか見ることができません。
今回観閲行進で90式戦車が隊列を組んでやってくる姿はなかなか壮観でした。

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次は、96式装輪装甲車(WAPC)。

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何といっても特長は8本のコンバットタイヤでしょう。
通常走行時は後部4輪駆動ですが、スイッチ1つで8輪駆動に切り替えることができます。
最高速度は自衛隊の装甲車両の中ではダントツの100km/h。
ドライバーを含め10人の隊員を乗せることができます。

通常の観閲行進では普通科部隊は歩いてくるか、ジープ、トラックに乗って行進しますが、今回はすべての隊員がこのWAPCに乗ってやってきました。

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さすが第2師団!!こんな光景もここでしか見れないのではないでしょうか。

今回はここまで。
次回は火砲を中心にレポートします。

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2008年6月11日 (水)

陸上自衛隊旭川駐屯地

6月8日(日)、陸上自衛隊旭川駐屯地へ行ってきました。
ここには陸上自衛隊第2師団司令部があります。

今回の訪問は毎度おなじみの記念行事で、第2師団創立58周年、旭川駐屯地開設56周年記念行事への参加が目的でした。

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考えてみると、4月13日の第1師団(練馬駐屯地)を皮切りに、4月20日の第6師団(神町駐屯地)、5月18日の第4師団(福岡駐屯地)、6月1日の第9師団(青森駐屯地)、そして今回の第2師団とこの2ヶ月で5つの師団を訪問したことになります。

現在陸上自衛隊には9つの師団があるので、この2ヶ月の間に半分以上を制覇したことになります。
本当は5月25日に第7師団があったんですが、子供の運動会だったのでキャンセルしました。
もし第7師団に行っていたら3分の2を制覇したことになったんですけどね。

第2師団創立58周年というとかなり歴史が古いということになります。
陸上自衛隊ができたのが昭和29年で54年前なのでその前から存在していることになり一見矛盾しているようなのですが、実は警察予備隊時代の第2管区隊という時代から起算しているためで、第2師団の歴史をたどると次のような年表となります。

昭和25年 8月      警察予備隊創設 (真駒内において第2管区隊を編成)
昭和26年 5月     第2管区隊編成完結(4連、5連3大、基幹)
昭和27年10月     保安隊発足に伴い北部方面隊新編成
       12月     第2管区隊総監部が旭川に移駐
昭和29年 9月     陸上自衛隊発足(3普連、9普連、10普連基幹)
昭和37年 1月     第2師団編成完結(3普連、9普連、25普連、26普連基幹)
昭和63年 3月     師団改編
             第2後方支援連隊、化学防護小隊の新編
             第2高射特科大隊の師団直轄
平成7年 3月     師団改編
             第9普通科連隊、第2対戦車隊の廃止
             第2戦車大隊を第2戦車連隊に
平成13年 3月     第2化学防護隊新編
(※第2師団HPより)

一方旭川と軍隊の歴史は明治時代まで遡ります。

旭川の開拓は明治25年に屯田兵がこの地へ入植したのが始まりと言われています。

日清戦争を経て、明治33年札幌に本拠地があった北鎮第七師団が旭川へ移駐し、旭川は北方警備の拠点として歴史を刻み始めることとなりました。

明治37年に日露戦争が勃発し北鎮第七師団も出兵、乃木将軍率いる第三軍に編入され、かの203高地を奪還する活躍を見せたことから、北鎮第七師団が陸軍最強部隊と呼ばれるようになったそうです。

昨年リニューアルした北鎮記念館には、旭川の歴史と第七師団や第2師団の歴史が多数の展示品と伴に紹介してあります。

北鎮記念館HP : こちらをクリック

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さて、第2師団記念行事の内容については、他の師団とだいたい似たようなものですが、第2師団には陸上自衛隊の最新装備がほぼ揃っているため、他の師団ではなかなかお目にかかれない装備品を見ることができます。

次回はそのあたりを重点的に紹介したいと思います。

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2008年6月 6日 (金)

陸上自衛隊青森駐屯地

陸上自衛隊青森駐屯地へ行ってきました。

例によって、記念式典ってやつです。

正確に言うと、陸上自衛隊第9師団創立46周年、青森駐屯地創立57周年記念行事です。

46周年と57周年、この11年の開きは駐屯地開設と師団創立の差ということになるのですが、その歴史を見ると次のような年表となります。

-旧軍時代-
明治9年     陸軍歩兵第5聯隊第1大隊が青森の地に発足
明治11年    聯隊本部が青森に設置、第5聯隊は青森を本拠地とする部隊となる
昭和12年    満州に駐屯
昭和19年    満州からフィリピンへ移駐
昭和20年5月  相次ぐ敗戦で縮小、ついに消息を絶つ
-戦後-
昭和26年10月 第5連隊第1大隊が金沢から移駐するのに伴い青森駐屯地開設
昭和37年8月 第9師団創立、師団司令部を青森駐屯地に開設
          (担当警備隊区は青森県と岩手県)
平成2年3月   師団改編 第9後方支援連隊新編
平成11年3月  師団改編 第21普通科連連隊(秋田)を第6師団から編入
           これに伴い師団警備隊区に秋田県が加わる

なお、現在青森駐屯地に駐屯する部隊は、

第9師団司令部
第5普通科連隊
第9後方支援連隊
第9通信大隊
第9化学防護隊
第9師団司令部付隊
第9音楽隊
第123地区警備隊
第380回携帯
第305基地通信中隊
青森駐屯地業務隊

となります。

さて、記念式典は6月1日だったのですが、今回はその前夜祭なるものにも参加してきました。
いわゆる立食パーティなんですが、おもしろい余興があったので、ちょっとだけ紹介します。

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これは、「スコップ三味線」というのだそうで、三味線の代わりにスコップを持ち、バチの代わりにフォークを持ち、流れる音楽に合わせてフォークでスコップを叩くんです。
スコップには一応ヒモが張られていて、まるで三味線を弾いているように見えるから不思議なんです。
津軽じょんがらをはじめ、3曲ほど演奏したのですが、高度なテクニックでスコップを叩くリズミカルな音が会場に響いて拍手喝采モノでした。
時折弦を調整する仕草をしたりとコミカルな動きもあり、初めて見たけどとても感動しました。

翌日の式典はあいにくの雨でしたが、ほぼ予定通り行われました。
式典の内容はほぼ前回行った神町駐屯地と同じパターンなので今回は省略します。

(参考)神町駐屯地記念行事 : http://hirohi.cocolog-nifty.com/hirohi1/2008/04/post_75ee.html 

式典の後、祝賀会食が実施されたのですが、会場の片隅には北東北各地の名物料理コーナーが設けられていました。
メニューは全部で5つ。
青森:しじみラーメン
八戸:いくら丼
弘前:マタギ飯
岩手:ひっつみ
秋田:稲庭うどん

九州出身の僕にとってどれも馴染みのないものばかりですが、その中でも「マタギ飯」と「ひっつみ」は聞いたこともない料理。
マタギ飯はかやくご飯のおにぎりみたいなやつでした。
ひっつみはけんちん汁の中にでかいうどんのぶつ切りのようなものが入っている感じ?
下の写真の左側がそうです。

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いくら丼と併せて食べましたが、おいしかったです。

最後に空港で土産を購入。
ご当地お土産の代表と言えば「南部せんべい」でしょう。
ということで、南部せんべいを買ったのですが、売場の脇に変わった物を発見。

Photo

写真の左側「南部せんべいのみみ」です。
いわゆる南部せんべいの端っこの薄っぺらい部分のこと?
初めて目にする代物だったので、迷わず購入。

帰って食べました。
思ったよりずっと堅い。
歯が弱い人にはかなり酷かも、ってくらい堅い。
でも味は南部せんべいです。
ハッキリ言って食べ始めるとヤミツキになります。
っていうか、ビールのつまみとしてはなかなかGOOD。

今回もいろんな発見があった青森訪問でした。

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2008年4月26日 (土)

神町駐屯地記念行事 ~ おまけ

天気も良く、桜も満開の中で行われた神町駐屯地創立52周年でしたが、その分かなりの人数の方が訪れたようで、しかも日中はかなり気温が上がったため、出店や売店などではいろんなものが飛ぶように売れていました。

僕もここでお土産を買おうと厚生センターの売店へいったんですが、見たこともないくらい混んでいました。
お店側としてもこの日が1年のうちで一番売上があがる日ということで、臨時のレジを増やして対応していました。

で、今回僕が買ったお土産を紹介します。

1つ目は「グミ」。

山形県を代表する果物と言えば、「さくらんぼ」と「ラ・フランス」でしょう。
その2種類のグミが結構イケるんです。

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前も家族に買ったことがあって、今回はまた買ってきてってリクエストされたんです。

もう一つは、自衛隊のオリジナルケーキ。
名付けて「自衛隊ケーキ班 黒糖隊員」。

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写真の通り、「まっちゃ隊員」、「バナナ隊員」と併せて3部作のようなんですが、今回はとりあえず黒糖隊員を買ってみることにしました。

自衛隊限定のお菓子は結構知っているんですけど、この3部作は初めて見ました。

家に帰って食べたんですが、謳い文句通りしっとりしていて甘さもおさえめ、結構美味しかったですよ。

実は普段もそうなんですが、自衛隊の売店には結構いろいろとお土産が揃っています。
しかも、駅や空港で買うより、1割から2割安く買えるんです。
大量購入の時なんか、かなりお得ですよ。

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神町駐屯地記念行事 ~ その4

4月20日(日)に行われた神町駐屯地記念行事。
今回は前回予告した訓練展示について紹介します。

今回の訓練展示は1部と2部から構成されていました。
第1部は格闘訓練展示。

「徒手格闘技」

徒手格闘技は銃剣道と同様、おそらく自衛隊特有の格闘技で、レンジャー隊員等には習得必須な技術と言えます。
日本拳法と合気道を取り入れた打撃と組技が特長のようです。

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今回の展示では、基本動作、ナイフや小銃で攻撃された際の返し技、そして最後に4人を相手に戦う場面の展示でした。
特に最後の1対4の対戦形式はかなり迫力がありましたよ。
本気で蹴ったり殴ったりしてるんじゃないかって感じでしたから...

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第1部が終わり、次に行われたのが第2部:戦闘模擬訓練展示です。

ある陣地を占領している敵軍に対し、偵察活動を行い、敵を殲滅することにより陣地を奪回するというシナリオです。
これを狭いグラウンドで行うため多少無理はあるんですが、戦車や大砲が空砲射撃を行ったりするので迫力だけは満点です。

まず敵が占領している地域に偵察隊が侵入してきます。
今回はバイクを2両吊り下げたヘリが登場してきました。
バイクを下ろしたあと、隊員がロープでヘリからスルスルっと降りてきます。

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偵察隊員がバイクに乗り、グラウンドを駆け回るんですが、あらかじめグランドにはジャンプ台が設置してあり、隊員がジャンプすると観客席からワッと歓声が上がりました。

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偵察の結果、陣地正面には地雷、さらには化学剤により汚染されていることが判明。

まず、地雷に対しては数名の隊員が特殊な器材を組み合わせて除去する方法と、92式地雷原処理車という装備品で処理する方法の2種類が紹介されました。

汚染地域についてはまず化学防護車が汚染状況を調査し、その後除染車3型が薬剤散布により除染を行うという展示内容でした。

そして、味方の突入経路が確保されたところで戦車と歩兵部隊による総攻撃となります。

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特科部隊の援護射撃を受けながら、74式戦車そして軽装甲機動車や96式装輪装甲車等でやってきた歩兵隊員が敵陣地に乗り込んでいき、最終的に陣地奪回に成功するというところで展示は終了となりました。

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こういった記念行事で行われる訓練展示としてはありきたりの内容なんですが、地元の人たちの理解を得るためには必要なのでしょう。
また、子供達特に男の子たちには自衛隊ってすごいな、格好いいなって思われるんでしょうね。

いずれにしても、天気も最高、桜も最高、なので気分も最高って感じで過ごすことができた、陸上自衛隊神町駐屯地のお祭りでした。

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2008年4月25日 (金)

神町駐屯地記念行事 ~ その3

前回より、4月20日(日)神町駐屯地記念行事で行われた観閲行進についてレポートしています。

前回は歩兵部隊の行進が終わり、音楽がアップテンポの「祝典ギャロップ」という曲に変わったところまでお伝えしました。

この曲に乗せてまずやってきた部隊は福島駐屯地に所在する「第44普通科連隊」です。
連隊長以下、軽装甲機動車LAVから上半身を出しての登場です。
この軽装甲機動車はイラク派遣の際に大活躍した車でとして有名になりました。

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続いてやって来たのは96式装輪装甲車WAPCです。

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この箱型の車の中には運転手を含め10名の隊員を乗せることができます。

続いて高機動車にけん引されて120mm迫撃砲RTが登場。
普通科連隊の配下である重迫撃中隊が装備しています。

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ここまでが普通科連隊で、このあと第6特科連隊が登場。
第6特科連隊は郡山駐屯地に所在する部隊です。

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トラックにけん引されているのは155mmりゅう弾砲FH70です。
現時点では特科部隊に最も多く装備されている火砲です。
移動時はけん引の他、時速16Km/hでの自走も可能です。
最大射程は約30Km、仮に東京駅から射撃したとすると横浜駅の先まで届くことになります。

続いてやってきたのは第6高射特科大隊(郡山駐屯地)、そして第6後方支援連隊(神町駐屯地)。
高射特科大隊は敵の航空機を撃ち落とすための部隊。
そして後方支援連隊は、その名のとおり普通科連隊や特科連隊に対する弾薬補給や輸送等の後方支援活動を行う部隊で、第1整備大隊、第2整備大隊、補給隊、輸送隊、衛生隊で編成されます。

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写真は、74式戦車を搭載した73式特大型セミトレーラー/牽引車で、輸送隊の車両です。
ちなみにこのトレーラーは東急車輌製だそうです。
電車以外にこんなものも作っていたんですね。

次にやって来たのは第6施設大隊(神町駐屯地)。
施設大隊の役割は、陣地を作ったり、車両が通るための道を作ったりする、いわゆる土木、建設部隊です。

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写真の車両は、81式自走架柱橋という器材で、川に橋をかけるためのものです。
1台のトラックに2つ折りになった約10mの鉄橋が積まれていて、最大6台つなげることで60mの橋を架けることができます。
残念ながら重量の関係で90式戦車は通ることができませんが、74式戦車であれば通すことができます。

次にやって来たのは第6通信大隊(神町駐屯地)。
陸上自衛隊の野外通信は無線が主体でいろんな種類の通信装置を持っています。

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上の写真は、局地無線搬送端局装置JMRC-C60という装置で、日本電気製です。

続いて第6化学防護隊がやってきました。
この部隊は化学兵器などによって汚染された地域の調査や除染等を行うことを専門とする部隊です。
もうだいぶ昔になってしまいますが、あの地下鉄サリン事件の時にもこの種の部隊が活躍したんですよ。

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写真の車両は、化学防護車といい、汚染地域に入って行って汚染物質や汚染度の調査分析を行うための器材です。

最後に入ってきた部隊は、お待たせいたしました、大和駐屯地に所在する第6戦車大隊です。

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この戦車は74式戦車です。
最新式の戦車ではありませんが、今なお陸上自衛隊の主力戦車として全国に配備されている戦車です。

地上部隊は以上です。

この後、
「左上空をご覧ください」
というアナウンスの後、左手上空に見えてきたのは第6飛行隊の各種ヘリ部隊です。
UH-60、OH-1、AH-1Sが次々と上空からグランド上空へ侵入してきました。

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これでひととおり終了かなと思ったら、さらに上空を旋回してやってきた飛行機がありました。

航空自衛隊松島基地からF-2戦闘機が2機飛来してきたんです。

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後方からぐるっと左旋回しグランド上空を低空飛行した後、もう1度左旋回。
今度は1機ずつやってきて、両翼を2、3度振って挨拶をしたあと去って行きました。

松島からここ神町まで、10分でやって来たそうです。スゲ~っ。

これで、観閲行進は終了です。

この後、迫力の訓練展示が行われたのですが、この話はまたの機会ということで。

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2008年4月23日 (水)

神町駐屯地記念行事 ~ その2

前回より、4月20日(日)に行われた神町駐屯地記念行事の内容について紹介しています。

前回は記念式典のプログラムを紹介しましたが、今回はその中の観閲行進について詳しく説明したいと思います。

観閲行進は記念式典のメインイベントです。
観閲官、すなわち今回の場合、第6師団長に対し忠誠をつくして任務を遂行することを誓うという意味合いのもの(たぶん...)で、各部隊がもつ装備品とともに観閲官の前を観閲官から見て左から入場、観閲官の前を通り過ぎる際には敬礼を行い、右手へ下がっていくというものです。
とはいえ、我々一般人にとってはいろんな種類の装備品や車両、航空機等が次々と現れる勇壮なパレードとして映ります。

観閲を受ける側を観閲部隊と呼びます。
観閲部隊は第6師団配下の部隊であり、神町駐屯地だけでなく担当区域である南東北3県に所在する全ての部隊がここに集結します。
全ての部隊と隊員が集まると約8000人規模になるのですが、さすがに他の駐屯地をカラッポにする訳にはいかないので、今回は約1300人の隊員と約200両の車両が参加しての行進となりました。

今回の場合、観閲部隊の総隊長である観閲部隊指揮官は副師団長です。

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 ↑上の写真の最前列に立っている人が観閲部隊指揮官(副師団長)です

さて、観閲行進のプログラムはまず観閲部隊指揮官によるかけ声、

「観閲行進の体形を取れ~~!」

の命令でスタートします。

この号令とともに全部隊が駆け足でグラウンドから消えていきます。

そして、まず音楽隊が入場してきます。
ここ神町駐屯地に所在する「第6音楽隊」です。
普通、こういう式典に登場する音楽隊は正装(OD色の上着に金色のひもを付けた格好のこと)が多いのですが、今回は戦闘服での登場でした。
これって結構珍しいのではないでしょうか。

自ら演奏して入場する行進曲は「大空」という定番の曲です。

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観閲官の前で敬礼を済ませ通り過ぎたあたりまで来ると、そこから左折を繰り返し、観閲官の正面で部隊が整列します。

次に、観閲部隊の行進に先立ち第6師団の防衛区域である山形県、宮城県、福島県のそれぞれの県旗がジープに乗って入場してきます。

そして、いよいよ観閲部隊の入場です。
ここで音楽隊の演奏曲が変わります。

「陸軍分列行進曲」、またの名を「扶桑歌」、またの名を「抜刀隊」と呼ばれる行進曲です。
ちなみに、「抜刀隊」とは西南戦争において薩摩軍の攻撃に対抗するために編成された特別部隊のことで、田原坂の戦いにおいて大活躍した部隊なのだそうです。
その部隊の栄誉を讃え、明治18年にこの歌が作られたそうです。
作詞は外山正一という人なんですが、作曲はシャルル・ルルー(なんか「ル」が多いなぁ)というフランス人なんだそうですよ。

曲の紹介はこれくらいにして、この曲に乗ってまず入って来るのは、もちろん観閲部隊指揮官、第6師団副師団長です。

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続いて、歩兵部隊である第22普通科連隊と第20普通科連隊が8列縦隊でやって来ました。
いつ見ても思うのですが、全員ピッタリ足並みが揃った行進です。
行進訓練は基本中の基本なので当たり前といえば当たり前なんですけどね。

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徒歩行進はこれでおしまい。
続いて車両による行進が始まります。

音楽もここで変わります。
ちょっとアップテンポの行進曲、「祝典ギャロップ」という曲です。

この曲にのせてこの後いろんな車両、装備品たちが登場するのですが、続きは次回のお楽しみです。


最後に余談ですが、今回紹介したいろんな行進曲、ネットでキーワード検索すれば試聴できますので、興味がある方は聞いてみてください。

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2008年4月22日 (火)

神町駐屯地記念行事 ~ その1

今回は4月20日(日)に行われた神町駐屯地記念行事の内容について紹介します。

師団司令部や方面総監部が所在する駐屯地の行事はだいたいどこも似ています。
一般向けには駐屯地を開放して様々なイベントや露店で賑わっているんですが、特に招待者向けの行事は次の4つとなります。

1.感謝状贈呈式 (感謝状受賞者のみ)

2.記念式典(観閲式)

3.訓練展示

4.祝賀会食

このうちメイン行事は当然記念式典であり、式次第とその内容は以下のようになります。
なお、以下に出てくる観閲官とは部隊の長、すなわち今回の場合第6師団長です。

 ①開式の辞

 ②観閲官に栄誉礼
  ⇒音楽隊のファンファーレとともに全隊員が敬礼

 ③国旗入場
  ⇒隊員は気をつけの姿勢、一般人は起立します。
   なお、国旗係に任命された3名の隊員は、そのあと式が終わるまでの約1時間、
   一歩も動かず直立不動のまま国旗を掲げています。
   ある意味、この役が一番つらいのではないかと思います。

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 ④国旗に敬礼
  ⇒君が代の音楽が終わるまで隊員は敬礼、一般人は拝礼を続けます。

 ⑤観閲官による部隊巡閲
  ⇒観閲官がジープに乗り、部隊の前を順にゆっくり通過します。
   観閲官が通過するタイミングで各部隊は敬礼を行います。

 ⑥観閲官による式辞

 ⑦来賓祝辞
  ⇒地元国会議員や県知事等による祝辞。
   今回は山形県知事でした。

 ⑧来賓紹介
  ⇒その他の来賓紹介。国会議員の代理、各自治体の長や議員、
   歴代師団長等の紹介。
   及び感謝状受賞者の紹介。
   紹介された人はその場に起立、一礼する。

 ⑨祝電紹介

 ⑩観閲行進(及び観閲飛行)
  ⇒観閲台の上に立つ観閲官の前を各部隊が通過する。
   各部隊がもつ様々な装備品・車両が登場するため、一般人にとっては
   最も盛り上がる場面となる。

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 ⑪国旗退場
  ⇒入場時と同様、全員起立。

 ⑫閉式の辞

式典は約1時間程で終わるんですが、この式典で重要な役割を担っているのはなんといっても音楽隊でしょう。

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栄誉礼、君が代、そして部隊巡閲、観閲行進のBGMを音楽隊による生演奏で行うことで雰囲気を盛り上げる役割を果たしています。

今回はここまで、次回は観閲行進についてもう少し細かく紹介しようと思います。

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陸上自衛隊神町駐屯地

4月20日 山形県東根市にある陸上自衛隊神町駐屯地へ行ってきました。

駐屯地へは山形新幹線で行くと天童の次の駅「さくらんぼ東根」になります。
ここから車で10分弱くらい、山形空港のすぐ近くにあります。

この日に訪ねたのは、陸上自衛隊第6師団創立46周年、神町駐屯地創立52年記念行事への参加が目的でした。

関連ニュース :  http://yamagata-np.jp/news/200804/21/kj_2008042100306.php

前日は雨が降っていたのですが、当日は曇りから晴れに変わり最終的には気温も20度近くまでいくという好天気の中で行われました。
昨年は大雨だったので関係者はさぞ喜んだことでしょう。

それに山形はこの時期が桜も満開で、この神町駐屯地にも約1200本の桜があるのですがそれは見事でした。

この満開の桜見物も兼ねてか、当日の訪問客は軽く1万人を超えていたそうです。

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さて、記念行事の内容に触れる前に、神町駐屯地についておさらいしておきましょう。

まず歴史から。

神町駐屯地は昭和17年、この地に神町海軍航空隊が組織されたことから始まります。
ここでは、予科練すなわち海軍飛行予科練習生の操縦教育が行われていました。

終戦ともにこの地は米軍により駐留されることとなりましたが、昭和31年に返還、神町駐屯地として再出発することとなったのです。
当初は第6特科連隊第2大隊等が所在していましたが、昭和37年8月に第6師団がこの地で編成されたのに伴い、神町駐屯地は宮城、山形、福島の南東北3県の防衛を担当する第6師団の中核となる駐屯地となり現在に至ります。

現在所在する部隊は、

● 第6師団司令部
  ○ 第20普通科連隊
 ○ 第6後方支援連隊
 ○ 第6施設大隊
 ○ 第6通信大隊
 ○ 第6飛行隊
 ○ 第6化学防護隊
 ○ 第6師団司令部付隊
 ○ 第6音楽隊
● 東北方面管制気象隊
● 第401会計隊
● 第315基地通信中隊
● 第110地区警務隊
● 神町駐屯地業務隊

です。

神町駐屯地は地域との交流活動も盛んで、桜まつりの他にも夏には納涼まつり、冬には雪灯篭まつり等を開催しています。
いずれも駐屯地は解放され多くの市民が訪れるそうです。

今回はここまで。
次回は記念行事の内容について紹介したいと思います。

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2008年3月13日 (木)

陸上自衛隊日出生台演習場

陸上自衛隊日出生台演習場という所へ行ってきました。

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九州への出張だからと思い、特に防寒対策はしなかったんですが、九州でもこの地域はまだまだ寒く、演習場は雪が積もっていました。

ここは、大分県由布市から玖珠町にまたがる九州では最大の演習場で、東西約15km、南北約5kmというやや東西に細長い形をしているのが特徴です。

3月6日、この日出生台演習場で西部方面隊戦車射撃競技会という大会が実施され、縁あってこの競技会を見学させていただくこととなったのです。

参考 : http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/oita/20080309/20080309_002.shtml

ところで「日出生台」って、何と読むかわかりますか?
「ひじゅうだい」って読むんですよ。
地元の人ならともかく、普通読めませんよね。
「日(太陽)が生まれ出る(出生)台地」。
ん~、何かこのネーミングには神聖な匂いが...
と感じた僕は、この名前の由来を調べようと思いネットで検索したところ...

もともとこの地域の玖珠町部分が日出生という地名であること。
また、別府市の北には速見郡日出(ひじ)町という町があること。
くらいは判ったのですが「日出生」のルーツまでたどり着くことはできませんでした。

が、ひとつおもしろい事実を発見。
かつて大正から昭和の初期にかけて、この大分県に「日出生鉄道(ひじゅう鉄道)」という鉄道が存在していたのです。
構想では、今の宇佐市(日豊本線豊前善通寺駅)から玖珠町(久大本線豊後森駅)まで鉄道を通す計画だったそうで、その途中で日出生台演習場を通ることから「日出生鉄道」と命名されたのだそうです。
鉄道は豊前善光寺から建設スタート。
しかし、志半ばで挫折。
結局吸収合併を経て戦後まもなく廃業の道をたどります。
その経緯をたどると、

1914年(大正3年)5月23日 開業、豊前善光寺~新豊川
1915年(大正4年)12月6日 新豊川~二又川 開通
1919年(大正8年)4月26日 二又川~円座 開通
1922年(大正11年)2月4日 円座~豊前二日市 開通

ここまでは順調でした。ところがここから先は止まってしまいます。
計画の半分も実現しないまま、昭和に入り、

1929年(昭和4年)4月24日 豊洲鉄道に改名
1945年(昭和20年)4月20日 他の近隣鉄道と合併、大分交通豊洲線に改名 
1951年10月14日 台風により第二駅館川(やっかんがわ)橋梁が倒壊、全線休止
1953年9月30日 全線廃止

橋梁倒壊がカウンターパンチとなり廃業へ追い込まれたということらしいです。

参考URL : http://homepage1.nifty.com/pyoco3/oita/hoshu/hoshu.htm

いつものごとく話が脱線してしまったので、話を元に戻します。

当日行われた戦車射撃競技会、やはり間近で見る戦車の射撃は迫力満点。
決められた時間内に数キロ離れた的に対し、正確に射撃を行う。
74式戦車4両1コ小隊が隊長の指示に従い、寸分の狂いもなく走り、撃つ。
さすがに訓練された部隊だけあって、見事に命中する。

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精強な自衛隊の一部分を垣間見ることができた、そんな1日でした。

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2008年2月20日 (水)

陸上自衛隊仙台駐屯地

先週末、陸上自衛隊仙台駐屯地へ行ってきました。

仙台駐屯地へは、仙台駅から仙石線に乗り、4つ目の駅「苦竹(「にがたけ」と読みます)」で降りてすぐの所にあります。

Photo

実は、こちらから行くと正門(南門)ではなく裏門(北門)になるのですが、交通の便を考えるとこちらからの出入りが多いんじゃないでしょうか?

仙台駐屯地に入ってまず目を引くのが、この北門と南門を結ぶ道路でしょう。

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「中央通り」と呼ばれるこの道路、駐屯地の中の道路としてはかなり広く、片道2車線の道路がド~ンと一直線に走っています。
地図で測るとだいたい850メートルくらいあるんじゃないでしょうか。
道幅が25メートルとして21,250平方メートル、約6,400坪の土地を占有している計算になります。
東京ドームに換算すると、半分弱の面積ですよ。
そんなに交通量が多いとも思えないのですが...

ところで、面積の比較をするとき、よく耳にするこの「東京ドーム○○個分」という表現。
なぜ東京ドームなんでしょう。ていうか、東京ドームの広さを知ってる人ってまずいないでしょ。
東京ドームと比較されてもピンと来ない人も多いのではないでしょうか?

ちなみに、東京ドームの面積は46,755平方メートルなんですが、まぎらわしいのは東京ドームのグラウンド面積(約13,000平方メートル)と比較するパターン。
関東ではよく見かける大塚家具有明ショールームの広告、「東京ドームグラウンドの2.3倍」って書いてあるんですが、実は東京ドームそのものの面積と比較すると0.64倍となるんです。
でも、こんな中途半端な数字だと誰も広いなんて感じてくれないし、でも東京ドームと比較して広いイメージを植え付けたいしってことで、こんな比較が成り立つんだろうなぁ。

そうかぁ、東京ドームと比較するってのは具体的な面積を伝えたいのではなくて、「広い」ってことを強調したいために使う手段なんですね。

ということは、仙台駐屯地の中央通りも大塚家具方式で比較すればいいんだ。
「仙台駐屯地の北門と南門を結ぶ中央通りの面積は、東京ドームグラウンド面積の1.6倍もあるんです」
ってね。

・ ・ ・ ・ ・ ・ 道路の面積を自慢してどうなるっていうんだ?(自滅)

この道路と北の端と南の端は、ロータリーみたくなっていて、植込みには伊達正宗と思わしき人物をあしらった看板が設置してあります。
この看板には今月の標語みたいなものを表示してあり、今回行った時の内容は、「健康管理の徹底」「情報セキュリティ月間」の2つでした。
「健康管理の徹底」って、自衛隊らしいですよね。だって「徹底」ですよ。
徹底的に健康管理に取り組めってことでしょ。
朝起きたら、まず、乾布摩擦しろってことですよ。(違うか...)

仙台駐屯地は、この道路だけでなく駐屯地そのものの敷地面積もかなり広く、727,000平方メートル、東京ドーム15.5個分もの面積なんです。(う~ん、さすがにかなり広いって感じがしますよねぇ。)

話を変えて、仙台駐屯地の歴史について。

仙台駐屯地の歴史はそれほど古くはなく、昭和16年に小銃や機関銃等の弾丸を製造する「陸軍東京第一造幣廠仙台製造所」としてスタートします。
戦後、米軍により駐留されることとなりますが、米軍駐留期間は昭和32年7月まで約12年間とかなり長い期間だったことになります。
昭和32年11月に防衛庁に移管され、翌昭和33年3月「陸上自衛隊仙台駐屯地」として再出発することとなりました。

というのも、今の仙台駐屯地の歴史がそれほど古くないのには訳があって、旧軍時代は旧仙台城(いわゆる青葉城)二の丸に「陸軍第二師団」が置かれており、明治初期から第二次大戦終戦まではこちらが東北地区の軍事の中心だったのです。

現在は、この仙台駐屯地に「東北方面総監部」が設置され、東北地方の守りの要となっています。
この他にも、多くの部隊が所在しているんですが、特徴的なのは東北補給処、仙台病院といった機関が同じ敷地の中にあることでしょう。

仙台駐屯地にも、「防衛館」という展示施設があり、今回若干の時間ではありますが見学することができました。

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ここは、自衛隊関連の紹介の他、仙台の歴史や前述第二師団の歴史、伊達正宗に関する説明やゆかりの品なんかも展示してあって、いろいろと勉強になりました。

あと、この施設の前庭で変わった物を見つけました。

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ラッパのお化けみたいな金属製の物体なんですが、説明を見ると、これは戦時中に使われた空襲警報サイレンなんだそうです。
かなりの音量だったみたいで約4キロメートル離れた今の仙台駅付近まで聞こえたそうです。
近くの人たちにはかなりうるさかっただろうなぁ。

みちのくの守りの拠点「仙台駐屯地」訪問記でした。

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2008年2月 2日 (土)

陸上自衛隊久里浜駐屯地

先日、仕事で陸上自衛隊久里浜駐屯地という所へ行ってきました。

1月24日と25日の2日間にわたって行われた「通信学校フェア」というイベントに参加するためでした。

久里浜駐屯地は、神奈川県横須賀市にあります。
JR久里浜駅あるいは京急久里浜駅から歩くこと10分ちょっと、平作川という川沿いの道路に沿って久里浜港の方向へ歩いて行くと駐屯地が見えてきます。

駐屯地の近くになると、この平作川にたくさんの釣り船やボートを見かけます。
磯の香りと相まって、都会の喧騒をなんとなく忘れさせてくれるような、のどかでいい所だと思います。

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駐屯地の正門は、この平作川にかかっている橋を渡った所にあります。
一応、この橋にも名前が付いていて、「みいつ橋」といいます。
ちなみに「みいつ」を漢字で書くと「御稜威」と書くのですが、「御稜威」って何のことか気になったので、ちょっと調べてみました。

「御稜威(みいつ)」というのは、「御稜」と「威」に分けると何となく見えてきます。
「御稜」とは古墳、つまり天皇の墓のこと、「仁徳天皇稜」が有名ですね。
「威」とは「威力」のこと。
なので、御稜威とは皇室パワーということになります。

現皇室は「神武天皇」に始まって、今の今上天皇まで125代、2600年以上も続いているんですが、こんなにひとつの血統が国の皇族として続いているのは世界広しといえど日本だけなんです。

また、皇室に代々受け継がれている有名な「三種の神器」。

ちなみに三種の神器とは、
八咫鏡(やたのかがみ)』
『八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)』
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
(「草薙の剣」と言えば聞いたことあるかな)
です。
知ってました?僕は知りませんでしたけど...

三種の神器にまつわる話も諸説ありますが、これらの宝物が盗まれもせず、火災などの災難に遭うこともなく、オリジナルが何千年にもわたって現存するのも世界に類を見ないことなのだそうです。

つまり、これほど日本の皇室が滅びることなく長く続き、また三種の神器が失われることなく受け継がれて来たのには、何かしら摩訶不思議な力があるに違いない。
このような皇族が持つ不思議な力、パワーのことを、「御稜威」と呼ぶのだそうです。

蛇足ですが埼玉県熊谷市に「御稜威ヶ原」という地名があります。
この地域は現在工業団地なのですが、すぐ近くに航空自衛隊熊谷基地があります。
「御稜威」と自衛隊、何か関連があるのでしょうか...

話がかなり横道にそれてしまいましたので、本題に戻しましょう。

久里浜駐屯地には最初にも触れましたが、「通信学校」という学校と、「中央野外通信群」という部隊があります。
つまり、久里浜駐屯地は通信と深い関係がある駐屯地なのです。

ところで、陸上自衛隊にはたくさんの学校があります。
というのは、陸上自衛隊はいろんな「職種」に分かれていて、いろんな部隊もこの「職種」に基づいて編成されています。
この職種、現在は15の職種があり、全て挙げると、
「普通科」、「野戦特科」、「機甲科」、「高射特科」、「武器科」、「航空科」、「化学科」、「通信科」、「輸送課」、「需品科」、「施設科」、「会計科」、「警務科」、「衛生科」、「音楽科」となります。
そして、音楽科を除き、これらの職種毎に学校が存在するのです。

また話が横道にそれてしまいました。

続いて、この久里浜駐屯地の歴史について。

昭和5年、横須賀市田浦に「海軍通信学校」が開設されました。
当時は軍事活動における無線通信が急速に発達していった時代で、昭和14年、施設拡大を目的に今の久里浜の地へ移転してきました。
ここから久里浜駐屯地の歴史が始まります。

終戦とともにしばらくは米軍のものとなりましたが、
昭和25年、警察予備隊の発足とともに、「総隊学校」としてこの地に学校ができました。
昭和28年、保安隊になったのに併せ、今の防衛大学校の前身となる「保安大学校」がこの地に開設されました。
久里浜駐屯地の敷地も、当時は今よりもはるかに広く、川を挟んだ反対側も自衛隊の敷地だったそうです。
昭和29年、保安隊から今の自衛隊へとなった際、防衛大学校は今の浦賀へと引っ越して行き、また総隊学校も各職種別の学校へ分けられ、今の通信学校のみが久里浜に残ることとなりました。
やはり、旧軍時代から通信にゆかりのあるということからなのでしょうね。

話は変わって、この駐屯地には、敷地の中にちょっとした山があるのが特徴です。

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実際この山を利用して訓練や教育も行われているみたいです。
一度登ってみたいですね。
頂上から見る景色も良さそうですし。

それはともかく、ここには駐屯地歴史館もあるようなので、次回行った時にはこちらも覘いてみたいと思います。

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2007年10月 7日 (日)

陸上自衛隊竹松駐屯地

長崎県大村市に竹松駐屯地というところがあります。

9月30日に「竹松駐屯地創立55周年記念行事」というイベントがあり、参加してきました。

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大村市には自衛隊が3つもあります。
一つめは陸上自衛隊大村駐屯地、ここには第16普通科連隊がいます。
二つめは海上自衛隊大村航空隊。
そして三つめがこの陸上自衛隊竹松駐屯地、ここには第7高射特科群という部隊があります。

大村市の人口は約9万人とそんなに大きな市ではないのですが、一つの市町村に3つも自衛隊があるのはかなり珍しいのではないでしょうか。

この竹松駐屯地には前述のとおり第7高射特科群という部隊があるのですが、高射特科というのはいわゆる対空戦闘部隊、敵の戦闘機等を撃ち落とすことを目的とする部隊で、ここの部隊は「ホーク」という武器を装備しています。

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今回の記念式典では、記念式典のあと訓練展示が行われ、このホークを使うシーンについての展示が行われました。

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このホーク、実際国内では撃つことができないため、展示でも撃つ直前までで、あとは敵機に見立てた航空機を効果音で爆破させるというものでしたが、これはこれで会場の観客にはうけてました。

最後に恒例の祝賀会食に出席して、帰って来ました。

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ということで、陸上自衛隊竹松駐屯地記念行事レポートでした。

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2007年9月14日 (金)

陸上自衛隊名寄駐屯地

陸上自衛隊名寄駐屯地というところに行って来ました。

言うまでも無く北海道は名寄市にあります。
最寄の空港は旭川空港なので空港からバスで行ったのですが、旭川からは70キロも離れていて、高速に乗るのですが、高速道路には車が皆無といっていいほどいませんでした。

名寄駐屯地には第3普通科連隊、第4高射特科群という部隊をはじめ、9つの部隊が所在しています。
名寄市の人口が約3万人なのに対し、自衛隊員は2000人程、家族も入れると5~6千人にはなるでしょうから、5人に1人は自衛隊関係者ということでしょうね。

さて、名寄駐屯地には「北勝館」という資料展示室があります。
今回そこを見学することができました。

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ここの目玉はなんといっても「第1次イラク復興支援群」関連展示でしょう。
番匠群長を筆頭とする始めてのイラク派遣部隊がここから出たのですから。

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番匠さんといえば、こないだ参議院選挙で当選した「ひげの隊長」こと佐藤正久議員の当時の上司に当たる人で、番匠さんはここの第3普通科連隊長からイラクへ派遣されたのだそうです。
ということで、イラクで彼が着ていた戦闘服なんかも展示してありました。

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名寄の隊員さんたちの現在の主な仕事のひとつが遭難者の捜索なのだそうです。
最近では利尻島の遭難者を捜索するのに105名もの隊員さんたちが出動したそうです。

1名の人を捜すのにこれだけの苦労をしなければならないということは、それだけ費用もかかるということだし、ということはそれだけの税金が使われる訳だから、遭難事故を起こさないよう民間の我々も本当に気をつけなければならないと感じました。

そういえば、こないだの台風9号の時でも、増水した川を見に行くといって行方不明になってしまった人がいたけど、あんなバカなことをやってしまうと大勢の人に迷惑をかけることになるんですよ。
ほんと、注意しましょうね。

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2007年8月28日 (火)

富士総合火力演習 ~ その2

23日午前の演習は霧が深くほとんど弾を撃たない演習でがっかりだったのですが、午後から天気は回復し夜間演習はちょっと期待が持てるようになりました。
早めの夕食を済ませた後、午後7時くらいに再度東富士演習場へ向かいました。

夜の見学者は昼間に比べると格段に少ない。
スタンド3つが埋まるくらいだったので2000人くらいでしょうか。
まあ、一般の人の予約は受け付けていないので当然なんですが。

夜の演習は19:20にスタートしました。

夜間演習は3部構成になっており、まず暗視装置を使用した真っ暗な中での射撃、照明弾を用いた中での射撃、そして最後が敵が攻めてきたという想定での防御訓練という内容でした。

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はっきり言って真っ暗の中での射撃は音と閃光のみでよく分かりづらかった感があります。
ただ暗闇で装甲車や戦車が結構なスピードで動いていたのには感心しました。

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照明弾は初めて見たのですが、想像していたよりかなり明るいのに驚きました。
あと、最後に74式戦車数両が攻撃目標付近(2Km先くらい)にサーチライトを一斉に照射するのですが、これがかなり明るいのにびっくりしました。

花火と比べてもしょうがないのですが、花火とは一味違った音と光のショーを楽しむことができました。

なかなか貴重な体験をさせたもらった一日でした。

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2007年8月27日 (月)

富士総合火力演習 ~ その1

8月23日(木)に陸上自衛隊東富士演習場というところで、「富士総合火力演習」の総合予行というのがありました。
本番は26日(日)だったのですが、23日も基本的には内容は全く同様で、今回僕はそちらの見学へ行ってきました。
この演習は毎年この時期に行われているもので、陸上自衛隊が実施する実弾を使用した演習としては最も大規模なものだし、一般に展示するのも本演習くらいです。
僕自身この演習を見学するのは今回が4回目でした。
僕は別にミリタリーオタクではないのですが、今回は仕事の一環として...
というか、今回はある団体が企画する1泊2日のツアーに参加するというものでした。
このツアーの特徴は昼間の演習の他に、夜間演習を見学できるのが特徴で、僕は夜間演習というものはまだ見たことがなかったので、実はこちらを楽しみにしていました。
当日(23日)は7:00に東京駅に集合し、8時前に出発、9:30分頃には会場である東富士演習場に着きました。
総合予行といっても人の数は本番と変わらないのではというくらい、すでに大勢の見学客が来ていました。
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10:20に開始の予定だったのですが、この日は朝から深い霧状態で視界も30mくらいしかなく、しばらく開始を見合わせるとのこと。
霧は一向に晴れなかったのですが、10:40に再度アナウンスが流れ、展示を開始することになりました。
プログラムは前段と後段に分かれていて、前段は陸上自衛隊が保有する各種火器の紹介と実弾射撃、後段はシナリオに従った攻撃のシーンを展示するというものでした。

でさっそく前段がスタートしたのですが...
さっきよりさらに深い霧のため射撃目標が確認できず、それぞれ装備品の紹介はするのですが、結局1発も撃たずに終了。

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で、約1時間が経過。
後段は多少霧が晴れてきたので、若干の火器(戦車砲と機関砲くらい)が射撃を行いました。
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結局1時間半ほとんど弾を撃たない演習見学となってしまいました。
過去4回の中でこんなに静かな見学は初めてでした。
遠くは秋田や広島辺りから来ている客もいたようだけど、きっとガッカリだったろうなぁ。
怒ってる人もいたようだったし...
でもしょうがない。
夜の部に期待しよう。

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